カテゴリー別アーカイブ: 関輝明行政書士事務所

核兵器禁止へ向かわないとは何事か

地元宇土市の『市議会だより』(11月1日付)を読んでいたら、第3回定例会において「日本政府に核兵器禁止条約の調印を求める意見書」提出の発議案が、7-10で否決されていたのを知りました。宇土市は非核都市宣言を行っていますが、本議案に反対した市議は、その自己の見識の愚かさを深く思い知るべきです。反対をするということは、日頃危機を煽りたてている北朝鮮の核兵器保有を認めるということに他なりません。もちろん北朝鮮が核兵器を保有する大きな動機になっている米国の核兵器も禁止を求めるものです。脅威の源は何なのかよくよく考えるべきです。それにしても、宇土市の非核都市宣言の看板は、地震で損壊した市庁舎の解体と共に姿を消したのを思い出しました。看板はどこへ行ってしまったのでしょうか。

政党別得票率と議席獲得数の乖離は問題だ

選挙後、一票の価値の不平等を問う提訴が起こされましたが、同時にいつも指摘されるのが、政党別得票数と獲得議席数の乖離の問題です。投票率の高低にかかわらず、政党別得票率に見合った議席獲得こそが民意を反映していると思いますが、小選挙区制であればどうしても相対的に多い政党の議席が絶対多数となります。いわば実力以上に議席を得ることとなります。また小選挙区の弊害として政党からの公認が一人となり、それが既得権益となり、なかなか有為な人材が支持する政党から候補者として出てこないという問題もあります。党内で競わせるのではなく、有権者に選ばせる意味でも、以前の中選挙区の方が人材が豊富になる気がします。写真は記事とは関係ありません。

1年ぶりに1万円札の里へ

博多で開かれた申請取次行政書士実務研修会に参加した翌日、1年ぶりに1万円札の里、中津を訪れました。から揚げグルメが有名ですが、短時間の滞在のため、今回もそれはなしでした。投票日前日でしたが、街中も閑散としていました。

一強は堕落する

中国の政治状況を見ると、一党独裁であるばかりか、トップへの権力集中、つまり一強体制が目立つようになり、日本国内の政治情勢と似通ってきた感じがあります。日中両国の指導者の器も国力と反比例して小粒になってきた感があります。保身が最大の関心事となり、堕落していくのではないかと思います。

公正に対する信頼があるか

最高裁判所裁判官の国民審査が今行われています。この審査も主権者である国民にとって重要な権利行使の機会です。裁判官なんて見たこともない、ましてや判決文なんて読んだこともないのが大半の人だと思います。投票所で国民審査なんてできないと職員に言いがかりをつける有権者を見かけたことが何度もありますが、それは自分が何も考えを持たない権力者に言いなりの人間だと公言しているのと同じで、本人はうっぷん晴らしで満足でしょうが、傍から見ればみっともない限りです。一つ簡単な裁判官の見極め方は、一票の格差が大きな選挙の効力を問う裁判で違憲無効の判断をしているかどうかにあります。まっとうではない選挙の結果で生まれた政権も、その内閣が任命した裁判官もこれまた不公正のかたまりです。自分たちの選ばれ方が公正でないという良心があるなら違憲無効の判断を行うのが正しい裁判官です。残念ながら今度の対象者にそうした裁判官はいないようです。

福祉人材の待遇改善を

介護現場については私にとってたいへん身近な存在になっています。そのサービスが利用しやすく快適に機能していないと、その利用世帯にとってはさまざまな負担が発生します。家計だけでなく、利用者家族本人の時間が割かれてしまうのです。福祉サービスが盛んなことは、地域の経済を支える意味でも重要です。そのためにも福祉サービスに携わる人材の待遇改善が求められると思います。

楽しい定例会

きょうは月に一度の民生委員・児童委員の定例会でした。さまざまな事業の協議が中心になりますが、委員から笑顔が出るなかなか楽しい時間でした。事業の目的や効果を考えて動くとなると、一方的な負担感ではなく当事者の主体性が出ます。いろんな意見が出てより優れた事業となります。来月はこのメンバーで旅行することも決まりました。写真は阿蘇・立野地区。

被災地訪問

一昨日は熊本地震被災地を一巡しました。写真は益城町の木山神宮というところです。社殿の屋根が10mほど前のめりに倒れてつぶれたそうです。まずは住宅の建設が優先ですから、こうした建造物の再建には期間がかかりそうです。

花園地区秋季体育祭

地元小学校区の住民は約1万人。その校区内に16の行政区のチームがあり、それらが体育祭の成績を競い、終了後の打ち上げを楽しみに例年繰り広げられています。今年も天気が良すぎです。無理のない範囲で楽しんでほしいと思います。写真は開会式での市長あいさつの模様。

今の年齢で読めば違ったかも

昨日のトップニュースは、長崎生まれのイギリス人作家、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞でした。同氏の作品は2冊書棚にあり、1990年頃に読んだ記憶があります。正直なところ、20代終わりの時期の私にとっては盛り上がりを欠く退屈な本でした。以来、同氏の作品を手に取ることはなかったわけですが、今の年齢で読めば違った印象をもったのかもしれません。それと、作家も当時30代だったのが、作風の老成感からして今にして思えば驚きです。
文学の力という点で、いくらか矛先は異なりますが、1964年にノーベル文学賞に選ばれながら受賞を辞退した、フランスの作家・哲学者、ジャン₌ポール・サルトルは、かつて自分の代表作『嘔吐』を回顧しながら、「文学は現実に餓死する子どもを救うことができないのだから役に立たない」と語っています。読者の立場からすると、文学作品を役に立つから読むという人は、まれですから、サルトルの言葉はその通りだとも言えますし、見方を変えればサルトルがそういう発言をするから読者は注目し、文学に何かを動かす望みを見つけようという気持ちにもなるかもしれないと思います。
石牟礼道子作品と水俣病被害者支援運動もそうですが、読み手と書き手の双方の資質が、言葉の力をどうにでも変えるという気がします。もっともっと凄い作家が生まれてくることを期待します。