傍聴と読書のすすめ

藪野裕三著『有権者って誰?』の中で、かつて著者のゼミ生を伴って議会傍聴をしていたことの紹介がありました。これは若い有権者である学生が自分の無知を知るいい機会となったと言います。傍聴を受け入れる議員や行政側にとっても緊張感がみなぎる効果があったと言います。確かに傍聴者自身の知見を高めるには有益です。議員が質問をする際にはそれなりに勉強はしてきていますので、テーマの争点整理や争点に伴う情報を知ることができます。逆に議員の質問内容によっては、議員の無知を知ることもできます。昨年、地元市議会で傍聴したり議事録を読んだりして、お話にならないレベルの質問に接した経験が私にもありました。たとえば、図書館や博物館の機能を理解せずに外形的な判断で、指定管理者制導入を推奨したケース。応募者の居住地で職員採用枠を設けるように提案したケース。前者は図書館を無価値な古本集積場とカフェをセットにした娯楽施設を公共施設にするというバカげた考えでした。後者は、応募者がどこに住んでいるかで採用選考を行う人権侵害・就職差別を助長する浅はかさでした。
今、外出を控えて自宅で過ごす時間が増えています。ぜひ読書を勧めます。昨日は、中学生時代に読んだサルトルとカミュの作品を手に取り読みました。二つの発見がありました。一つは翻訳本である場合、原著者と同時代の訳者による翻訳文が時代背景を的確に伝えるということでした。もう一つは、読み手側の時間の経過です。中学生時代に記憶に残った箇所と現在の年齢で刺さる言葉の箇所との違いです。この読み手側の変化・差異の発見という楽しみもあるのを感じました。さらに、70年代半ば頃の国内における海外現代文学といえば、圧倒的に欧米文学でしかなく、当時はアジア・アフリカの文学に親しむ機会はほとんどなかったことも改めて感じました。中高年が世界を知らないのはもっともなことです。