ポスト資本主義の社会運動論

2000年のITバブルが弾けたころに「失われた10年」といわれていましたが、やがて2020年を迎える今を振り返ると、すでに「失われた30年」となります。ちょっとはバブルの雰囲気も体感した世代ですが、社会人生活の大半が失われた時代だったのかと思うと、改めて何のために働いてきたのか、会社で利益を上げることに何の意味があったのかと虚しさを覚えます。ほとんどの人が大切にしたいものはと問われて、自分とか家族とかを挙げて、身の回りの幸せだけを追い求めるのもわかります。
さて、『闘わなければ社会は壊れる』を読み終えましたが、ポスト資本主義の社会運動論は人間性の回復に目を開かせる勇気がもらえる論考でした。先日、公害病患者の支援団体の理事長が言っていましたが、さまざまな運動組織のほとんどは、裁判が終わると、その運動が終わってしまうとのことでした。裁判の勝ち負けは賠償を得るか得られないかで決まります。争っても3回で終わる有限の運動です。でもそれで当事者は一応の成果が上がっても、構造が変わらなければ、何度も同種の過ちは起こり得ます。異議申し立てを続ける人がいなければ、力を持つ側はそれでいいんだと値踏みしてきます。特に運動体に属していなくてもおかしいと考えることがあれば、避けるのではなく相手のためにもなると考えて向き合いたいと思いました。