日別アーカイブ: 2019年5月9日

不作為の取繕い能力だけは認めよう

今読んでいる行政学者の新藤宗幸著『行政責任を考える』で出てきた言葉で、すぅと胸裏に刺さったのは「不作為の取繕い」という表現でした。地方自治体の公務員にもありがちなことで、自治体の例規集を眺めると、ずいぶん立派な文書が備わっています。ですが、その多くは、県やさらには国からもたらされたモデル文をだいたい引き写したものであって、魂が入っていません。法令等を遵守しなければならない当事者自身が日頃その存在さえ意識せず、法令等に沿った行政運営を行っていないことが多いのではないかと感じます。たとえば、学校においていじめや事故が起きても定められた方針に沿って職務を行う能力が、学校長等らには備わっていないように思います。公立学校であれば、市の教育委員会に実務担当者として学校教育課長や指導主事がいますが、前者は学校長は県教職員採用なのに対して市事務職員採用なので学校のことは専門外として深入りを避けますし、後者は学校長より後輩の教職員が就いているので身内の先輩へ物申すのは遠慮が働くと思います。関係者それぞれが問題が表面化しないよう報告も行わず問い質しもせず、やり過ごそうという流れになるのは自然なことです。結局、不作為の取繕いだけが行われ、問題解決は先延ばされたり、握り潰されるのではないかと思います。しかし、公の使命は良い環境の中で子どもを教育することではないのでしょうか。不作為の取繕いに満ちた環境の中で道徳が教科として教えられている学校は、嗤うしかないほど不道徳な世界だと思えます。