熊本大空襲の記録

熊本大空襲とは、太平洋戦争下の1945年7月1日午後11時50分から2日午前1時半にかけて、米軍のB29爆撃機154機が熊本市上空から焼夷弾を投下し、水前寺、大江、新市街地区など、熊本市内約3分の1を焼失した、当時最大規模の戦災です。死者469人、けが人552人、1万戸以上が被害に遭ったといわれていわれています。その年の春まで母の一家は、水前寺に暮らしていたのですが、母の姉が近くの女学校へ進学しないことと、放送局勤めの人からの情報で熊本市内は危ないということで、祖父の実家である不知火町へ移ったため、難を逃れたそうです。母たちが使っていた水前寺の防空壕に避難した人は、そのときの空襲で亡くなったそうでしたから、74年前にこの世から母がいなくなることは十分ありえました。受験の話からこの空襲の逸話を母がきょう話してくれましたので、書き留めておきました。