カテゴリー別アーカイブ: 歴史

人間が見えているか

核兵器禁止条約に消極的な姿勢であるとか、一見関係ないような朝鮮学校無償化除外の動きについて思うのは、人間の生命であるとか人権の重みへの無理解です。馬鹿げた核抑止への信頼よりも、使用できる核兵器が存在することによる大量殺りくの結果を想像してみるべきです。殺されることよりも殺さない側に立つことの人間としての尊厳を保ちたいと思います。どこの国民であれ、命の重みに変わりはありません。もう一つの朝鮮学校の生徒の人権でいえば、彼らがあたかも北朝鮮国民であるかのように誘導するのはまったくの間違いです。1947年5月2日、明治憲法下最後の勅令として外国人登録令が施行され、当時、植民地朝鮮の出身者は日本国籍を持ちながらも外国人としてみなされることになりました。外国人登録上、国籍等の欄に出身地である「朝鮮」という表記をすべての朝鮮出身者に適用されました。これについては、当人に選択権はありませんでした。当時の貧しい日本政府としては口減らしをしたいということだったのでしょう。その1947年当時に朝鮮半島には韓国政府も北朝鮮政府もありません。1966年の日韓条約批准をへて、1960年代後半から外国人登録の表示を「朝鮮」から「韓国」に切り替える人が増えましたが、「朝鮮」籍とは、単に出身植民地をあらわし、その後、「韓国」籍に変えなかったもので、「朝鮮」籍イコール「北朝鮮」籍でありません。したがって、歴史的経緯から判断すれば、旧植民地出身者およびその子孫は、日本国籍を有する人と同等に処遇する必要があります。確かに世界にはおかしなリーダーがいますが、その国民を冷静に人間として見れば、さまざまな政策判断も異なってくるのではないかと思います。

野火

NHKネットクラブのプレゼントで当選し、Eテレで今月放送される「100分de名著 大岡昇平 野火」のテキストが送られてきました。解説者である作家・島田雅彦氏の思い入れが強く伝わる良いテキストでした。島田氏と私は同世代ですが、戦争をナマで体験した祖父母世代である大岡昇平への思いも何か似通っている感じがします。知識人が感じた戦争への見方というのが、文学を通じて激しく伝わる力強さがあります。政治の失敗ということだけでなく、一人ひとりの人間をどう翻弄させていくのかという優れた記録として読み手の心に突き刺さります。たぶん、『野火』を読んだのは20歳前ぐらいだったと思います。読んでおいて損はないと思います。

無知は犯罪である

『拉致と日本人』を読んでいますが、共著者の辛淑玉さんの目線には教えられる点が多くあります。2年前に来熊されたおりの講演会は残念ながら所用と重なり聴講できなかったのですが、もしも聴けていたらもっと早くヘイトスピーチを繰り返す連中の無知さに気付けたと思いました。一例を上げると、現在、特別永住者となっている在日朝鮮人の人たちを北朝鮮籍という思い込んでいるとしたら、それはとんでもなく歴史を知らないということを表しています。日本が敗戦を迎えたときに朝鮮半島出身者は日本国民だったのにもかかわらず、勅令で無国籍の外国人に変えられました。しかも当時は、北朝鮮も韓国もありません。ところが、在日朝鮮人に対して見当はずれのヘイトスピーチを行う少なからずの人たちは、朝鮮出身=北朝鮮国籍と思い込んでいるようです。ちなみに韓国籍は日韓条約が結ばれた後に選び取ることができたので、敗戦から20年ほど経ってからの話です。もっとも北朝鮮には、もともとの国民もいますが、さまざまな事情でそこに住んでいる日本人も少なからずいます。それらの人の存在も念頭に置いた対話の努力が何よりも必要だと思います。

竹槍事件とミサイル広報

本日の熊本日日新聞の「読者ひろば」欄で、私の投稿「竹槍事件とミサイル広報」が取り上げられています。民放テレビ局にしても新聞社にしても政府広報で得られる広告収入はバカになりませんので、その広報の中身を糺すのには及び腰になってしまいます。かつて東電福島第一原発事故以前は、原発安全神話のために相当量の広告が出稿していました。それはそれとしてジャーナリストの使命は何なのか、いかに商業メディアの中にあってもその役割を自覚している担い手がいてくれるよう受け手も応えていきたいものです。写真はネタ本です。

天智と天武~新説・日本書紀~

昨夜放送のNHKBSプレミアム「英雄たちの選択」に熊本在住の映画評論家・園村昌弘氏が出演していたので、つい見てしまいました。テーマは、「敗北!白村江の戦い なぜ巨大帝国に挑んだのか?」ということで、同氏は漫画原作者という肩書で登場していました。園村先生はかつて私が中学在学当時に国語教師として勤めておられたこともあり40年来そのご活躍を見ていましたが、漫画原作者の肩書にはなじみがなかったので調べてみると、『天智と天武~新説・日本書紀~』というコミックの原作者でした。番組の内容も6世紀ごろの日本と朝鮮、中国との関係が学べて有益でした。

次に読む本は『拉致と日本人』

これから読む本は、蓮池透・辛淑玉著『拉致と日本人』(岩波書店、1700円+税、2017年) です。両著者の本は初めてですが、これまでの新聞取材等で知る発言を辿ると、ぶれずに真っ当なことを話す人だという印象を持っています。日ごろ襟に青リボンの徽章を着けて威勢がいい割には、日本と周辺地域との歴史に疎そうな人たちにも読んでもらいたいものだと思います。

アジアは近い

肥薩おれんじ鉄道に乗って水俣にある財団の評議員会に出席してきました。同財団には国際NGOとしての活躍を期待しています。海外からの研修を受け入れたり、海外向け情報発信を行っています。将来的には海外出身の職員が誕生してもいいと思います。車中で山室信一著『アジアびとの風姿』を読みましたが、かつて熊本人が近隣アジアに渡っていろんな足跡を残した歴史があります。それがけっして当地の人々の幸福につながったわけではありませんが、その距離は現代よりもはるかに近さを感じます。
帰宅したら先日お手伝いした在留資格申請者(新規)から資格取得のお礼の電話がありました。嬉しいものです。
今週も社会福祉系の2法人の評議員会に出席します。

悪だくみを止めさせよう

なんとも出来の悪い「共謀罪」法案が成立しました。法案を作った法務省とその責任者の大臣の資質もでたらめですし、国会審議も姑息な時間稼ぎだけで、まったく立法の責任が果たされているとはいえません。こんないい加減な連中に政治を任せられない思いを強くします。さて、昨日の熊本日日新聞「読者ひろば」欄において私の投稿「今日に通じる井上毅の精神」が採用掲載されていました。誤解のないために書き添えますが、井上が起草した明治憲法や旧皇室典範、教育勅語の精神は今日的意義はありません。

史実を辿る

つい100年ほど前の史実でさえ研究者の導きがなければ知らないものだと、山室信一著『アジアびとの風姿』を読むと思わされます。近代日本における法制度の発展についても同書は第一級の情報の宝庫だと思いますが、台湾や朝鮮など、周辺地域の支配をどのように行ってきたか、それを知るのと知らないのでは、現在はもちろん将来にわたってそれらの地域の人たちとどう向き合っていくべきかがわからないことになってしまうと思います。

法制史における肥後藩の学知

山室信一著『アジアびとの風姿』を読んでいます。日本の国民国家形成のグランドデザイナーとして法制官僚・井上毅という熊本出身の人がいましたが、欧米法を学ぶ前に肥後藩で刑法典を学んでいます。その肥後藩は江戸時代に260藩あるなかでも律令研究や制度運用が進んでいた藩であったそうです。その律令は中国、つまり当時の清に学んだものですが、おもしろいのは、井上の存在によって中国(清)、日本(肥後)、フランス・ドイツ、日本(新政府)、中国(清)の順で法制の影響がつながっていることです。薩長土肥の縁故世界とは離れた法制発達の世界にはたいへん興味深いものがあります。写真は投稿とはまったく関係なく、えがお健康スタジアムです。

『アジアびとの風姿』

昨日から山室信一氏のもう一冊の最新著『アジアびとの風姿』を読み始めています。おりにふれて感想を投稿したいと思います。それと県高校総体明けのため月曜のホームゲーム開催となったロアッソ熊本の京都戦を観にこれからでかけます。おそらく観客が少ないでしょうから、貴重な勝ち組になりたいものです。

「比較で見る」と「後ろの眼」

人生が有限である以上、無知のままでいるか、学知に触れるかで、個人の一生やその集合体である社会のありようは大きく異なる気がします。その学知に触れるにも手法を間違ってしまうとそれは学知にならないのではと思います。ようやく山室信一著『アジアの思想史脈』を本日読了しました。きょう読み進めた箇所でも著者のエッセンスを感じました。
p.318「何よりも、自己の学知の固有性を問い返すことは、決して夜郎自大の自己中心主義ではなく、新たな自己認識に繋がるはずです。つまり自分が対抗しつつ、自分が一体何なのかという、自分の立場、スタンスをきちんとそこで見きわめるということです。他との違いでこそしか、それはわかりませんから、他との違いで見る。もちろん自分のことは自分が一番知っていると思うかもしれませんが、自分のことが一番わからないのも自分です。ですから他との比較の中で、自分の位置というものをきちんと見ていく必要があるわけです。」
また、歴史に学ぶとはどういうことなのかについては、次の言葉が突き刺さりました。
p.330「人には誰も「後ろから押しているもの」があり、それは先人であったということです。私が何ものかを学ぶことができたとすれば、それは私より先に生まれた人々に、さまざまな考え方や生き方を示してもらったことに依っています。何よりも、ものごとを考えるための言葉や概念を受け継がなければ、何もできなかったはずです。」「さらに、「後ろの眼」は、また違った意味でも、私たちの今、を凝視しているように思えています。それは、後代の人たちから差し向けられる眼差しです。」

言論の力

またしても山室信一氏著『アジアの思想史脈』からの引用になりますが、p.252において足尾鉱毒事件で被害民のために闘った田中正造の日記の一節が紹介されています。「道は二途あり。殺伐をもってせるを野獣の戦いとし、天理をもってせるを人類とす」。山室氏は、その意味するところは、武力をもって戦えば、人間は獣と同じになってしまうが、人間は言論の力によって「権利のための闘争」を戦うことが肝要であるということ、と語ります。
話は飛躍するのですが、ちょうど地元紙の熊本日日新聞において「水俣病60年 第7部 なぎさの向こうに 闘争は問う」という連載があって、「水俣病を告発する会」の創成期の関係者の証言を紙面で目にしています。実際に私もかかわった人たちの名前もその連載に登場するのですが、やはりそこで感じたのが言論・言葉の力でした。現在のネット上で飛び交う極めて皮相的・断片的コピーではなく、対決する相手を恥じ入らせてしまう研ぎ澄まされた思想や論理構成があったように思います。
それは個人の深い修行だけでなく、学際的な付き合いによる触発も大きいように思います。いまそうした場がたいへん少なくなっている気がします。

理想は実行すべきものなり

山室信一著『アジアの思想史脈』のp.108で、宮崎滔天の『三十三年の夢』の一節を引いています。余おもえらく「理想は実行すべきものなり、実行すべかざるものは夢想なり」と。
さらに、山室氏の同書p.107にはこのような記述があります。講演録が下敷きになっているので口述体となっています。少し長いですが、引用します。「ここまでで申し上げてきたようなことを考えるとき私は、「理想」とは何か、あるいは「恐るべき現実主義の死角」とは何か、という問いへのヒントを秘めたものが『三十三年の夢』ではないかと思われてきます。戦後――あるいは中江兆民も指摘していたことですから戦後だけではないのでしょうが――、日本人は「小才」によって時勢に対応し、現実主義的に世の中を渡ってきました。それは戦前にあっては日本の近代化を支えた、ひとつの大きな力だったと思います。しかし、兆民の言葉を借りれば、それゆえに「日本に哲学なし」となってしまうのではないでしょうか。「現実主義」にうまく乗れば乗るほど、それは「哲学」を生まない社会になっていく、「思想」を生まない社会になっていくのです。」
戦後施行の憲法を「みっともない」といい、出来の悪い共謀罪法案を通そうとする連中の思惑の先に、何の理想があるのか、哲学や思想と呼べる代物があるならぜひ語ってもらいたいものです。

アジアびと

北の国からの飛び道具の脅威が喧伝されていたかと思うと、皇室関係の慶事ニュースに隠れて、出来損ないの法案採決をやろうなどと、どんな共謀があったのかと、勘繰りたくもなります。それはそうと、かえって昔の人々の方がアジアの人との付き合いは深かったのでは思うこともあります。相手の人権を考えた判断ができているのか、行動の際には振り返りたいと思います。

近現代アジアをめぐる思想連鎖

次に読みたい本が決まっているというのは、実に楽しいものです。一方で、先に読みかけの本の知的消化にソゴをきたさないかが悩みとなります。そこで、次に手にする予定の本はというと、山室信一著『アジアの思想史脈』(人文書院、3,400円+税、2017年)です。今月刊行したばかりです。「近現代アジアをめぐる思想連鎖」の同著者姉妹本として、『アジアびとの風姿』も同時刊行です。こちらは、功罪半ばする熊本人が数多く取り上げられています。

歴史の愉しみ

関良基著『赤松小三郎ともう一つの明治維新』(作品社、1800円+税、2016年)を今読み進めています。赤松小三郎は本書で初めて知った人物ですが、今日の立憲主義を先取りする構想力を持った人物がいたことに驚きました。著者の思い入れも強くその追跡ぶりが徹底しています。同郷であることとテロで倒れた赤松終焉の地・京都で学んだ結びつきも、この著者の存在なくして陽が当たることはなかったと思います。赤松を排除した影には大久保や西郷といった薩摩が絡んでいると著者はにらんでいます。そして今日の立憲主義を踏みにじる政権も大久保の子孫や長州出身の流れがあるのが皮肉ですし、そのことが余計執筆の動機を強めたようです。久々に気合が入った著作に出会いました。

移民と人権

昨日午後は、コムスタカ主催のシンポジウム「移民と人権」に聴講参加しました。国際関係を扱う行政書士の会員も数名参加しました。米国の在福岡領事館から外交官を招いての講演でした。米国の歴史は移民を抜きにしてありません。独立前から4度の波があったことが最初に解説されました。政権が変わりいろいろと混乱が続いていますが、歴史に学べばどうすべきかいずれ賢い選択をとるのではという期待もあります。それに引き換え頑なな日本の移民政策、加えて難民対応は転換を図らなければ、同じ地球住民の責任を果たしたことにはならないばかりか、自滅への道を辿りかねない思いをいだきます。写真は、会場に向かう際に乗車した宇土駅に入線していたフリーゲージトレインです。

清掃活動

恒例の立岡自然公園の清掃活動に参加しました。かれこれここ5年ぐらい出ているかと思います。婦人会主催の事業ですが、嘱託会や民生委員、小学校の児童も参加します。この公園は、桜の名所として有名でしたが、このところは菖蒲やコスモスなど季節に応じた花を楽しめるよう生まれ変わってきています。今度、コメリ系の財団から市へ寄付があったそうです。付近には5世紀後半の舟形石棺が出土した楢崎古墳もあります。

所変われば

先日、鹿児島県霧島市へ出張しました。今さらですが、JRの車窓から見える墓地に屋根があるのに気が付きました。よく学校の自転車駐輪場に設置されているようなスレート葺きの屋根です。目的としては、桜島の降灰除け、供花などが傷まないための日除けがあるようです。同じ県内でも八代あたりでは電球が墓石の上に張ってあるのを見かけた覚えがあります。先祖への思い入れに違いがあって興味深いです。