カテゴリー別アーカイブ: 歴史

戦没者慰霊祭の案内を受けて

市の戦没者慰霊祭の開催案内を昨日受け取りました。一昨年の熊本地震で慰霊碑も損壊し、隣接の会場施設も被災して改修中ということもあって、ここ2年は慰霊祭自体が休止となっていました。遺族会の事務局が置かれていた老人福祉センターも建て替えられようやく今月から再スタートを切ったところです。招かれるのは今回初めてとなりますが、母方の祖父も戦没者の一人です。遺族の気持ちで出席したいと思います。

西郷どんの愛犬の名は「つん」

この2日間、鹿児島へ行っていました。観光客の目に触れる駅商業施設は、「西郷どん」一色です。その西郷どんの愛犬の名前が「つん」であることも、土産物の商品名から初めて知りました。しかし、なぜ「つん」なのか。その由来を調べてみたいと思います。

簡単な思考劣化の峻別方法

花粉症への悩みを超越して昨日も「えがお健康スタジアム」に足を運び、ロアッソ熊本と山形とのJ2のゲームを観戦しました。結果は、先制されて一旦は追いついたものの終盤に相手に勝ち越され、ホーム連勝はなりませんでした。ピッチ上にはさまざまな国籍の選手たちがプレーしており、その違いを観戦中に意識することはありません。ところが、日頃、TVに登場するコメンテーターの発言やCMのセリフの中で、安易に「日本人で良かった」とか、○○人はどうだこうだという固定観念的な発言を耳にすることがあります。○○人なら必ずこれこれであるという決めつけは、何も根拠がなく考えていないのと一緒で、そう口走ってしまうことで、当人の思慮の足りなさをさらしてしまう結果になっていると思います。これからの日本人はますますルーツが多様な人々で構成されるわけですから、日本人というくくりで考え方の違いを語ること自体が意味をもたないのではないかと思います。

映画でも見たい作品

今、読んでいるイレーナ・パウエル著『ホローコーストを生き抜く』は、もしも映画化されれば絶対見たい作品です。ナチス時代のユダヤ人絶滅の史実を分かっているようでまだまだ知らないことが多かった思いをします。たとえば、ポーランドは、国境線がウクライナ寄りに動いたり、ドイツ寄りに動いたりした国です。その地域に暮らす民族構成もしばしば変動しました。互いへの感情も知らないことが多かったことを認識しました。無知であるために起こりうる過ちの悲惨さを世界中の人間が知るべきだと思いました。

歴史認識を考える

イレーナ・パウエル著, 河合秀和訳, 早坂眞理翻訳協力『ホロコーストを生き抜く 母の伝記と娘の回想 The Daughter Who Sold Her Mother : A Biographical Memoir』(彩流社、4600円+税、2018年)が、手元に届きました。これから読んでみます。以下は、出版社サイトにある内容紹介です。「ホロコーストに関する回想記や研究書は多数あるなかで、本書は異色の一冊である。 生まれたばかりの乳飲み子を抱えた一人の母親が「死に神を騙し抜いて生き延びた」話をことあるごとに娘に語り続けた。確執と絆の複雑に絡み合う戦後の母娘生活…… 本書は著者イレーナの個人史の中で描き出される母親の言葉を通して描き出された“記憶に留めるべき悲劇の時代”の証言である。また、ワルシャワ大学で日本語と日本文化を学び、オックスフォード大学とシェフィールド大学で日本語と日本文学を教える教師である著者の、ある意味では日本人への“歴史認識”についてのメッセージでもある。」。

ネアンデルタール人の洞窟絵画

スペイン・ラパシエガ洞窟の壁画が6.5万年前に描かれた世界最古のものであると分かったというニュースが新聞に載っていました。当時、現生人類であるホモサピエンスはアフリカを出る前であり、壁画を描いたのは、絶滅した人類であるネアンデルタール人だとみられています。ネアンデルタール人は、現生人類より脳が大きく、絶滅しなければ、どのような世界になったか、たいへん興味があるところです。

絶滅の人類史

今読んでいるのは、更科功著『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書、820円+税、2018年)。人類の成り立ちを知るのは、面白い限りです。一方で、その人類が、いがみ合い、絶滅へ向かいかねない行動をとっています。知性が進んでいるのか、退縮しているのか、なんとも複雑です。

大陸打通

亡くなった伯父から直接は軍隊時代の話を聴くことはありませんでした。葬儀場で所属していた部隊名を知り、遍歴を調べてみました。主に熊本出身者で構成された部隊であり、中国・北京からベトナムを経てタイ・バンコクまで徒歩で優に4500㎞を転戦したようです。当時最長に歩いた部隊だったようです。復員してきたのは終戦後1年近く経ってからでした。20歳そこそこの伯父が戦争の時代をどういう思いで過ごしたのか、改めて興味がわきました。

それぞれの百名山

大正生まれの父方の伯父が昨日亡くなりました。先の大戦では無謀な作戦で後年知られた南方戦線からの生き残りでした。戦後は農家の長男として家庭や地域の礎を築いてこられました。そんなことを思っていたところへ高校時代の恩師から著書をいただきました。定年退職後、15年かけて百名山登山の偉業を達成されました。教え子の一人として、自分にとっての登るべき山を探してみたい気にさせられました。

成人の日

多くの自治体で昨日成人式が開催されましたが、祝日としては本日が成人の日となります。成人年齢については18歳に引き下げられることから晴れ着の売れ行きを懸念する呉服業界からさまざまな声が上がっていますが、成人を商機としてしか捉えられない声に違和感を覚えます。今年誕生した子どもの半数以上は寿命が100歳以上になると予測されていますので、2歳の差であまり騒ぐことではない気がします。むしろ80年近く現役で人生を過ごさなければならないことの重さを感じます。一方、つい70年ほど前までは寿命がその半分だったことを思わずにはいられません。ローマ法王が新年のカードに採用した「焼き場に立つ少年」の写真には、その少年の亡くなった弟が写っています。こうした悲劇を繰り返さないために今を生きる私たちはどうあるべきなのかということも考えます。

『ホロコーストを生き抜く』

イレーナ・パウエル 著, 河合 秀和 訳『ホロコーストを生き抜く 母の伝記と娘の回想』(彩流社、4800円+税、2018年)という本が近く出ます。訳者は大学時代の恩師です。御年84歳になられます。忘れることはあっても、先生を見習って学ぶことは続けたいと思います。 http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2428-0.html

フェイクを論破しよう

高校生の修学旅行先のベスト3都道府県は、沖縄、東京、京都なのだそうです。沖縄は、戦争の真実を考えるには格好の場所です。戦跡もそうですが、今も存在する基地の問題から、いろんなことが見えてくるかと思います。ともすれば、トンデモ論でメディアをにぎわす連中もいますから、それらのフェイク部分を論破するファクトを積み重ねて対処する必要があります。佐藤学・屋良朝博著『沖縄の基地の間違ったうわさ 検証34個の疑問』(岩波ブックレット、580円+税、2017年)は、手軽なファクトチェックのツールだと思います。

お歴々の顔

先日、地元小学校の学習発表会と地域住民とのふれあい教室を参観してきました。その発表会と教室活動との時間が50分近くもあったので、校長室に通され待っていました。校長室の壁面には、歴代の校長とPTA会長の顔写真の額縁がずらりと掲げられています。校長はだいたい50代、PTA会長は40代の歳のころです。昔の40代や50代はずいぶんと落ち着いていたものだなとつくづく思いました。現在の60~70代の雰囲気です。考えようによっては、人生のピークが昔よりも20年は延びた印象です。それにしても、校長先生は何十枚もの顔に見つめられて執務しているかと思うと、これほど息苦しい空間はありません。早々に退室したい気になりました。

ロシア革命から100年後に考えたいこと

一昨日は、ロシア革命から100年ということでした。当時のロシアの格差社会や革命気運と現代の日本のそれとは比較になりませんが、格差を是正して底上げをすることは重要です。所得にとどまらず教育や福祉のレベルにもその視点が求められます。そのとっかかりになるのが、税制になるかと思います。やはり高所得者や法人の税負担を上げることが、数に勝る低所得者の消費を増やし、消費税収も増やすことになります。逆に数が少ない高所得者の税負担を下げたからといって消費が飛躍的に増えるとは思われません。次に考えなければならないのは土地問題です。これはもっと安く持てるあるいは利用できるようにすべきです。特に所有者不明土地は公有化し安く払い下げることで公金を増やすことにもつながります。レーニンが求めた社会の姿には現代の課題に連なるものがあるかもしれません。

陶淵明に学ぶ老いの生き方

親戚共一処  親戚 共に一つに処(お)り
子孫還相保  子孫 還(ま)た相(あ)い保つ
觴絃肆朝日  觴絃 朝日(ちょうじつ)に肆(ほしいまま)にし
樽中酒不燥  樽中(そんちゅう) 酒 燥(かわ)かず
緩帯尽歓娯  帯を緩やかにして歓娯を尽くし
起晩眠常早  起くるは晩(おそ)く 眠るは常に早し

身内の者たちがみな一緒に住み、子どもや孫たちもまた支え合う。
朝っぱらから酒や琴(きん)に明け暮れ、樽のなかは酒が底をつくことがない。
帯を緩めてさんざんに楽しみ、起きるのは遅く、寝るのはいつも早い。

孰若当世士  孰若(いずれ)ぞ 当世の士の
氷炭満懐抱  氷炭(ひょうたん) 懐抱(かいほう)に満つるに
百年帰丘壟  百年 丘壟(きゅうろう)に帰して
用此空名道  此(こ)の空名(くうめい)を用(もつ)て道(い)わる

どちらがいいのか、今を時めく人たちが、正義と利益という氷炭相容れぬ欲望で胸をいっぱいにしているのかと。
彼らはやがて寿命尽きて墓中の人となり、むなしい名声だけが言い伝えられるのだろう。

やはり陶淵明の詩に魅かれる

ロアッソ熊本は、昨日アウェイで横浜FCと対戦し、0-2で敗れました。この結果、降格圏の山口に勝ち点差3まで迫られて、残り2試合を迎えることになりました。もしもこの2試合を連敗し、山口が1勝1分以上の成績であれば、21位となりJ3へ自動降格となります。もっとも、J2ライセンスを持たないJ3の秋田や沼津のどちらかが2位以内に入れば、降格枠は1つ減り、仮に21位に落ちても来季はJ2残留可能となります。なんとも悩ましい終盤となってきました。
同じく昨日読了した、川合康三著『生と死のことば 中国の名言を読む』(岩波新書、780円+税、2017年)で紹介されていた、陶淵明の詩にやはり魅かれました。一口に言えば、私生活を楽しむ態度です。死後に名を残したところで何にもならない。それよりも毎日を自分が納得のいくように生きるとしようという態度です。これを利己主義と捉えるのは一面的だと思います。個人の生活が大切にされる社会はどうあるべきかという重要な感覚だと思います。

生と死のことば

これから読む本は、川合康三著『生と死のことば 中国の名言を読む』(岩波新書、780円+税、2017年)。近代法の概念は、中国においては、先に欧州から輸入した日本で加工されたものが受け入れられています。しかし、人間の生死についての考察は、やはり先に文字を開発した中国の人が日本の人に先んじて書き残しています。法律の発展と異なり、生死の本質はそう変わるものではありませんから、今もって学ぶ点は多いと思います。普段の生活においても高齢者と接する機会が多いからこそ、考えてみたいものです。

地上の道

本サイトの投稿でしばしば山室信一氏の著作について触れていますが、私が現役の学生だった頃、在籍する大学の非常勤講師を同氏は務めておられました。今にして思えば、その講義を履修してなかったことが惜しくてたまりません。現在はネット動画で氏の講演を聴くこともできます。つい先日、2015年2月11日に静岡市での講演「岐路に立つ日本 ~ 今こそ活かす非戦思想 ~」を視聴しました。講演の最後の方で、氏が高校時代の先生に紹介された魯迅の言葉を引いていました。魯迅は、以下のように書いています。「 希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。 それは地上の道のようなものである。 地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。」。重要なことは、どのような時代の渦中にあって、こうした発言があったかということだと思います。単に名言として受け取るのではなく、発言者の思いを知ることだと考えます。この言葉を語るときの山室氏の姿が非常に熱を帯びていて感動しました。

歴史の否定から過ちは繰り返される

『若い読者のための第三のチンパンジー』において考察されるテーマは幅広いのですが、人間が歴史上繰り返し起こしてきたジェノサイド(大量殺りく)もその一つです。ナチスが20世紀に行ったユダヤ人や少数民族に対するそれがすぐに想起されると思いますが、今日それすらも否定する信じがたい人もいます。同書では、抹殺されたタスマニア人の例、アメリカ先住民の例、ソ連時代の粛清、カンボジア、ルワンダなどにも触れています。日本国内においてもアイヌ民族や関東大震災時の朝鮮人に対する蛮行を忘れてはなりません。そして、今日、互いの顔を見ることなく遠隔で大量殺りくが実行されることも可能になっています。日本列島の島々にも朝鮮半島にも多くの人間が暮らしています。どんな理由があれ相手を殲滅するなどと言ってはなりません。ほかの動物では行わないジェノサイドを認めることは、畜生にも劣っていることを示すことにしかなりません。

農業の起源

今読んでいる『若い読者のための第三のチンパンジー』には、さまざまな知見が詰まっていて楽しい著作です。人間が他の動物と異なるのは、言葉の使用や芸術がありますが、農業もその一つです。人間以外では、ハキリアリが地下でキノコを栽培して食料としている例があります。しかし、なぜ農業が発達してきたかというと、それは地理的な、つまり居住環境の違いではないかとみられています。数千年前の古代ギリシャやトルコの遺骨を調べた研究によると、氷河期のこの地方に住んでいた狩猟採集民の平均身長は、男性が178センチ、女性が168センチだったのですが、農業が始まるようになる紀元前4000年ごろには、男性で平均160センチ、女性は155センチへと一気に低くなっていることがわかっています。現代のギリシャ人やトルコ人よりも、健康な狩猟採集民の祖先の平均身長が高いのです。現代の狩猟採集民であるブッシュマンの一人は、なぜ農業に手を出さなかったのかと問われて、「モンゴンゴの実が山のようになっているのに、なんで植えなきゃならないんだ」と答えています。人間の歴史を振り返ると、恵まれているために農業に乗り出さなかった例がある一方で、農業の発達があったために、階級対立や大量殺りく、環境破壊といった、人間社会の弊害が起こったともいえます。だからといって、いまさら農業を捨て去ることはできないわけですが、根本に立ち戻って考えてみることはおもしろいと言えます。話は飛びますが、2020年の東京に北朝鮮の首領を招待する考えはないのでしょうか。あるいは、首領本人がたとえば射撃の選手として出場するためにやって来ることは考えられないでしょうか。そんなメディアで報じられないことを想定してみる余力も必要ではないかと思います。