歴史」カテゴリーアーカイブ

5世紀前半頃の古墳出土品が物語るもの

本日1日限定で特別公開された、県内最大級の古墳である長目塚古墳の出土品を拝見してきました。会場は昨年12月に復旧工事が完了した阿蘇神社の斎館です。というか、70年前の発掘調査で見つかった出土品を収蔵しているのは、阿蘇神社です。今年3月にそれらの出土品が熊本県重要文化財に指定されたということでした。埋葬されたのは、35歳くらいの女性で、当時の豪族の阿蘇氏の一族とみられています。勾玉、ガラス玉、鏡、鉄製品などが出土していますが、銘文とかはありません。須恵器といった土器文化の時代であることもうかがえます。考古学は科学ですから、これらの物証だけでいっても、かたや祖先を神話の世界のおとぎ話からもってきている神社の立場は、今度の公開とどう両立させているのか、たいへん興味深いものがありました。

歴史のイロハ

昨日は、所属団体の研修受講で帰化申請と特定技能について学びました。前者については進めていくことが重要だと思います。しかし、後者についてはこの先不透明な制度だと考えています。社会を支えてくれる貴重な人材(労働者)として受け入れるだけでなく、社会に定着して共に生きる住民(生活者)として受け入れるべきだと思います。つい2000年前までは、文字すらもたなかった日本(その頃は日本という成り立ちもなかったわけですが)が今日のような形になったのも海外からいろんな人材や文化・技術を取り入れてきたからこそです。ここを無視して伝統だのいっても底が浅い歴史認識を示すことにほかなりません。もっとも移民で成り立っている米国でも分断傾向が見受けられるのは、知的劣化としか言いようがありません。

規範の始まり

東京国立博物館で開催中の特別展「三国志」が10月には九州国立博物館へやってきます。大いに関心はあるのですが、とりあえず古典中国の研究者である渡邉義浩氏による『漢帝国』(中公新書、880円+税、2019年)を読んでいます。帝国の規範となる『史記』などの書物の存在を面白く思いました。皇帝を諫める存在でもあり、忖度される存在でもあり、現在の権力と憲法・法律・公文書との関係に近しいものを感じました。氏族制を排除する考え方もあり、天子と皇帝の据え方についての考え方も面白く読みました。漢帝国の時代の思考と行動がそのまま現代の中国に影響しているとは思いませんが、文化的背景で引きずる点はあるかもしれません。西洋哲学と古典中国のどちらの文化からも、内政と外政へのうまい制御の仕方が学べるはずです。素養として必要だと思います。

皇軍兵士の置かれた実態をさらす良書

昨日買った吉田裕著『日本軍兵士』(中公新書、820円+税、2017年)は、その日のうちに2時間余りで読了しました。国力が疲弊する中で、装備も兵士の身体も貧弱になり、精神的損傷の実態も明らかにされています。出撃する航空機搭乗員に対して繰り返し覚せい剤が使用された証言も載っています。こうした分野の研究は、著者自身が述べるように戦後のある時期まで空白に近い状況でしたし、年数が経つほどに今度は当事者や資料が失われることとなり、困難な環境になっています。私が手にした本の奥付を見ると、2017年12月の初版以来、今年2月で15版を重ねていますから、皇軍兵士の置かれた真実を知りたいという読者はかなりいたことがわかります。もちろん、装備や武器の性能が優れていたら、それでいいというものではありません。戦争の渦中に置かれれば、誰しもが不幸になる史実こそを知るべきだと思います。

お盆の読書計画

『〈自閉症学〉のすすめ』の読書は、遅々として進みません。いろんな分野の学問を俯瞰的に眺めることができるので、発見の多い本です。味わいながら読み進めることとします。こんなときは、別の新書本を間に入れることもあります。吉田裕著『日本軍兵士』(中公新書、820円+税、2017年)と渡邉義浩著『漢帝国』(中公新書、880円+税、2019年)を本日買い求めました。いずれの著者もごく最近新聞やTVに出ていたからです。

定型発達のワナ

昨日から読み始めた本は、野尻英一・高瀬堅吉・松本卓也編著『〈自閉症学〉のすすめ』(ミネルヴァ書房、2000円+税、2019年)です。たまにおじゃまする各地の学校にも最近は配慮を必要とする子どもが多いと聞くのですが、短時間の滞在では気づくこともありますし、どちらかといえば気づかないことが多いようにも思います。発達障害の対極が定型発達なのでしょうが、定型発達というのもたまたまそれが多数派を占めた定型と見なされる社会があればこその話で、社会が変われば、発達障害とされる行動も異なることになります。つまり多数派の行動を常識と捉えるのは疑ってみた方がいいと思います。
話しは変わりますが、日韓の政権同士の不和がそれだけにとどまらず日韓の国民同士の交流にも悪い影響を与えているのを憂慮しています。根底には徴用工への補償をめぐってお互いの政権が言わなくてもいいことを語り、敵を作ることで政権の浮揚を図る危険な運営を続ける思慮のなさを覚ええます。輸出管理についても報復と捉えられる行動に走ったのは、大人げなかったと思います。仮に輸出管理に問題があったのであれば、国ごとの対応ではなくて、許可対象ごとの対応をとればいいだけの話で、本来の目的よりも違う意味を持たせる結果となり、信頼の回復を遠のける形となりました。
表現の不自由展の中止もたいへん残念なことでした。自分が見たくないものを人にも見せるなという了見の狭い人がいるものだと思いました。寄ってたかって嫌がらせを行うのではなく、見たくないのであれば見なければいいだけだと思います。展示された作品の実物を見たことはありませんが、報道で知る限り日本がひっくり返るほど衝撃的な作品だとは思えません。何を恐れているのかと思います。
古今東西近しい関係だからこそ、対立が生まれることがあります。冷静さを欠くと大義や利益をしばしば失うことを忘れてはなりません。

菊池千本槍

今週、菊池市を訪ねる機会があり、地元の菊池女子高校郷土芸能部の生徒による「菊池千本槍」の演舞を鑑賞しました。初めて耳にした言葉でしたが、元ネタは、南北朝時代の逸話に遡るようです。箱根・竹ノ下の戦いにおいて劣勢となった南朝方の菊池氏勢1000名が、竹竿の先に短刀を縛り付けた即席の槍を用いて逆撃に転じ、相手方の足利勢3000名を敗走させたとのことで、「劣勢の側が創意工夫を以って多勢を征する」ことの例として、武家の精神を表すシンボルになったようです。この逸話は、太平洋戦争の戦意高揚にも利用されていたことも知りました。松尾敬宇海軍大尉が先祖伝来の菊池槍を携行して特殊潜航艇によるシドニー港攻撃に臨んで戦死し、軍神・松尾中佐となったことを描いた、戦中の1944年大映製作の映画『菊池千本槍シドニー特別特攻隊』(菊池寛監督)にもその名が使われています。

80年近く前の史実

まだ読みかけですが、クリストファー・R・ブラウニング著『普通の人びと ホローコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫、1600円+税、2019年)に収められた記録は、まだ80年経っていないポーランドや旧ソ連地域で起きた史実です。ユダヤ人殲滅に携わったドイツ人たちの蛮行と苦悩がこれでもかというぐらいに記されています。殺される側の個々の顔や思いは一切出てきません。ただ殺される数だけが書かれています。人を殺すということは取り返しのつかない犯罪ですが、ある日狂った政治が実権を握ると、こうした愚かな行いに普通の人が巻き込まれていく恐ろしさが実際にあるということを知っておかなくてはなりません。当時の生き延びたユダヤ人の記録としては、イレーナ・パウエル著『ホロコーストを生き抜く』(彩流社、4600円+税、2018年)をお勧めします。

良書は脳の食べ物

良書は脳の食べ物という気がします。現実の食べ物、いわゆる美食趣味への関心はありません。昨日は、鹿児島へ行った帰りに駅ビル内の書店で以下の2冊を入手しました。松村圭一郎・中川理・石井美保編『文化人類学の思考法』(世界思想社、1800円+税、2019年)と、クリストファー・R・ブラウニング著『普通の人びと ホローコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫、1600円+税、2019年)です。いずれも今春刊行された地味な分野の本ですが、前者は3刷、後者は2刷を重ねているので、意外でした。人間が人間のことを学びたい欲求にはある程度の市場があるかもしれません。

出たとこ勝負のスピリット

第1回宇土市民会館講座が本日同館大ホールであり、熊本県立劇場館長の姜尚中氏の講演を聴いてきました。地域(姜尚中氏の場合はやはり熊本だそうです)の文化や伝統への愛着があふれる温かいお話しでした。根底にあるのが、現在の日本に地域の格差が生まれ、それが文化の格差となり、人の格差につながっている流れを止めなければという思いでした。かつての日本は人口当たりの新聞購読部数の多さに代表されるようにリテラシーの平均値が高く、日本の力は地域でつくられている側面がありました。現在の東京など大都市圏一極集中は、過去の人々つまり死者がつくった恩恵によって生かされているわけですが、かつての保守政治家が持ち合わせていた文化伝統に対する感謝や均衡ある発展が無視されている発想を危惧されていました。一方で自然災害あるいは一極集中という社会災害には、予測不可能な面もあって、ユダヤ人の生きる知恵としてある旧約聖書の「すべての業(わざ)には時がある」という思いも持っておられました。そうした予知できないときの出たとこ勝負のスピリットを忘れてはならない、それを支えるのが文化であり、文化の力が人間の復元力というまとめでした。途中で難関大学における首都圏出身者の比率の高さや港区の所得の高さの話も出ましたが、給与生活者ではなかった姜尚中氏の父母がもっていた出たとこ勝負の最後のたくましさが印象に残りました。以上は姜尚中氏の話の順番を変えて再構成した私のメモであることを断っておきます。写真は、講演とはまったく関係のない宮崎県日向市の大御神社境内から見える柱状節理です。

奇岩観察

先日、宮崎県を訪れる機会がありました。奇岩のあるところはだいたい自然信仰が発生する場所なのかもしれません。祈願よりも奇岩観察が楽しい時間となりました。昇り龍に見えるらしい大御神社近くの鵜戸神社の前から海を側を見た風景。やや肥って撮れました。

肥前陶磁の美

10連休の最終日、八代市立博物館未来の森ミュージアムで開催中の展覧会「肥前陶磁の美」を鑑賞してきました。展示品は、私も過去2度訪れたことのある佐賀県立九州陶磁文化館の所蔵品となっていて、唐津焼、有田焼、鍋島藩窯および長崎の諸窯の名品ばかりで、贅沢な時間を堪能できました。これらの陶磁文化の歴史をさかのぼると、朝鮮半島出身の陶工たちの高い技術力に負うところが大きいです。色絵磁器の有田焼については、遠くヨーロッパに盛んに輸出されました。渡来人に学び産業力を高める歴史は現在にも通用する手法だと思います。このところの騒動のタネとなった新元号も国書由来と強調するのはバカらしいことで、中国古典が下敷きにあることは否定できません。もっと言えば元号制度そのものが中国の王朝の模倣であるのは否定できないと思います。それを認めないというのは、よほど歴史を知らないか知ろうとしない人であって、そうした人の言説は信用ならないものと見極められる簡単な指標だと思います。

無知を晒すとはこのこと

宇土市戦没者合同慰霊祭に今年も出席しました。初めて参加した昨年の来賓慰霊の辞において、県知事(代読)は「異境の地で斃れ」、県議は「異国の地で斃れ」、市議長は「国の内外において斃れた」という表現がありましたので、今年はどうなっているか、注意しながら聴きました。はたしてこの三者の今年の表現は、昨年とまったく同じでした。戦争の犠牲者を思うのであれば、戦闘員だけでなく、非戦闘員の死も抜きにしてはなりません。実際に空襲で命を落とした国民も多いですし、沖縄戦の例ひとつをとってみても、けっして戦争は異境や異国の地でしか起きなかったとは言えないはずです。その意味で、市議長の慰霊の辞の認識は正しく、慰霊祭の場において戦争の実態、歴史的事実を正しく捉えずに県知事や県議が、毎度無知な言葉を吐くのは遺族としても腹立たしい限りでした。

熊本大空襲の記録

熊本大空襲とは、太平洋戦争下の1945年7月1日午後11時50分から2日午前1時半にかけて、米軍のB29爆撃機154機が熊本市上空から焼夷弾を投下し、水前寺、大江、新市街地区など、熊本市内約3分の1を焼失した、当時最大規模の戦災です。死者469人、けが人552人、1万戸以上が被害に遭ったといわれていわれています。その年の春まで母の一家は、水前寺に暮らしていたのですが、母の姉が近くの女学校へ進学しないことと、放送局勤めの人からの情報で熊本市内は危ないということで、祖父の実家である不知火町へ移ったため、難を逃れたそうです。母たちが使っていた水前寺の防空壕に避難した人は、そのときの空襲で亡くなったそうでしたから、74年前にこの世から母がいなくなることは十分ありえました。受験の話からこの空襲の逸話を母がきょう話してくれましたので、書き留めておきました。

入場無料の博物館

一昨日、東京大学総合研究博物館を初めて訪ねました。早朝に地元を発って10時過ぎには到着することができます。モースが発掘した現在の氷川町にある大野村貝塚から出た土器の形状をみると、素人ながらかつて自宅庭から出た土器に近い形状です。歴史のつながりを感じます。大学を訪れる海外観光客が多いのに驚きました。

明治天皇の聖蹟を歩く

明治神宮国際神道文化研究所主任研究員の打越孝明氏の著書『明治天皇の聖蹟を歩く 西日本編』(KADOKAWA、1800円+税、2018年)が、昨日、母の手元に送られてきました。昨年、著者の打越氏が、私の自宅近所にある明治天皇聖蹟を取材で訪ねてこられたときに、母が協力したからでした。巻末の取材協力先リストにも母の氏名が掲載されていました。出版社の書籍紹介記事は、以下の通りです。「明治神宮鎮座100年記念出版! 国民の生活に接し、日本を知るため。人々の心を一つにするため。偉大なる旅路の足跡をたどる、決定版の一冊。 本書では近畿、北陸、中国、四国、九州、以上の地域における明治天皇の行幸の足跡をまとめた。 各地を実際にフィールドワークし、現代も残る宿舎や記念碑、語り継がれるエピソードなどをこの一冊に集約。また行幸がなかった県についても、明治天皇ゆかりの事跡をまとめている。現在の様子や当時の様子がわかる写真を、オールカラーでふんだんに収録している。」

戸籍は戸籍

昨日必要があって父方の祖父母の除籍謄本を請求しました。すると、私の次男の今年の誕生日がちょうど祖父母の結婚100周年にあたることが分かりました。祖父母から4代目の今日に至る時間の始まりが100年前にあったのかと感慨深いものがありました。その祖母は、亡くなる1年前、つまり結婚49年の年に金婚式をしています。戸籍では、49年前かもしれませんが、当人らはさらにその1年前に結婚したのかもしれません。祖母については、出生日も実際は戸籍よりは2、3年早かったようです。それは、出生時に祖母の父が当時ブラジルに渡っていたからだそうです。そのため、小学校では年下の子どもと同級生だったので、徒競走も学年で一番速かったという話が遺っています。戸籍は戸籍ですが、なんにつけ当時はおおらかなものでした。

史実を確認することから始まる

11月23日の朝日新聞オピニオン面「耕論」コーナーで、「元徴用工判決を考える」をテーマに3人の識者のインタビュー記事が掲載されていました。中でも当時の動員の実態をよく知る歴史家の意見がもっとも共感できました。確かに相手方が軍事独裁政権であったとしても政府間の約束事は重要でしょうが、人権を蹂躙したことに対する向き合い方は、それを上回る国際正義の問題として考えるのが、名誉ある日本国民としての自負ではないかと思います。それを踏まえると、日本政府の反応は声高過ぎてかえって円満な解決を遠のかせてしまいかねません。

流転の海を読み終えて

作家・宮本輝氏が37年をかけて執筆した『流転の海』の完結編第九部を昨日読み終えました。主人公である71歳の父は、息子が21歳を迎えて亡くなります。私自身も来月に長男が21歳となりますので、作品の父子の関係、距離感には近しい思いを持てました。今は、日本統治下の海外での暮らしや戦場経験もある主人公ほど激動の日常があった時代ではないにしても、一人ひとりの人生史にはさまざまなドラマがあるのを、感じましたし、社会や家族の中でどういう人間関係を築いて生きるべきかを絶えず考えさせられる作品でした。これで、もうこの物語の先はないことの虚無感と満足感とがないまぜになった思いを抱きながら、あっけなく長い読者としての役割も終えました。

多文化共生について

﨑津集落などが世界文化遺産の登録決定となった大きな理由の一つは、キリスト教、仏教、神道のそれぞれを信仰する人との共存もあったということです。いわばエルサレムのような場所で衝突がなく暮らしたことそのものが文化ということなのでしょう。宗教対立が生死にかかわる戦争・紛争に至った愚かな史実はキリがありません。このことは学ぶべきことです。