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無知は無恥

台湾出身で日本在住の芥川賞作家の李琴峰さんが、本日の朝日新聞国際面で台湾の人々の政治意識を語る中で、日台の関係はいびつだと指摘していました。日本国内の保守派による台湾に関する言説についても冷ややかに捉えてました。やや長い引用となりますが、次のように述べています。「日本の保守派はよく「台湾が好き」と言いますが、その言説を観察すると「日本の植民地時代のおかげで台湾が近代化した」「だから台湾人は日本が好き」などと紋切り型の表現を使います。植民地支配の歴史を正当化するために台湾を都合良く使っているだけではないでしょうか。」。台湾の人々が抱く日本の工業製品や文化商品に対する親しみの感情は確かにあると思います。しかし、かつて日本の植民地であったことを良かったと考える台湾人は皆無に近いのではないでしょうか。統治対象であった本省人の末裔もいれば、日本の侵略対象となった中国本土から渡ってきた外省人の末裔もいるのですから、容易に解りそうなものですが、あたかも植民地統治時代からも台湾の人々が「親日」的だと都合良く考える日本人がいたとしたら、無知で無恥だと言わざるを得ません。
もっとも、台湾の人々の中にも、日本との政治的あるいは経済的な協力関係を重視するあまり、リップサービスで「親日」を強調する向きがあるかもしれません。今週、熊本県内の技能実習生監理団体で働くインドネシア人の方の話を聞くセミナーの機会がありました。イスラム教の戒律をめぐる情報は非常に役立ちましたが、それと共にインドネシア独立の際にオランダと闘った残留日本兵の存在を引き合いに、その方がインドネシア人の「親日性」を語ったので、他の無知な受講者をミスリードしないかと気になりました。
1942年3月から1945年8月までの日本軍による軍政下におけるインドネシア人に対する非道な支配の犠牲者は国連の報告によると約400万人といわれます。そういう史実を知らないまま相手先の人々に接すると恥をかくことを忘れてはならないと思います。30年以上前に一度インドネシアを訪ねたことがあります。日本軍による多くの犠牲者が眠る場所近くは下車する勇気がなくタクシーで付近を通ってもらって眺めるだけにしました。
写真は、ジャカルタ市内。1991年7月撮影。

知事の顕「過」碑も必要では

本日(3月14日)の朝日新聞「耕論」では、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」から朝鮮人追悼碑を今年1月末に撤去した群馬県の過ちについて3人の識者(小田原のどかさん、中沢けいさん、李鍾元さん)の受け止めを示していました。当コーナーではテーマをめぐって賛成・反対・中立のように、3つの見方を載せることが多いように思いますが、今回は群馬県の行政による、歴史や県民、東アジア周辺国・地域へ向き合う姿勢に問題ありとしている点で、3者の見方は一致していました。私も3者の意見には賛同します。
https://www.asahi.com/articles/ASS3D5W9QS34UPQJ00T.html
戦時中に多くの朝鮮人や中国人、捕虜を劣悪な環境の下、働かせた事実は、各地にありました。そうした負の歴史を隠すことは、真実を知らない無教養な国民や真実を語ることができない権力に従順な国民ばかりなっていくことにほかなりません。自国民の名誉をかえって汚して国際的な信頼も崩すまったく国益に反する行為です。
今回、群馬県知事は、最高裁のお墨付きを得たかのような論理で、追悼碑の撤去を進めました。しかし、裁判所の判断は、県立公園内における碑の設置期間の更新不許可処分は違法でないというだけであり、碑の撤去を命じるものではありません。さらに、勝手に撤去しながら、その高額な費用を市民団体へ請求して弾圧する気でいます。
100年前の関東大震災後の混乱の中での朝鮮人虐殺を認めたがらない無恥な知事もいますが、こうした知事の過ちを明らかにした碑もどこかに必要なのではないかと思います。
写真は、大牟田市にある、徴用犠牲者慰霊塔。朝鮮半島を望むよう西向きに建てられています。アジア太平洋戦争末期、三池炭鉱などがある大牟田地域では、朝鮮人や中国人、捕虜など約2万人が労務動員されていました。2023年8月撮影。

エセものではない科学と歴史を学べ

水谷千秋『教養の人類史』(第七章 現代史との対話――明治維新と戦後日本)読書メモより。
・p.239-240見田宗介(読売新聞2018.1.25)…「僕の考えでは、平成の始まりは明治維新と並ぶ、大きな歴史の曲がり角です」「二つは対照的です。明治は坂を上り始めた時代、平成は坂を上り終えた時代」「消極的にとらえる必要はありません。日本は富国を成し遂げたと考えるべきです。この先、谷底に下りるのではなく、高原を歩き続けられるようにすることが大切です。地球環境・資源に限りはありますが、無理をしなければ、今の相当豊かな生活をほぼ保つことができるはずです。どうやって高原の明るい見晴らしを切り開くのか、それが日本の課題です」。
・p.241吉見俊哉(『平成時代』2019.5)…「(平成とは)グローバル化とネット社会化、少子高齢化の中で戦後日本社会が作り上げてきたものが挫折していく時代であり、それを打開しようとする多くの試みが失敗に終わった時代であった」。
・p.243福沢諭吉(『学問のすすめ』)…「学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」。
・p.254半藤一利(『昭和史1926-1945』)…「(日露戦争勝利で)日本人はたいへんいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を滅ぼしてしまう結果(になった)」。
・p.259司馬遼太郎(『「昭和」という国家』)…「(昭和の初年からの20年、この国は)日本の軍部に支配される、というより占領されていたのだろう」。
・p.265水谷千秋(堺女子短期大学「短大通信」2020.8)…「ポストコロナ世界はモラルなき乱世の時代、と見る識者も多い。しかしこれからの時代(それは気候危機の時代でもあろう)を、ただ世間の動きに順応し生き延びていくのではなく、どういう世界を創っていくべきかを考え、主体的・自覚的に生きていくには、やっぱり私たちは科学や歴史を学ばなければならない。大学は何よりもそのための場である。」。
水谷千秋『教養の人類史』(第八章 人類史と二十一世紀の危機)読書メモより。
・p.270-271長谷川眞理子(『進化的人間考』)…「(ヒトは生後9か月を過ぎると)自分が興味を持ったものをさしたり、母親の前に差し出したり、さらに手渡したりするようになる」。「三項表象」の理解=「共同注意」の発生。人間だけが三項表象を理解し、美の観念を持ち、言語を持つ。
・p.275水谷千秋…「現代に起きていている問題はすべて過去の歴史にその源があるのであり、その解決への道も歴史が教えてくれるはずであることが垣間見えてきます。枢軸時代(カール・ヤスパースが名付けた、今から2500年くらい前のヘレニズム文化、ヘブライズム、仏教、儒教といった思想が生まれた時代)の先人たちの教える人間愛と人生への態度、そして近代科学の教える合理主義と科学精神のもたらす成果が、私たちに未来を指し示してくれるはずなのです。これから待ち受ける不安な未来に対し二十一世紀の人類が駆使できる叡智は、この二つ以外には存在しません。決して偏見や憎しみ、科学に基づかない思い込み、呪術、差別、偏狭な愛国心、また富への執着といったものに頼って判断してはならないのです。今世紀から来世紀に向けて人類の生存はそこに懸かっているのではないか、と私は思います。」。→p.287人間の尊厳というものへの理解がまだ日本では不足している。
・p.277-278斎藤幸平(『人新世の「資本論」』)…「資本主義こそが、気候変動をはじめとする環境危機の原因にほかならない」「資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限である」。→p.283「コモンズ」=p.282宇沢弘文「社会的共通資本」
・p.278水野和夫(『資本主義の終焉と歴史の危機』)…「資本主義は『中心』と『周辺』から構成され、『周辺』つまりフロンティアを広げることによって、『中心』が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム」「地理的な市場拡大は最終局面に入っている」「地理的なフロンティアは残っていません」。→p.281新自由主義の失敗、一部の特権階級だけが富を独占、格差の拡大。

「風よ あらしよ」は見て損はない

先日、本渡第一映劇まで「ほかげ」を観に行ったおりに予告編で「風よ あらしよ 劇場版」を知りました。熊本県内では2月16日からDenkikanで公開されるということでしたので、さっそく初日に鑑賞してきました。
この映画は、大正時代の女性解放運動家の伊藤野枝の生涯を描いたものです。彼女の最期は関東大震災後の混乱のなかでパートナーの大杉栄とともに憲兵大尉の甘粕正彦らの手によって殺害されるという悲劇に見舞われていますが、なんといっても100年前のことですし、あまり一般には知られていない人物かもしれません。私もどちらかというと、故・松下竜一さんの著書『ルイズ 父に貰いし名は』の影響もあって、大杉栄と伊藤野枝の遺児で1996年に亡くなられた伊藤ルイさんの活動についての方が、松下さんとルイさんが共に九州在住ということもあり、見聞する機会が多かったように思います。
ところで、映画作品についての感想ですが、安直な物言いですが、見て損はないと思いました。人間としての尊厳や自由について考えさせられますし、男性視点からするとなんだかんだいって女性のことを理解できてないダメさ加減をこれでもかと突きつけられる思いを受けます。映画の中で、足尾鉱毒事件における谷中村の棄民政策について大杉栄が「自分の原点」という意味合いの言葉を発しますが、どこかの県知事がやはりある公害事件を「政治の原点」といっていたのを連想し、軽々しく「原点」という言葉はつかえないなと思いました。
ほかにも「センチメンタリズム」「奴隷」「権力のイヌ」というキーワードが印象に残りました。ロシアや中国といった権威主義国家の外へ出て自国内にいる同胞へ発言を続ける知識人が数多くいますが、彼らが現在置かれている立場に近いものも感じました。
一方で、前述の「原点」に関連するのですが、差別の問題についていえば、やはり軽々しく理解した気に陥るのも危ないのではないかと思います。今読んでいる本は、中国系ベトナム人難民の娘としてオーストラリアで育ち、現在は米国の大学で哲学の教員をしているヘレン・ンゴ(呉莉莉)氏の『人種差別の習慣 人種化された身体の現象学』(青土社、2800円+税、2023年)なのですが、なかなか難解です。人種化する眼差しを持っている人はたいてい差別する意図はないと語りがちですが、身体行動には差別の現象があります。それを人種化される眼差しを受ける人は差別として確実に感じ取ります。世界をいかに解釈し、世界をいかにより良きものに変えていくか、それこそが哲学の役割なのですが、いつの時代も世界のどこでも課題はつながっているという思いもしました。

ほかげ

塚本晋也氏が脚本・監督・撮影・編集した映画作品「ほかげ」を観たさに、初めて本渡第一映劇という名の小さな映画館を訪ねました。席は50ばかり。昔ながらのカーテン幕が左右に開くスクリーン、左右の壁には高倉健主演作のポスターが掲示されています。塚本作品の上映にふさわしい味わいのあるミニシアターでした。
作品に登場するのは、戦争未亡人や戦争孤児、帰還兵。戦争は終わっても心に闇を持ちながら生きている人々です。79年前、誰しもがそういう境遇に置かれたわけですが、それは日本にとどまらず、アジアやヨーロッパほか世界各地の人間が受けた心の傷であったはずです。今まさに戦禍の真っただ中にある地域もあります。「ほかげ」で描かれた人々がこれからも常に存在する現実から目を背けてはならないし、そうした人々を生まない世界に変えなければならない責任が一人ひとりにある、作品のメッセージはただ一つなのではないかと感じました。
無理を承知で言えば、プーチンやらネタニヤフやらといった戦争犯罪人に観てもらいたい作品です。

おまけ。帰路にロフトという酒店で、天草クラフトビールを買ってきました。ロアッソ熊本の開幕戦の前祝で賞味してみたいと思います。

これほど相応しい仕事はない

愛子内親王が学習院大学卒業後の2024年4月より日本赤十字社に就職することが昨日報じられました。これほど相応しい仕事はないと思います。たいへん気の早い話ですが、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長を歴任された、現・日本赤十字社名誉社長の近衞忠煇氏のように、将来、国内外において社会の協調と平和の実現・維持に貢献できる役割を果たしていただけないかと期待しています。
東日本大震災翌年の12年前に学校法人学習院主催の公開講演が熊本県で開催されましたが、当初、講師の候補として学習院大学卒業生であり当時IFRC会長だった近衞忠煇氏から一旦内諾を得ました。しかし、その後、突発的な海外出張が多い要職にあることから、迷惑をかけてはならないと辞退されてしまいました。その頃の同氏の関心が強かったのは「原発事故を想定した国際支援への取り組み」でした。「国際赤十字としては政治的に中立を保ち、原発については賛否を示さない」とも発言していました(毎日新聞2011年12月10日)。ちなみに同氏の実兄である元首相の細川護熙氏は、同時期に『世界』(2012年1月号)に「政府は「脱原発」に舵をとれ」のタイトルで寄稿していました。
それで、近衞氏から講師内諾を得た直後の時期に、日本赤十字社熊本県支部へ挨拶のため訪ねたことがあります。その際応対してもらった同支部参事の梶山哲男氏から支部創立120周年記念事業として2010年に編集出版された『西南戦争と博愛社創設秘話』を贈られ、読む機会を得ました。それによると、西南戦争において小松宮彰仁親王殿下率いる官軍が、激しい戦闘のすえ熊本県北に残っていた敵軍の薩軍傷者の治療を借りた民家で始めており、それを引く継ぐ形で、佐野常民らが総督の有栖川宮熾仁親王殿下の許可を洋学校教師館(ジェーンズ邸)で得て、日赤の前身である博愛社を設立させたとあります。そのため、県北には複数箇所で救護の言い伝えや日赤発祥地標示(正念寺、玉名女子高=仮県庁跡地、徳成寺)があります。

ダンバー数と年賀状、宗教的無色、CF

高齢者が終活のために年賀状を差し出すのを取りやめる一方、現役世代のなかにもインターネットを介した連絡手段の普及を理由にやはり取りやめる動きが出ているのを、今年は特に感じました。私の場合は、今のところ、自分自身の生存証明の意味合いもあって、お知らせしたい方に絞って差し出しています。宛先には後期高齢者の方が多いので、返信はもともと期待していません。こちらが気づかないうちに鬼籍に入られた場合で気の利いた身内がいれば、その旨を知らせてくれることもあります。当方側が一方通行の顧客にあたる取引先関係にはこちらから差出も返信も行いません。そんなわけでだいたい例年150通(人)以内に収まっています。この150人というのは、英人類学者のロビン・ダンバーの名前に由来する「ダンバー数」と言われます。ダンバーは、現世生存人類(ホモ・サピエンス)が社会的信頼関係を築けるのはせいぜい150人ほどと言っています。
本日の朝日新聞の社説のなかでも、この「ダンバー数」に触れた記述がありましたので、アレと思いました。社説では、大企業における不正の温床について書かれていたのですが、大学や高校の運動部でも部員が300~400人もいるところで、昨年不祥事が明るみになったことを思い出します。
昨年は、ダンバー氏の著書の『宗教の起源』を読み、ずいぶん刺激を覚えました。それで、本日の朝日新聞紙面に話題を戻すと、社説の対向面のオピニオン欄「交論」コーナーで、紛争解決研究者が、日本は紛争解決にどういう貢献ができるかという記者の問いに、「日本は宗教的な色がほとんどない。(中略)仲介役に適しています。」と答えているのが、なるほどなと感じました。さらに同じコーナーで、国際人権法研究者が、「クリティカル・フレンド」(=相手のために耳の痛いことでも忠告してくれる友人)を大切にする重要性を述べていました。
同じ価値観だけの居心地のいい関係も大事ですが、それを超える異質な集団との良好な関係も大事です。けさはいろいろ考えさせられました。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15834482.html
写真は記事と関係ありません。イギリス、ロンドン動物園(1994年1月)

ホントおめでたい

熊本県の公式LINEの今年初(1月4日)の投稿が阿蘇神社参拝を勧めるものでした。これをおかしくはないかと気づける素養が関係者にはないのかと残念に感じました。巷のSNS投稿においては、還暦過ぎのいい大人が陰謀論者の駄本をありがたがっているのもよく目にします。そういうマーケットがあるからこそ、荒唐無稽の歴史言説が商品になるのかもしれませんが、踊らされている人たちもそれなりの教育は受けてきただろうに、今になって身に付いていないのはなぜなんだろうと思います。その程度の知性で、変な使命感から政治家になったりすると、余計始末に悪いものです。
過去についても正しく学べていなければ、当然のことながら未来への対処も誤ります。昨年11月に、運転停止中の石川県志賀町(このたびの能登半島地震で震度7を記録)にある北陸電力志賀原発を訪問した経団連会長が、「一刻も早く再稼働を望む」と述べていましたが、昨日(1月4日)にあった賀詞交歓会では、なんらその発言について釈明をせず、それを問い質して報道したマスメディアも確認できませんでした。経済界トップですらこうした塩梅です。
ホントおめでたい人材に恵まれたわが国において、教育やジャーナリズムの役割が重要だなあと感じます。

いっそ四重構造ぐらいがいい

昨晩NHKBSで放送の「日本人とは何者なのか - フロンティア」は、最先端のDNA解析技術によって、今の日本人の祖先を考察する、興味ある番組でした。現存する人類であるホモ・サピエンスの源流はすべてアフリカにあり、その意味で現在どこの地域暮らしていようが、みな遠い遠い親戚です。最新の研究成果では古墳時代の日本人の骨からは、縄文人と弥生人に加えてそれとは異なるユーラシア大陸由来のDNAが6割程度ある、三重構造になっているそうです。従来は氷河期が終わって大陸と断絶した縄文人の時代のあと、稲作と金属器をもたらした渡来人との混血による弥生人との二重構造説だったのが、古墳時代に弥生時代の渡来人とは異なる人々との交流があったと考えられています。ちなみに縄文人特有のDNA構造を今の人たちで最も残しているのは、アイヌの人たちで7割、沖縄の人たちで3割、今の東京の人たちで1割なのだそうです。
ところで、巷では縄文ブームがあるらしく、縄文時代は争いもなく暮らしていたと、あたかもそれが日本人の伝統であるかのようにもてはやす向きがありますが、違和感を覚えます。縄文時代の人口密度は現在と比べようがないくらいに低く、外部との交流はないと考えられています。寿命も短く明日食べられるか非常に不安定な暮らしだったわけで、他の集団と出合い、争いになる機会がなかっただけだと思われます。文化あるいは文明の発達には外部との交流なくしてありえないわけで、縄文よりも弥生、弥生よりも古墳の時代という具合に時代が下るほどに技術が進化し食べていくことが安定化していったのではないかと思います。したがって、当然のことですが、現代においてもさまざまな人たちとの交流が進むことが、文化や文明をより発達させることにつながっていくはずです。
ともかく、○○人は何々という具合に固定観念で判断するのは無意味だと思います。言葉や身体的特徴は異なってもホモ・サピエンスに変わりはありません。そうした考え方は科学の発展に伴って生まれてきたことで、つい200年足らず前までの人たちはそうした思考を持ち合わせていませんでした。今読んでいるのが、木村草太著の『「差別」のしくみ』(朝日選書、1800円+税、2023年)なのですが、米国の建国当初の独立宣言や連邦憲法の文言をsy紹介していておもしろい指摘を見つけました。たとえば、1776年アメリカ独立宣言には、「全ての人は生まれながらにして平等である」として、1788年発効の連邦憲法でも「国民の身分の平等」を定めました。ですが、当時は奴隷制があり、米国へ連れてこられたアフリカ系の人たちならびにその子孫は、奴隷主の動産とされ、国民でも人間でもない存在とされていました。奴隷制廃止の連邦憲法の修正が成立するのは1865年になってからです。158年前の人権意識はその程度だったことに改めて驚きを覚えますし、今日の日本の政治家のなかにも人権侵犯の言動を行う愚か者がいるわけで、まだまだなのかもしれないとつくづく憂いを覚えます。
https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/XRL92XPWX2/

博物館訪問で得るもの

博物館・美術館といったミュージアム訪問が基本的に好きです。初めてのところはもちろんですが、何度か訪れたことがあるところでも、必ず新しい学びが得られます。先月、福岡県太宰府市にある九州国立博物館では古代メキシコの特別展を観てきました。マヤ、アステカ、テオティワカンといった3つの文明の各出土品の展示がありました。メキシコは中米に位置しますが、古代メキシコ文明を築いた人たちの祖先は、北米の先住民と同じく約4万年前にシベリアから渡ってきた狩猟民です。つまり、約4万年前はユーラシア大陸とアメリカ大陸は陸続きだったわけです。同じころ、現在の日本に最初に暮らした人たちもユーラシア大陸から渡ってきたと考えられています。その頃の日本列島にあたる地帯は「島」ではなくユーラシア大陸と陸続きだったからです。その説明が先日訪ねた佐賀県立名護屋城博物館の展示にありました。熊本県立運動公園一帯は、石の本遺跡といって最古のものでは3万7500年前の旧石器が出土していて国内でも最古の人が暮らした痕跡があります。メキシコと熊本とはずいぶん離れていますが、移動した時代を考えると、妙に親しみを覚えて不思議な感じになります。広島県立歴史博物館(福山市)では瀬戸内の海上交通についての展示が印象的ですが、そもそも瀬戸内が海になったのは6000年前ということも先月知ったことでした。そのように、今現在の陸地のありようではなく、氷河期の陸地で考えたらずいぶん世界も違って見えるのではないかなという気持ちになります。それでいうと、固有の領土・領海とか言ってもせいぜい200年足らず前のつい最近の話ということになって権力者の執着心が強すぎると無用の争いしか招かないものだと思います。
そして争いの中では、それに加担する者の武功アピールが必ずあります。佐賀県立名護屋城博物館の解説ペーパーでは、慶長の役(第2次朝鮮侵略)に従軍した医僧の慶念が、日本軍の殺戮の凄さを、『朝鮮日々記』として記していると紹介しています。それによると、戦功の証として戦闘には関係のない子どもの鼻切りまでもが横行し、たくさんの人たちが奴隷として日本に連行されたことも記されています。敵の首ではなく鼻を斬って持ち帰り戦功申告を行うということは、後年の島原の乱でもありました。そこでも多くの非戦闘員が犠牲となっています。12月13日の熊本日日新聞で、細川家の松井家文書にその記録があることを、熊本大永青文庫研究センター長の稲葉継陽氏が明らかにしていました。
400年後の現代においても世界各地で無益な殺戮が続いています。このような救いようのない愚かなことを行うのも人の業であり、これを繰り返さないために歴史を学び現実を変えていくしかありません。

宗教の起源読書メモ

ロビン・ダンバー著の『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社、3000円+税、2023年)については、先月の投稿でも触れていますが、ここでは第5章以降の読書メモをアップしておきます。宗教について考察することは、ヒトの脳について考えることであり、政治やビジネスへの応用あるいは悪用にも連なる恐れも抱きました。
多くの日本人は、シャーマニズム宗教の神道(明治憲法下では国家神道として教義宗教化したともいえます)と教義宗教の仏教の二刀流なのですが、これは世界的に特異な例です。宗教以外の面で規格化された日本人共同体の内と外を認識している感じがします。日本語や戸籍・氏姓、風貌・肌の色の要素が高い気がします。
○第5章社会的な脳と宗教的な心
「友情の7つの柱」(p.129)…言語、出身地、学歴、趣味と興味、世界観(宗教、道徳、政治の立場)、音楽の好み、ユーモアのセンス。ヒトの場合は、これらの共通点が多いほど共同体のメンバーであるという信頼感が強固になる。
「メンタライジング能力」(p.141)…自分の観念を他者に伝達する能力(五次志向性のレベル)がなければ、宗教は成立しない。自閉症と診断される人はメンタライジング能力が低い。女性よりも男性が低い。
一次志向性/私は「雨が降っている」と思う。/宗教にならない
二次志向性/あなたは「雨が降っている」と考えていると私は思う。/宗教にならない
三次志向性/あなたは「人智を超えた世界に」神が存在すると考えていると私は思う。/宗教的事実
四次志向性/神が存在し、私たちを罰する意図があるとあなたは考えていると私は思う。/個人宗教
五次志向性/神が存在し、私たちを罰する意図があることを、あなたと私は知っているとあなたは考えていると私は思う。/共有宗教
○第6章儀式と同調
「宗教儀式」(p.156)…歌、踊り、抱擁、リズミカルなお辞儀、感情に訴える語り、会食。エンドルフィンが出やすい。儀式に参加することで他の構成員に対してより向社会的に接したくなる。共同体意識をつくりだす。
○第7章先史時代の宗教
「向精神性物質」(p.180)…アヘンやアルコールといった向精神性物質の存在は考古学的に1万年前までは確信をもってさかのぼれる。トランス状態の経験、ひいてはシャーマニズム宗教が存在していたことの決定的証拠となる。
「解剖学的現生人類(ホモ・サピエンス)が五次志向性を獲得できたのは約20万年前」…発話のための解剖学的構造の出現があって宗教は生まれた。トランス状態に入れるだけでは宗教にはならない。ネアンデルタール人は五次志向性を獲得できなかった。
○第8章新石器時代に起きた危機
「教義宗教への移行」(p.206)…人間がより大きな集落で暮らしていくには、その規模にあわせてストレスや集団内の暴力を減らす方法を見つけていくことが必須。明確な儀式と正式な礼拝所、専門職を擁する教義宗教への移行が始まった。
「高みから道徳を説く神(人間の行動になにかと関心を持つ神)の出現」(p.212)…大きな共同体のなかで団結し、おたがいを守るために必要とした。紀元前1000年紀がほとんど。
「主要な教義宗教は北半球の亜熱帯地方に出現した」(p.219)…熱帯地方ほど感染症の負荷が高くなく栽培できる期間が年に6ヵ月以上で食料生産能力が高く、交易しなくても自給自足ができた。しかし、人口が急増してくると、共同体間の紛争が激化した。大きな社会集団では新たな結束強化の手段として、教義宗教を必要とした。
○第9章カルト、セクト、カリスマ
「カルト指導者」(p.146)…統合失調型パーソナリティ障害を抱えている。ほかの人よりも激しい形で宗教現象を経験し、ひては信仰の目ざめや強烈な宗教体験をひきおこす自己同一性の危機に陥りやすい。
「カリスマ指導者」(p.247)…多くが親を早くに亡くしていたり、恵まれない境遇で育ったりしたという。
「貧しく不安定な幼少期を乗り越え、厳然と立ちはだかる社会に挑まなければならなかった彼らは、人生の早い段階から多くを学び、逆境に立ち向かい嘲笑をはねのける精神的な強靭さを身につけたのだろう。」「シャーマンを筆頭に、神秘主義者は一般に定型からはずれた者が多い。精神的疾患を抱えていることが多く、それがトランス状態に入りやすい素因になっている。見た目や挙動が奇妙で、周囲からは狂人扱いされるが、それでも人びとは彼らのことを信じる。なぜ信じるのかといえば、ひとつにはその他大勢に埋没しない、突出した存在を頼みにしたいと思う気持ちがあるからだろう。とくに顕著なのはシャーマンで、人びとはかれらが超人的な能力を持っていると信じこむことが多い。」(p.248)
○第10章対立と分裂
「経済状態が良好で、富の格差が小さいと、宗教への関心が低下することはすでに指摘されている。貧困と抑圧の苦しみから逃れるのに、宗教に癒しを求める必要がないからだ。」(p.283)
一方で、「宗教がいまもさかんな地域は、世界のかなりの部分を占めている。」「南北アメリカ、アフリカ、南アジアなど、富の分配に格差がある地域では、キリスト教もイスラム教もさかんに信仰されている。」(p.284)

サガしものは書店になイカ

先月1週間ほど佐賀県有田町に用向きがあったのですが、観光的な行動ができる時間がなかったため、なんとも物足りないままでいました。さらに今月、朝日新聞の経済面で5回にわたり有田町に近い波佐見町のことを取り上げた連載「波佐見焼 小さな町の奇跡」を読み、ぜひ訪ねてみたい気持ちになりました。波佐見町についてはコースをもっとリサーチしてからと、手始めに以下の場所を訪ねてみました。
・鯨組主中尾家屋敷・・・イカを焼く香ばしさが漂う呼子朝市通りの入口から300m奥にある重要文化財です。江戸時代から昭和30年代までの時期に呼子が捕鯨漁の港であることは、現在は呼子=イカのイメージが強いこともあり、これまで知りませんでした。屋敷も立派ですし、資料館の展示もたいへん興味深いものがたくさんあり、入館料210円が申し訳ないくらいお得でした。
・佐賀県立名護屋城博物館・名護屋城跡・・・佐賀県立の博物館はここ以外に九州陶磁文化館や県立博物館・県立美術館がありますが、一部の特別展を除き入館料が無料となっています。ロンドンの大英博物館もそうですが、こうした運営方法は誇るべきことだと思います。入館してみると、日に何回か学芸員による説明が聞けるようでした。展示コーナーごとの自由に持ち帰りができる解説ペーパーも充実していて帰宅後もゆっくり読み返すことができます。城跡も初めての訪問でしたが、スケールが大きく特別史跡にふさわしい場所でした。訪問当日は強風のため、天守台がのぞむ冬の玄界灘には厳しさがありましたが、天候が良ければ文字通り海外進出を目論んだ秀吉の野心が途方もないことがより感じられたかもしれません。博物館入口には道の駅があって、そこのレストランで名物のイカ刺身定食をいただきました。イカ活きづくり、イカシュウマイ、ゲソ天ぷらに満足しました。
・佐賀之書店・・・帰路の途中で佐賀駅に今月オープンした書店ものぞいてみました。ここは佐賀出身の直木賞作家がオーナーを務める店舗で、オーナーの著作が多数置かれていました。書棚は新刊書で埋め尽くされ、新札を思わせる香りがいい雰囲気を出していました。ただし、駅ビルの一角ということもあって、店舗面積はそれほど広くはなく、専門書のたぐいはほとんどありません。総合雑誌もウィルとかハナダといった怪しい書き手のものしか見当たりませんでした。世界や岩波新書は皆無でした。駅内書店ですからこれは致し方ないのが現実なのかと思いましたし、実際私の日頃の行動でも目当ての書物がほとんど置かれてない地方書店に行くことはありません。

それぞれの百年

12月2-3日と水俣病センター相思社で開かれている「百年芸能祭in水俣」の初日イベント「百年座談in相思社」に参加しました。通常は休館日にあたる水俣病歴史考証館に展示されている丸木作品も観覧することがかないました。座談会の前に千葉明徳短期大学の明石現教授による11弦ギター演奏があり、明石ゼミ学生8名による手話合唱もありました。特に普段の生活では無縁の若い女性たちの歌声には、さすがに日頃シニカルな自身の心も洗われる思いを抱きました。これまで何度も相思社を訪ねたことがありましたが、これほど清々しい気持ちにさせられたのは初めてでした。
この後の座談会の最後で、本祭の「口先案内人」を務める姜信子さんが、権力者が怖れるのは、人々が歌うこと、踊ることというようなことを述べていましたが、世の中の不条理に異議申し立てを行う手段としては、確かに力を覚えます。最近読んだ、ロビン・ダンバーの『宗教の起源』でも、笑う、歌う、踊る、感情に訴える物語を語る、宴を開くといった、社会的グルーミングにはエンドルフィン分泌をうながす効果があり、結束社会集団の規模を大きいものにするとありました。法事なんかで経本をみんなで声を合わせて詠まされるように宗教儀式にはそうした要素が仕込まれています。
さて、「百年座談会 私たちのつながりあう百年」では、(一社)ほうせんか理事の愼民子さんから「在日の百年」、宮城教育大学准教授の山内明美さんから「東北の百年」、相思社職員の葛西伸夫さんから「水俣の百年」をテーマにトークがありました。今から100年前の1923年に関東大震災があり、水俣では日窒(チッソ)に対する漁民の最初の闘争が起きています。
座談会では、以下のキーワードがありました。関東大震災直後の朝鮮人虐殺(中国人や標準語を話さない日本人も犠牲になっています)、コメのナショナリズム(植民地での日本米増産)、放射線育種米(あきたこまちR12)、六ケ所村、寺本力三郎、大間原発、三居沢水力発電所、日窒興南工場、野口遵、半島ホテル(現在はソウルのロッテ百貨店が建つ)、水豊ダム、福島第一原発、復興庁、ハンフォード・サイト、朝鮮籍。
今回の座談会を聴いてこの百年を理解する手引きとして、以下の2つの書籍を個人的に挙げてみたいと思います。1冊目は、遠藤正敬『新版 戸籍の国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店)です。「日本人」の定型、「臣民」への画一化が如何に形成されてきたかを知るには良著です。朝鮮籍・韓国籍・琉球籍の経緯を知る価値があります。旧満州国の日本人は満州国人ではなく内地人(日本人)であり続けたことも学んだことがない国民が大部分だと思います。2冊目は、ジャニス・ミムラ『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家』(人文書院)です。先進技術や資源をめぐる利権に蠢く権力者たちが、外国人だけでなく自国民の人権を如何に蔑ろにしてきたか、その手口を知るのに適しています。かつてのテクノファシズムには、今日のテクノソーシャリズムにも近しいところがあり、それも国民は監視すべきだとは思います。ついでに挙げると、これからの百年を考えるには、ブレット・キング、リチャード・ペティ『テクノソーシャリズムの世紀 格差、AI、気候変動がもたらす新世界の秩序』(東洋経済新報社)もお勧めです。
ところで、私の百年では、祖父の兄が大工だったそうですが、関東大震災後の復興特需で横浜へ移住します。その兄を頼って祖父も横浜へ行き、当地で商船会社の社員の職を得ます。北米航路の豪華客船にも乗っていましたが、アジア太平洋戦争中は軍の傭船に乗務し、南方と内地との物資輸送にあたっていました。最期はインドネシアから出港した油槽船に乗っていましたが、マニラから基隆へ向かう途中で米軍潜水艦からの攻撃に遭い亡くなりました。その命日は、偶然ですが、日窒創業者の野口遵と同じ1944年1月15日です。野口遵は電気化学を学んだ人物ですが、私の息子(COP3京都会議の期間中生まれ、私の祖父からすると曾孫)は、現在まさしく電気化学の分野の研究(※)を進めており、脱炭素社会の一翼を担っています。なにかしらつながるものだなと思わざるを得ません。
※一口で言えば、二酸化炭素還元反応。CO2(二酸化炭素)からCu(銅)を電極触媒として用いてCH4(メタン)やC2H4(エチレン)、C2H5OH(エタノール)といった有用物質を得る電解還元の研究。CO2排出抑制につながるものです。

 

 

 

キッシンジャー回想録ぐらい読んどけよ

SNSなんかで坂本龍馬気取りの政治家の投稿にたまたま触れると、ロクな奴はいないなというのが、私個人の偏見に基づいた感想です。企業経営者にしても、理論も何もない成り上がり者の自慢話をありがたがっているのは、得てして小物ばっかりというのが、これまた私個人の偏見に基づいた感想です。
さて、11月29日、米国の元国務長官だったヘンリー・キッシンジャー氏が100歳の生涯を終えました。その外交の成果はダイナミックであり、常人では得られないのは、衆目の一致するところだと思います。2年前に岩波現代文庫から上下巻で刊行されている『キッシンジャー回想録 中国』を読みましたが、同氏自身の能力もさることながら、当時の中国の指導者の器の大きさも感じます。読んだときの感想をブログに何度も記しています。
https://attempt.co.jp/?p=9670
https://attempt.co.jp/?p=9690
https://attempt.co.jp/?p=9728
https://attempt.co.jp/?p=9737
https://attempt.co.jp/?p=9749
https://attempt.co.jp/?p=9963
https://attempt.co.jp/?p=10022

社会的グルーミング

ここ1週間ばかり所用で県外に出かけていてその間せわしなかったので、オックスフォード大学進化心理学名誉教授のロビン・ダンバー著の『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社、3000円+税、2023年)の読書は、行きがけの列車の中で読み進めたところで止まったままです。というわけで、読みかけの感想なのですが、タイトル通り宗教の起源の考察という側面もありますが、人間の脳と共同体の規模感とのかかわりの考察が面白く思えました。
第4章共同体と信者集団(p.119)で以下の通り要点がまとめられています。
1霊長類が結束の強い社会集団で生活するのは、外的脅威から身を守るためだ。
2特定の種の集団規模は、脳の大きさによって制限される(次いでその規模は、居住と採餌の環境が良好であるかぎり、その種が通常経験する脅威のレベルに順応している)。
3人間の自然な社会集団と個人の社会ネットワークにもこのパターンが当てはまる。
4人間の自然な共同体、個人の社会ネットワーク、そして教会の信者集団には、約150人というはっきりした上限が存在する。
5この上限は、構成員の帰属意識、ほかの構成員との個人的なつながり、集団所属による利益に対する満足度といった、集団規模が与える影響によって決まっていると考えられる。
1974年にデヴィッド・ワスデルが発表した「自己限定的教会」の研究というのがあって、英国内の1万超の教区を対象に毎週の日曜礼拝に出席する信者数は、地域の人口規模に関係なく、175人前後という結果が得られています。別の研究でも信者数はおよそ200人ではっきりと頭打ちになるそうです。信者が150人から250人の教会は安定を失いやすいという、「バスター(牧師)とプログラム(事業運営)の中間圏」を突きとめた研究もあります。それによると、50人までのファミリー・サイズの教会であれば指導者を持たない民主体制でも機能しますが、150人までのバスター・サイズになると誰かが指導者を務める必要があり2~3のサブグループを作ってそれぞれに精神的支柱のような存在も求められます。さらに350人までのプログラム・サイズになると牧師ひとりでは手に余り集団指導体制が求められます。これも1970年代のアラン・ウィッカーの研究ですが、構成員が約340人と約1600人の教会を比較すると、小さい教会の信者集団のほうが日曜礼拝への出席率や収入に対する寄付額が高いことが確認されています。
直接触れ合うグルーミングを行うサルと類人猿の場合、結束社会集団の大きさはおよそ50頭で頭打ちになりますが、ヒトは直接ふれることなくエンドルフィン分泌をうながす社会的グルーミングを獲得することで、より大きな社会集団を構成することが可能になりました。笑う、歌う、踊る、感情に訴える物語を語る、宴を開くなどがそうです。宗教儀式にはそれらの要素を含むことからトランス状態に通じるものがあります。
どうしたらヒトは満足感・高揚感を得られるのか、そのヒントは音楽やスポーツ、宗教にありますから、政治や企業経営がその手法を取り入れるのは自然の流れとも思えます。

宗教の起源

中東情勢を理解するにはそれがすべてではないにしても宗教についての理解が必要不可欠です。オックスフォード大学進化心理学名誉教授のロビン・ダンバー著の『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社、3000円+税、2023年)は、タイトル通り宗教の起源から考察する書籍とあって役立ちそうです。

過去・今日・明日

10月8日の朝日新聞記事中に、ドイツ近現代史が専門の石田勇治著『過去の克服』(白水社)から以下の引用がありました。「民族には自らの歴史を冷静に見つめる用意がなければなりません。なぜなら、過去に何があったかを思い起こせない人は、今日何が起きているかを認識できないし、明日何が起きるかを見通すこともできないからです」。これはドイツのある首相の言葉なのだそうです。神話の記述を史実と信じ込む程度のオツムの議員センセイ方に聞かせてやりたい言葉でした。
写真はベルリンのペルガモン博物館の代表的な展示構造物「イシュタール門」(1992年12月撮影)。紀元前560年頃のバビロニアの古都バビロンにあったものが再構築されています。同館は今月23日から14年間にわたる大規模な改修に入るため、しばらく観ることができないそうです。

交渉相手の頭の中を知れ

文化的背景が異なる相手と交渉するのは難しいものです。相手が気分を害することがあれば、それは言語の行き違いよりも何か歴史的な虎の尾を踏んでしまったことによるかもしれません。たとえば、先進国とか開発途上国とかいっても、何百年・何千年前となるとまったくその立ち位置が違うことがあります。
こういうときにこそ歴史の知識が役立ちます。最近目にしたいくつかの資料を示してみます。まず「東アジア年表」。これは図録『憧れの東洋陶磁』のp.114に載っています。日本では素焼きの土器しかなかった古墳時代の頃、中国や韓国においては高温焼成による硬質な製品が生産されていました。中国の王朝の歴史を振り返ると、漢族と北方遊牧民との対立と融合の歴史であり、統一王朝時代と分裂時代の繰り返しでもありました。それについては、松下憲一著の『中華を生んだ遊牧民』から「中国史の略年表:地域別・諸勢力別」(p.11)と「北魏皇帝表」(p.79)を載せてみました。中国において北魏王朝が成立した時期も日本の古墳時代とかさなりますが、すでに皇帝を擁するだけの政治体制が確立していたことを改めて感じますし、皇帝廃位の理由のほとんどが殺害であったという権力闘争の苛烈さに驚かされます。
現在の中国の絶対的な権力者は、ご承知の通り習近平氏です。彼が口にする中華民族は漢族だけのようにしか思えませんが、中国王朝の半分は異民族王朝が支配したように北方遊牧民を含むさまざまな民族の子孫から中国は成り立っており、権力に対する執着はまさに命がけだと思います。その点、日本の政治家は柔ですから、場当たり的なメンツを守ることに気がとられて実を失うことが多いように感じます。習氏が「皇帝」の地位を保つためには足元からの不平不満を解消させるしかありません。これは足元のガス抜きにつながる動きなのかどうかという見極めをしっかり行うことが大切で、日本側が過剰反応して自分の首を絞める必要はないと思います。

ついでにこれも書いておきます。
「処理水」の陸上保管を続けた方が、東京電力にとっても日本経済全体にとってもお得なのでは?
海洋放出が陸上保管より20分の1も安いと考えた小賢しさが、国益を失う結果に…。
東電も陸上保管費用を上回る新たな賠償リスクがかかってくる可能性が大きく、科学的に安全とか言って、海洋放出にこだわるのはまったくもってバカらしい。
中国に反発されて感情的になってしまい、長期的な損得勘定が合わなくなっていませんか?
逸失する中国+香港向け水産物輸出年額1626億円×?年 > 東電が新たに組んだ賠償基金800億円(1年分でさえカバーできず) > 向こう30年のタンク建設費用374億円 > 向こう30年希釈して海洋放出の費用18億円

人口大国ならではの不安定要因

関山健著『気候安全保障の論理 気候変動の地政学リスク』(日本経済新聞出版、2700円+税、2023年)を昨日読了しました。最終章ではアジア太平洋地域の気候安全保障リスクにていて考察されています。まず気候変動の影響を受ける人口推計の数が非常に多い事実を突きつけられます。中国1億700万人、バングラデシュ5300万人、インド4400万人、ベトナム3800万人、インドネシア2600万人となっています。これらの一部でも海面上昇などの影響で気候移民・難民として周辺諸国へあふれ出れば、たいへん大きな不安定材料になります。日本にとって最大の貿易相手国である隣国の中国に日本の国内人口に匹敵する中国国民が影響を受けるのですから、その大きさは計り知れないものがあります。当然中国国内において不安定要因になってきます。気候変動の影響は水資源の奪い合い、食料生産の減退にも及びます。食料についていえば陸地の農産物だけでなく海の魚の回遊ルートも変化することから水産物の獲れ高も減ってくると考えられています。つまり中国やインドなど人口大国ほど国民の不安や不満は高まる恐れがあります。見方を変えればそれだけ脆弱な政体ですので、今後どのようなガバナンスを指導者が執るのか注目する必要があります。
それと、日本もただ黙って見ていればいいものではありません。著者は以下の4つを日本政府へ提言しています。
1.アジア諸国の脆弱性低減支援…地域諸国の適応力向上・脆弱性低減支援。
2.気候変動対策推進…気候変動を緩和できれば、それに起因する紛争のリスクも緩和。アジア太平洋グリーン水素ネットワークの構築等を通じて脱炭素推進を。
3.気候変動リスクに対する包括的政策対話…中国など近隣諸国と気候変動関連問題を包括的に話し合うハイレベル対話。
4.気候変動に応じた新たな国際ルールの形成…島嶼国や低海抜国と協力した領土・領海・EEZの新たなルール形成(例:沖ノ鳥島などの「低潮高地」をめぐる新たなルール)。

ところで、78年前のきょう(1945年8月10日)、わが宇土市(当時は町や村)が米軍機の空襲に遭い、300超の家屋が全半焼し、多数の死傷者が出ました。亡父の生家もその日に焼失しました。それから20数年後の、私が小学1年生の夏、戦後再建された家で父方の祖母から漬物石の代わりに使われている焼夷弾の鉄くずを見せられました。もはや錆びついて武器の痕跡は残ってはいませんでしたが、敵から贈られた厄介物をしたたかに生活の道具に組み込んだ庶民である祖母の逞しさを覚えています。

ファミリーヒストリー:兵庫県西宮市との縁

母方の祖父母が結婚したのは1930年(昭和5年)、当時阪急が西宮北口駅の北側に住宅地として開発したばかりの、甲風園住宅地で暮らし始めました。私の伯母も同地で1932年(昭和7年)に出生しています。🧐
西宮市のアーカイブスから拾ってきた添付写真の古地図は、1933年(昭和8年)のものです。古地図では南側に位置する甲子園球場にも近いことからよく野球観戦にも新婚夫婦は出かけていたようです。日本で職業野球の公式戦が始まったのは1936年(昭和11年)からですので、阪神タイガースの歴史もこのときから始まっています。私がトラ党に親近感をもつのはこのせいなのかもしれません。🥰
戦争がなければ、母も芦屋あたりで優雅な生活を送っていたかもしれませんし、私もボンボンになってしまったかもと想像します。😅