政治」カテゴリーアーカイブ

公文書管理の先進地は

10月8日の日本経済新聞の地域総合面で、地方自治体の公文書管理条例の制定状況について触れた記事がありました。それによると、条例制定済みなのは、熊本県を含む21都道県と4政令市、都道府県・政令市を除くその他の市町村では熊本県宇土市などわずか12自治体に留まり、その率は全体の0.7%とありました。意外にもわが地元市は、公文書管理の先進地ということを知りました。公文書管理は情報公開についての取り組みとも表裏一体となります。せっかく備わった体制を活用して自治体の姿を住民が正確に捉えてより良い行政運営が進められるよう監視していきたいものです。

いばらの道

先日の沖縄県知事選で当選した新知事が、就任の抱負で「いばらの道」という表現を使っていました。もちろんこれは新基地建設反対のことを指しているのですが、2週続きの台風や先の大戦での鉄の暴風というようなたいへんな出来事にさらされる県民の忍耐力はすごいものだと思います。自然災害にしろ人為災害にしろ、体験者の心情ほど強いものはないと思います。

永遠のファシズム

台風24号が通過するまでの間、沖縄のリゾートホテルで缶詰め状態でした。割と薄い文庫本でしたが、ウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』(岩波現代文庫、940+税、2018年)は、なかなか読みごたえがありました。おおよそ20年前の時代背景に、ファシズムや新聞、移民の問題について発言した記録集となっています。ですが、発言の内容が20年後の現在にも通じるものがあり、まったく色あせていません。エーコは、1932年生まれのイタリア人です。ファシズム台頭期に少年時代を過ごしています。優れた考察は時代を貫くのだという思いを強く持ちました。

地方議員選挙

来月は地元の市会議員選挙が行われます。今のところ現職18人が全員立候補し、これに新人2人が挑戦するという構図のようです。昨今は地方議員のなり手がいないといわれますので、出馬するというだけでたいへん奇特なことだと思います。あとは、何をやりたくて当選を目指しているのか、考えを吟味したいと思います。それと気になるのが、有権者の登録において性別表記はもはや不要ではないかと思います。投票所では男女別に何枚投票用紙を出したか管理されているのですが、住民の外見で性別を判断するのはたいへん難しく投票にはまったく必要がないことだと考えています。

言葉は届いたか

昨日、政権与党の総裁選立候補者の発言をカーラジオで聴いていました。私もかつての自衛官の子弟ですが、当時も今も自衛官自身はどのような動機でその職に就いたのか、憲法をどう考えるかは千差万別だと考えています。軍隊とか、陸海軍とかと異なり、国際法上の定義がない一国の一行政機関の固有名称を憲法の条文に書き込むというのは、やはり法律を扱う立場からはしっくりしないやり方です。素養という点を考えるべきだと思います。

最悪の想定で訓練は行うべき

9月1日は防災の日ということで、朝から政府による防災訓練についての報道がありました。大規模地震にもかかわらず原発施設に異常はないという想定でしたが、地震は発生時間や天候を選びません。避難ができないときに原発事故が発生したらどうするのかという想定が絶対必要です。都合が悪い条件を想定しないまま、事故は起きないとか、避難は可能とか、現実から逃避することは許されません。

ネット選挙について

当社宛にある政府統計調査の依頼が届きました。もちろん紙で郵送回答もできるのですが、e-Govからさっそくネット回答で返信しました。せっかくシステムが開発されていますし、紙回答であれば通信料やデータ入力料にさらなる公金出費を伴います。回答側の手間は一定ですが、集計側のデータ化の時間も節約できます。ところで、県内で県議の補欠選挙の運動期間中ですが、隣接選挙区民の目から見てもまったくもって盛り上がりに欠けます。一つは、この猛暑のために、屋外に人出がないことがあります。ですから、いくら屋外で投票を呼び掛けたとしても耳に飛び込んできません。選挙運動にしても投票にしてもネット活用を拡大すべきだと思います。

一強の弱さ

御厨貴・本村凌二著『日本の崩壊』(祥伝社新書、820円+税、2018年)を読み終わりました。二人の日本国憲法をめぐる発言には首肯できない面もありましたが、ここ150年の日本政治史と栄華から崩壊を辿った古代ローマ帝国史をクロスした読み物は、躍動的で面白いものでした。現在の危機として政権与党の自民党の弱さが同書で浮き彫りになっていたのが印象的でした。一強だけに抱える弱さが実はあるというのがよく理解できます。一つは人材育成機能が弱体化していることです。そのため、政策の党内での競い合いがなくなり、政策集団としての能力が弱まりました。党内の異論反論や熟議が封じられることになり、民意を吸い上げる仕組みも機能不全に陥っていると、御厨氏は見ています。首相だけがやりたいことだけを行うか、何も考えずに首相に付いていき、恩恵にあずかるというように、議員の個の役割が非常に見えにくくなってきているようです。

過ちを学ぶことに意味がある

昨日、浜矩子著の『窒息死に向かう日本経済』(角川新書、820円+税、2018年)を読了し、今は御厨貴・本村凌二両氏による対談構成本の『日本の崩壊』(祥伝社新書、820円+税、2018年)を読み進めています。それぞれ日本の経済や政治の過ちについて解説してくれている本です。ちまたで見かける日本礼賛本や外国偏見本よりは、精神衛生上、良い本だと思います。過ちが分かるからこそ、それに乗らずに済む生き方が過ごせるわけで、乗せられてバカを見る愚を小さくできる点でお得です。たとえば、JPX日経400にランクインする呪縛に囚われた企業なんかに勤めるものではないという気になります。

五輪開催はふさわしいか

ある国会議員が委員会質問の中で紹介していたので、オリンピック憲章のオリンピズムの根本原則の第6項を読んでみました。それによると、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。」とあります。2020年の五輪開催地としてはたしてふさわしい社会といえるのか、ちまたのタチの悪い言説や立ち振る舞いを見聞すると、現状での開催には二の足を踏んでしまいます。ふさわしい社会へ転換する努力を続けなければならないと強く感じます。

猛暑でも仕事は抜かりなく

西日本に大きな被害をもたらした大雨から一転して今週は晴天が続き、熊本の予想最高気温は猛暑日レベルになりそうです。7月の上旬というと保険関係の届け出や源泉所得税の納税などの事務があります。抜かりなく処理しなければなりません。そんな中にあって、不正な手段で補助金を得ているような事業者のニュースを見ると、しっかり糺すべき行動をとっているのは誰か、それに対して逃げ回って国民に不利益を与えているのは誰かということを覚えておこうと思います。

理想実現の向き合い方

けさの新聞でも一昨日に死刑執行された人たちの起こした集団の成り立ちと事件についての論考が載っていました。けっして奇想天外ではなく十分起こり得ることだという私の考えとも通じる点がありました。一つは理想実現への向き合い方だと思います。首謀者には首謀者の、それに追随した者には追随者の崇高な理想があったのだろうと思います。しかし、その実現にあたってどうしても超えてはならない一線、それは障害となる相手の生命を奪うということですが、それを超えてしまった。そこに追い込んだものは、このカルト集団だけのものではなくて、程度の差はあれどのような組織、社会、家族、個人の中にあるのだろうと思います。そこに追い込ませないためにどうすべきかということを考えると、これもまたあらゆる人がそこに関われる機会を有している気がしてなりません。

王権病

昨日死刑執行となった7人の中には年齢的に近い人もいましたから、その罪の重さを差し引いてもやはりその死は残念に思います。あのカルト集団を率いていた人物は、ここ熊本県の出身者であり、その経歴や少年時代を知る人の声を知れば、実は愚かで小心な人物であったことがわかります。ですから、地元では事件を起こす前から拒否され排除に成功したのだと思います。反面、熊本県から離れた活動拠点ではそうした経歴に注目が集まらず、いわゆる高学歴エリートがその集団内の競争を勝ち抜いて幹部となり、極刑を受ける末路を辿る不幸をもたらしました。結局、あの中心人物は集団が大きくなるにつれて自分は王になる、なれると考えたし、部下たちも付いていけばあの集団が裏から表に出て王の家臣となれると考えたのではないかと思います。冒頭、世代的に近い人たちと書きましたが、実は同時代を生きていても、彼らは戦国時代さながらに王権を獲ることを夢見て生きてきたのではないかと思います。その手段としてテロや戦争の準備まで行っていたと考えると、あまり不思議さを感じません。むしろ歴史上の英雄とされる人物はだいたいが戦争やテロを行ってきました。王権病にとりつかれることは今日のオモテの世界でも十分ありえると考えると、あまり遠い世界の人たちと見なすことはなおさらできないのでは思います。

放火商法はいただけない

フェイクとヘイトのツイートにいそしむ輩が得ようとするメリットは何なのか。トンデモツイートでSNSへ誘導しての広告収入だとみられます。けっして紙の販売では有力でない新聞がネット版では突拍子の無い論調でアクセスを伸ばす手法もあるようです。それにしても外国籍の人たちを貶める姑息な風潮は許せません。

災害時の共助

一昨日に起きた大阪北部地震への対応ということで、私が住む宇土市からも熊本地震の際に職員派遣があった枚方市(ひらたかし:官房長官が誤読したことで話題になった)へ市職員が先遣隊として本日午後出発しました。昨夜は大雨での予備的避難所開設やW杯パブリックビューイングが行われていたなかで、早い共助の立ち上がりだったと思います。宇土市では他にも東京都狛江市と災害時の協定が結ばれています。狛江の場合は、先方の首長の不祥事という災害でしたので、派遣はありませんでした。こういう大災害や国民的関心事のスポーツイベントの日を狙って記者会見を開いた私学経営者の方がいましたが、あまりにも考えが姑息すぎて、なおかつ露骨すぎて哀れというか下品というか、驚きました。主張の正当性を減じる効果しかないので、頭脳の出来もあまりよろしくないのではと思いましたし、こんな人が友人と言っている人も恥ずかしくないとすれば、どういう神経をしているのかと思いました。災害時の共助のあり方もいろいろです。

働き方改革なるものの前に

学童保育をめぐって次の動きが気になりました。一つは障害児が放課後に通う放課後等デイサービスに支払われる報酬が減額されるために、それらの施設の2割が経営悪化し、サービス廃止の危機にあるそうです。もともとは利益優先の悪質な業者を排除するために、障害が軽い子どもばかりを受け入れている施設向けの報酬を減らす施策だったようですが、良質なサービスを提供している事業者までも影響を受ける羽目になりました。これにより障害児が通常の学童クラブに通わざるを得なくなりますが、その通常の学童クラブにも問題が持ち上がっています。厚労省令に基づく学童保育の基準では、研修を受けた放課後児童支援員を施設単位ごとに2人以上配置することになっています。しかし、この人材確保が難しいことから自治体によっては参酌化を望む声があり、支援員1人だけ配置の検討が国で始まっているとのことです。1人だけでは防災や防犯といった緊急時の対応もままなりません。人を減らすことではなくて、支援員の待遇を厚くすることが後回しになっている観があります。結局、学童へのしわ寄せは保護者の働き方へも影響しますし、現役世代の働き方は医療介護保険・年金といった社会保障面の資産の過不足にも影響します。

フェイクとヘイトと闘う

これから手に取る本は、永田浩三編『フェイクと憎悪 歪むメディアと民主主義』(大月書店、1800円+税、2018年)です。正直なところ、本の中身は著者らの日頃の言動を追っていると、想像はつきます。フェイクやヘイトに向き合い一つひとつ闘う姿に敬意を感じます。そうした著者への応援の気持ちと、そうした方々の存在の記録として買い求めた次第です。

2024年に50歳以上が人口の半数

2024年には、国内人口の半数以上が50歳以上になるのだそうです。そんなこともあって社会保障をどうするのかという議論があっています。現在の政権与党の考え方は、年金受給開始年齢を「柔軟化」という表現で引き上げたいと思っています。医療費の自己負担を所得に応じて3割に引き上げようとも考えています。そのためにもまずは「高齢者」の年齢引き上げもありえるのではないでしょうか。そんなことはすべて党の人生100年時代戦略本部というところが出した提案に書かれています。いつ引退するかは個人の問題ですから、いつまでも働けというのは国がとやかく言うものではないと思います。高齢者を支える世代を増やしたいのなら、外国人の受け入れに寛容な国にしていくことが先決です。それと教育を含めた社会保障にまわすお金を手厚くするためにも、過剰な防衛装備は減らすべきです。

犯罪と救済の実相

今、『8のテーマで読む水俣病』を読み進めています。編者が水俣病の入門書として書き下ろしたと言われる通り、平易な表現で水俣病の歴史を伝えていると感じます。なぜ被害が拡大したのかという犯罪の部分については、まず原因物質を海へ流し続けた企業の存在があります。次いで被害者が出ているにもかかわらず、因果関係を突き詰めず、排出を止めず、被害拡大に手を貸した行政犯罪の側面があります。さらには、後で自らも被害を受けていたことが分かるのですが、税収や雇用、消費で恩恵を受けていた住民自身が企業を擁護し続けたという住民自身の罪という面もあります。つまり、企業・行政・住民一体となった犯罪というのが実相です。いわば、誰もが犯罪者なのですから、いつまでも罪を認めようとしないため、救済はなかなか進まないという悲劇の歴史を辿ります。犯人たちを悔い改めさせ、救済に向かわせることは、たいへん困難です。被害が公式に発見されて60年以上経つのに未だにできるだけ救済対象を少なくしようとする努力だけは怠らないのです。水俣病とは水俣沿岸の漁業者家族たち特有の病気とのイメージが今も色濃く残っていますが、居住地を問わずメチル水銀に汚染された魚介類を摂取したのなら、外見の身体症状に関係なくすべてが被害者です。始末は何も付いていない政治の事件として国民は知るべきです。