カテゴリー別アーカイブ: 政治

納税に見合う受益への信頼を

きょうは、勤労感謝の日です。国にとって何がありがたいかというと、雇い主が国に代わって所得税を集めて納めてくれるということではないでしょうか。いわば納税を感謝しますという意味合いもあると思います。それでいけば、別に働いていない人でも、消費という行動を通じて消費税を納めています。これも勤労所得と同じく事業主等が国に代わって納めています。どちらも個人が直接税務署を訪ねて税金を納めないので、国民が貢献しているという自覚が薄まっているだけです。モリカケ問題もつまるところ国民が託した税金の使われ方の問題です。公平公正を欠く扱いを行政が行い、国民が他に受益できた部分に損害を与える結果をもたらしたのではないかという疑惑が残っています。とにかく働く人だけでなく、働けない人も感謝されていい社会が自然だと思います。写真は、熊本城周遊バスしろめぐりん車内から見えた細川刑部邸の倒れた塀とイチョウの木。

フェイクを論破しよう

高校生の修学旅行先のベスト3都道府県は、沖縄、東京、京都なのだそうです。沖縄は、戦争の真実を考えるには格好の場所です。戦跡もそうですが、今も存在する基地の問題から、いろんなことが見えてくるかと思います。ともすれば、トンデモ論でメディアをにぎわす連中もいますから、それらのフェイク部分を論破するファクトを積み重ねて対処する必要があります。佐藤学・屋良朝博著『沖縄の基地の間違ったうわさ 検証34個の疑問』(岩波ブックレット、580円+税、2017年)は、手軽なファクトチェックのツールだと思います。

ロシア革命から100年後に考えたいこと

一昨日は、ロシア革命から100年ということでした。当時のロシアの格差社会や革命気運と現代の日本のそれとは比較になりませんが、格差を是正して底上げをすることは重要です。所得にとどまらず教育や福祉のレベルにもその視点が求められます。そのとっかかりになるのが、税制になるかと思います。やはり高所得者や法人の税負担を上げることが、数に勝る低所得者の消費を増やし、消費税収も増やすことになります。逆に数が少ない高所得者の税負担を下げたからといって消費が飛躍的に増えるとは思われません。次に考えなければならないのは土地問題です。これはもっと安く持てるあるいは利用できるようにすべきです。特に所有者不明土地は公有化し安く払い下げることで公金を増やすことにもつながります。レーニンが求めた社会の姿には現代の課題に連なるものがあるかもしれません。

武器商人のカモでしかないのか

先日の日米首脳の共同記者会見を見ていたら、米国大統領はつくづく武器商人だと思えました。売り込みをかける相手に対する日本側の卑屈な接待ぶりには大いに疑問を感じます。北朝鮮が相手にしているのは米国なのですから、日本国内に米軍基地がなければ、そもそも関係ない脅威です。むしろ日本国民が盾となって米国を守ってやっているのが正しいのではないでしょうか。その点は、武器商人の発言の変遷を振り返ると、歴然です。というのも、最初は基地を撤退するとまで言っていたのですが、置いておくことのメリットを十分認識してから、その考えは引っ込めています。基地経費の大部分を負担してくれて、武器も買ってくれるのですから、いいカモだと思っているのでしょう。

大人の社会科

日本武道館で昨日行われた全日本剣道選手権は、なかなか見ごたえがありました。優勝した熊本の選手は、県警の機動隊員として昨年の熊本地震後の捜索活動で奔走し、2年ぶりの栄冠でした。準優勝をした選手は、過去3度優勝の37歳のベテラン。準々決勝、準決勝と1本先取された後に2本連取の逆転勝ちを収めた凄みはまさに錬士というものでした。
ところで、次に読む本は、井手英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢裕作『大人のための社会科』(有斐閣、1500円+税、2017年)です。問題先送りの反知性主義がはびこるなかで、いかに未来を見据えた政策を実現できるか 。40代の気鋭の社会科学者の考えを学び取りたいと思います。

核兵器禁止へ向かわないとは何事か

地元宇土市の『市議会だより』(11月1日付)を読んでいたら、第3回定例会において「日本政府に核兵器禁止条約の調印を求める意見書」提出の発議案が、7-10で否決されていたのを知りました。宇土市は非核都市宣言を行っていますが、本議案に反対した市議は、その自己の見識の愚かさを深く思い知るべきです。反対をするということは、日頃危機を煽りたてている北朝鮮の核兵器保有を認めるということに他なりません。もちろん北朝鮮が核兵器を保有する大きな動機になっている米国の核兵器も禁止を求めるものです。脅威の源は何なのかよくよく考えるべきです。それにしても、宇土市の非核都市宣言の看板は、地震で損壊した市庁舎の解体と共に姿を消したのを思い出しました。看板はどこへ行ってしまったのでしょうか。

一強は堕落する

中国の政治状況を見ると、一党独裁であるばかりか、トップへの権力集中、つまり一強体制が目立つようになり、日本国内の政治情勢と似通ってきた感じがあります。日中両国の指導者の器も国力と反比例して小粒になってきた感があります。保身が最大の関心事となり、堕落していくのではないかと思います。

公正に対する信頼があるか

最高裁判所裁判官の国民審査が今行われています。この審査も主権者である国民にとって重要な権利行使の機会です。裁判官なんて見たこともない、ましてや判決文なんて読んだこともないのが大半の人だと思います。投票所で国民審査なんてできないと職員に言いがかりをつける有権者を見かけたことが何度もありますが、それは自分が何も考えを持たない権力者に言いなりの人間だと公言しているのと同じで、本人はうっぷん晴らしで満足でしょうが、傍から見ればみっともない限りです。一つ簡単な裁判官の見極め方は、一票の格差が大きな選挙の効力を問う裁判で違憲無効の判断をしているかどうかにあります。まっとうではない選挙の結果で生まれた政権も、その内閣が任命した裁判官もこれまた不公正のかたまりです。自分たちの選ばれ方が公正でないという良心があるなら違憲無効の判断を行うのが正しい裁判官です。残念ながら今度の対象者にそうした裁判官はいないようです。

不在者投票は早めに

期日前投票の経験がある国民は多くなってきて浸透しているかと思いますが、たとえば現住所を離れて投票期間中に他の市町村に滞在する国民は、不在者投票を利用することができます。現住所地の選挙管理委員会へ不在者投票用の投票用紙等を請求すると、滞在地宛に書留郵便で送ってくれます。請求は家族が代行することもできます。不在者本人は、滞在先の選挙管理委員会へ出向いて投票用紙等を提出します。受け取った選挙管理委員会は、不在者の現住所の選挙管理委員会へ送り、投票日当日に本人の地元の投票所の投票箱に入れられます。そのため、速達で送られるとはいえ滞在地から現住所地の選挙管理委員会へ遅くとも投票日前日には届くよう早めに不在者投票を行わないとせっかくの一票が無駄になります。

不公正という国難

政党の離合集散に注目が集まっていますが、解散を決めた方は、国難突破のためといっていました。国難にはいろいろあるでしょうが、行政運営が不公正であれば、それは大きな国難という気がします。権力者の意向で行政事務のあり方が歪められたり、業務遂行の検証材料となる文書記録が勝手に廃棄されたりしているのは、まっとうな国の組織とは言えません。問われるべき国難はモリだくさんあるようですし、その判断をカケてもらいたいものです。

選出方法は見直しを

現行の国政選挙の制度については、1票の価値の平等性確保と実態に合った民意の議席数への反映という観点から相当の不備があります。有権者の立場で言えば、自分の選挙区に必ずしも自分が国会議員としてふさわしい政策や見識をもった立候補者がいないことがありえます。国会議員なのだから都道府県民や市町村民の選良ではなく、国民の代表という考えに立てば、もっとも望ましいのはブロック単位の比例代表制がもっとも望ましいと思います。一人であっても一人会派として立候補できる道があってもいいのではないでしょうか。定数是正や区割り変更の頻度も少なくて済むメリットがあります。現行制度を所与のものとして重要争点から落とすのではなく、主権者の権利の根幹にかかわる課題として真剣に取り上げる候補者があっても良さそうだと思います。でなければ、選良の正統性が問われます。

専門的知性と市民的知性の往復

石井洋二郎・藤垣裕子著『大人になるためのリベラルアーツ 思考演習12題』(東京大学出版会、2900円+税、2016年)のP.280に「専門的知性と市民的知性の往復」が必要な理由と内容として、以下のように記されています。「専門知は、現時点でなにが確実に言え、なにが確実に言えないのか、その限界を正確につたえられるものでなくてはならない。同時に、現場にいる人の不安の中で、問題をさらに聴き直し、別の専門家と共同できるものである必要がある。このとき、高い共感性をもって市民的知性によりそうことと、距離をとって観察することとのあいだには、さまざまな距離感が設定できる。」。ここでいう専門知とは、学者を指していますが、他の専門職、たとえば政治家であるとか、行政書士であるとか、WEBプランナーであるとかにも言えそうです。信頼できる専門家かどうかの判断をつけるには、上記の回答ができているかどうか、つまり応答責任を果たしているかどうかという視点から、市民はいろいろ聴いてみるべきです。

変えるのは一人ひとり

東京電力福島第一原子力発電所の事故独立検証委員会報告書の中に、「この調査中、政府の原子力安全関係の元高官や東京電力元経営陣は異口同音に『安全対策が不十分であることの問題意識は存在した。しかし、自分ひとりが流れに棹をさしても変わらなかったであろう』と述べていた」という記述があります。ある程度の知性や地位がある人物でさえこうなのですから、国内外のあらゆる政治課題についていうべきことはいうことが必要です。結局は自分にとっても他人にとっても取り返しのつかない不利益を被るのです。

地上の道

本サイトの投稿でしばしば山室信一氏の著作について触れていますが、私が現役の学生だった頃、在籍する大学の非常勤講師を同氏は務めておられました。今にして思えば、その講義を履修してなかったことが惜しくてたまりません。現在はネット動画で氏の講演を聴くこともできます。つい先日、2015年2月11日に静岡市での講演「岐路に立つ日本 ~ 今こそ活かす非戦思想 ~」を視聴しました。講演の最後の方で、氏が高校時代の先生に紹介された魯迅の言葉を引いていました。魯迅は、以下のように書いています。「 希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。 それは地上の道のようなものである。 地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。」。重要なことは、どのような時代の渦中にあって、こうした発言があったかということだと思います。単に名言として受け取るのではなく、発言者の思いを知ることだと考えます。この言葉を語るときの山室氏の姿が非常に熱を帯びていて感動しました。