カテゴリー別アーカイブ: 政治

猛暑でも仕事は抜かりなく

西日本に大きな被害をもたらした大雨から一転して今週は晴天が続き、熊本の予想最高気温は猛暑日レベルになりそうです。7月の上旬というと保険関係の届け出や源泉所得税の納税などの事務があります。抜かりなく処理しなければなりません。そんな中にあって、不正な手段で補助金を得ているような事業者のニュースを見ると、しっかり糺すべき行動をとっているのは誰か、それに対して逃げ回って国民に不利益を与えているのは誰かということを覚えておこうと思います。

理想実現の向き合い方

けさの新聞でも一昨日に死刑執行された人たちの起こした集団の成り立ちと事件についての論考が載っていました。けっして奇想天外ではなく十分起こり得ることだという私の考えとも通じる点がありました。一つは理想実現への向き合い方だと思います。首謀者には首謀者の、それに追随した者には追随者の崇高な理想があったのだろうと思います。しかし、その実現にあたってどうしても超えてはならない一線、それは障害となる相手の生命を奪うということですが、それを超えてしまった。そこに追い込んだものは、このカルト集団だけのものではなくて、程度の差はあれどのような組織、社会、家族、個人の中にあるのだろうと思います。そこに追い込ませないためにどうすべきかということを考えると、これもまたあらゆる人がそこに関われる機会を有している気がしてなりません。

王権病

昨日死刑執行となった7人の中には年齢的に近い人もいましたから、その罪の重さを差し引いてもやはりその死は残念に思います。あのカルト集団を率いていた人物は、ここ熊本県の出身者であり、その経歴や少年時代を知る人の声を知れば、実は愚かで小心な人物であったことがわかります。ですから、地元では事件を起こす前から拒否され排除に成功したのだと思います。反面、熊本県から離れた活動拠点ではそうした経歴に注目が集まらず、いわゆる高学歴エリートがその集団内の競争を勝ち抜いて幹部となり、極刑を受ける末路を辿る不幸をもたらしました。結局、あの中心人物は集団が大きくなるにつれて自分は王になる、なれると考えたし、部下たちも付いていけばあの集団が裏から表に出て王の家臣となれると考えたのではないかと思います。冒頭、世代的に近い人たちと書きましたが、実は同時代を生きていても、彼らは戦国時代さながらに王権を獲ることを夢見て生きてきたのではないかと思います。その手段としてテロや戦争の準備まで行っていたと考えると、あまり不思議さを感じません。むしろ歴史上の英雄とされる人物はだいたいが戦争やテロを行ってきました。王権病にとりつかれることは今日のオモテの世界でも十分ありえると考えると、あまり遠い世界の人たちと見なすことはなおさらできないのでは思います。

放火商法はいただけない

フェイクとヘイトのツイートにいそしむ輩が得ようとするメリットは何なのか。トンデモツイートでSNSへ誘導しての広告収入だとみられます。けっして紙の販売では有力でない新聞がネット版では突拍子の無い論調でアクセスを伸ばす手法もあるようです。それにしても外国籍の人たちを貶める姑息な風潮は許せません。

災害時の共助

一昨日に起きた大阪北部地震への対応ということで、私が住む宇土市からも熊本地震の際に職員派遣があった枚方市(ひらたかし:官房長官が誤読したことで話題になった)へ市職員が先遣隊として本日午後出発しました。昨夜は大雨での予備的避難所開設やW杯パブリックビューイングが行われていたなかで、早い共助の立ち上がりだったと思います。宇土市では他にも東京都狛江市と災害時の協定が結ばれています。狛江の場合は、先方の首長の不祥事という災害でしたので、派遣はありませんでした。こういう大災害や国民的関心事のスポーツイベントの日を狙って記者会見を開いた私学経営者の方がいましたが、あまりにも考えが姑息すぎて、なおかつ露骨すぎて哀れというか下品というか、驚きました。主張の正当性を減じる効果しかないので、頭脳の出来もあまりよろしくないのではと思いましたし、こんな人が友人と言っている人も恥ずかしくないとすれば、どういう神経をしているのかと思いました。災害時の共助のあり方もいろいろです。

働き方改革なるものの前に

学童保育をめぐって次の動きが気になりました。一つは障害児が放課後に通う放課後等デイサービスに支払われる報酬が減額されるために、それらの施設の2割が経営悪化し、サービス廃止の危機にあるそうです。もともとは利益優先の悪質な業者を排除するために、障害が軽い子どもばかりを受け入れている施設向けの報酬を減らす施策だったようですが、良質なサービスを提供している事業者までも影響を受ける羽目になりました。これにより障害児が通常の学童クラブに通わざるを得なくなりますが、その通常の学童クラブにも問題が持ち上がっています。厚労省令に基づく学童保育の基準では、研修を受けた放課後児童支援員を施設単位ごとに2人以上配置することになっています。しかし、この人材確保が難しいことから自治体によっては参酌化を望む声があり、支援員1人だけ配置の検討が国で始まっているとのことです。1人だけでは防災や防犯といった緊急時の対応もままなりません。人を減らすことではなくて、支援員の待遇を厚くすることが後回しになっている観があります。結局、学童へのしわ寄せは保護者の働き方へも影響しますし、現役世代の働き方は医療介護保険・年金といった社会保障面の資産の過不足にも影響します。

フェイクとヘイトと闘う

これから手に取る本は、永田浩三編『フェイクと憎悪 歪むメディアと民主主義』(大月書店、1800円+税、2018年)です。正直なところ、本の中身は著者らの日頃の言動を追っていると、想像はつきます。フェイクやヘイトに向き合い一つひとつ闘う姿に敬意を感じます。そうした著者への応援の気持ちと、そうした方々の存在の記録として買い求めた次第です。

2024年に50歳以上が人口の半数

2024年には、国内人口の半数以上が50歳以上になるのだそうです。そんなこともあって社会保障をどうするのかという議論があっています。現在の政権与党の考え方は、年金受給開始年齢を「柔軟化」という表現で引き上げたいと思っています。医療費の自己負担を所得に応じて3割に引き上げようとも考えています。そのためにもまずは「高齢者」の年齢引き上げもありえるのではないでしょうか。そんなことはすべて党の人生100年時代戦略本部というところが出した提案に書かれています。いつ引退するかは個人の問題ですから、いつまでも働けというのは国がとやかく言うものではないと思います。高齢者を支える世代を増やしたいのなら、外国人の受け入れに寛容な国にしていくことが先決です。それと教育を含めた社会保障にまわすお金を手厚くするためにも、過剰な防衛装備は減らすべきです。

犯罪と救済の実相

今、『8のテーマで読む水俣病』を読み進めています。編者が水俣病の入門書として書き下ろしたと言われる通り、平易な表現で水俣病の歴史を伝えていると感じます。なぜ被害が拡大したのかという犯罪の部分については、まず原因物質を海へ流し続けた企業の存在があります。次いで被害者が出ているにもかかわらず、因果関係を突き詰めず、排出を止めず、被害拡大に手を貸した行政犯罪の側面があります。さらには、後で自らも被害を受けていたことが分かるのですが、税収や雇用、消費で恩恵を受けていた住民自身が企業を擁護し続けたという住民自身の罪という面もあります。つまり、企業・行政・住民一体となった犯罪というのが実相です。いわば、誰もが犯罪者なのですから、いつまでも罪を認めようとしないため、救済はなかなか進まないという悲劇の歴史を辿ります。犯人たちを悔い改めさせ、救済に向かわせることは、たいへん困難です。被害が公式に発見されて60年以上経つのに未だにできるだけ救済対象を少なくしようとする努力だけは怠らないのです。水俣病とは水俣沿岸の漁業者家族たち特有の病気とのイメージが今も色濃く残っていますが、居住地を問わずメチル水銀に汚染された魚介類を摂取したのなら、外見の身体症状に関係なくすべてが被害者です。始末は何も付いていない政治の事件として国民は知るべきです。

梅雨入り

九州北部が本日梅雨入りしたそうです。昨年よりも23日早いということでした。早いといえば、庭の梅の実の収穫も昨年より早く昨日行いました。国会中継を見ていましたが、相変わらず首相の答弁が説明責任を果たした内容にならず残念です。県の公文書の記載内容は伝聞を記録したものといいつつ、その伝聞事実は嘘だったと発表した学園の言い分は、まさに伝聞ながらそれを自己の行動の証明にならない証明に使おうというのですから、まったく説得力がありません。公文書のねつ造・廃棄・隠ぺいに動いた中央官庁の人件費や時間と同様に国民に不利益をもたらしています。昨日見学した鼻ぐりのようにウソやヨナが滞らないような政治が求められます。

8のテーマで読む水俣病

著者ご本人より『8のテーマで読む水俣病』(弦書房、2000円+税、2018年)刊行のご案内を受けましたので、紹介します。水俣病事件の読み解き方はいろんな面があるかと思います。私自身は職業柄も一国民という立場からも、行政や企業の犯罪を糺す後追い政治とそうした過ちを予防する理想実現のための先行政治の問題として追っていきたいと考えます。

みっともないから辞めてほしい

記録や記憶がないといいながら、整合性をとるためだけに都合のいい記憶だけを蘇らせる能力をもった元首相秘書官にも驚きましたが、官邸の入館記録はないはずの3年前の記録で確認したら、面会していないと、廃棄されたはずの記録をタテに弁明した首相にも驚きました。まさか過去の新聞各紙の首相動静欄を根拠に言っているのではないでしょうねと、突っ込みたくなります。みっともないことこの上ありません。

論理的整合性と信頼感は別物

国会中継を昨日TV視聴しました。参考人の答弁を聞いていると、さすがに論理的整合性をとろうとしているのはよく理解できました。しかし、首相が昨年1月20日まで利害関係者が申請に動いていることを知らなかったといっているために、参考人がその利害関係者と話したことをその時期以前にまったく報告もしなかったことにしなければならなくなっています。防衛ラインをどこに置いて答弁しているか、これもよく分かりました。これで浮かび上がったのは、整合性を覆す証拠が出てくれば、一層信頼感を失くすことになるということです。その政権がある事項で信頼感を失くすということは、それ以外の運営でも信頼感を失くすということです。このまま何をしたいのか不思議でなりません。

何のためかを考える

昨日は憲法記念日でした。とりあえずの話題になっている自民党の改憲案のデキですが、非常に悪いとしか思えません。それは、何のためかという動機が、改憲を行ったという史実に名を留めたいという権力者の欲望でしかないからです。たとえば、憲法を触らなくても法律で実現可能な教育の無償化というウケねらいの事項を案に加えたのも、とにかく変えたいからということにほかなりません。国民投票には820億円かかるといわれます。そのカネは、教育の無償化にぜひ回してほしいと思います。専守防衛を逸脱する防衛予算もそうです。賢い国民の存在こそ最大の防衛であり、資産です。

今こそ軍縮

朝鮮半島における完全なる非核化を目標とする宣言が先日の南北首脳会談で出ました。それ自体は、周辺地域はもちろん米国本土にとっても利益あることで、歓迎すべき動きだと考えます。しかし、周辺地域にとっては、長距離の核ミサイルがなくても、通常兵器だけでも十分な脅威は残ります。武器商人国家である米国からすれば、危機をあおり続けられる理由がなければ、ビジネスに影響するでしょうから、軍縮には乗り気ではないと思います。拉致問題の解決もそうですが、このまま米国任せ・頼りでいいのか、日本はもっと南北と協調して直接交渉すべきことがあるのではないか、それこそが国益になるのではないかと思わざるを得ません。

BIと人権

井上智洋著『 AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書、840円+税、2018年)は、新書ながらなかなか読み応えがありました。先に読んだ、ガイ・スタンディング著『ベーシックインカムへの道 正義・自由・安全の社会インフラを実現させるには』(プレジデント社、2000円+税、2018年)が、BIの歴史や世界での実情といった基礎的・普遍的分野を取り上げていますが、井上本は、もっと日本での導入を意図した考察に重点が置かれています。日本における儒教的倫理感が最大の障壁と捉えているのが印象的でした。しかし、スタンディング本の副題にもある通り、BIがもたらす正義を考えると、自己責任論の誤謬を丹念に突き崩していけば、日本での導入も十分考えられるとも思いました。BIのメリットとしては、お金の流れ方を変えるというのがあると思います。現在は、生活保護や児童手当、雇用保険、公的年金を除いて、政府→銀行・企業→企業→家計となっていますが、企業で多くのお金が止まってしまいます。企業が徴税を担っていることもありますが、家計消費が喚起されません。これを政府→銀行→家計とすることで、消費が増え、働いている人の所得も増えますし、今の生活保護受給からの脱出も図れます。AIでなくなっていく銀行業界を助けることになるかもしれません。まずは必要最小限の文化的生活を保障する憲法の精神を実現を図る正義から考えてみたいと思います。

AIとBI

人工頭脳とベーシックインカムについての本を立て続けに読んだところで、それをつなぐ論考にも目を向けたいと思いました。そこで、次に読む本は、井上智洋著『 AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書、840円+税、2018年)です。AI技術の進展により個人が収入・所得を得る仕事のありようが変わってくると思われます。仕事イコール職業とは限りませんから、収入・所得が望めないと、消費は生まれず社会が停滞することが目に見えてきます。経済政策、福祉政策の仕組みを根本から考えてみる必要がありそうです。

東ロボくんなら

学歴・職歴が華々しい方々の不祥事がいろいろと取りざたされています。統計や確率を駆使することに優れているAI技術を取り入れた「東ロボくん」は、偏差値60程度の大学入試は突破できる力があるそうですが、記述式問題のように読解力を必要とする難関大学の入試への合格は当分難しいそうです。不思議なのは東ロボくんが突破できない難関大学卒業をした方々が、およそ東ロボくんがやらかさないであろうセクハラや援交などへ走ってしまう結果の代償を読めなかったということです。AIに置き換えられない仕事をすべき人間の過ちをどう考えるべきか、悩みます。

新聞が読まれないはず

これから読む本は、新井紀子著『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、1500円+税、2018年)。子どもたちの読解力の無さもそうですが、大人たちの読解力の低下も相当なものではないかと思います。新聞に目を通す世帯が確実に減っているのを感じます。先日主催したイベント広告で新聞を使いましたが、ほとんど効果はありませんでした。情報発信源としての新聞の力は落ちています。ネット上に転載される記事でも、これはネットメディアの読解力の無さかもしれませんが、的外れの変な見出しが多いのをよく目にします。かといって、新聞の力が落ちるのは、国民の監視力が落ちることにつながるわけで、まったく歓迎できないことです。