月別アーカイブ: 2019年6月

すべての業には時があるというが

昨日の姜尚中氏の講演で紹介された「すべての業には時がある」という言葉を心に刻み、その夜、若くして不慮の死を迎えた中国籍の知人の通夜に参列しました。来るべき時が来たというには、あまりにも痛ましい悲報でした。中国内では漢民族が政治権力を握っていますから、少数民族の故人には自分なりの思いがあって隣国で学び、事業を起こしていたのだと思います。通夜の親族による参列者の謝辞を通じて、故人が普段名乗っていた漢族風の氏名とは異なる、民族固有の故人の本当の氏名を初めて知りました。外国での葬送については遺族に戸惑いがあったかと思います。単に顔見知りという理由で呼ばれてきた浄土真宗東本願寺派の女性宗教家が、読経の後、法話に立ちましたが、時折場にまったくなじまない笑い顔で話すのが軽薄であり、参列者としては不快でたまりませんでした。
次に読む本は、アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』(ちくま学芸文庫、1100円+税、2019年)です。一つのアイデンティティに過剰に帰属することの過ちや恐ろしさについてレバノン人の作家が考察しているエッセーのようです。なんとも書題がぶっそうですが、けさになって同書を手にしようと思ったのは、昨夜の不埒な宗教屋に対する憤りがあったのかもしれません。

出たとこ勝負のスピリット

第1回宇土市民会館講座が本日同館大ホールであり、熊本県立劇場館長の姜尚中氏の講演を聴いてきました。地域(姜尚中氏の場合はやはり熊本だそうです)の文化や伝統への愛着があふれる温かいお話しでした。根底にあるのが、現在の日本に地域の格差が生まれ、それが文化の格差となり、人の格差につながっている流れを止めなければという思いでした。かつての日本は人口当たりの新聞購読部数の多さに代表されるようにリテラシーの平均値が高く、日本の力は地域でつくられている側面がありました。現在の東京など大都市圏一極集中は、過去の人々つまり死者がつくった恩恵によって生かされているわけですが、かつての保守政治家が持ち合わせていた文化伝統に対する感謝や均衡ある発展が無視されている発想を危惧されていました。一方で自然災害あるいは一極集中という社会災害には、予測不可能な面もあって、ユダヤ人の生きる知恵としてある旧約聖書の「すべての業(わざ)には時がある」という思いも持っておられました。そうした予知できないときの出たとこ勝負のスピリットを忘れてはならない、それを支えるのが文化であり、文化の力が人間の復元力というまとめでした。途中で難関大学における首都圏出身者の比率の高さや港区の所得の高さの話も出ましたが、給与生活者ではなかった姜尚中氏の父母がもっていた出たとこ勝負の最後のたくましさが印象に残りました。以上は姜尚中氏の話の順番を変えて再構成した私のメモであることを断っておきます。写真は、講演とはまったく関係のない宮崎県日向市の大御神社境内から見える柱状節理です。

終わりはいつかわからないもの

先週、今週と2週続きで知人の訃報に接しました。亡くなられた年齢も国籍も異なりますがどちらも最近も連絡をとったばかりの方だったので、突然のことで驚きを感じました。一方で私自身は、なんだかんだで時間が流れる日々を送っています。亡くなられた方にはやり残したことがあったかと思います。しかし、天命に任せるしかないというのも真実です。

市議会傍聴記

昨日、地元の市議が、いじめ・不登校対策の推進について市議会定例会の一般質問に立つので、傍聴に来てほしいと案内があり、本日午前中久々に傍聴席へ足を向けました。市議会は市役所仮庁舎の大会議室に臨時で設営されて開かれており、フラットなフロアで議長席を挟んで市幹部と市議団が向き合う形となっています。以前の専用の議場と異なり、傍聴席は市議らの背後から間近に議事を見守れるようになっています。いじめ対策についての教育部長の答弁では、今回初めて重大事態のいじめ事案への対応ということで、教育委員会の附属機関として第三者委員会が設置されることが明らかになりました。実は、私がフォローしていた事案に関することで、第三者委員会設置の方針は私へも昨日教育委員会から伝えられていました。これまでこうした第三者委員会が常置されていなかったため、児童保護者からの声が取り次がれる機会が少なかったように思います。ようやく市がいじめ防止対策と向き合う気になってきたと捉えています。

傍聴については、せっかくだからと、他の議員の質問も聴いてみました。ある設計士出身の議員は、図書館・歴史資料保管展示施設における指定管理者制度の活用を質問していました。その中で佐賀県武雄市の図書館の運営が指定管理者に民間委託されていることを評価していましたが、まったく民度の低い質問だと思いました。武雄市では指定管理者で入った民間書店が蔵書として価値のない古本を大量納入させた出来事が過去ありました。図書館なら司書、博物館なら学芸員という知的人財がもっとも肝要なのに、建築業者的な施設管理のコストでしか知的施設の維持管理を考えていないことに驚きました。

その議員の質問資料に教育哲学者の苫野一徳氏の新聞論考記事「不登校が訴える学校の限界」があり、これはこれで昨日の皮肉な出来事を思い浮かべました。というのが、昨日、私がフォローしているいじめ事案が起きた学校で会議があり、そこの学校長が、上記の苫野論文記事を読んで自分も共感するといっていたからです。学校長が共感した記事の中には、子どもたちに無言で清掃を強いる学校での取り組みが軍隊のようだと批判されていましたが、共感したと言っている学校長が掲げる学校の運営方針にも「無言そうじ」の推進が入っています。学校の清掃は子どもたちが声を掛け合って時間がかかる場所を協力して行う方が、効率的で社会生活でも役立つ清掃方法だと思います。ひょっとしたら学校長は「無言そうじ」の気味の悪さに共感したのではなく、社会の常識から離れた学校の限界に共感したのかもしれません。

教訓を忘れない病名は他にあるか

このところ地元紙が、水俣病という病名をメチル水銀中毒症へ変更を求める市民の動きがあることから、そのことの是非を考える記事を出しています。よく水俣を訪問することが多い私にとっても気になる問題です。というのも、水俣病という名称にはメチル水銀中毒症という症状を指す病名の意味合いもありますが、原因企業を行政が擁護して被害拡大を招くばかりか救済にもずっと後ろ向きである被害者圧殺の事件の総称として定着した歴史があります。そのため水銀条約にも水俣が冠せられるようにもなりました。一時期は被害者の方からチッソ水俣病として原因企業の名前を記憶に留めるために改名の動きがあったこともありました。病名を変更しての何か特別のメリットも感じられません。事件が風化することで環境保護に熱心な良いイメージの方をかえって失うのではという気がします。

企業主導型保育事業とは

近くのショッピングモール敷地内に企業主導型保育事業がオープンするようです。この事業についてはひと頃の放課後等デイサービス事業と同じく助成金詐欺が横行し、新年度から事業参入が厳格化されました。たとえば保育事業の実績が5年以上ある事業者しか認めないとか、保育定員が20名以上の保育園では職員における保育士資格者の比率を50%以上から75%以上に高めるとかです。ちなみに近くにオープンする保育園は実績ある事業者ですが、定員は19名となっていました。預けるにしても働くにしてもこうした事業の規制については調べたがいいかもしれません。

老後2000万円問題

担当大臣が受け取りを拒否した金融庁の「老後2000万円」報告書は、それなりに根拠のある報告だと受け止めましたが、政府与党の慌てぶりは見ていて滑稽でした。報告書をまとめたワーキング・グループの専門家たちは、やれいいかげんだ、やれ杜撰だと、散々コケにされたわけで、もっと真剣に怒らないと、プロとしての矜持にかかわるのではないでしょうか。それとも、あっさり「なんでも官邸団」に成り下がるのか、見ものです。杜撰と言えば、秋田のイージスアショアの配備候補地選定データが、米国の民間ネットサービスの提供情報を基に定規と分度器で測って出したというのが、これまたすごく住民をバカにした姿勢で、寝ずに頑張った役人の知力が恐ろしく低いことを世界にさらしていい笑いものでした。このイージスアショアといい、F35といい、米国の貿易赤字解消のために爆買いをすることによる損失と国民の疲弊を考えれば、国民の安心な暮らしを破壊することはあっても、何の守りにもならないし、老後2000万円も1998万円くらいにはなるのではと思う次第です。

農村の自立

旧清和村長で、今は私と同じ熊本県行政書士会会員である兼瀬哲治会員の著書『農村の第四革命』(熊日出版、1000円+税、2019年)が、昨日(6月9日)の熊本日日新聞読書欄で紹介されていました。太陽光発電や小水力発電で農村の自立に成功された実践の記録が綴られています。本年度より私は本会の研修部長となりましたので、ぜひ兼瀬講演を企画したいと思っています。写真はブラジル原産のジャカランタという花木です。宮崎県日南市に群生地があります。

欠格事由からの削除

本日、「成年被後見人等の権利の制限に係る措置の適正化等を図るための関係法律の整備に関する法律」(欠格条項削除法)が成立したそうです。国家公務員や士業者等を含め、その職業によっては「成年被後見人又は被保佐人」は、その仕事に携わる資格がないとされていました。この法律の成立により行政書士法の欠格事由を定めていた第二条の二第二号にあった「成年被後見人又は被保佐人」は削除されることになります(第四十五条)。行政書士法の一部改正は、前記の法律公布の日から起算して六月を経過してからとなっています。弁護士法や司法書士法も同様の改正となりました。「成年被後見人又は被保佐人」に一旦なれば死去するまで終了しないと思われがちですが、心身の故障が回復すれば終了することもありえるわけで、つまり業務への復帰の可能性があるのに資格を取り上げるは酷だという考え方からこうなったんだろうと思います。しかも資格が取り上げられるぐらいなら成年後見制度を利用したくないとなるのも当然なわけで、利用促進策の一面もあります。後見を受けるのは海の干満と同じで一時のことに過ぎないと考えてみなければならないのかもしれません。

LGBTと任意後見

成年後見制度についての勉強会で、LGBTパートナーが互いに任意後見契約・死後事務委任契約を結ぶことで、通常の配偶者(推定相続人)が行うのに近いパートナーの終活が実現できることにについて知りました。ついつい専門家が後見人になることを考えがちですが、法律婚でなくとも信頼おけるパートナーが後見人になってくれるのが、当事者にとってはベストだと思います。使い勝手が悪いといわれる成年後見制度ですが、活用しきれていない面もあることを感じました。写真は、宮崎県の青島の風景です。

奇岩観察

先日、宮崎県を訪れる機会がありました。奇岩のあるところはだいたい自然信仰が発生する場所なのかもしれません。祈願よりも奇岩観察が楽しい時間となりました。昇り龍に見えるらしい大御神社近くの鵜戸神社の前から海を側を見た風景。やや肥って撮れました。

福祉教育という名の主権者教育

一昨日、宮﨑県の日向市社会福祉協議会で取り組んでいる福祉教育の視察研修に伺う機会がありました。小中学生が自らの考えで地元自治体や地域住民の協力を得ながらさまざまな福祉向上の施策を実践しています。子どもたちは、未来の地域人との位置づけですが、その力を見るとすでに現在の地域人として活躍していました。まさに動けば変わることを、子どもたちが会得している姿がありました。これは、福祉教育といいながら、生きた主権者教育だと感じました。私の地元市の主権者教育といえば、子ども市議会とかがあるのですが、前日に質疑応答のリハーサルが行われていたり、シナリオ通りの形骸化が感じられます。現場を見聞し、現場で動く生きた政治から強い地域社会は生まれるのではと思いました。