タグ別アーカイブ: 2018年

それぞれの百名山

大正生まれの父方の伯父が昨日亡くなりました。先の大戦では無謀な作戦で後年知られた南方戦線からの生き残りでした。戦後は農家の長男として家庭や地域の礎を築いてこられました。そんなことを思っていたところへ高校時代の恩師から著書をいただきました。定年退職後、15年かけて百名山登山の偉業を達成されました。教え子の一人として、自分にとっての登るべき山を探してみたい気にさせられました。

対米問題に目を向けたい

平昌オリンピックをめぐる南北の話し合いに日本から口出しするのは控えるべきだと思います。対話の機会があるのもオリンピックのおかげ。衝突すれば双方はもちろん近隣国にも死への影響が出るわけですから、まずは対話が大切です。しいていうなら、日本からも北に対する交渉を進めるべきです。対話ということであれば、在日米軍基地の問題に対して米国と話をすべきです。自国では学校の上を飛行しないにもかかわらず、「占領地」ではそれが許されるということについて怒るべきです。死者が出ていないからいいではないかという人が副大臣を務められていた政府は目覚めなければなりません。

就職ガイダンス

今日は今年最初の就職ガイダンス講師の業務に携わりました。相手にとっては今年どころか人生で初めてという場合もあります。なかなか緊張するものです。ある漢字を間違って教えたのに帰宅してから気づき学校へ連絡して相手に伝えてもらうようにしました。次回は来月になります。気を引き締めて臨みます。

ストレス

これから読む本は、渡辺正峰『脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦』(中公新書、920円+税、2017年)です。年末から家族の転居や成人式、特養入所と、一区切りつく出来事が続いていて、それなりのストレスがあるような気がします。

仮想現実

脳科学に関する書籍の書評の記述の中に、物質には色はついていなくてそれを色で認識するのは脳だとありました。確かに色は光の反射で現れるものですから、この眼で見ている世界はあくまでも各自の脳の中の仮想現実といえるかもしれません。したがって、人工頭脳をもつロボットが見ている世界も人の脳と変わりがなく、人間の脳と機械の脳が近い部分もあるようです。人が犯かす罪には脳にダメージを与えるものがありますが、戦争や公害病などこれはもっとも重い罪になると思います。

久しぶりの審判

全国高校選抜大会県予選が開かれるということでウエイトリフティング競技の審判に久しぶりに携わりました。このところ地元の行事が重なることが多く足が遠のいていました。有望選手が育つ一方で審判の人材が薄いのが心配です。今週と来月はこの大会に出場した2校へ別の事業で訪問します。

採用面接

午前中、ミニトマト収穫作業のパートの採用面接を行いました。当社の農業ハウスでは中高年層に活躍してもらっています。応募に際しても年齢は問いません。介護と年金に対する不安が増す将来を見据えると、無理しない程度に働くことというのが、本人にとっても社会にとっても重要だということを痛感します。

特養入所と年金

今年最初の朗報は、親の特養入所が決まったということになりました。利用申し込みを行った時期には2~3年待ちと聞いていたのですが、幸いなことに半年あまりで入れることになりました。私のように時間の融通がきく事業主ならいざしらず、いやそれでも家族に要介護者をかかえると、けっこうな負担があるものです。それを特養にお任せできるのはたいへんありがたいことです。あとはその利用料の工面ですが、親世代は年金でなんとか賄えると思われます。問題は、今の子や孫世代が老後を迎える時期のことです。やはり年金だけでは困難です。要介護にならないようにまずは生活するしかありません。

周辺の住宅地を訪ねて

このところ周辺の住宅地を訪ねる機会があります。住宅地図と現況が変化している例が結構あります。もちろんそれは震災の影響によるものです。一方で新しい住宅もかなり建っていました。阪神から23年というこの日ですが、防災に強い地域でありたいと思います。一方、地域ではどうにもならないのが核の脅威です。ノーベル平和賞を受賞した団体の事務局長とわが国の首相は会わないそうですが、合わせる顔がないのでしょうか。米国は北朝鮮対応でICBMの開発だけ止めさせ、核の保有は認める方向で手打ちするのではという見方もあります。北朝鮮だけでなく、米国や中国、ロシアといったすべての核保有の禁止を求めることでしか、真の安全はありません。核抑止力というものに信頼がないからこそ生まれているこの危険な状況を根絶させるには、核兵器禁止の道しかありません。

どんどや

今年の地元のどんどやの日が、成人式と重なったため、参加できなかったのですが、毎月介護相談でおじゃましている施設のどんどやに伺う機会に恵まれました。山を造成した場所に、このグループ施設が点在し、利用者の高齢者、職員、はたまたこれもグループの保育園児ら多数が見守る中でのどんどやでした。私は、少し小高い所から眼下に見る形で、火を見つめました。着火してすぐに組み合わされた竹が平たく倒れてくれ、あまり火柱が高くならずに燃えてくれました。なんせ周囲が山なので危なくはないかと思っていましたが、施設はかなり気を付けた進行に努めていました。

国技や品格を求めない方が賢明

プロ相撲をめぐって国技という言葉を聞きますが、どうしてもなじめません。レスラーの出身地はかなり国際化しています。それでいて、公正な勝負を求めるのなら、スポーツの世界で常識となっているアンチドーピングの取り組みがどうなっているのか、言っていることとやっていることがこれほどかけ離れている世界が品格を語るのも滑稽な感じがします。いっそのことスポーツではなく芸能として扱うべきではないかと思います。

子供に学ぶ

民生委員児童委員PR活動で先月地元の学童クラブを訪問しましたが、本日の定例会議でそのときの所感を委員に発表してもらいました。日頃どちらかといえば高齢者支援に重きをおいてきたため児童とのふれあい活動は新鮮だったようで、受け入れてくれた施設の反応を含めて、今後も継続したいということになりました。子供に遊んでもらうと、大人の気持ちも明るくなる気がしました。

考えると確認と

センター試験の地歴と公民の試験開始時刻の間違いがよく発生するのだという記事がけさの朝日新聞に載っていました。1科目受験と2科目受験による勘違いから結構起こっているそうです。始末が悪いのは、学校の先生の無理解から生徒に間違った情報を与えているケースもあるとか。まずは、受験生自らがよく考えるなり確認するなりして、安易に学校の先生の言うことを信じないことだと思います。受験生が向かおうとしている世界は、まさに正解を覚えるのではなく自ら考えてその正しさを自ら証明するところだと思います。

文系理系の区別は無意味

本日のように雪が降る季節はセンター試験など大学入試の季節です。そこで思うのは数学の得意不得意が文系理系の区別を増長する悪しき風潮です。ある大学では数学の入試では記述式に重きを置いているそうです。記述式解答では、受験者の思考法が現れます。マークシート式解答と異なり部分点も獲得できます。そもそも論として学問とは正解を覚えることではなく、真理を考え極めること。そのための訓練というか素養として数学は優れています。人文科学の道に進む学生であっても数学的思考力が必要だと思います。