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三国志展鑑賞

最も目を引くのはやはり美麗な関羽像でしょうか。神格化極まりないとはこのことと思わせられます。後世の人たちの期待値の高さがうかがえます。特別展以外で同時代の日本の文明を知るのも有益だと思います。会場でもインターネットでも楽しめる武将メーカーを試してみるのもいいかと思います。

奴隷制と日韓関係

植村邦彦著の『隠された奴隷制』では、当然のことながら奴隷制の歴史が紹介されています。たとえば、古代ギリシア・ローマがありますし、米大陸ではイギリスが奴隷制を廃止したのが1833年、そのイギリスから独立したアメリカ合衆国の南部では1865年まで奴隷制が存続していました。およそ150年前のことです。
そして日本が奴隷制と無縁であったかというと、けっしてそうではありません。植民地化した朝鮮半島出身者を徴用工としてまさしく奴隷的な強制労働に従事させました。慰安婦という性奴隷の史実も否定することはできないと考えます。確かに国家と国家は平等の立場ですからその国同士が結んだ条約は有効ではあるでしょう。しかし、現実問題として、締結当時の力関係・国際状況はどうだったのか、もともとの不正義はどちらにあったのか、そこを踏まえる思考は必要です。奴隷的扱いを強いていた側が国の約束は約束だとして、個人の慰謝料請求権(しかもそれは国に対してではなく企業に対しての)に対して過剰反応するのは名誉ある行為とは思われません。かえって相手の尊厳を傷つけることになったのは、あまりにも賢くありませんでした。

古典の読み方

まだ読んでいる途中ですが、植村邦彦著の『隠された奴隷制』(集英社新書、880円+税、2019年)は、たいへん面白いです。帯広告に、「自由」に働く 私たちは なぜ「奴隷」に すぎないのか? と衝撃的なコピーが踊っていて何かキワモノ感が出ていますが、中身はいたってアカデミックな社会思想史の本です。奴隷制を手掛かりに近代思想の流れを見せてくれます。何がアカデミックかというと、それぞれの思想家の古典の原本にあたり、当時の社会状況や思想家個人の交流体験まで追いかけて読者に提示してくれるからです。普段の生活に追われる読者は、こうした知的作業を行う時間も能力もありません。だから、唐突にも思える奴隷制の存在が思想家に与えた影響を考える視座を得ることもありません。古典の読み方を深くしてくれ、一層思想家個人に対する理解も深めてくれる良質なガイドに出会えたことを感謝できます。外食や車での移動を控えてこうした本に接することがぜいたくです。

聴講覚え書き

手元に読みたい本がないとき、インターネットラジオの放送大学講座を聴きます。タイムフリーで聴ける講座は限られていますが、面白そうな講座名を手掛かりにランダムに聴講します。といっても真剣に聴いているわけではないので、まったく内容が記憶に残らないこともしばしばです。昨夜聴いて記憶に残ったのは、「うつ病」と「古事記」の話でした。うつ病患者が増えた原因としては、3つほどあり、まず診断できるクリニックが増えたこと、うつ病の定義が拡大したこと、家族や地域の受容力の変化が挙げられます。薬や休養で治る率も高いですが、休養自体がとれない生活環境に患者が置かれることもしばしばです。家庭や学校・職場といった人間関係を育む場所自体がストレスの根源ということもあります。ザ・サードプレイス、ヒト薬という考え方も示されていました。古事記については、その編纂時期が西暦で言うところの700年代ということですから、三国志時代よりもずっと後。当時の皇統の一つ二つ前の代については、歴史といえますが、さらにその前となると物語、まさしく神話の世界となります。その意味では、ヤマトの歴史もずいぶん浅いものであんまり伝統など強調しても近隣の世界から見ると滑稽だなという気持ちになります。

人権擁護について学ぶ

人権擁護委員に委嘱されたのを機会に改めて人権擁護について学び直してみたいと思います。順序が逆ではないかといわれるのはよく承知していますが、何事もその立場や環境に置かれないと、我が事として理解すること、身に付くことはないと思います。たとえば、行政書士という資格も試験に合格した人は有することができますが、それでは実務ができるかというとまったくそんなことはありません。依頼者にとってその案件が初めての経験であるのと同様に、専門家にしても初めての事例ということはありえると思います。人権擁護委員は、法務大臣が委嘱した民間の人達で、人権擁護機関を構成する一翼を担っています。人権擁護委員制度は、様々な分野の人たちが、地域の中で人権尊重思想を広め、住民の人権が侵害されないように配慮し、人権を擁護していくことが望ましいという考えから1948年(昨年が70周年)に創設されたものであり、諸外国にも例を見ないものです。現在、約14000名の委員が全国の各市町村に配置され、地域に密着した積極的な活動を行っています。ちなみに人権という言葉が日本でも知られるようになったのには、世界人権宣言第1条の存在が大きいと思います。それには、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」とあります。つまり、国籍を問わない共通テーマです。

迷惑な人たちをどう更生させるか

地元紙の読者投稿欄には、ときおりトンデモ論がよく載ります。先日も中国により沖縄が侵略されると書かれた駄文が紙面を汚していました。たぶん沖縄のローカル紙でこうした投稿が載れば(投稿者の人権擁護の観点から載ることはないでしょうけど)、投稿者の知性がまず疑われると思います。現在の沖縄がかつて攻められて占領を受けたことがあるのは、中国からではなく、日本(琉球処分)と米国からだけです。太平洋戦争当時の沖縄では県民の4人に1人が犠牲となりましたが、住民が日本軍(スパイ容疑や壕からの追い出し)や米国軍に殺された史実はありますが、中国軍に殺された史実はありません。外国人を排斥する輩には、安田浩一著『愛国という名の亡国』(河出新書、880円+税、2019年)をぜひ読んでもらいたいと思います(たぶん読む勇気はもってもらえないかもしれませんが)。ヘイトスピーチに乗る人の知性の欠落がよく描かれていると思います。誰しもが発言できる自由な社会は保障されなければなりませんが、たとえば不都合な史実を知らずに、フェイク情報を拡散するようなことは、社会の発展のためにはならない非常に迷惑な行為です。多くの場合、匿名でそれらの行為がなされており、更生してもらうのが困難であることも事実です。本書では、著者による反論に答えられるだけの知性をもたない人たちの一端が明らかにされています。

人類史でちょっと考えてみよう

SNSで誰もが発言できるようになった分、自らの知性の欠落を示す発言を目にすることがよくあります。たとえば、隣国との友好を口にすることは、純粋な日本人ではないという書き込みを目にしました。ナチス時代のユダヤ人認定がばかげたことであったように、しばしば民族浄化の思想には人類史の視点を欠いた根拠のない思い込みで愚民を翻弄する傾向があります。結論から言えば、純粋な日本人なるものは、存在しません。もしあるというなら、他の惑星で発生した生命体が、まったく交流のない島で暮らしているのでもない限りあり得ない話です。そもそも日本というのが、いつの時代からどこからどこまでの土地を指してあったのか、それすらも明確に定めることはできないでしょう。すべてはあいまいです。かなり時代を下って縄文人も弥生人も日本人というのなら、それだけで純粋な日本人はいないという話になります。誰でも発言できること自体はいいのですが、民族浄化思想、ヘイト思想に染まる人は、こうしたたやすく矛盾が指摘されるウソを見破れないというか、インターネット上の根拠のない情報を信じやすい愚民といって差し支えないと思います。

知恵者はいないのか

日韓問題をめぐるTVコメンテーターの発言の多くを聴いていると、場当たり的な発言が多く、報道の後追いで事態を大げさに煽ることで存在感を高める手合いがほとんどです。中には一度謝罪したら後はどうでもいいみたいな短絡的発言もあり、国家間の付き合いだけでなく生活者の付き合いでもそれは破たんするだろうという思慮のなさを露呈しています。放っておくしかない的な発言にいたっては、自ら無能である旨を示しているのにほかなりません。その場の一時の感情ではなく、歴史や哲学、精神分析、心理学、その他の知恵を借りて対話することが必要です。無用な対立でさまざまな利益を失わさせていること自体が、最大の裏切りです。

伝統は疑ったがいい

新卒一括採用、定期人事異動、定年制などの原型は明治時代の官庁から生まれたことが、小熊英二著の『日本社会のしくみ』に書かれています。つまり、雇用慣行は、せいぜい150年の伝統しかないわけです。なんでも伝統を言い訳にされるときには、疑ってみたがいいと思います。

売買と賃貸借に関する民法改正

昨日は他の士業団体主催の研修に参加しました。テーマは民法改正とあって関心が高く、当初の定員400名を上回る600名近くの出席者がありました。こちらの団体は、会員外にも門戸を開いており、前にも参加したことがありました。今年は自身の所属団体の研修責任者を務めていることもあり、運営の視点からも参考になりました。
肝心の民法改正の背景として法律そのものが国民に分かりにくくなっており、これに120年間積み上げられてきた通説・判例を条文に書き込み、条文を読めば国民に分かってもらえるようにするというのがありました。そういえばそうだなと思います。法律が法律を理解するプロだけのためにあり、本来守られるべき国民にとって分かりにくいものであるということを当然のこととして受け入れてしまっているのは良くないことだと思いました。
写真は、記事とは関係ありません。

親近感を持てる同世代の著者の一人

小熊英二氏の著書『日本のしくみ』(講談社現代新書、1300+税、2019年)を初めて読みます。同氏の論考は、これまでよく新聞で目にしていました。さまざまな構造分析に秀でていて地頭がいい方だなあという印象をもっています。以前、水俣病センター相思社を訪ねてこられたとき、そのまま維持会員登録をしていただいたと聞いています。研究者である前に普通の生活感覚を持っておられる人だと思います。その印象が強いのは、同氏がかつて勤務されていた岩波書店が出している月刊誌の『世界』で、自身の父親の半生を描いた連載を読んだことがあったからです。この連載は『生きて帰ってきた男』として書籍化されていますが、読んで戦後の人々の暮らしの雰囲気が伝わり、懐かしさを覚えます。もっとも、同氏の父親は抑留体験を持ち、大学職員やスポーツ店経営の経験があります。東京郊外に住み、家庭を持ちます。二人の息子のうち、同氏の兄にあたる長男は中学時代に亡くす不遇もあります。何がいいたいかといえば、ごく普通の生活者の体験が社会のあり方を考える際に不可欠なのではないかと思います。最初からいわゆる勝ち組、それも本人の能力ではなくて何の苦労もない生活に浸りきっていて、社会をどう変えていくべきか考えつくだろうかと思います。

5世紀前半頃の古墳出土品が物語るもの

本日1日限定で特別公開された、県内最大級の古墳である長目塚古墳の出土品を拝見してきました。会場は昨年12月に復旧工事が完了した阿蘇神社の斎館です。というか、70年前の発掘調査で見つかった出土品を収蔵しているのは、阿蘇神社です。今年3月にそれらの出土品が熊本県重要文化財に指定されたということでした。埋葬されたのは、35歳くらいの女性で、当時の豪族の阿蘇氏の一族とみられています。勾玉、ガラス玉、鏡、鉄製品などが出土していますが、銘文とかはありません。須恵器といった土器文化の時代であることもうかがえます。考古学は科学ですから、これらの物証だけでいっても、かたや祖先を神話の世界のおとぎ話からもってきている神社の立場は、今度の公開とどう両立させているのか、たいへん興味深いものがありました。

歴史のイロハ

昨日は、所属団体の研修受講で帰化申請と特定技能について学びました。前者については進めていくことが重要だと思います。しかし、後者についてはこの先不透明な制度だと考えています。社会を支えてくれる貴重な人材(労働者)として受け入れるだけでなく、社会に定着して共に生きる住民(生活者)として受け入れるべきだと思います。つい2000年前までは、文字すらもたなかった日本(その頃は日本という成り立ちもなかったわけですが)が今日のような形になったのも海外からいろんな人材や文化・技術を取り入れてきたからこそです。ここを無視して伝統だのいっても底が浅い歴史認識を示すことにほかなりません。もっとも移民で成り立っている米国でも分断傾向が見受けられるのは、知的劣化としか言いようがありません。

規範の始まり

東京国立博物館で開催中の特別展「三国志」が10月には九州国立博物館へやってきます。大いに関心はあるのですが、とりあえず古典中国の研究者である渡邉義浩氏による『漢帝国』(中公新書、880円+税、2019年)を読んでいます。帝国の規範となる『史記』などの書物の存在を面白く思いました。皇帝を諫める存在でもあり、忖度される存在でもあり、現在の権力と憲法・法律・公文書との関係に近しいものを感じました。氏族制を排除する考え方もあり、天子と皇帝の据え方についての考え方も面白く読みました。漢帝国の時代の思考と行動がそのまま現代の中国に影響しているとは思いませんが、文化的背景で引きずる点はあるかもしれません。西洋哲学と古典中国のどちらの文化からも、内政と外政へのうまい制御の仕方が学べるはずです。素養として必要だと思います。

皇軍兵士の置かれた実態をさらす良書

昨日買った吉田裕著『日本軍兵士』(中公新書、820円+税、2017年)は、その日のうちに2時間余りで読了しました。国力が疲弊する中で、装備も兵士の身体も貧弱になり、精神的損傷の実態も明らかにされています。出撃する航空機搭乗員に対して繰り返し覚せい剤が使用された証言も載っています。こうした分野の研究は、著者自身が述べるように戦後のある時期まで空白に近い状況でしたし、年数が経つほどに今度は当事者や資料が失われることとなり、困難な環境になっています。私が手にした本の奥付を見ると、2017年12月の初版以来、今年2月で15版を重ねていますから、皇軍兵士の置かれた真実を知りたいという読者はかなりいたことがわかります。もちろん、装備や武器の性能が優れていたら、それでいいというものではありません。戦争の渦中に置かれれば、誰しもが不幸になる史実こそを知るべきだと思います。

お盆の読書計画

『〈自閉症学〉のすすめ』の読書は、遅々として進みません。いろんな分野の学問を俯瞰的に眺めることができるので、発見の多い本です。味わいながら読み進めることとします。こんなときは、別の新書本を間に入れることもあります。吉田裕著『日本軍兵士』(中公新書、820円+税、2017年)と渡邉義浩著『漢帝国』(中公新書、880円+税、2019年)を本日買い求めました。いずれの著者もごく最近新聞やTVに出ていたからです。

定型発達のワナ

昨日から読み始めた本は、野尻英一・高瀬堅吉・松本卓也編著『〈自閉症学〉のすすめ』(ミネルヴァ書房、2000円+税、2019年)です。たまにおじゃまする各地の学校にも最近は配慮を必要とする子どもが多いと聞くのですが、短時間の滞在では気づくこともありますし、どちらかといえば気づかないことが多いようにも思います。発達障害の対極が定型発達なのでしょうが、定型発達というのもたまたまそれが多数派を占めた定型と見なされる社会があればこその話で、社会が変われば、発達障害とされる行動も異なることになります。つまり多数派の行動を常識と捉えるのは疑ってみた方がいいと思います。
話しは変わりますが、日韓の政権同士の不和がそれだけにとどまらず日韓の国民同士の交流にも悪い影響を与えているのを憂慮しています。根底には徴用工への補償をめぐってお互いの政権が言わなくてもいいことを語り、敵を作ることで政権の浮揚を図る危険な運営を続ける思慮のなさを覚ええます。輸出管理についても報復と捉えられる行動に走ったのは、大人げなかったと思います。仮に輸出管理に問題があったのであれば、国ごとの対応ではなくて、許可対象ごとの対応をとればいいだけの話で、本来の目的よりも違う意味を持たせる結果となり、信頼の回復を遠のける形となりました。
表現の不自由展の中止もたいへん残念なことでした。自分が見たくないものを人にも見せるなという了見の狭い人がいるものだと思いました。寄ってたかって嫌がらせを行うのではなく、見たくないのであれば見なければいいだけだと思います。展示された作品の実物を見たことはありませんが、報道で知る限り日本がひっくり返るほど衝撃的な作品だとは思えません。何を恐れているのかと思います。
古今東西近しい関係だからこそ、対立が生まれることがあります。冷静さを欠くと大義や利益をしばしば失うことを忘れてはなりません。

菊池千本槍

今週、菊池市を訪ねる機会があり、地元の菊池女子高校郷土芸能部の生徒による「菊池千本槍」の演舞を鑑賞しました。初めて耳にした言葉でしたが、元ネタは、南北朝時代の逸話に遡るようです。箱根・竹ノ下の戦いにおいて劣勢となった南朝方の菊池氏勢1000名が、竹竿の先に短刀を縛り付けた即席の槍を用いて逆撃に転じ、相手方の足利勢3000名を敗走させたとのことで、「劣勢の側が創意工夫を以って多勢を征する」ことの例として、武家の精神を表すシンボルになったようです。この逸話は、太平洋戦争の戦意高揚にも利用されていたことも知りました。松尾敬宇海軍大尉が先祖伝来の菊池槍を携行して特殊潜航艇によるシドニー港攻撃に臨んで戦死し、軍神・松尾中佐となったことを描いた、戦中の1944年大映製作の映画『菊池千本槍シドニー特別特攻隊』(菊池寛監督)にもその名が使われています。

80年近く前の史実

まだ読みかけですが、クリストファー・R・ブラウニング著『普通の人びと ホローコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫、1600円+税、2019年)に収められた記録は、まだ80年経っていないポーランドや旧ソ連地域で起きた史実です。ユダヤ人殲滅に携わったドイツ人たちの蛮行と苦悩がこれでもかというぐらいに記されています。殺される側の個々の顔や思いは一切出てきません。ただ殺される数だけが書かれています。人を殺すということは取り返しのつかない犯罪ですが、ある日狂った政治が実権を握ると、こうした愚かな行いに普通の人が巻き込まれていく恐ろしさが実際にあるということを知っておかなくてはなりません。当時の生き延びたユダヤ人の記録としては、イレーナ・パウエル著『ホロコーストを生き抜く』(彩流社、4600円+税、2018年)をお勧めします。

良書は脳の食べ物

良書は脳の食べ物という気がします。現実の食べ物、いわゆる美食趣味への関心はありません。昨日は、鹿児島へ行った帰りに駅ビル内の書店で以下の2冊を入手しました。松村圭一郎・中川理・石井美保編『文化人類学の思考法』(世界思想社、1800円+税、2019年)と、クリストファー・R・ブラウニング著『普通の人びと ホローコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫、1600円+税、2019年)です。いずれも今春刊行された地味な分野の本ですが、前者は3刷、後者は2刷を重ねているので、意外でした。人間が人間のことを学びたい欲求にはある程度の市場があるかもしれません。