タグ別アーカイブ: 2014年

戦争立法に抗する

ヘイトスピーチ団体と等しい排外主義政党の「次世代の党」が総選挙で解党的惨敗を喫した後の12月16日、党最高顧問の石原慎太郎が、日本記者クラブで記者会見に応じた際に、『週刊現代』(8月9日号)のインタビュー記事で、今の野望は何か、と聞かれ、「今やりたい事は支那(中国)と戦争して勝つこと」と言明したことを認めています。ここまで狂い劣化した老人が政治家でいられたということが、平和国家の度量の大きさだったかもしれませんが、文明人としてはけっして許されない発言です。国民を不幸に追い込むこうした野蛮人が国会から退場してくれたことは、歓迎ですが、これから戦争立法が進む議会環境に変わりはなく、監視と阻止に本当の次の世代は力を注がなくてはなりません。平和を愛する国民が主権者であることをたえず確認し、知力を磨き、行動していきましょう。

丸山定巳さんを偲ぶ

12月27日、社会学者で水俣病事件の研究に長年携わってこられた、丸山定巳さんが亡くなられたというニュースを知りました。10月に開かれた相思社の理事会にも欠席され、お身体のことは聞いてはいましたが、残念でなりません。ずっと一線で被害者の支援にかかわってこられた方々が鬼籍に入られるたびに、後に続く世代の使命も考えさせられます。写真は、2013年2月22日に相思社でお誕生日のお祝いをしたときのものです。

国際審判ライセンス取得

11月に大阪で受検したウエイトリフティング国際審判のライセンスカードが手元に届きました。はっきりいって道楽に過ぎないのですが、これからもこの競技の普及に携わろうという強い動機にはなります。国際登録のため、登録料もドルで決められています。しいていえば円安になる前に取得しておけばよかったなあと、今にして思います。

水巻町の古民具店「野あそび」さん

12月23日の朝日新聞に遺品整理の広告を出しておられた、福岡県水巻町の古民具店「野あそび」さんへ現在管理している空き家の家財道具の処分を依頼しました。電話で当方が県外であることや引き取れる品物があるかどうか不明と伝えた上での依頼でしたが、快く応じられ先日訪れていただきました。結果は引き取れる品物は見当たらず、空振りに終わりご迷惑をかけてしまいました。しかし、引き上げられるまで丁寧な対応をいただいて信頼できる仕事をされている店舗だと思いました。こういう業者さんはお勧めしたいと思います。

食と農のシンポジウム

先週、九州農政局主催の「食と農のシンポジウム」を聴講してきました。基調講演はJR九州ファーム社長でした。同社の農業参入の動機のひとつに、仕事の本質で農業と鉄道は通じている、というのがあるそうです。具体的には以下のことを示されました。
手間をかける  → 良い成果を生む
手抜きをしない → 安全安心を作る
毎日誠実に継続 → お客様の支持
なるほどと思いました。農業は鉄道と同じく対象者が広範です。植物は休みなく育つので継続的な管理が重要です。ただし、鉄道は線路がある地域だけがマーケットですが、農業のそれは産地に留まりません。そこがメリットです。参入動機が納得できます。当社もこの恵まれた事業で成長したいと思います。

農業マーケティング

農業を成長産業へという掛け声とは裏腹に、農産物の販売価格は低迷し、円安で海外から調達する資材などの経費は高くなり、環境としては厳しいものがあります。何のために生産しているのかと絶望の縁に立つ生産者も多いと聞きます。
しかし、農産物の消費量が極端に落ちることがあるかというとそこまでは感じません。それこそ脱落する生産者がいるために、生産量が落ちるので供給過剰にはならないと思います。
黙っていても売れる世界なので、ふだんはマーケティングに高い意識を保つこともありません。手元に11年前に行われた講演メモがあります。9年前亡くなられたあるマーケティングの大家によるものですが、せっかくなので振り返ってみます。
そのときの演題は「最近の流通の動き」。
「確実なのは今、今を生きろ」
「日本人の欠点 待ちの姿勢 環境の変化に受身の経営 しょうがないという考えを業界がもっている」
「年齢が高い人が消費をひっぱている」
「マネをしない いかに異質化するか 差別化するか」
「価格競争をしない」
「値段は消費者は忘れるが、品質とサービスは忘れない」
「ロイヤリティーマーケティング 上得意を組織化」
「シニアシチズン優遇」
「消費者を喜ばせる政策」
「消費者の愛を獲得する競争」
「国際的コモンセンスにのっとった哲学が必要」
「環境のせいにしていてはダメ」
「自殺的安売りはやめたがいい」
こうしてみると、価格を決めるのは消費者の評価であるので、いかに消費者へ直接アピールできるかが決め手のように思います。自ら安売りに走るのは自殺行為ということと、環境を言い訳にせずに行動することが大事だといえます。

会社設立4周年

株式会社アテンプトは4年前の12月24日設立しました。ということで、今月から5年目に入っています。
代表者は、過去2社でサラリーマン経験があるのですが、いずれも設立して5年経ったベンチャー企業でした。伸び盛りの時期は、社内に良くも悪くも蓄積がないので、自ら外に学んでさまざまな事業の起ち上げにかかわることができました。
その意味でも当社のこれからの10年は、自身にとっても3度目の経験となる、おもしろい時期だと思っています。

理解と敬愛の連鎖に転じよう

10年近く前に読んだ田中優氏の『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方 エコとピースのオルタナティブ』(合同出版)は、個人のお金がどう世界を回ってどんな社会をもたらしているかを易しく解説した本です。それによると、元々地方のカネの集まりが国家予算となって中央の公共工事をありがたがる皮肉(郵貯など)、アメリカの世界覇権を支えているのは日本国民という皮肉(銀行預金)、農家が農産物輸入自由化をもたらしているという皮肉(農協)などが見てとれます。
残念ながらこの構造は変わりなく、この間に取り返しのつかない環境破壊を引き起こした原発事故があったり、世界各地で紛争が続いていたりします。この際、財務省は米国債を売って以下の事業に貢献してみてはどうだろうか。原発や武器を輸出するよりは断然世界から歓迎されるはずです。
・途上国の債務をなくす 4010億ドル
・世界中の兵器を廃棄する 1720億ドル
・世界中の飢餓に苦しむ約8億人の1年分の食糧 980億ドル
・世界のすべての埋まっている地雷の撤去 330億ドル
・アフガニスタンの復興 250億ドル
・世界中の女性の出産にかかわる保健衛生 120億ドル
・世界中の人々に安全な飲み水と下水道設備を提供 90億ドル
・世界中の砂漠化の防止 87億ドル
・世界中の人々に基礎的な教育 60億ドル
・すべての地雷被害者に義足などを贈る 3億ドル
・世界中の約2000万人の難民支援用テントや毛布を援助 1億ドル
・世界中の子供達をビタミン不足による失明から救う 0.2億ドル
やはり10年近く前に読んだ『日露戦争の世紀』(岩波新書)の著者・山室信一著氏が、同書のあとがきで「憤怒と侮蔑の連鎖が、理解と敬愛の連鎖に転じる日の、一刻も早からんことを祈りつつ」と記しています。この思いに応えたいものです。

地方議員の程度が知れる

このところ地方議会での「憲法改正を求める意見書」の取り扱いを巡っての投稿が続きますが、この意見書の取り扱い方によってその地方議員の程度が知れると思っています。憲法を改正するかどうかの問題ではなくて、憲法の役割である立憲主義がどうあるべきかという世界の常識を理解しているかどうかが問題です。
立憲主義の本質とは何かということですが、高橋哲哉氏がかつて寄せた論考「憲法記念日に考える」(2005年5月3日共同通信)にわかりやすい説明がありますので引用紹介してみます。「立憲主義の基本は、国家権力の乱用を防ぐために、権力者が何をすべきであり、何をしてはならないかを憲法に定めて、主権者である国民が国家権力を統制する点にある。国民の「権利」規定が多くなるのは当然である。憲法は為政者が定めて「国民が守る」ものではなく、国民が定めて「為政者に守らせる」ものなのだ。」
ここにある統制される側の連中というのは、とにかく変節します。都合の悪いことは忘れたり、隠したりして、責任をとらず、自分になびく者を好んで使い、用済みになれば蹴落とすのを得意とします。ですから、彼らは憲法改正案に個人の義務を盛り込みたがります。このように権力者は自分たちが守れないことを条文から取り除きたがります。
先の意見書の憲法に対する捉え方は、まったくこの統制される側に都合のいい勝手な憲法観に依拠した代物であって、立憲主義という大原則を無視しています。地方議員が国政に立憲主義の原則を意見するのではなく、逆に破壊しようとする意見に組みしているようでは、自己の立ち位置をわきまえない愚か者ということになります。

ドライミニトマトを発売開始

ドライミニトマトの製造販売をこのたび開始しました。当社農場がある玉名市横島町産のミニトマト2kgの旨味が凝縮した一品です。ミニトマトは普通の大玉トマトに比べてグルタミン酸含有量が高いとされていますし、リコピンも豊富です。お酒のおつまみやパスタ・ピザ具材に適しています。保存食としてオリーブオイル漬けに挑戦したい方にとっては、この商品を活用していただけると、工程が楽になります。
ドライ製品は商品ボリュームの割りに値段が高い印象をもたれますが、生のトマト2kgから40gしか作れませんので、2kgのトマトの価格をご存知であれば案外お得だと思っていただけるかもしれません。

東アジア観のタコツボ化は危険

合志市議会が可決した「憲法の早期改正を求める意見書」の中で、「我が国を取り巻く東アジア情勢は一刻の猶予も許されない事態に直面している」というたいへん物騒な記載があることを紹介しましたが、この東アジア観には知性の欠片すらありません。たとえば、インターネットもない100年も昔、1912年に辛亥革命の指導者として清朝の皇帝支配を打ち破った革命家・孫文と宮崎滔天(寅蔵)や犬養木堂(毅)は、友人でした。中国人と日本人という言葉の壁はありましたが、目指す世界の理想があり、人間的なつながり、ダイナミックな交流がありました。
孫文がロンドン亡命中に英国社会に次のような言葉を送っています。「私は公徳をたっとび、正義をまもる貴国国民に予てから尊敬をささげていましたが、親しく身にその恩恵をうけてますます信念を深くしました。このことによって立憲政体と文明国民の真価値の認識をふかめ、さらに不肖の全力をつくして、わが祖国の進歩をはかるとともに、不当な圧迫をこうむるわが国の親愛なる同胞の解放を求める決意を新たにしました」(貝塚茂樹『孫文と日本』、1967年)。当時、孫文が日本の友人たちにも同様の思いを抱いたことは想像に難くありません。
対する滔天も自書『三十三年之夢』で孫文(逸仙)との歴史的会見の終わりを次のような絶賛のことばで結んでいます。「孫逸仙の如きは実に己に天真の境に近きものなり。彼何ぞ其思想の高尚なる。彼何ぞ其識見の卓抜なる。彼何ぞ其包負の遠大なる。而して彼何ぞ其情念の切実なる。我国人士中、彼の如きもの果して幾人かある。誠に是東亜の珍宝なりと」。まさしく大人(たいじん)の日中関係はかくありたいと願います。日韓についてもそういえるでしょう。
ともすれば、極度にある方向に作られたイメージの「日本人」「中国人」に向かって無益な挑発行動に誘導されかねない社会にいるのではという危惧を、今回の地方議会の意見書文面からは感じます。歪んだ東アジア観からは愚かな排外主義しか生まれません。これだけ人の交流ができやすい時代になって逆行する思考は悲しむべきことです。

ホメ過ぎを反省

先日、合志市の社会福祉の先進性を賞賛する投稿をアップしたところだったのですが、同市議会についてガッカリさせられる報道に接したので、ホメ過ぎを反省するため記録しておきたいと思います。
いずれも12月19日の全国紙県版からですが、まずは読売新聞の「合志市議の報酬 引き上げ可決 来年4月から」によると、市議の議員報酬がなんと約20%増の「アベコベミクス賃上げ」となっています。国家公務員の今冬の賞与アップを見習ったのでしょうか。次いで朝日新聞は「憲法早期改正求める意見書 合志市議会が可決」とあり、これまた首相にでもなったかのようなハッスル振りです。なんでも「我が国を取り巻く東アジア情勢は一刻の猶予も許されない事態に直面している」という意見書に書かれた現状認識は、軍事一辺倒の独裁国家並みの知性の低さです。
他市のこととはいえこうしたお手盛り感覚や誇大妄想癖は将来に禍根を残すことでしょう。注視してみたいと思います。

勉強になりました

今度の総選挙で当選した衆議院議員の平均年齢は53.1歳。国会は、オジサンたちの世界という認識でいましたが、いつの間にか私と同世代の人たちが中心に出入りする場所となりました。それに限らず、社会的付き合いにおいて出会う人たちが、私より年下の世代が多くなるのだなという感じでいます。
栗原彬著『やさしさのゆくえ=現代青年論』(筑摩書房、1981年)に以下の記載があります。「見通しのきかない「格子なき牢獄国家」(久野収)の時代に、青年はどこへ歩み出そうとしているか。『限りなく透明に近いブルー』と『海の向こうで戦争が始まる』を書いた村上龍は、おとなから「ふやけた優しさだけにすがる世代だ」ときめつけられたら、「いやあその通りです、勉強になりました」と答えようという(村上龍「偉い大人たちになんと言われても」『読売新聞』1976年7月12日)。これは中年男性支配もしくは国家の壁が圧倒的である敵前を、大事なものを抱えてきわどくすり抜けていくやり方だ。「時代の不安と困難さを最も敏感に感じとれる世代」の自負をもって、村上は、意味を解読できない「風景」を事実としてただ見ることからはじめようとする。」。これまでの私は、この村上龍氏のスタンスに共感を覚えて過ごしてきたわけです。
だから若者には支配したがる大人からすり抜けてほしいと思っているのですが、こういう大人に近づいてはいけないよと指図するのも押し付け気味めいている感じだし、たぶんこれからもあちこちからご高説を承ったら「勉強になりました」とすかさず答えるんだろうなと思います。

幸福について

私と同窓の杉原志啓氏の著書『音楽幸福論』の中に、幸福について以下のような記載があります。
まずは三宅雪嶺の見方から。「ぼくの愛読する三宅雪嶺が、半世紀以上もまえに面白いことをいっている。たとえば、官庁の出勤のさまをみていると元気のある顔をしているやつと元気のない顔をしているやつがいるけれど、これは前者に高官が多く、後者はいかにもの下僚ばかりだとか。なぜかといえば、これはポストが上の者ほど自分の欲する仕事をしていて、下の者はただ命じられた仕事をしているからである。すなわち、「比較的にいって最も多く思う存分に働く者は元気があって且つ其元気は永く続くのである」。自分がやるべし、やらなければならないと信じたことをやると元気を増す。」(P.62)
次にフランスの哲学者・評論家のアランの見方から。「アランもまったく同じことをいっている。人はだれも、まったく単調ないわれたとおりにやる仕事よりも、困難でも自分の好きなように作り出し、まちがえる仕事のほうを好むだろう。(中略)なぜなら「人間が幸福であるといえるのは、何かを欲する時と、つくり出すときだけである」から。」(P.63)
先の衆院総選挙で与党は憲法改正発議に必要な3分の2以上の議席を得ました。首相も改憲に意欲を示しています。祖父ができなかった改憲をやり遂げ歴史に名を残すことに執心している首相は、雪嶺やアランが語っているように、今幸福感を噛み締めているのかもしれません。ですが、個人の気持ちだけを優先した仕事に大義はあるのかどうか。本来、ポストが上の者ほど自分が欲する仕事よりも弱い者の幸福を考えたつらい仕事をやらなければならない立場ではないでしょうか。改憲によって首相個人の幸福を満たすのではなく、国民全体の幸福を本当に増やすものなのかどうかを、考えなくてはならないと思います。

脳力のレッスン

ここ数年更新を休止している私のブログがあります。10年前に始まった過去稿を振り返りながら、脳力のレッスンを行ってみようかと思います。ブレのない知に学び未来を構想しようという試みになると思います。まずは、2005年3月21日投稿の再構成から。
「世界」2005年4月号の寺島実郎氏による連載「脳力のレッスン」36(「山本五十六は肉眼で真珠湾を見たのか」)の中で、同氏は、真珠湾攻撃直後に山本五十六が甥に宛てた手紙の文面を紹介しています。「爾後の作戦は政戦両翼渾然たる一致併進を要する次第にて、之が処理に果たして人材可有之か、従来の如き自我排他偏狭無定見にてはなかなか此広域の処理、持久戦の維持は困難なるべく杞憂は実に此辺にありと愚考せられ候」――。
寺島氏の記述によると、山本五十六は当時としては異例なほどの米国通であったといいいます。山本が35歳のとき、ハーバード大に2年間留学、その後も2年間、ワシントンに駐在武官として勤務しています。この間、日本海軍の命運を握るカギは石油と航空機と問題意識を研ぎ澄まし、テキサスの油田やデトロイトの自動車工場など米国内のフィールドワークと文献研究に打ち込んでいたそうです。山本は最後まで対米開戦に反対していたそうですが、目が開かれていた故に、当時の空気と政治の無力に怒りと焦燥を覚えていたのでしょう。
私事になりますが、戦前、北米航路を往復する豪華客船「秩父丸」(後に鎌倉丸)の船員に過ぎなかった母方の祖父も「この戦争で日本は負ける」と家族には言い残して油槽船団の一員として戦地に赴き1944年1月、フィリピンの海に没しました。横浜の日本郵船歴史博物館を訪れてみると、戦没船員の無念が伝わってきます。
自我排他偏狭無定見。誰しも陥りやすいワナだと思います。

合志市訪問記

民生委員・児童委員に委嘱されていますと、年間を通じていろんな研修受講の機会が得られます。12月15日、熊本県合志市の社会福祉法人合志市社会福祉協議会を今回訪ねる機会を得ました。
合志市は東洋経済新報社調べの「住み良さランキング」において熊本県内1位、九州2位、全国31位に位置する福祉先進都市です。ちなみに我が宇土市が県内2位、九州9位ですが、社協の実績の点では合志市の方がはるかに上でたいへん刺激を受けてきました。
まず、合志市の理念として「子育てが地域づくりの基本」があり、それに基づいて夜10時までの保育対応に代表される「ファミリーサポート事業」が充実しています。そのため子育てしやすい地域としてさらに発展を促しているように受け取りました。高齢化率は県下市町村でも低い方に入りますが、介護サービスではカバーできない高齢者の家事を安価なクーポン利用で支援する「ぽっかぽかサポート事業」もたいへん使いやすい福祉サービスだと思いました。
驚いたのは、15年前は社協の職員がわずか4人だったのが現在200人を超える組織に育っているということでした。そして職員のみならず多くの市民が協力会員として参加しています。利用する方も安価ですが応分の負担をし、協力する方も僅少ではあっても対価を得ており、お互いに無理なく継続できる仕組みが作られている印象を受けました。同じ県内にこうしたモデルがありましたので、今後も注目し、地元にも働きかけたいものだと思いました。

写真は昼食会場。

デノミ説を承って

先日出席した会合で税務の専門家の方が2020年までにデノミ断行のシナリオ説を開陳されていました。もしもデノミとなると、1946年以来となるのだそうです。当時は敗戦により戦時国債が償還できなくなったため、それを帳消しにするため行われたのですが、現在も国の借金は1000兆円と膨大であり、前回と同じような状況にあります。説を披露した専門家の方は、その根拠として日銀が政府に抱き込まれて国債を買い集めていることを示しておられました。そこで対策として外貨預金を勧めておられました。
これをどう見るかは自由ですが、インフレ誘導よりも国の債務の帳消しには即効性があり、政府が誘惑を覚えるのは納得できます。そして、それがあるなら一層の借金を増やすというモラルハザードへの可能性が高くなる気がします。

有機農業神話の愚

おかしなものでひとたび「有機農業」という文字を冠しただけで、それらの農法が環境に優しいとか安心安全な農産物が収穫できるとか誤解されているように思います。神話というか信者というか、たいへん非科学的な風潮で、養液栽培を実践している当社のような立場からするとフシギきわまりない話です。
有機農業とは土壌の微生物の働きの影響を受けることにほかなりませんから、ひょっとしたら土壌病害の影響が深刻で、農薬の使用量が多い生産現場があるかもしれません。また、有機農業神話の一つとして、それで作った農産物は味が良いというのもありますが、これに至ってはバカげているというしかありません。一般に土壌を培地とする農業では同じ農業敷地内でも位置によって土壌成分が異なり、均一化していません。ですから、同じ農場で生産した収穫物でも個々に味が違ってきます。つまりすべてが美味しいということはなく、バラつきがあるはずです。
養液栽培においては土壌から隔離した生産を行うので、生育条件のバラつきが小さく、同じ農場なら均一に近い農産物ができます。土壌から隔離することによって土壌病害の発生リスクがなく、クリーンな環境下で低農薬・減農薬栽培が進められます。肥料についても大きな誤解があります。化学肥料を敵視する風潮がありますが、収穫物そのものが化学組成物なのですから、その点でもなぜ農業だけが非科学信仰の対象となるのか、訳がわからない話です。
要するに味の違いは収穫物の化合物の配分の違いなのであって有機農業だからうまいと断言するのは根拠のない思い込みに過ぎです。こうした誤りは生産者のみならず消費者にとっても迷惑です。徹底して正していきたいと思います。

生活保護給付引き下げは失政

632億円の国費を投入した総選挙、東日本大震災の復興財源への充当終了により大幅増となった国家公務員(前衆議院議員を含む)のボーナス。一方で「最後のセーフティーネット」といわれる生活保護費の給付水準は引き下げられ、その減少額は2015年度までに670億円に上るのだそうです。
国民の生命と財産を守るのが国政の使命だと考えますが、さして困っていない身内の財産を手厚くすることには熱心で、命を削りながら生活する者を死へ追いやるかのような仕打ちは、人道に反する失政とはいえないでしょうか。
給付水準を引き下げて受給世帯を減らそうとする目論見は、かえって自立を阻害し、自立まで長期化する貧困世帯を一層増やすことにしかならないと考えます。むしろ行うべきなのは支援の充実であり、一時的に受給対象になることはあっても、早期に自立できるよう後押しすることです。しかも、その金額は冒頭の財源のごく一部で済む程度であるはずです。
さらに踏み込んでいえば、子どもの就学費用は受給世帯に限らず全額を税金でまかなうぐらいの改革が、世代を越えた格差固定化を解消するためにも必要だと考えます。総選挙やボーナス増額の前に国民の生存権保障を最優先で手がける国家公務員に働いてもらいたいものです。

書く力と考える力

12月10日放送のNHK「クローズアップ現代」は、「広がる読書ゼロ~日本人に何が~」のタイトルで、読書離れが進む日本人の思考能力の行方に焦点を当てていました。ゲストの立花隆氏が的確に指摘していましたが、これだけネットが普及している環境にあっては、読む情報を本からではなくネットに求めるのは自然の流れだと思います。そして、思考力を養うのには書くのがいいと語っていました。
実際、私の場合でも大学生時代からすると、読書量は10分の1以下になりました。情報が手軽にネットから得られるということもありますが、減った原因としてはなかなか興味を惹く新刊本に出合えないという気もします。書店をのぞいても幅をきかせているのは、ヘイトスピーチ本だったり、新興宗教洗脳本だったりしていて、これらの非科学さには心底興ざめさせられす。一口に読書量が減っているといってもこうしたコンテンツの貧困問題もあるかもしれません。
思考力を養うならインプットのあり方以上にコピペではない構成力が大切になると思います。立花氏のように書くこと、さらに進めて書き続けること、書き溜めることは、慣れていない人によっては苦痛かもしれませんが、きわめて重要だと思います。できればそれを公表することで、持論にブレがないか責任も生まれて心地よい緊張感も覚えられます。
底の浅い空虚な主張に流されないためにも貪欲に書く生活を送りたいと思います。