『アジアの思想史脈』3年後の再読メモ

山室信一著『アジアの思想史脈』を最初に読んだのは、2017年のことでした。明治期のグランドデザイナーとして活躍した熊本出身の法制官僚、井上毅の歩みについての記憶がそのときは大きかったのですが、そして3年後の昨日再読してさらに得るものが多いことを認識しました。後段で興味深いエピソードをメモとしてまとめみます。今日的な課題として香港情勢を国際社会はどう捉えて発言対応すべきなのか、ひとつの視座を本書から学べた気がします。
アジア初の共和国制を勝ち取った中国の辛亥革命(1911年)の思想的な大きな柱は、革命家・孫文(1866-1925年、号は中山)であり、彼を支援した日本人の一人として宮崎滔天(1871-1922年)が重要な働きをしたことは、歴史が教えてくれるところです。現在の中国共産党政権においても辛亥革命は革命前史と位置付けていています。一方、当時の日本は欧米列強に追随する近代化の途にあり、台湾(1895年領有)や韓国(1910年併合)の植民地経営に乗り出し、天皇を頂点とする立憲君主制のなかで、社会においても家庭においても、対アジアにおいても、自由と平等が実現できている社会ではありませんでした。滔天が思い描いた革命は中国に限らずその先の世界を対象としたものでしたが、日本が少なくとも自由と平等に基づくすべての人々の平和的生存権の保障を宣言するには現在の日本国憲法の成立を待たねばなりませんでした。その日本国憲法には国際社会での果たすべき使命も盛り込まれていると読めます。
つまり香港人が侵害を受けている平和的生存権の保障について住む地域を問わず現在に生きるすべての人々がわがことと捉えて考える必要があるということです。
・肥後熊本藩出身の幕末の思想家・横井小楠の主張。日本こそが「世界の世話やき」にならなければならない。「米国と協議して、もって戦争の害を除くべきなり」。
・長兄の宮崎八郎(1877年西南戦争で戦死)が心底から希求した「自由」そして「平等」。あらゆる権力や権威からの「自由」を追求したのが宮崎滔天であるとすれば、「平等」を追求したのが、滔天が「一兄」とよんだ宮崎民蔵となる。滔天を中国革命と結びつけるうえで最も重要な役割を果たしたのは「二兄」の宮崎弥蔵(1896年29歳で病死)である。
・宮崎滔天の妻は前田案山子の三女のツチ。二女のツナ、つまりツチの姉は、夏目漱石の『草枕』に登場するヒロインの「那美さん」のモデルといわれる。漱石は舞台となった那古井温泉の前田家別荘に滞在歴がある。
・前田案山子は、第一回衆議院議員となった人物。金峰山の麓の小天村(現・玉名市天水町)の名士で自由民権運動でも活躍した。当時の前田家は、熊本城下まで12kmの道を他人の土地を一歩も踏まずに行くことができたといわれるほどの資産家だった。滔天が中国革命に入れ込んだために、ツチを通じて相当の財産が分与された。
・滔天とツチの長男、宮崎龍介は、筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁いでいた柳原白蓮の駆け落ち相手として知られる(白蓮事件)。子どものころから子どもなら怪しまれないだろうと、革命軍用の砲弾を大八車やコートに隠して運ばされていた。
・1902年に刊行された宮崎滔天の『三十三年の夢』のなかから孫文の思想にかかわるところが漢訳され中国で出版され、中国革命に重要な影響を与えた。
・辛亥革命の特質:二千年来の王朝専制支配の崩壊。東アジアにおいて初めて共和制を国制に掲げる国家が現れた(共和制が実現したか否かは別)。異民族である満州族の支配からの解放。多数民族の漢族が支配的地位を回復した民族革命としての成功。
・多民族国家として中国を統合していくためには、民族主義は足かせに転化した。中国に在住する人々を包括する民族概念として「中華民族」という範疇が造出されることになったが、「中華民族」は国民統合のためのスローガンとは成り得ても民族概念としては実態のないものであった。
・1917年、湖南師範学校の学生だった毛沢東が、訪中していた宮崎滔天に講演依頼の書簡を出した。
・「平和的生存権」は、国連の「世界人権宣言」(1948年)で取り上げられる前に、日本国憲法(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)の「前文」が世界で最初に規定。「平和に生きる」とは何か:「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」「全世界の国民(原文:all peoples)が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を確認する」。
・中国共産党は中華人民共和国憲法前文(以下に日本語訳引用)で革命前史として辛亥革命を位置付けている。「中国は、世界でも最も古い歴史を持つ国家の一つである。中国の諸民族人民は、輝かしい文化を共同で作り上げており、また、栄えある革命の伝統を持っている。1840年以降、封建的な中国は、次第に半植民地・半封建的な国家に変化した。中国人民は、国家の独立、民族の解放並びに民主と自由のために、戦友の屍を乗り越えて突き進む勇敢な闘いを続けてきた。20世紀に入って、中国には天地を覆すような偉大な歴史的変革が起こった。1911年、孫中山先生の指導する辛亥革命は、封建帝制を廃止し、中華民国を創立した。しかし、帝国主義と封建主義に反対するという中国人民の歴史的任務は、まだ達成されなかった。」。
・1990年代頃までの中国の高校の歴史教科書には「日本九州熊本県人」として宮崎滔天のことが記載されていた。