カテゴリー別アーカイブ: 政治

BIと人権

井上智洋著『 AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書、840円+税、2018年)は、新書ながらなかなか読み応えがありました。先に読んだ、ガイ・スタンディング著『ベーシックインカムへの道 正義・自由・安全の社会インフラを実現させるには』(プレジデント社、2000円+税、2018年)が、BIの歴史や世界での実情といった基礎的・普遍的分野を取り上げていますが、井上本は、もっと日本での導入を意図した考察に重点が置かれています。日本における儒教的倫理感が最大の障壁と捉えているのが印象的でした。しかし、スタンディング本の副題にもある通り、BIがもたらす正義を考えると、自己責任論の誤謬を丹念に突き崩していけば、日本での導入も十分考えられるとも思いました。BIのメリットとしては、お金の流れ方を変えるというのがあると思います。現在は、生活保護や児童手当、雇用保険、公的年金を除いて、政府→銀行・企業→企業→家計となっていますが、企業で多くのお金が止まってしまいます。企業が徴税を担っていることもありますが、家計消費が喚起されません。これを政府→銀行→家計とすることで、消費が増え、働いている人の所得も増えますし、今の生活保護受給からの脱出も図れます。AIでなくなっていく銀行業界を助けることになるかもしれません。まずは必要最小限の文化的生活を保障する憲法の精神を実現を図る正義から考えてみたいと思います。

AIとBI

人工頭脳とベーシックインカムについての本を立て続けに読んだところで、それをつなぐ論考にも目を向けたいと思いました。そこで、次に読む本は、井上智洋著『 AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書、840円+税、2018年)です。AI技術の進展により個人が収入・所得を得る仕事のありようが変わってくると思われます。仕事イコール職業とは限りませんから、収入・所得が望めないと、消費は生まれず社会が停滞することが目に見えてきます。経済政策、福祉政策の仕組みを根本から考えてみる必要がありそうです。

東ロボくんなら

学歴・職歴が華々しい方々の不祥事がいろいろと取りざたされています。統計や確率を駆使することに優れているAI技術を取り入れた「東ロボくん」は、偏差値60程度の大学入試は突破できる力があるそうですが、記述式問題のように読解力を必要とする難関大学の入試への合格は当分難しいそうです。不思議なのは東ロボくんが突破できない難関大学卒業をした方々が、およそ東ロボくんがやらかさないであろうセクハラや援交などへ走ってしまう結果の代償を読めなかったということです。AIに置き換えられない仕事をすべき人間の過ちをどう考えるべきか、悩みます。

新聞が読まれないはず

これから読む本は、新井紀子著『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、1500円+税、2018年)。子どもたちの読解力の無さもそうですが、大人たちの読解力の低下も相当なものではないかと思います。新聞に目を通す世帯が確実に減っているのを感じます。先日主催したイベント広告で新聞を使いましたが、ほとんど効果はありませんでした。情報発信源としての新聞の力は落ちています。ネット上に転載される記事でも、これはネットメディアの読解力の無さかもしれませんが、的外れの変な見出しが多いのをよく目にします。かといって、新聞の力が落ちるのは、国民の監視力が落ちることにつながるわけで、まったく歓迎できないことです。

頭脳の使い道を誤るな

このところの中央官庁の幹部の言動を見聞きすると、頭脳の使い道を誤っているなという思いを強くします。気の毒としかいいようがありません。国民に対して恥ずかしくないのかと思いますし、これからそうした仕事へ進みたいと考えている若者が失望のあまりもしも進路を変えたら、これはこれで国民にとって大きな損失です。

みっともないことはするな

みっともないことはするな。3月28日の朝日新聞1面の「折々のことば」で、筆者の鷲田清一さんのかつての上司、阪大元総長のことばとして紹介されています。筆者は、「言葉を生業(なりわい)とする者として、人前の挨拶では二度と同じ話はしないという主義を通してきたが、大事なことはくり返しきちんと口にすべきことを学んだ」と書いています。昨日の国会論戦を聴いていても、論戦にならないぐらい、みっともない答弁しか政府からはありません。そこまでしてどんな政治を続けたいのか、もう他に任せたらどうかと、思わされました。

 

選挙会に出席しました

希望すれば傍聴も可能なのですが、無投票となった宇土市長選挙の選挙会に選挙管理委員会委員と共に選挙立会人の一人として出席しました。会議では立候補届出者の報告があり、届出者の被選挙権の有無について異議がないかの確認が求められた後、異議がなければ当選人が決定されます。さらに選挙録に署名を行って会議は閉会します。わずか5分足らずの会議でしたが、選挙管理委員会の仕事についてまた一つすることができ、いい体験をさせてもらいました。

言葉で記録する

さまざまな団体の総会などもこの時期はよく開かれます。特に私が長となっている団体については、事業報告や事業計画について単なる行事カレンダーや財務諸表の掲載だけでなく、反省や方針をできるだけ文章で記載するように努めています。そうでなければ、漫然と前例踏襲となり、事業の効果も携わる関係者の士気も上がらないと考えるからです。そうしたこともあり、最近、役所での文書があるとかないとか、騒ぎになっていること自体が、普段の仕事のいい加減さが伝わってきて話になりません。

市長選は無投票

4月8日投票で予定されていた宇土市長選挙は、現職以外に立候補の届け出がなく、現職の無投票当選が決まりました。また、本日はネット観戦となったJ2ロアッソ熊本の新潟とのホームゲームは、3-1で勝利となりました。写真はやはり勝った大宮戦のときのものです。

道徳を教科とするのは不適切

道徳を教科とするのは不適切だと、それとは一見関係のない昨日の証人喚問を見ていて思いました。道徳というのはまさに内面の問題であってそれが正しいか正しくないかを他者が決めることはできません。これが法律なら問題の言動が正しいか正しくないかを決めることができます。証人喚問でいえば、証言を拒否することはできても、それを道徳的にどう見るかは関係者の立場によってどうにでも変わります。公務員の仕事を法的に適正に行ったかどうかについては、いくらでも追及してかまわないことです。教科として必要なら法教育ではないかという気がします。

ベーシックインカムという政策

ガイ・スタンディング著『ベーシックインカムへの道 正義・自由・安全の社会インフラを実現させるには』(プレジデント社、2000円+税、2018年)を今度読んでみます。所得の再分配はどうあるべきか。生活保護受給者をバッシングすることがいかに間違っているのか。共生社会のあり方について考えてみたいと思います。

忠犬は損失である

昨日触れた西郷どんの愛犬「つん」の名前の由来は案外単純なもので、耳やしっぽがツンと立っていることから名づけられたようでした。今の薩摩川内市産の薩摩犬で、ウサギ狩りが得意だったようです。今年は戌年ということもありますが、最近では秋田犬も人気が出ています。秋田犬と言えば、渋谷駅や東大農学部に銅像がある、忠犬の誉れ高い「ハチ公」が有名です。ですが、行政に携わる人物が政治家に忠犬ぶりを発揮してもらうのは困りものです。首相の弁明に合わせるために、公文書改ざんに手を染める忠犬ぶりは、一体どちらを向いて仕事をしているのかと、疑われます。森友事件の発端は、不当な安値での国有地払下げでした。国有地というのは国民の財産です。それを売ってお金に換える際も適正な価格でなければ、国民に損失を与えたことになります。行政官の給料の出どころも国民の財産から支出されています。特定の民間人に政治家の身内が恣意的に便宜を供与し、支持を得ることを期待したのであれば、これはやはり犯罪です。もっと国民は怒って爆発していい事件です。

米朝首脳会談を歓迎する

核保有国同士の首脳が5月までに会談するというニュースに接しました。互いのリーダーとしての資質についてとやかく言う前に、少なくともそれまでは戦争の危機が後退したことをまずは歓迎したいと思います。戦争を回避しなければ拉致問題その他の日朝間の対話も始まらないわけですから。

冬季五輪の閉幕に際して

平昌五輪も本日で閉幕。ふだんの乏しいテレビ番組を見せられるよりは、予測のつかない競技の推移をみるツールとして、テレビ視聴を楽しめたかなという気がします。平和の大切さを実感できた期間でもあったかと思います。テレビもまともなコメントができる報道コンテンツの充実を望みます。

言葉の力

『苦海浄土』などの文学作品で知られる石牟礼道子さんが昨日永眠されました。いろんな評価があります。私も水俣病問題に触れ始めた当初多くの著作を読みました。他の誰にも真似できない言葉を発し続けてこられたと思います。被害者や支援者には響いたのですが、加害者にはその言葉がどこまで届いたのか、ということでは無力だったように思います。司法・立法・行政という三権の世界では使われない言葉の世界が石牟礼作品の世界だったわけで、これは反戦や反核、反原発問題でも同じで、権力や富の世界と日々の暮らしの世界との大きな溝を感じます。

ほほえみ外交はまだマシである

米国の核戦略の転換を高く評価するなどという倒錯した発言をした外相を抱えていながら、朝鮮半島の南北対話を揶揄する立場に日本はないのではないかと思います。国内にいながら首相と沖縄県知事の対話がいかほどあるでしょうか。国民の生命を口では守ると言いながら、整備不良の軍用ヘリを野放図に飛ばさせている米国大統領と首相との間に対等な対話はできているのかと思います。それでいて、わざわざほほえみ外交に騙されるなと、ご注進におよぶのではなく、せっかく北のハイレベルの人物と会えたのなら、自らが拉致問題その他の解決のため、懐へ飛び込む意思を示す勇気はなかったのかと思います。

教育と福祉を厚く

昨日投開票となった沖縄県名護市長選と熊本県水俣市長選は、いずれも企業誘致など経済振興を訴えた新人候補が当選しました。外からモノをもってくるのもいいのですが、もともとその地域に暮らす住民を大切にできるかどうかが、これからの地方の課題だと思います。教育や福祉に厚い自治体には自然と住民が集まり、それがさまざまな企業を呼び込むという考えがもっとあってもいい気がしています。

対米問題に目を向けたい

平昌オリンピックをめぐる南北の話し合いに日本から口出しするのは控えるべきだと思います。対話の機会があるのもオリンピックのおかげ。衝突すれば双方はもちろん近隣国にも死への影響が出るわけですから、まずは対話が大切です。しいていうなら、日本からも北に対する交渉を進めるべきです。対話ということであれば、在日米軍基地の問題に対して米国と話をすべきです。自国では学校の上を飛行しないにもかかわらず、「占領地」ではそれが許されるということについて怒るべきです。死者が出ていないからいいではないかという人が副大臣を務められていた政府は目覚めなければなりません。

周辺の住宅地を訪ねて

このところ周辺の住宅地を訪ねる機会があります。住宅地図と現況が変化している例が結構あります。もちろんそれは震災の影響によるものです。一方で新しい住宅もかなり建っていました。阪神から23年というこの日ですが、防災に強い地域でありたいと思います。一方、地域ではどうにもならないのが核の脅威です。ノーベル平和賞を受賞した団体の事務局長とわが国の首相は会わないそうですが、合わせる顔がないのでしょうか。米国は北朝鮮対応でICBMの開発だけ止めさせ、核の保有は認める方向で手打ちするのではという見方もあります。北朝鮮だけでなく、米国や中国、ロシアといったすべての核保有の禁止を求めることでしか、真の安全はありません。核抑止力というものに信頼がないからこそ生まれているこの危険な状況を根絶させるには、核兵器禁止の道しかありません。