代表者が考える「働くということ」

仕事柄、役所が定めたプログラムに沿った就職ガイダンスに携わることがあります。この場合、受講者が就職することが大前提ですから、就職に成功するためにいかなる準備が必要かという対策アドバイスが中心になります。これは受注仕事なので仕方がないのですが、ほんとうに重要なのは、なぜ働くのかという哲学の問題だと思います。それは私自身を含め、一人ひとり異なる事柄ですので、到底一律的なセミナーで対処できることではありません。
なぜ働くのかということですが、私自身は働くということを労役と考えた場合、働かずに済むならそれに越したことはないと常々考えています。はっきりいえば働くということは嫌いです。職業によっては生活する場所や時間が制限される不自由さも強いられるはずです。私は働くのが嫌いなので、できるだけ働かずに済むよう効率を上げるため働くということを続けてきました。では、働かないとどうなるかということですが、食料を買ったり、移動のための運賃を払ったり、税金や保険料を負担したりということがすべてできなくなります。これらはすべてお金という交換価値を保有していなければ得られません。そしてお金を得る手段が働くということになります。人は楽して寝ていたいと、よくいいますが、楽したいなら働かないに限ります。しかし、何もしないでいるにしても住む家はどうするのか、着る服はどうするのか、食べるにはどうするのか、と突き詰めていくと、結局、なにがしかのお金が必要になります。逆にいえば衣食住がお金を使わずに満たされるなら、働かずに済むことになります。しかし、それでも何が食物を自分で作ろうとすれば、そのために働くことは必要になります。
そうこう考えると、衣食住について自給自足できない部分があるならどうしても足りない範囲で働かないと成り立たないということになります。一方、自給自足はできないけれど、働かなくてもお金をすでに多く持っていれば、預金利息によりお金がお金を生む生活を送ることもできます。つまりお金があり余っておれば働かなくてもよいわけです。
以上のことからお金がなくても自給自足できる人やお金を持て余している人は、働くことをしなくてもよいということになります。そんなのは当たり前だといわれればそうですが、原点に立って考えないと、何のためにどれくらい働くのか見通しのない人生になってしまうと思います。
私が新卒入社で受けた研修のおりに、講師役の先輩社員が「日本は資本主義だから会社は儲けなければならない」という発言をしました。それを聞いた当時の私は内心「あんたに資本主義の講釈は語ってほしくないな」と反発したのを覚えています。確かに資本主義の下では誰かが勝ち、誰かが負けるゼロサムの仕組みになっています。総じて収奪する先を食い尽くしたら自滅へ向かう仕組みです。しかし、その仕組みから離脱すれば「儲けなければならない」という必然はありません。現に非営利の法人もたくさんあります。個人の働き方にせよ、会社の運営にせよ、自明のことと考えず、すべて根本から疑ってみることが重要だと思います。儲け重視で会社を守ることに熱心過ぎて、その事業自体が社会にとって有害になることも多いものです。
それで私の場合は結局どういう働き方だったのかということですが、いつまでも人に雇われる働き方は続けたくないなと最初から考えていました。かといっていきなり起業するだけの資金も仕事のノウハウもないわけですから、できるだけ稼げる仕事、いろんな事業を見て回れる仕事に就いてみようと思ったわけです。実際、地方暮らしの同世代と比較して報酬は多かった方だと思います。30代で年収1000万円は超えていました。自社の仕事だけでなく業界団体の活動にも関与し、人材派遣の規制緩和の旗振りにも動きました。しかし、仕事の進め方がIT化の波を受けてはいましたが、次第に飽き足らないものになり、人を商品扱いする事業にも嫌気が差してきました。それで最初の勤務先は15年で退職しました。
次が現在の事業と一部重なりますが、人材育成の仕事に携わるようになりました。もともと自分自身が新しい知識や技能を習得することが好きで、レベルの高い職業人を養成することに動きました。ところが、委託元の意向はとにかく正社員に就職させることが目的であり、受講者の一部には訓練手当が目当ての者もおり、次元の低い雇用支援事業に対して疑問を感じる面もありました。言葉は悪いのですが、商品としての人材の開発の側面があったからでした。
そして現在は、人材育成関連の事業のウエイトを落とし、農業生産事業を収益の柱としています。農産物という商品の価値を高めたり、その生産性を高めたりする事業は、人間相手ではない分、自分にウソをつかずに取り組めます。ですが、生産に従事する人や各種資材の取引業者の人など、人とのコミュニケーションはどのような仕事でも必ず出てきます。そこでは、相手がどのような理由で働いているかはまったく問いません。ひたすら気持ちよく働いてもらうように接するだけになります。ここでは、給料支払いや経費代金支払いといったお金のやりとりだけの関係ではなく、無償の気持ちの贈与が重要になってきます。
いろいろ書き連ねてみると、自分でも未だ結論は見えないことがよく理解できます。当分はこうしたまま過ごすうちに自然と終わりを迎えるのかなと感じています。