歴史」カテゴリーアーカイブ

無知を晒すとはこのこと

宇土市戦没者合同慰霊祭に今年も出席しました。初めて参加した昨年の来賓慰霊の辞において、県知事(代読)は「異境の地で斃れ」、県議は「異国の地で斃れ」、市議長は「国の内外において斃れた」という表現がありましたので、今年はどうなっているか、注意しながら聴きました。はたしてこの三者の今年の表現は、昨年とまったく同じでした。戦争の犠牲者を思うのであれば、戦闘員だけでなく、非戦闘員の死も抜きにしてはなりません。実際に空襲で命を落とした国民も多いですし、沖縄戦の例ひとつをとってみても、けっして戦争は異境や異国の地でしか起きなかったとは言えないはずです。その意味で、市議長の慰霊の辞の認識は正しく、慰霊祭の場において戦争の実態、歴史的事実を正しく捉えずに県知事や県議が、毎度無知な言葉を吐くのは遺族としても腹立たしい限りでした。

熊本大空襲の記録

熊本大空襲とは、太平洋戦争下の1945年7月1日午後11時50分から2日午前1時半にかけて、米軍のB29爆撃機154機が熊本市上空から焼夷弾を投下し、水前寺、大江、新市街地区など、熊本市内約3分の1を焼失した、当時最大規模の戦災です。死者469人、けが人552人、1万戸以上が被害に遭ったといわれていわれています。その年の春まで母の一家は、水前寺に暮らしていたのですが、母の姉が近くの女学校へ進学しないことと、放送局勤めの人からの情報で熊本市内は危ないということで、祖父の実家である不知火町へ移ったため、難を逃れたそうです。母たちが使っていた水前寺の防空壕に避難した人は、そのときの空襲で亡くなったそうでしたから、74年前にこの世から母がいなくなることは十分ありえました。受験の話からこの空襲の逸話を母がきょう話してくれましたので、書き留めておきました。

入場無料の博物館

一昨日、東京大学総合研究博物館を初めて訪ねました。早朝に地元を発って10時過ぎには到着することができます。モースが発掘した現在の氷川町にある大野村貝塚から出た土器の形状をみると、素人ながらかつて自宅庭から出た土器に近い形状です。歴史のつながりを感じます。大学を訪れる海外観光客が多いのに驚きました。

明治天皇の聖蹟を歩く

明治神宮国際神道文化研究所主任研究員の打越孝明氏の著書『明治天皇の聖蹟を歩く 西日本編』(KADOKAWA、1800円+税、2018年)が、昨日、母の手元に送られてきました。昨年、著者の打越氏が、私の自宅近所にある明治天皇聖蹟を取材で訪ねてこられたときに、母が協力したからでした。巻末の取材協力先リストにも母の氏名が掲載されていました。出版社の書籍紹介記事は、以下の通りです。「明治神宮鎮座100年記念出版! 国民の生活に接し、日本を知るため。人々の心を一つにするため。偉大なる旅路の足跡をたどる、決定版の一冊。 本書では近畿、北陸、中国、四国、九州、以上の地域における明治天皇の行幸の足跡をまとめた。 各地を実際にフィールドワークし、現代も残る宿舎や記念碑、語り継がれるエピソードなどをこの一冊に集約。また行幸がなかった県についても、明治天皇ゆかりの事跡をまとめている。現在の様子や当時の様子がわかる写真を、オールカラーでふんだんに収録している。」

戸籍は戸籍

昨日必要があって父方の祖父母の除籍謄本を請求しました。すると、私の次男の今年の誕生日がちょうど祖父母の結婚100周年にあたることが分かりました。祖父母から4代目の今日に至る時間の始まりが100年前にあったのかと感慨深いものがありました。その祖母は、亡くなる1年前、つまり結婚49年の年に金婚式をしています。戸籍では、49年前かもしれませんが、当人らはさらにその1年前に結婚したのかもしれません。祖母については、出生日も実際は戸籍よりは2、3年早かったようです。それは、出生時に祖母の父が当時ブラジルに渡っていたからだそうです。そのため、小学校では年下の子どもと同級生だったので、徒競走も学年で一番速かったという話が遺っています。戸籍は戸籍ですが、なんにつけ当時はおおらかなものでした。

史実を確認することから始まる

11月23日の朝日新聞オピニオン面「耕論」コーナーで、「元徴用工判決を考える」をテーマに3人の識者のインタビュー記事が掲載されていました。中でも当時の動員の実態をよく知る歴史家の意見がもっとも共感できました。確かに相手方が軍事独裁政権であったとしても政府間の約束事は重要でしょうが、人権を蹂躙したことに対する向き合い方は、それを上回る国際正義の問題として考えるのが、名誉ある日本国民としての自負ではないかと思います。それを踏まえると、日本政府の反応は声高過ぎてかえって円満な解決を遠のかせてしまいかねません。

流転の海を読み終えて

作家・宮本輝氏が37年をかけて執筆した『流転の海』の完結編第九部を昨日読み終えました。主人公である71歳の父は、息子が21歳を迎えて亡くなります。私自身も来月に長男が21歳となりますので、作品の父子の関係、距離感には近しい思いを持てました。今は、日本統治下の海外での暮らしや戦場経験もある主人公ほど激動の日常があった時代ではないにしても、一人ひとりの人生史にはさまざまなドラマがあるのを、感じましたし、社会や家族の中でどういう人間関係を築いて生きるべきかを絶えず考えさせられる作品でした。これで、もうこの物語の先はないことの虚無感と満足感とがないまぜになった思いを抱きながら、あっけなく長い読者としての役割も終えました。

多文化共生について

﨑津集落などが世界文化遺産の登録決定となった大きな理由の一つは、キリスト教、仏教、神道のそれぞれを信仰する人との共存もあったということです。いわばエルサレムのような場所で衝突がなく暮らしたことそのものが文化ということなのでしょう。宗教対立が生死にかかわる戦争・紛争に至った愚かな史実はキリがありません。このことは学ぶべきことです。

流転の海完結

最近は文芸作品はもちろんましてや長編小説を手に取ることはほとんどありません。そんななかにあって30年来読んできた宮本輝の『野の春 流転の海 第九部』(新潮社、2100円+税、2018年)が先月末に刊行され、ついにシリーズの完結を迎えました。モデルの家庭は、著者自身であり、年齢も父が亡くなった歳と同じく71歳を迎えられたそうですから、一回り上の世代の生活史となりますが、何か懐かしく、たくましく、慎ましい時代の雰囲気を感じます。

ルーツ探し

先日、ルーツ探しの問合せがあり、地元藩士の侍帳に少しあたってみる機会がありました。特に先祖が住んだ地から遠い場所に暮らす方にとっては、自分のルーツが気になるのかもしれません。しかし、大局的に見れば、ホモサピエンスの源は現在のアフリカへ行きつきます。そのホモサピエンスで同士で土地の境界を引いたり、戦争で殺し合う歴史を辿ってきたわけで、家柄に自尊心を持ちたい気持ちも分からないわけではありませんが、まずは今を生きる自分と後世のホモサピエンスの幸福を考えた行動をとも思います。

天覧地の今

知人の耕作放棄地の近くに早期作田の昭和天皇の天覧地記念碑が建っています。農地管理できる農業後継者が少なく、移転がままならないのが、現在の課題です。また自宅近くには明治天皇の御野立記念碑があります。こちらは、例年11月に記念神事が行われていますが、普段は目立たない空き地になっています。

いばらの道

先日の沖縄県知事選で当選した新知事が、就任の抱負で「いばらの道」という表現を使っていました。もちろんこれは新基地建設反対のことを指しているのですが、2週続きの台風や先の大戦での鉄の暴風というようなたいへんな出来事にさらされる県民の忍耐力はすごいものだと思います。自然災害にしろ人為災害にしろ、体験者の心情ほど強いものはないと思います。

永遠のファシズム

台風24号が通過するまでの間、沖縄のリゾートホテルで缶詰め状態でした。割と薄い文庫本でしたが、ウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』(岩波現代文庫、940+税、2018年)は、なかなか読みごたえがありました。おおよそ20年前の時代背景に、ファシズムや新聞、移民の問題について発言した記録集となっています。ですが、発言の内容が20年後の現在にも通じるものがあり、まったく色あせていません。エーコは、1932年生まれのイタリア人です。ファシズム台頭期に少年時代を過ごしています。優れた考察は時代を貫くのだという思いを強く持ちました。

いいこと日記

本日の朝日新聞1面コラムの「天声人語」で「いいこと日記」の効用について触れてありました。昨今のSNS投稿における「リア充」も、その効用があるかもしれません。ただし、SNSは公開という形で他人を巻き込みますので、どうしても認められたい欲求が強くなりがちになります。それと、歴史というのはどちらかといえば平穏な日々の記録よりも忘れてはならない異常時の記録が残されることで作られていきます。結論として悪いことに目をつぶって忘れ去るのではなく、思った通りに事実を記すことが最も大切だと思います。

明治150年の歴史観

来年の改元を前に今年は明治150年をめぐる考察が盛んです。当時の日本人に影響を与えた人物は数多くいますが、中でも現在の1万円札に肖像が使われている人物はその最たる存在です。功績は何といっても門閥意識の打破でした。しかし、その人は国の上下関係、次第に現在の中国・朝鮮を蔑視する方向に向かいます。宮崎滔天のようなスケールの大きな人物は、共存を常に意識していました。将来高額紙幣ができるなら肖像については、滔天がふさわしいように思います。

史実に無知なのは無恥

台湾の新聞を見ると、日本のどんなニュースに関心がもたれているのかが知れて、たいへん興味深い思いがします。7月27日の紙面では、やはりカルト集団の死刑執行と文科省役人の汚職逮捕の記事がありました。総じて訪台日本人観光客は親日気分に浸って帰国してしまうのですが、明治時代の台湾出兵後の理蕃政策は、ヨーロッパによる米大陸進出の過程で起こった先住民弾圧と同じく、血なまぐさい凄惨を極めたものでした。現在の台湾の人たちの記憶が、日本統治が終わった後の中国大陸からやってきた国民党の一派による弾圧が歴史的に近しいということにほかなりません。あたかも日本統治がすべて善かのように勘違いしてしまうのは、思慮の足りない者であることを自明することにほかならないといえます。

ファミリーヒストリーでの再会

7月30日(月)放送のNHK「ファミリーヒストリー 北海道スペシャル」を視聴していたら、大学時代の同級生が、解説者の一人として出演していて驚きました。彼とは学科は異なりましたが、いわば第3外国語としてロシア語を履修していたクラスで一緒でした。青森県八戸市出身の彼は、馬術部の活動をしていましたので、毎日馬の世話で大学には通っていました。私とは比べ物にならない努力の人でしたので、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの准教授として映像に出てきた時もまったく不思議ではありませんでした。画面越しとはいえ36年ぶりに会うのにすぐに彼だと分かりました。写真はまったく関係ない台北101です。

基隆港

26日と27日の二度、基隆港を望む機会がありました。この港は、1944年1月にフィリピン・マニラ港からの次の寄港地として母方の祖父が寄れなかった港だけに感慨深いものがあります。印象としては10年前に訪れた韓国・プサン港がやはり大きいと感じました。