不都合な事実の合理化

学校という閉鎖空間で行われるいじめと、戦争における殺りくには行う者の心理に似たようなものがあるのではないかと思います。そうすることを正義と思い込む合理化がないと、それを続けることはできないと思います。問題は、実行者だけではありません。傍観者の存在も被害者にとっては実行者と同じです。傍観だけして何も語らない、動かないのは罪だと考えます。いじめの実行者や傍観者の教育が適切に行われない場合、その者たちが将来恵まれた人生を過ごせるとはとても思えません。そうした者たちは応援してくれる他人に恵まれないと思います。