所有者不明=ボウフラの土地問題

法務省がこのたび公表したサンプル調査によると、「最後の登記から50年以上経過し、所有者が不明になっている可能性がある土地の割合は22.4%にのぼった」(朝日新聞2017年6月7日)といいます。そのため、相続登記がされないまま「塩漬け」状態になっている土地が多く、道路や公園といった公的な利用の妨げになっていますし、同様に農地の場合であれば耕作できずに荒れる一方となります。
そこで、国土交通省ではいわゆる「骨太の方針」に盛り込み、来年の通常国会への関連法案提出に向けた検討を進めているようですし(朝日新聞2017年6月1日)、農林水産省においても、持ち主がはっきりしない農地を、意欲のある生産者に貸し出しやすくする農地法改正案などを来年の通常国会に提出することを目指している(共同通信2017年6月6日)と伝えられています。
もともと土地は地球住民の共有物という考えに立てば、相続人が不明の土地をほったらかしにされても周囲の住民が迷惑します。自治体へ権利を移し、適切に管理できる私人に移譲するのは賢明な活用法だと思います。
作家・司馬遼太郎は、作品『草原の記』の登場人物にこう言わしめています。「なぜあなたは財産をたくわえているのです。人間はよく生き、よく死なねばならぬ。それだけが肝要で、他は何の価値もない」。学商あるいは拝金宗主義者として批判されることのあった福澤諭吉でさえ、『福翁百話』のなかで「宇宙の間に我地球の存在するは、大海に浮べる芥子の一粒と云うも中々おろかなり。吾々の名づけて人間と称する動物は、この芥子粒の上に生れ又死するものにして、生れてその生くる所以を知らず、死してその死する所以を知らず、去て往く所を知らず、五、六尺の身体僅(わずか)に百年の寿命も得難し、塵(ちり)の如く埃(ほこり)の如く、溜水に浮沈する孑孑(ぼうふら)の如し。」と語っています。ボウフラの土地を未来永劫残しておいて意味がないことは明らかです。ちょっと遅きしに失した政策転換の気がします。
写真は記事とは関係ありません。月曜夜のスタジアム風景です。