カテゴリー別アーカイブ: 歴史

「比較で見る」と「後ろの眼」

人生が有限である以上、無知のままでいるか、学知に触れるかで、個人の一生やその集合体である社会のありようは大きく異なる気がします。その学知に触れるにも手法を間違ってしまうとそれは学知にならないのではと思います。ようやく山室信一著『アジアの思想史脈』を本日読了しました。きょう読み進めた箇所でも著者のエッセンスを感じました。
p.318「何よりも、自己の学知の固有性を問い返すことは、決して夜郎自大の自己中心主義ではなく、新たな自己認識に繋がるはずです。つまり自分が対抗しつつ、自分が一体何なのかという、自分の立場、スタンスをきちんとそこで見きわめるということです。他との違いでこそしか、それはわかりませんから、他との違いで見る。もちろん自分のことは自分が一番知っていると思うかもしれませんが、自分のことが一番わからないのも自分です。ですから他との比較の中で、自分の位置というものをきちんと見ていく必要があるわけです。」
また、歴史に学ぶとはどういうことなのかについては、次の言葉が突き刺さりました。
p.330「人には誰も「後ろから押しているもの」があり、それは先人であったということです。私が何ものかを学ぶことができたとすれば、それは私より先に生まれた人々に、さまざまな考え方や生き方を示してもらったことに依っています。何よりも、ものごとを考えるための言葉や概念を受け継がなければ、何もできなかったはずです。」「さらに、「後ろの眼」は、また違った意味でも、私たちの今、を凝視しているように思えています。それは、後代の人たちから差し向けられる眼差しです。」

言論の力

またしても山室信一氏著『アジアの思想史脈』からの引用になりますが、p.252において足尾鉱毒事件で被害民のために闘った田中正造の日記の一節が紹介されています。「道は二途あり。殺伐をもってせるを野獣の戦いとし、天理をもってせるを人類とす」。山室氏は、その意味するところは、武力をもって戦えば、人間は獣と同じになってしまうが、人間は言論の力によって「権利のための闘争」を戦うことが肝要であるということ、と語ります。
話は飛躍するのですが、ちょうど地元紙の熊本日日新聞において「水俣病60年 第7部 なぎさの向こうに 闘争は問う」という連載があって、「水俣病を告発する会」の創成期の関係者の証言を紙面で目にしています。実際に私もかかわった人たちの名前もその連載に登場するのですが、やはりそこで感じたのが言論・言葉の力でした。現在のネット上で飛び交う極めて皮相的・断片的コピーではなく、対決する相手を恥じ入らせてしまう研ぎ澄まされた思想や論理構成があったように思います。
それは個人の深い修行だけでなく、学際的な付き合いによる触発も大きいように思います。いまそうした場がたいへん少なくなっている気がします。

理想は実行すべきものなり

山室信一著『アジアの思想史脈』のp.108で、宮崎滔天の『三十三年の夢』の一節を引いています。余おもえらく「理想は実行すべきものなり、実行すべかざるものは夢想なり」と。
さらに、山室氏の同書p.107にはこのような記述があります。講演録が下敷きになっているので口述体となっています。少し長いですが、引用します。「ここまでで申し上げてきたようなことを考えるとき私は、「理想」とは何か、あるいは「恐るべき現実主義の死角」とは何か、という問いへのヒントを秘めたものが『三十三年の夢』ではないかと思われてきます。戦後――あるいは中江兆民も指摘していたことですから戦後だけではないのでしょうが――、日本人は「小才」によって時勢に対応し、現実主義的に世の中を渡ってきました。それは戦前にあっては日本の近代化を支えた、ひとつの大きな力だったと思います。しかし、兆民の言葉を借りれば、それゆえに「日本に哲学なし」となってしまうのではないでしょうか。「現実主義」にうまく乗れば乗るほど、それは「哲学」を生まない社会になっていく、「思想」を生まない社会になっていくのです。」
戦後施行の憲法を「みっともない」といい、出来の悪い共謀罪法案を通そうとする連中の思惑の先に、何の理想があるのか、哲学や思想と呼べる代物があるならぜひ語ってもらいたいものです。

アジアびと

北の国からの飛び道具の脅威が喧伝されていたかと思うと、皇室関係の慶事ニュースに隠れて、出来損ないの法案採決をやろうなどと、どんな共謀があったのかと、勘繰りたくもなります。それはそうと、かえって昔の人々の方がアジアの人との付き合いは深かったのでは思うこともあります。相手の人権を考えた判断ができているのか、行動の際には振り返りたいと思います。

近現代アジアをめぐる思想連鎖

次に読みたい本が決まっているというのは、実に楽しいものです。一方で、先に読みかけの本の知的消化にソゴをきたさないかが悩みとなります。そこで、次に手にする予定の本はというと、山室信一著『アジアの思想史脈』(人文書院、3,400円+税、2017年)です。今月刊行したばかりです。「近現代アジアをめぐる思想連鎖」の同著者姉妹本として、『アジアびとの風姿』も同時刊行です。こちらは、功罪半ばする熊本人が数多く取り上げられています。

歴史の愉しみ

関良基著『赤松小三郎ともう一つの明治維新』(作品社、1800円+税、2016年)を今読み進めています。赤松小三郎は本書で初めて知った人物ですが、今日の立憲主義を先取りする構想力を持った人物がいたことに驚きました。著者の思い入れも強くその追跡ぶりが徹底しています。同郷であることとテロで倒れた赤松終焉の地・京都で学んだ結びつきも、この著者の存在なくして陽が当たることはなかったと思います。赤松を排除した影には大久保や西郷といった薩摩が絡んでいると著者はにらんでいます。そして今日の立憲主義を踏みにじる政権も大久保の子孫や長州出身の流れがあるのが皮肉ですし、そのことが余計執筆の動機を強めたようです。久々に気合が入った著作に出会いました。

移民と人権

昨日午後は、コムスタカ主催のシンポジウム「移民と人権」に聴講参加しました。国際関係を扱う行政書士の会員も数名参加しました。米国の在福岡領事館から外交官を招いての講演でした。米国の歴史は移民を抜きにしてありません。独立前から4度の波があったことが最初に解説されました。政権が変わりいろいろと混乱が続いていますが、歴史に学べばどうすべきかいずれ賢い選択をとるのではという期待もあります。それに引き換え頑なな日本の移民政策、加えて難民対応は転換を図らなければ、同じ地球住民の責任を果たしたことにはならないばかりか、自滅への道を辿りかねない思いをいだきます。写真は、会場に向かう際に乗車した宇土駅に入線していたフリーゲージトレインです。

清掃活動

恒例の立岡自然公園の清掃活動に参加しました。かれこれここ5年ぐらい出ているかと思います。婦人会主催の事業ですが、嘱託会や民生委員、小学校の児童も参加します。この公園は、桜の名所として有名でしたが、このところは菖蒲やコスモスなど季節に応じた花を楽しめるよう生まれ変わってきています。今度、コメリ系の財団から市へ寄付があったそうです。付近には5世紀後半の舟形石棺が出土した楢崎古墳もあります。

所変われば

先日、鹿児島県霧島市へ出張しました。今さらですが、JRの車窓から見える墓地に屋根があるのに気が付きました。よく学校の自転車駐輪場に設置されているようなスレート葺きの屋根です。目的としては、桜島の降灰除け、供花などが傷まないための日除けがあるようです。同じ県内でも八代あたりでは電球が墓石の上に張ってあるのを見かけた覚えがあります。先祖への思い入れに違いがあって興味深いです。

人は助け合わなければ生きられない

最近、酒席の場で、「障害者を支援するのは無駄。自分が障害者になったら自殺する」と発言する方に遭う機会がありました。そういう発言をするのは不適格な職務に就いておられることもあり、さすがに「それでは先の相模原の殺人犯と同じ考えであり、間違っている」と即座に反論しましたが、まったく応えていないようでした。障害者を厄介者扱いする考え方は、歴史上確かにあり、ナチス政権時代のドイツでは優生学思想に則った断種法が施行されました。しかし、落ち着いて考えればだれでもわかることですが、障害者と健常者に人間としての尊厳の違いがあるのでしょうか。だれしも意図せずして障害をもつリスクがあります。障害をもつゆえの能力もあります。人は助け合いながら生きています。納税の源は消費や雇用があってのことです。障害者は消費や雇用と無縁の世界にはいません。医療や介護の仕事がない社会で人が生きることはできません。それこそ、自殺した人の遺体すらも誰か人の手を借りなければ埋葬すらできないのです。厄介者は、先のあなた自身となりかねない滑稽さを感じました。

事件否定のトンデモ思考の不思議

アパホテルの客室に配置された南京事件否定書籍のおかげで改めて事件について考えるきっかけが生まれました。この事件には、熊本で編成された旧日本陸軍の第6師団第13連隊もかかわっていた史実があります。よく引用されることが多い資料として、熊本日日新聞社発行による『熊本兵団戦史』があり、それには「しかし実際には前述のように四十三万人の中には正規の戦闘行為による戦死者が大部分を占めていると推定される。もし戦闘行為を含むものであれば、第六師団は中国軍にとって最大の加害者であることに間違いはない。北支の戦場において、また直前の湖東会戦において、熊本兵団が敵に加えた打撃はきわめて大で、余山鎮、三家村付近だけでも死屍るいるいの損害を与えていた。のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。これは明らかに正規の戦闘行為によるものである。にもかかわらず中国側は虐殺として取り扱っている。」とあります。最後の一文にある通り、本書の著者の見解は、戦争だから「虐殺」ではないという、郷土兵団への思い入れが相当ありますが、少なくとも相当の殺人があったことは、事実として押さえています。少なくとも万の単位の中国軍人(捕虜、投降兵など)、民間人に対する「虐殺」が存在した、というのは、すでに史実としてつまりプロの歴史家の常識として確定しています。ですから、当時の南京市民が30万人もいないからという理由だけでなかったとか、城内は平穏だったからなかったとかというのは、何が何でも事件を認めたくないという妄想でしかありません。

天草四郎ゆかりの里

昨日は宇土市旭町にある大星で昼食をとりました。ここには写真の看板があります。天草四郎が岩古曽町に今もある如来寺で教育を受けたという記述があります。お寺の役割として宗教施設にとどまらず学校機能があったのだなと思います。さて、きょうは上天草市大矢野町の高校まで行ってきます。

無知と無恥

あるホテルの全客室に、日中戦争中の南京事件について否定的な書籍が置かれていることが、中国で問題視され批判が相次いでいます。この系列ホテルには昨年11月に私も宿泊したことがあり、問題の書籍の配置には気づいていました。一読すると、ホテル経営者である著者の事実を見ずに自己の妄想だけで主張を展開する内容に、苦笑せざるを得ませんでした。ホテル事業で一定の成功を収めた人物にもかかわらず、その思考能力は幼稚で、わざわざ宿泊客に自分の無知さをさらす無恥な人間であるという愚を犯しているとしか思えませんでした。南京事件否定論者は中国側の主張する死者数が過大であることをもってして、事件自体がなかったということにしたがっています。しかし、これはまったく論理が破たんした話です。死者数にかかわらず虐殺が起きたことからどこの国民であれ目をそらしてはならないのです。よく中国に対して日本政府は法の支配や国際法の順守ということを求めます。であるなら、どういう事実があったかということが、出発点になります。事件の一部分だけをとらえて全体を歪めた言動は、法の支配や国際法の順守を理解できる知性をもった人物とみなされないのが常識です。

払えば済むものとそうでないもの

昨日、源泉所得税や法人県民税、法人住民税などを納めてきました。当社の場合、小規模な会社ですからけっして多い額ではありませんが、納めると気分が晴れやかになります。この税金がどうのように活用されていくのか、まさしく政治参加のためのチケットを得たような気分になります。そうかといって、今、日韓において10億円払ったからとか、逆に10億円返すからとかいう話は、不毛の対立を作るだけでいただけない話です。ビジネスではない問題ですから、性急な結論をもとめるのではなく、しばらく静観放置するべきだと思います。

同窓会開会あいさつ

初夢の内容は、公表するに堪えない変なものでした。2日は中学時代の同窓会でしたので、その際に開会あいさつを載せてみます。前日の投稿と異なり言葉がいらない関係も大切にしたいと思います。
【以下、開会あいさつ】
みなさん、こんばんは。幹事を代表して一言ごあいさつを述べさせていただきます。
まずは、昨年の熊本地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
さて、本日の5年ぶりの同窓会には4名の先生方と56名の同級生から出席の返事をいただきました。当初出席の予定だったのがご事情でやむなくご欠席になられた先生方や同級生もおられます。同級生の欠席の回答内容を拝見しますと、親の介護であったり、仕事の都合であったり、本当は出たいけれども現役世代の真っただ中ということがうかがえました。次は絶対出席したいという声も数多くありました。それだけに本日お集りの皆さんすべてに感謝申し上げる次第です。
新年ですから40年前の中学生時代に立ち返り少しアカデミックな話をしたいと思います。ある霊長類学者の方が言っていることですが、最近は同窓会ブームがあるとかで、同窓会の効用として、長い時間をともにした同級生と顔を合わせると信頼関係を取り戻せるのだそうです。現代人は日ごろ仕事や家庭生活でストレスを抱えて安心できない自分がいるから、見返りを求めずただともに時間を過ごすことが、人類の進化の歴史を振り返ってみても、必要なようです。
霊長類ヒト科がまずアフリカでチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたのは700万年前でして、その頃は熱帯雨林の樹の上で生息していました。そして450万年前にサバンナ草原へ進出します。それが世界中へヒトが散らばるきっかけとなります。ついでに言うと、世界中のどの民族も元々をたどれば移民であるわけで、特定の外国人を排除する考えがいかにバカげているか分かるかと思います。
それで、組織される集団の人数に比例して現代人と同じ脳の大きさになったのが60万年前です。集団で安全を守り合う人数は150人程度に増えていて、人が常に信頼関係を持てる人数がだいたいそれと同じなようです。狩猟具を持ったのが50万年前です。大きな獲物を協力して狩るようになったのが20万年前です。ついに言葉を得たのが7万年前になります。つまり、ヒトは孤立していると安心感を持てない生物のようです。そんなわけで、これからもなんとなく同窓会を開いてそのときどき都合がつく同窓生が無理なく寄ってみる程度でいいのかなとも考えております。
今から70年前の日本人の平均寿命は男性50歳、女性54歳でしたが、現在は男性81歳、女性87歳ですので、まだまだ時間はあります。次はどうするか、ゆるゆると決めていったらいいのではないでしょうか。
とにかく、とりあえず今晩のこの時間を大いに楽しんでいただければと思います。みなさんよろしくお願いします。以上です。

不信と分断に対抗する言葉

新年は家族が帰省しているため、一人静かに迎えました。もともと神仏は人によって作られたものですから、そうした施設に行って祈ってみたところで、世界が変わるということはありません。家族がいれば付き添って同行していた初詣を今回はせずに済みました。
昨年はトランプ旋風に代表されるように、社会の不信と分断を感じる年でした。一方で、熊本地震を経験した周囲では自然と助け合う行動も感じました。不信や分断に対抗するものは何かそれは人間の言葉でしかありません。
ここで人類の進化の歴史を振り返ってみると、次にようになります。まずアフリカでチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたのは700万年前。その頃は熱帯雨林の樹上空間が住処でした。そして450万年前にサバンナへ進出します。それが世界中へヒトが散らばるきっかけとなります。現代人と同じ脳の大きさになったのが60万年前。狩猟具を持ったのが50万年前。大きな獲物を協力して狩るようになったのが20万年前。ついに言葉を得たのが7万年前になります。と、ここまでは京大総長の霊長類学者が述べていた受け売りです。ところで日本列島に住むヒトが文字を持つようになったのは人類史のモノサシではずいぶんと最近のことです。
先の霊長類学者は、ヒトは集団でいないと安心感を持てない、安心を得るにはともに時間を過ごすことが必要と言われています。言葉を駆使して人間関係が左右されるのは間違いだとも述べています。
しかし、この比較的新しく得た言葉の力は強いのではないかと思います。神仏も言葉で成り立っています。それを信じるヒトにとっては大きな力です。しかも、言葉は物理的にともに時間を過ごせない相手にも伝えることができます。言葉の力を大いに使ってみます。

2017年のご挨拶

明けましておめでとうございます。WEB年賀状を掲載します。
昨年末の熊本日日新聞と朝日新聞西部本社版の1面トップが、共に水俣病事件史関連資料発見の記事でした。熊日記事は、「水俣病の原因として魚介類が疑われるようになった1950年代後半、行政が魚介類の危険性を知らせた後も漁が続いているとして、熊本大医学部の研究者が被害拡大を懸念した報告書が30日までに見つかった。」というものでした。報告者は水俣病審査会の初代会長などを歴任した故・徳臣晴比古氏で、当時の熊大学長に提出していたものです。熊本地震で散乱した熊本学園大学の書庫資料から見つかったとあります。朝日の記事は、「水俣病の原因企業チッソが、患者への補償で経営危機に陥った1970年代、国が公的支援を決めるまでの詳しい経緯が、同社副社長による内部メモから明らかになった。」というもので、メモをまとめたのは故・久我正一氏。チッソにそのメモは保管されていましたが、その写しをチッソ史の研究者を介して朝日新聞が入手したとあります。それによると、補償費の負担を抑えようと「補償協定の改定、あるいは破棄をせよ」「今のままでは、ザルに水を注ぐがごとしだ」などと、政府高官らが発言していたとされています。
企業の犯罪がやがて行政の犯罪へ拡大していく事実がここにも明らかになっています。1950年代といえばまだ工場排水は停止されていません。1970年代に経営苦境に立ったチッソを潰すなと、正当な補償を求める患者たちが不当な差別迫害を受けていました。その意味では、それを見過ごしてきた、あるいは被害拡大に加担してきた国民の犯罪でもあったというのが、史実からわかってきます。この事件から学ぶものは膨大です。

一人で訪ねてみる

最近は旅行の機会がめっきり減ってしまいましたが、私は基本一人旅が気兼ねすることがないので好きです。一人で訪ねてみないと気づかないことがあります。隣国の韓国を最初に訪ねたのは、1992年でした。宿泊したソウルのホテルの近くにパゴダ公園(現在はタプコル公園と呼ばれています)があり、散策していると年配の男性が日本語で声をかけてくれました。3.1独立運動の惨劇など公園内にあるレリーフの背景について説明してくれました。とにかく日本の青年に話を聴いてもらいたかったようでした。その頃から期間は開きますが、2009年にプサンに行ったことがあります。ちょうど8月15日の光復節にあたる日でしたが、プサンタワーのある公園でいろんな屋台が出ていて、その中に日本の憲兵を描いたボードを的にした射的ゲームもありました。人々の反応を見ると反日感情むき出しのようなことはなく、単純に敵を意味する記号でしかないように見受けました。表層だけで好き嫌いを判断するのではなく、底にあるものについての理解がないと、対応を誤る気がします。

見世物の慰霊は変

28年前の12月にアリゾナ記念館を一人で訪ねた経験があります。私以外、館内は白人ばかりでした。訪問者には、真珠湾を奇襲した卑怯なファシストどもをいかに打ち破ったかという歴史ビデオを視聴させられました。まだ昭和の時代でしたが、白馬に乗って閲兵するエンペラーの映像もありました。上映時間がやたら長く感じられました。湾にかかる虹がきれいなのが救いでしたけど、当時の普段通りの米国の歴史観が理解できた貴重な体験でした。今は流されているのかわかりませんが、政府の人間が大挙してカメラの見世物として訪れても、そこで感じるものは違うものになってしまうのではないかと思います。あたかも支援者のためのアリバイ作りのために、九段下の神社を訪ねるがごとき印象を受けました。慰霊のために訪れたいのなら人知れず行く分には構わないと思います。

日本政治外交史を学ぶ楽しみ

これから読む本は、井上寿一著『教養としての「昭和史」集中講義』(SB新書、800円+税、2016年)です。著者は、現在、私が卒業した学習院大学の学長を務めておられます。ごく短い時間でしたが、昨年大分市で開かれた「学習院公開講演」の後の懇談会でお目にかかったことがありました。慎み深い物腰の中にも、自らが責任を負う大学の将来に対する改革の強い意志を感じました。本書のタイトルには、「教養としての・・・」というあまり上品ではない売り文句が踊っていますが、どのような組織や社会であれ、将来を構想するには歴史に対する謙虚な学びの姿勢、それが教養だと思うのですが、それが必要だと思います。井上学長の専門は日本政治外交史です。私が在学した当時の日本政治外交史はもうお亡くなりになった安井達弥教授でした。高校で履修した日本史は得意科目でもなく縁遠いものでしたが、大学で学んだ歴史は非常に楽しいものでした。安井先生はそれこそ学徒出陣で雨の神宮を行進した経験をお持ちでしたし、その意味でも戦前・戦中の昭和の外交の過ちに翻弄された若者の一人でした。 教養に話を戻すと、事実の裏付けに即した思考ができるかどうかがポイントで、実生活において非常にこれは役に立ちます。SNSの便利な使い方としては、ある人物の見極めに際して、その人物がどのような投稿に食いついているかの判別が容易にできる点があります。はなはだ根拠のないデマ情報に「いいね」を押しているような人物とは距離を置いたほうがいいと思います。