裁判官に猛省を促したい

3月31日、熊本地裁において水俣病第二世代訴訟(水俣病被害者互助会訴訟)の判決が出ました。原告3人については水俣病と認め賠償を命じるものでしたが、5人については請求が棄却される不当な結果となりました。
特に棄却の根拠として家族内に認定患者がいないというのは、汚染が深刻な時代に生まれ育った原告たちの立場をまったく無視した考えだといえます。当時は地域内での差別感情もあり、原告の親世代が認定申請を行うことはたいへん困難でした。そのこともあり当時幼少期にあった原告が声を上げることもできなかった事件史の事実があります。裁判官たちがこうした社会的背景を省みることがなく、医学的考察の面からも家族内に行政認定患者の有無で判断することがいかに愚かであるかを正視することなく、事件を裁く思慮のなさは非常に罪深いと考えます。
法律の専門家というのは単に法律の条文を知っているとか解釈の学説判例を知っていることだけでは何の役にも立たないのです。無辜の人たちを救い、己の罪を覆い隠す者たちを断罪するために法律は使ってもらいたいと願います。そのためにも、政治や社会、歴史といった面についても目を向ける存在であらねばならないと思います。司法のレベルアップを求めます。

写真は、同日閉店したカリガリの外灯。翌4月1日に店先を通りました。