月別アーカイブ: 2019年5月

留学生の就職先拡大について

昨日、法務省出入国在留管理庁より「留学生の就職支援のための法務省告示の改正について」のプレスリリースがありました。5月30日の施行となりますが、N1レベルの日本語能力試験に合格している外国人留学生であれば、大学で学んだ分野とは関係ない接客業への就職が可能になるとのことです。その場合の在留資格は特定活動となります。おそらく就職先の企業規模にもよりますが、最大5年の在留が認められます。もともと日本人であっても大学の卒業学科とは関係ない仕事に就く例はざらにあります。もっと職域が広がることを期待しています。

面従腹背は大切

かつて教育行政のトップを務めた元官僚の座右の銘が、面従腹背だったそうですが、現役の霞が関の住人たちも自分たちを指して「なんでも官邸団」と自嘲しているそうですから、必要なことなのかもしれません。今度は、鴻上尚史著の『 「空気」を読んでも従わない』(岩波ジュニア新書、820円+税、2019年)を読んでみます。夏休みに入ると、就職を控える若者と出会う仕事が多くなります。よく石の上にも3年という言い方がされ、転職市場に通用するキャリアを積むには少なくとも3年はかかると指導するよう言われているのですが、たとえば生命や精神に悪影響を及ぼすブラック職場であれば、即座にその場から離脱するのが正しい選択肢です。民間企業であれば、淘汰されればいいのですが、公共団体だと、潰すわけにもいきません。職場環境を変えるためにも働く人が楽に生きるすべを知らないといけません。

丸木作品展示への期待

昨日は水俣病歴史考証館を運営する一般財団法人水俣病センター相思社の理事会に出席しました。前年度下半期に、このたび建物解体されることになった、乙女塚の「みんなの家」から「沖縄の図」「原爆の図」「水俣の図」で世界的に著名な丸木位里さん・俊さんの作品が、考証館へ寄贈されました。考証館内での整備された保管環境の中で、早く公開展示されることを願っています。そのための資金支援や全国の丸木作品収蔵ミュージアムとの紹介交流が生まれることも期待しています。

いじめと探偵

昨夜のロアッソ熊本のJ3公式戦4連勝を速報観戦して気分が良かったところに視聴した、NHKスペシャル「シリーズ 子どもの“声なき声” 第1回  いじめと探偵 ~行き場を失った“助けて”~」は、あまりにも衝撃的でした。学校や教育委員会へ声を上げても取り合ってくれないという現実を確信しました。いじめに苦しむ子どもたちの中には自ら命を絶つ悲劇も続いています。これは何とかしなければならない深刻な安全保障問題なのではないかと思います。近隣国の脅威を煽り米国の軍需産業から欠陥品を爆買いする前に自国民の子どもを多数見殺しにしておいていいのか怒りが湧いてきます。番組に出ていた探偵社では、いじめ調査については基本無償で行っておられるということで、その行動力には頭が下がりました。亡くなられた子どもの命は取り返しができませんが、今も進行中のいじめはあると思います。それをどう止めて救っていくのか、番組で紹介していた行動手法については、たいへん参考になりました。

新規開拓

あまりグルメ情報の投稿が少ないのは、新たな出会いが少ない過ごし方をしていたからです。この春に子育てがひと段落したので、徐々に新規開拓をしたいと思っています。今月初めて行った店は、インド料理の店が一つ。高速道路の松橋インター近くのカレー店で「サンジ」といいます。県内に4店舗あるようです。次に、甲佐町にある蕎麦屋で「柳屋」。正統的な日本蕎麦の店です。いずれもその店の存在は以前から知っていましたが、店先を通る用事があっても、営業日時が合わないか、駐車スペースが一杯で見合わせていました。それと、子育て中の外食は家族全員の都合の良し悪しもあります。夫婦二人ならいくらか機会は増えます。そのため、その日の思い付きで行動できる余裕も出てきたようです。思い付きと言えば、昨日は急にプリンターの不具合が生じ、大量の印刷があったので、家電量販店でプリンターを購入してきました。インクの型番が同じという理由で買ってきたのはいいのですが、それまでの機種に備わっていたある機能が買い求めた機種にはないことにけさになって気が付き、廃棄予定の前のプリンターの一部機能だけ復活させるはめになりました。昨日から本日にかけてバタバタと事務処理をこなしているところへ、何度も同窓会関係の電話が入りあからさまに不機嫌な対応をしてしまいました。まだまだ人間ができていません。

令和元年度支部総会の開催日決定のお知らせ

公営住宅の活かし方

私の居住地域の近くに公営住宅主体の地域があります。地震の後に建てられた仮設団地がそのまま公営住宅となったり、最初から災害公営住宅として建てられた公営住宅もあります。入居者のほとんどが自宅再建が困難な高齢者世帯とあって、避難行動要支援者登録の世帯も急増しました。高齢者率が高い地域であるため、民生委員のなり手がなく、市内で唯一の委員欠員地区となっています。そのため、隣接地区の担当である私が見守りのお手伝いをしています。校区全体では現役世代が比較的多いため、地区によっては自治運営の担い手がいますが、支援を要する高齢者ばかりの地区では緊急時の対応が心配です。現役世代の居住が進む魅力ある公営住宅に生まれ変わらせないと、座して死を待つ地区となりかねない危機感があります。公営住宅といった場合、現役世代に好まれる間取りや設備への改修が必要ですが、入居条件の見直しも必要だと思います。入居基準を定めてきたのは公営住宅法ですが、地方分権改革によって多くの基準を自治体の条例にゆだねることができるようになってきています。たとえば、同居親族要件については、事実婚や同性婚世帯の入居も配慮できるようにするとか、あるいはシングルマザー(ファザー)や外国人住民にとってのバリアフリーな地域支援とセットにするとか、地区を生き生きとする施策はいろいろ考えられる気がします。

学校ムラの闇

今の原子力規制委員会の前身は、東日本大震災前の原子力安全委員会です。今にしてみればどの口が安全というかということになるでしょう。新藤宗幸著『行政責任を考える』に出てくる原子力安全委員会と原発保有の電力業界との関係、いわゆる原子力ムラについて知ると、本日傍聴の機会を得た教育委員会と学校との関係に似通っていて、学校ムラの闇を垣間見た思いがしました。教育委員の経歴を見るとほとんどが小中学校長を最後に退職された元教員の方々でした。確かに学校運営には高い見識は持っておられるとは思います。そのため、平時の対応の判断は問題ないのですが、学校での不始末が発生した時に法令等に則った厳正な判断が下せるのか、少し懸念を覚えました。たとえば、市のいじめ防止対策基本方針では、各学校でもその学校版の方針を策定し、それを学校のホームページに掲載して広く保護者や地域に啓発するよう定められています。ところが、ある学校では、その学校版方針を策定当時は掲載していたのに、この連休中まで市の方針に反して長らく削除していました。連休明けに教育委員会側へ指摘すると、掲載が復活しました。この市の方針や学校版の方針の策定については、さらに笑えない話があります。その市の方針案をまとめたのは、当時の教育委員会において指導主事だった職員なのですが、その職員は現在、学校版の方針を学校ホームページから削除していた当の学校長なのです。つまり、自ら策定に係わった方針を自ら蔑ろにするという芸当をやってのけたのです。あるいは、そうした方針案については、もともと県からモデル文が授けられていて、自治体名や学校名だけ差し替えれば完成する代物なのかもしれないと考えています。

不作為の取繕い能力だけは認めよう

今読んでいる行政学者の新藤宗幸著『行政責任を考える』で出てきた言葉で、すぅと胸裏に刺さったのは「不作為の取繕い」という表現でした。地方自治体の公務員にもありがちなことで、自治体の例規集を眺めると、ずいぶん立派な文書が備わっています。ですが、その多くは、県やさらには国からもたらされたモデル文をだいたい引き写したものであって、魂が入っていません。法令等を遵守しなければならない当事者自身が日頃その存在さえ意識せず、法令等に沿った行政運営を行っていないことが多いのではないかと感じます。たとえば、学校においていじめや事故が起きても定められた方針に沿って職務を行う能力が、学校長等らには備わっていないように思います。公立学校であれば、市の教育委員会に実務担当者として学校教育課長や指導主事がいますが、前者は学校長は県教職員採用なのに対して市事務職員採用なので学校のことは専門外として深入りを避けますし、後者は学校長より後輩の教職員が就いているので身内の先輩へ物申すのは遠慮が働くと思います。関係者それぞれが問題が表面化しないよう報告も行わず問い質しもせず、やり過ごそうという流れになるのは自然なことです。結局、不作為の取繕いだけが行われ、問題解決は先延ばされたり、握り潰されるのではないかと思います。しかし、公の使命は良い環境の中で子どもを教育することではないのでしょうか。不作為の取繕いに満ちた環境の中で道徳が教科として教えられている学校は、嗤うしかないほど不道徳な世界だと思えます。

責任の問い方

養液栽培による農業事業を行っていたころ、原発プラントと同じような問題を抱えていると思いました。農業の場合、生産性を高めるためにまず技術的な成功を追い求めがちです。しかし、どうしても肥料の排液が出てしまいます。冬場のハウスであれば、暖房による温度や湿度管理、果ては二酸化炭素濃度も考えなければなりません。技術的に正しいことを突き詰めれば、経費は天井知らずに上昇します。そうなると、経営的には採算が合わないことになるので、技術的にはここまでしたいということが分かっていてもあえてセーブすることをします。それと、排液はそのまま農業用水路へ流しますから、当然水質を変化させます。環境への影響はつきものです。もしも循環処理するとなると、その設備のためにさらに経営を圧迫します。原発もそうです。技術的に管理を極めれば環境への危険性は低くなるでしょうが、採算のとれる電源ではなくなり、経営的に成り立たなくなるから、どうしても管理にはある程度の線を引くという対応になってしまいます。公害病の原因企業も似たような対応を図ってきました。
このように、事業を例にとると、技術、経営、環境の3つのバランスの取り方が重要です。それぞれのマイナス部分の内容次第では事業自体が成り立たないことがあるかもしれません。
もうひとつ考えたいのは、何か問題が発生した時に、それに対処する人が、いろんな部分への影響を多面的に考えられるかが問われると思います。問題解決能力のある人には、そうした多面的な見方ができ、そうでない人は一面的な見方しかできないという気がします。問題解決能力のない人への責任を問わなければならないとき、一面的に問うのではなく、多面的に問う必要があるかもしれません。

肥前陶磁の美

10連休の最終日、八代市立博物館未来の森ミュージアムで開催中の展覧会「肥前陶磁の美」を鑑賞してきました。展示品は、私も過去2度訪れたことのある佐賀県立九州陶磁文化館の所蔵品となっていて、唐津焼、有田焼、鍋島藩窯および長崎の諸窯の名品ばかりで、贅沢な時間を堪能できました。これらの陶磁文化の歴史をさかのぼると、朝鮮半島出身の陶工たちの高い技術力に負うところが大きいです。色絵磁器の有田焼については、遠くヨーロッパに盛んに輸出されました。渡来人に学び産業力を高める歴史は現在にも通用する手法だと思います。このところの騒動のタネとなった新元号も国書由来と強調するのはバカらしいことで、中国古典が下敷きにあることは否定できません。もっと言えば元号制度そのものが中国の王朝の模倣であるのは否定できないと思います。それを認めないというのは、よほど歴史を知らないか知ろうとしない人であって、そうした人の言説は信用ならないものと見極められる簡単な指標だと思います。

願ってやみません

4月30日に行われた「退位礼正殿の儀」のライブ中継を視聴したときに、国民代表の辞の一節で「あれっ」と感じていたのですが、その後の情報で次のような言い間違いがあったことが確認されています。国民を代表するその方は退位する天皇に向かって、「末長くお健やかであられますことを願って…」でいったん中断して、「あらせられますことを願っていません」と言っていました。原稿に「願って已みません」とあって「已」の字を「い」と読み間違った、つまり読み方を知らなかったのではという見立ても出ています。いずれにしても信頼と敬愛を受けてきた国民の代表がこのレベルではがっかりです。
さて、連休明けに読む本は、新藤宗幸著『行政責任を考える』(東京大学出版会、2800円+税、2019年)です。国民(住民)の行政への向き合い方を考えてみたいと思ったからです。
こどもの日でもあるけさの朝日新聞は「繰り返される 学校での事故」として、学校内で死亡事故が起きても詳細な報告が文部科学省に上がってくるのは1割に過ぎないと報じていました。裏を返せば、いかに学校や教育委員会が国民(住民)を守ることに希薄で、学ぶことをしないかということを物語っています。対応方針は定めてあってもまず学校で動かなければ、情報は上がってきませんし、教育委員会が先取りして動くことはありません。指導主事クラスは学校長クラスより後輩であることが多く、好き好んで先輩に指導することは考えられません。
最近、地元の学校でいじめ問題への対応をめぐり、上記の報道と似通った行政組織の構造に接して、国民(住民)が声を上げ続けない限り問題は黙殺されかねないという思いを抱いています。

憲法記念日の翌日に

昨日は憲法記念日でした。熊本でも二つの憲法集会が開かれるのを知っていましたが、どちらも耳を傾けたい学者講師は出ないようなので、足を向けることはしませんでした。天皇制の将来についても現在の憲法が示す理念を知って、たとえば皇室典範の扱いも考えたいものです。現在の相続法の考えに照らすと、男子女子ということばかりでなく、まずは配偶者への承継という考え方が出ても良さそうです。日頃、外国人の在留に係る仕事をしていると、皇族にある立場の方々は、つくづく人権が制約されていると感じます。国民よりも外国人に近い立場なのではと思うこともあります。