選択的緘黙

放送大学の講座についてはインターネットラジオのサービスを使ってランダムに聴くことが多くあります。特に法律関係や社会福祉関係の講義に関心があります。耳学問といえば与太話的なイメージがあり、あまり価値がないと思われます。そこで発せられる見解が事実かどうか怪しいことがあるかもしれません。しかし、放送大学のような公共的なメディアであれば、もしもそこで発せられた情報が悪質であれば、直ちに批判が巻き起こるでしょうし、リスナー自身でも検証することが容易だと思います。昨夜聴いた情緒障がいについては、かつての厚生省と文部省との間でかなり範疇が異なっていたこと自体が驚きでした。医学的見地からの判断と、教育現場で直に接することで問題視することの差があったのかもしれません。昨夜の講義で感じたのが、私自身が小学1年時に北海道から熊本へ転校してきてから、中学校で生徒会長になるまで、選択的緘黙を通していたことでした。もっとも、現在の私は、違う意味でこの選択的緘黙の態度をとることがあります。特に人権感覚でこの人物とは違うと感じるときは話す気になりません。勇気を振り絞って議論すべきなのでしょうが、すっと離れることにしています。