社名エピソード

【試行-Attempt 2010年12月30日記】
「アテンプト」(attempt)とは、私が審判員資格を持っているウエイトリフティングの競技用語の一つです。試技と訳されています。競技会で使用される電光表示器は、アテンプトボード(写真)と称されます。競技用語としては、山岳競技でも使われているようです。
代表的な英和辞典に載っている動詞としての訳語は、「試みる」「企てる」。「トライ」(try)との比較では、結果を含む挑戦という意味合いがあります。法令用語としては、「未遂」の意味でも使用されています。
結果として失敗を伴う挑戦もありますが、何かをしよう、または達成しようとする行動は、結果を出さなければ、挑戦とはいえないと考えています。思いだけに終わるのではなく、結果を出すまで果敢に行動することを、社名に表しました。

【試行-Attempt 後日記1】
2011年1月27日に贈呈式が行われた朝日賞に、医師の原田正純氏、大佛次郎賞に渡辺京二氏と、水俣病患者支援運動に係わりのあるお二人の名前があったのは、喜ばしい出来事でした。
渡辺京二氏は、2011年1月3日の地元新聞に「だが、全面的に経済化し、経済の拡大にのみ命がかかっているような今日の社会から、どうすれば脱け出せるのか。これはなかなか難しい宿題なのである。しかし、一遍に解けなくても、少しずつ解いて行って、解けたところから形にしてゆけばよいのではないか。いろんな試みがありうると思う。むろん、実行可能な試みである。私は八〇歳であるから、いまさら夢なんかもたない。ただ試行は続けたい。試行しているうちにお仕舞いになれば、それが一番だ。」と結んだ随筆を寄せられました。
80歳でも試行を続ける気持ち・・・勝手に当社への励ましをもらったと、受け止めています。

【試行-Attempt 後日記2】
「試行」という言葉で思い浮かべたのが、なんといっても吉本隆明氏が発行していた雑誌『試行』です。正直なところ、縁遠い存在だったのですが、1997年12月に終刊したのだから、もうエトが一周りしてしまったのですね。その吉本氏は現在86歳。雑誌は73歳で終刊させたわけですが、同氏の思想の試行を続ける気力は衰えていないと、これまた勝手に思っています。というワケで、私はビジネスの分野の試行で吉本氏や上記の渡辺氏の年齢を超えて続ける気でいます。

【試行-Attempt 後日記3】
2012年8月23日、熊本県立図書館のビジネス支援コーナーに弊社の情報を提供するため、本欄を開きました。上記の「後日記1・2」で、原田正純氏と吉本隆明氏のお名前を載せていますが、原田正純氏は、2012年6月11日、77歳で死去されていますし、吉本隆明氏は、2012年3月16日、87歳で死去されています。お二人から影響を改めて感じました。 立善有遺愛、胡爲不自竭 善を立つれば遺愛有らん、胡為れぞ自ら竭くさざる

【試行-Attempt 後日記4】
上記にもお名前が登場している、渡辺京二氏が、2022年12月25日亡くなられました。「いまさら夢なんかもたない。ただ試行は続けたい。試行しているうちにお仕舞いになれば、それが一番だ。」と、後日記2で触れたようにだれもが辿る老いへの向き合い方のお手本のお一人としてこれまで見てきました。自宅書棚には渡辺氏と共に石牟礼道子氏と松浦豊敏氏が編集人を務めた『暗河』(くらごう)の創刊号(1973年刊)から48号(1992年刊)があり、久々に創刊号を手に取ってみました。表紙デザイン画は、菊畑茂久馬氏。目次に寄稿者の氏名がありますが、やはり今年(2022年)11月に亡くなられた久野啓介氏を始め、すでに鬼籍に入られた方々がほとんどとなってしまいました。創刊自体が49年前ですし、当時40歳代の方々が主要メンバーだったのですから、それもそうかと思う一方、それぞれの書き手が発する言葉には重厚感があります。おそらくそれは、書き手一人ひとりのあくなき試行の継続と、編集の溜まり場での書き手同士の語らいの中で熟成したものではなかったのかと考えています。「暗河」とは、元々、琉球・奄美地方の地下水脈のことを指しますが、渡辺京二氏という日本近代史の「革命家」に連なる人々の関係そのものを暗喩した題号ではなかったのかと、改めて思いました。