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学び直しの機会

昨夜のBS放送大学の日本政治外交史では、戦後日本の領土問題を扱っていてついつい見入ってしまいました。もちろん大学時代に同名の講座は履修しましたが、時代区分としてはせいぜい第二次世界大戦前期までだったろうと思います。なんせ担当教授自身が学徒出陣で神宮競技場を行進された世代でしたから、戦後はまさに現代もいいところで歴史的資料に基づいた研究の対象ではなかったといえます。そのこともあって21世紀となって20年も経った今だからこそ見えてくる戦後の歴史があるのだろうと思います。まだ学んでいない時代に向き合いたいと思います。

香港を見る台湾の変化

けさの朝日新聞国際面の「香港 崩れた50年不変 下」では、香港を台湾がどう見てきたかをまとめていてたいへん興味深い記事でした。最初の驚きは、私自身が1997年の中国本土の現地で感じた香港返還の祝福ムードや高揚感が、1989年の天安門事件を見てきたはずの当時の台湾にもあったという記述でした。「香港は156年の植民地統治を終え、再び中華民族の胸に抱かれた」という書き出しの報告書を対中政策を担う台湾当局が出していたそうです。台湾ドルの硬貨を手にすると中華民国105年とかの年号表記があります。これは清朝を倒した辛亥革命を出発点とするいわば改元に由来します。台湾での建国の父は蒋介石というよりも孫文です。政治体制は異なっても共に中国人という意識が感じられました。ですが、けさの記事の結論は、香港の人々は自らを中国人ではなく香港人と見なす意識が浸透したのと同様に、台湾の人々も自らを中国人ではなく台湾人と見なす意識が高まったことに尽きるのかなと思いました。少し飛躍しますが、台湾のまなざしは、日本における沖縄に近しいものを感じました。そして、その台湾に近い立場が日本にあるとすれば、何なのかいろいろ考えがめぐります。

香港問題をどう考えるか

香港がイギリスから中国に返還された1997年に中国本土を訪れた経験があります。街中の書店だったか空港内の売店だったか記憶があいまいですが、店頭に香港の基本法の書籍が多数平積みされていた覚えがあります。清朝時代末期からイギリスの植民地となっていた土地がとにかく中華民族の手に戻ってきたことに対する喜びというか、祝福の気持ち、あるいはかつての宗主国との交渉から成果を得た自信のような雰囲気が本土の人々にあったのではないかと思います。しかし、50年間の一国二制度を約束した共同声明がありながら、23年後の今日にそれを形骸化する行動に中国政府は出ています。中国政府の立場からは、香港という土地はもともと中華民族のものだから、どのような統治を行うか、他国政府から言われるのは内政干渉と反論してくるのは当然です。それを踏まえると、たとえば日本が香港を占領していた第二次世界大戦が終わってから当時の戦勝国の中華民国が国連加盟国であった期間までに、なぜイギリスが今の台湾へ返還しておかなかったのかという考えもあるかもしれません。そうなると、イギリスの責任を問うのかという話にもなりますし、その後の力関係からいっても台湾が統治するのはそれはそれで無理だったかもしれません。結局のところ、香港に暮らす人々の人権の問題としてしか国際的な支援はできないのではないかと思います。思想信条の違いを理由に身体を拘束するとか議員立候補が禁じられる人権侵害の観点から諫めるしかありません。香港市民はけっして中国政府の所有物ではなく一人ひとり自立した人間として見なければならないと考えます。どの国家にあっても自国の領土内の人間は政府の思い通りに統治してよいということにはならないというのが世界の共通理解としてなくてはなりません。

進化論の誤用についての覚え書き

最近とある政党がSNSに掲載したイラストでダーウィンの進化論を誤用した表現があったことが話題になりました。同様のことは私も見聞した経験があり、昨年3月22日の本投稿でも指摘していますが、地元の小学校長が卒業式でこの誤用論を取り入れた式辞を卒業生へ贈っていました。その場に出席した私は、この無知な学校長に閉口させられました。いずれ卒業生へ対して当時の式辞について誤りを認めて撤回し、謝罪してもらう必要があると思っていますが、往々にして自称教育者にはこうした器量がないので、困難かなとは思っています。
そこで、この誤用問題のまとめを記して永く記憶に留めたいと思います。まず、1859年、ダーウィンが発表した「種の起源」の要点は、環境に適応したものが生き残る「自然選択」で生物が進化するという理論の提唱でした。ところが、1963年、米ルイジアナ州立大学の経営学の教授が、「種の起源によると、最も強いものが生き残るのでもなく、最も賢いものが生き残るのでもない。生き残ることが出来るのは変化できるものである」という誤った解釈を論文に書いたとされています。この誤用の始まりを指摘している、英ケンブリッジ大などの研究チームは、「変化するものではなく、たまたまある環境に適応したものが生き残る」「変化しない方が有利な時や、生き残りに不利な変化もある」「個人や組織の進歩や改善と、生物が世代を重ねる中で起きる進化は全く別の現象」が正しい解釈と示しています。進化論は障害者を抹殺したナチズムの優生思想においても悪用されてきた歴史もあり、人権教育を推進しなければならない学校現場における誤用はなおさらあってはならないことです。

14世紀の危機と海洋帝国の出現

岡本隆司著『世界史序説』から抜き書きしてみました。ウイグルやイラン系の商人と結びついて国際経済の繁栄を誇った元時代のモンゴル政権は、14世紀末にペストの世界的流行で瓦解していきます。世界史の中心はアジア・オリエントからヨーロッパに移り、海洋帝国として英米が隆盛していきます。そういう歴史の流れを見たところで、現代の中国が感染症の危機と戦いながら海洋進出に執心なのは、どこにその論理の源泉を見たらよいのか、いろいろ考えてしまいます。

モンゴル遊牧政権とソグド系ウイグル人商人・イラン系ムスリム商人との経済タイアップ、14世紀の危機、「ポスト・モンゴル」の時代
P.143「モンゴルのユーラシア統合のなかで、かつてないほど、広汎な資料が残った」「岡田英弘はこうした情況を、「世界史の誕生」と呼んだ」
P.144「草原では馬があれば、容易敏速に遠距離を踏破することができた。その意味で、遊牧政権の空間的な広さは、後世の大英帝国のような、いわゆる海洋国家のそれと比すべきものといってもよい」
P.145「そもそも軍事力では、遊牧勢力のほうが圧倒的な優位に立つので、権力を握るのは当然である。それでも人口に勝り、経済力を有するのは、定住社会のほうだった」「遊牧民と定住民はその生態系・慣習の違いから、往々にして互いの有無を補い合わなくてはならない」「平時ほとんどの場合は、交易・交渉を通じて関係をとり結んだ」
P.146「その商業とは具体的にいえばキャラバン「隊商」貿易である」「つとにソグド商人の独壇場であり、国際経済はかれらの牛耳るところだった」「まもなくその本拠だった中央アジアが、トルコ化・イスラーム化すると、遊牧・定住をまたにかけた経済界で活躍したのは、東方のソグド系ウイグル商人と西方のイラン系ムスリム商人となる」
P.147「チンギスによるモンゴル初期の膨張は、純軍事的な征服事業でありながら、それだけの意味にとどまらなかった。いわば国際的な財閥と結びつき、それをとりこんだからである。モンゴルはこれを契機として、いっそうの拡大を果たすことになった」「まずは隣接する西ウイグル国が、モンゴルに荷担した。杉山正明によれば、以後「国際頭脳集団」ウイグル人が「モンゴルと一体化し」、「モンゴルを誘導し、一面では乗っ取ったとさえいえる」ほど、政権運営の中枢を握ることにもなる」「ついで(中略)治下にあったイラン系ムスリムの多くがモンゴルになびいた」「ソグド系ウイグル商人・イスラム系ムスリム商人はこうして、たがいに自らの通商圏を東西に拡大させ、いっそう大きな利潤を得ることができた」
P.152「ペルシア語が当時のユーラシアの国際語であった」
P.153「徴収も、政権に近い大口の企業に、一括して請け負わせる方法が普通」「クビライ政権は農業からの徴税ということは、ほぼ考えなかった」
P.159-160「政治軍事は史料に残りやすく、したがって歴史としては、目につきやすい」「経済文化は直截の記述として史料に残りにくいものの、長期的に推移する情況として俯瞰すれば、その影響はむしろ明らかである」「時に14世紀後半にさしかかっている」「この時ふたたび寒冷化に転じたのである」「それにともなって、天災疫病が世界的な規模で発生、蔓延した。有名なヨーロッパのペスト流行は、その代表例である。いわゆる「14世紀の危機」の到来だった」
P.160「ユーラシアのモンゴル諸政権は、「14世紀の危機」のなか、それぞれ崩壊、瓦解していった。中国では、いわゆる元末明初の大乱が起こっている」「経済もこうしたなか、当然どん底にまで落ち込んだ」「ユーラシア全域の統合は史上、これで永遠に失われた、といっても過言ではない」

イタリア(地中海世界)<スペイン・ポルトガル(大航海時代・インド航路・アメリカ大陸の発見・大西洋三角貿易・アジア貿易)<オランダ(海運力)<イギリス(海洋帝国・海軍国)
P.191-192「ヨーロッパ世界の成立は、(中略)西ローマ帝国を「復興」した800年に、ようやくはじまった。これは世界史の常識だろう」
P.199「そもそも文化というものは、富のあるところにしか存立しえない」
P.211-212「西欧・北欧が優越していたのは、何より豊富な森林資源である。木材は資材と燃料に欠かせない。それは世界の勢力関係すら左右する。たとえば造船である。文明の古い乾燥地域のオリエント・西アジアで、森林は最も早く涸渇した。」
P.221「イギリスとは途方もない後発国にして、小国だった」
P.222「狭小な領地をくまなく巡回して、それぞれに戦争と課税の協力を仰ぐのが、イギリス王権のありようだった。それを制度化するため、君も民も縛る法が出現し、上が下を治め、下が上を制する議会制が胚胎したのである」
P.223「イギリスははじめて国債を発行し、中央銀行を創設した国でもあった」「財政金融のシステムは、そもそも軍事的逼迫からはじまったものである」

歴史学の進展

岡本隆司氏の『東アジアの論理』を読了した機会に同一著者による『世界史序説』(ちくま新書)を2年ぶりに再び読み始めています。私たち世代が中等教育で学んだ世界史は西欧中心の社会発展史に過ぎないということがよく分かります。同書ではオリエントの世界が今日の西欧にもたらした影響、つながりを示しています。世界宗教の成り立ちも復習でき、意外と新しいものに人は影響されているのだなと感じることができます。日頃何を見てものを考えたり、言ったりしてしまっているのか、顧みざるをえません。こうしたスケールの大きい史実を前にすべきだと思いました。

歴史を知ることと人治・法治の理

岡本隆司著『東アジアの論理』(中公新書、820円+税、2020年)を2~3時間程度で読み終えました。本書は近年「週刊東洋経済新報」で著者が持っていたコラムが元になっています。そのため、軽いタッチで読みやすかったので、半日とかからなかったのだと思います。南北朝鮮の対日観、たとえば日本に対する蔑称の情報など、それが日本に伝わらないことも含めて初めて知った情報もありましたが、改めて歴史を知るということは、どういうことなのかを考えさせられました。私たちはある歴史家の考えを学んで歴史を知った気分になる恐れがないかという思いです。たとえが的外れかもしれませんが、同じ建築資材を使って建物を造っても当然のことですが、建築家次第でまったく異なる建物ができあがります。同様に同じ食材を使っても、料理人次第でまったく異なる献立・味付けの料理ができあがります。パーツ実物は一つでもその構成やら組み立てによりずいぶんと変わったものになります。偏見ついでに言えば、私が20代のころに仕事で接したさまざまな職業の人たちの中で、圧倒的に建築家と料理人には変わり者が多かった印象があります。客のことよりも自分の思い、信念が強すぎる人物がそれらの仕事に就いている傾向が強いと感じました。本書に話を戻すと、歴史家の言うことも建築家や料理人と同じく自らの見立てであって、それに接する側はそういうバイアスがかかっていることを十分意識すべきだと考えます。ジャーナリストもそうですが、特に歴史家の場合、それが専門家であればあるほど、特定の地域や時期のことは詳しく知っているけれども、それを外れると非専門家と大差ないため、専門外の事象になると結構いい加減な考えしかもっていないのではと思います。その点、法律や政治の世界はもともと人は信用ならないという考えに立ってシステムを組み立て運用しようとします。つまり、人治ではなく法治という考えです。権力者を法律で縛るという立憲主義も、権力者は信用ならないから生まれてきています。だから、権力者は自らに都合の悪い憲法や法律を軽んじようとするものです。もう一つ権力者について言えることは自らの存立にとって都合の悪い歴史を見ようとしない、語ろうとしない性質があります。それで、しばしばありもしない与太話、つまり神話を教育に持ち込もうとする国家もあります。その国の中では触れられない歴史のタブーについては、かえって他国の歴史家の研究に頼るしかない側面もあります。

それぞれの論理

次に読む本は『東アジアの論理』です。確かに互いの歴史を知らないと、その主張が正当であっても相手が受け止めてくれず反発だけを招き、事態を深刻化させることがあります。そこは国民が賢くなるしかありません。政府によっては自国民に歴史の真実に目を向けさせないこともあります。そして歴史が示すように政府の論理というものは不変ではありません。ところで、東アジア情勢にも大きな影響をもつ現在の米国大統領の思考というのは、いかに自国を事業でもうけさせるしか関心がないのだなと思わされます。自国の軍隊も海外にあっては傭兵産業、役に立たない武器・防衛装備品も高額輸出商品ということでしか考えていないようです。そんな人物がいつまでもその地位にいるわけではないので、うまくやり過ごす知恵がないのが私たちの政府に欠けているように感じます。

沖縄慰霊の日

きょうは沖縄慰霊の日です。改憲レガシー固執や辺野古への新たな米軍基地負担に邁進する首相のあいさつを沖縄の人たちはどのような思いで聴いたのでしょうか。戦没者とは軍人の戦死者だけでなく民間人を含めたすべての犠牲者を指すことを改めて意識したいと思います。何度も指摘しますが、永年続いている本市の慰霊のあり方も変えていかなくてはなりません。

なぜ歴史を学ぶべきか

本投稿で何度か触れましたが、『中国と東部ユーラシアの歴史』はたいへん有益な歴史解説書でした。中国の今と未来志向を知るには歴史を学ぶ必要が高いということが理解できました。それを知って現代中国の政権はたいへん難しいこと、無理なことをしようとしていると思えました。どう付き合えば、相手を動かせるのか、そうした点も語学力以前に歴史的知識に基づく洞察力が必要だと思います。さまざまな民族の事情を理解することで、在留資格申請取次の業務においても役に立つと感じます。

戦没者遺族としてすべての犠牲者の慰霊を行いたい

昨日、市社会福祉協議会評議員会で私が意見した、戦没者合同慰霊祭の慰霊対象者の範囲についての中間回答をけさ口頭で受けました。まず従来は地方公共団体である市の主催だったのが、靖国神社と密接な戦没者遺族会の事務局を務めるわけにはいかないので、市社協へ移管されたのだろうということでした。市社協もその事業の大半が市からの補助金で運営されていますから、十分に公的機関であるので、あまり説得力はありません。ともかく、経緯として慰霊の範囲はあくまでも軍人・軍属として戦死・戦病死された方々という見解でした。繰り返しになりますが、すべての戦争犠牲者を追悼してこその慰霊であるべきだと、私自身が戦没者遺族になるので考えます。たとえば先の大戦では国内にあっても空襲で命を失った民間人は多数います。墜落死した米軍パイロットや戦後抑留中に亡くなった方もいます。無事復員した軍人の影には戦地の敵軍や現地の民間人の死もあります。これまで市内にさまざまな宗教家も政治家もいたでしょうし、慰霊祭を取材した地元マスコミもいたでしょうし、なぜ戦争で命を落とした人の範囲を絞って慰霊するのか、疑問をもたなかったことが不思議でなりません。

戦没者慰霊の対象者と慰霊の意味

今年は新型コロナの影響で地元市の戦没者合同慰霊祭が中止となりました。熊本地震で慰霊塔が損壊被害に遭い、2016年と2017年も中止となり、復活開催されるようになった2018年と2019年については主催者から招かれ参列するようになりました。その2度の慰霊祭で聴いた県会議員と地域振興局長の来賓あいさつの一節が2回とも不見識だったので、2度とも本ページに投稿したことがありました。本日は主催者である市の社会福祉協議会評議員会でしたので、事業報告議案に対する質問として慰霊対象者の範囲について訊きました。まず共催者が戦没者遺族会であるので、日清・日露戦争から太平洋戦争にいたるまでの本市内出身の戦死者・戦病死者1330柱余が対象であることは明確でしたが、空襲等で命を落とした民間人が対象となっているかは不明でした。市の社会福祉協議会の事業として行う以上、国内外を問わず戦災死した方を含めて慰霊すべきであると意見を述べました。

元・明・清と現代中国の統治構造

放送大学テキストの『中国と東部ユーラシアの歴史』を読んでいます。元、明、清それぞれの統治構造や対外問題の歴史を通じて現代中国の志向するところが理解できるような気がします。私たちが中等教育で学んだ世界史は西洋史に重きが置かれており、中国については日本との係わりという視点からにこれも重点があったと思います。一方、現代中国も一つの王朝という捉え方をするならば、民族や宗教の歴史が絡んで当事国においては客観的に史実を学べない環境にあるのではとさえ思います。歴史を学ぶ上での研究成果の進展や当事者性の影響を覚えました。

自国の歴史が語れない不自由で感じたこと

31年前の6月4日の出来事が自国内では語れない国民にあってはSNSにおいて匿名でしか意見表明しないことは理解できます。一方、建設的な議論の交流においては、顕名で投稿するのが原則だと思います。特にわが国のSNSではしばしば権力の側やその応援団を自認する立場の輩が都合の悪い論調の批判を匿名で発信するので始末が悪いように思います。

中国と東部ユーラシアの歴史

普段はインターネットラジオで聴講する機会が多い放送大学の講座ですが、昨日はたまたまBSTV放送の講座で「中国と東部ユーラシアの歴史」第9回を視聴しました。明から清への変わり目と清のマンジュ人による統治形態の講義が興味深いものでした。現在の中国では漢人が圧倒的多数であり、マンジュ人は少数民族です。他の少数民族もそうですが、同化の道を辿っています。明の時代や。清の時代を知ることで、世界は中国の為政者が何を志向しているか、被治者の少数民族の問題を理解できます。

読書に親しむ

近年は文学作品を手にすることは少なくなっていましたが、中高生時代は多読していたと思います。幸い今は時間に余裕があるので、昨日も中学生のときに読んだザミャーチンとブルガーコフの作品を読み返しました。いずれもロシアの作家です。作品にはスターリズムの負の影が反映されていて、資本主義にしてもソ連型社会主義にしても発展と隠された奴隷制はセットではないのか、常に今日的課題なのではという思いがします。ずいぶん前に読んだ作品ですが、自分の市民感覚の素地が養われた過程を振り返られてそれも面白い体験でした。

傍聴と読書のすすめ

藪野裕三著『有権者って誰?』の中で、かつて著者のゼミ生を伴って議会傍聴をしていたことの紹介がありました。これは若い有権者である学生が自分の無知を知るいい機会となったと言います。傍聴を受け入れる議員や行政側にとっても緊張感がみなぎる効果があったと言います。確かに傍聴者自身の知見を高めるには有益です。議員が質問をする際にはそれなりに勉強はしてきていますので、テーマの争点整理や争点に伴う情報を知ることができます。逆に議員の質問内容によっては、議員の無知を知ることもできます。昨年、地元市議会で傍聴したり議事録を読んだりして、お話にならないレベルの質問に接した経験が私にもありました。たとえば、図書館や博物館の機能を理解せずに外形的な判断で、指定管理者制導入を推奨したケース。応募者の居住地で職員採用枠を設けるように提案したケース。前者は図書館を無価値な古本集積場とカフェをセットにした娯楽施設を公共施設にするというバカげた考えでした。後者は、応募者がどこに住んでいるかで採用選考を行う人権侵害・就職差別を助長する浅はかさでした。
今、外出を控えて自宅で過ごす時間が増えています。ぜひ読書を勧めます。昨日は、中学生時代に読んだサルトルとカミュの作品を手に取り読みました。二つの発見がありました。一つは翻訳本である場合、原著者と同時代の訳者による翻訳文が時代背景を的確に伝えるということでした。もう一つは、読み手側の時間の経過です。中学生時代に記憶に残った箇所と現在の年齢で刺さる言葉の箇所との違いです。この読み手側の変化・差異の発見という楽しみもあるのを感じました。さらに、70年代半ば頃の国内における海外現代文学といえば、圧倒的に欧米文学でしかなく、当時はアジア・アフリカの文学に親しむ機会はほとんどなかったことも改めて感じました。中高年が世界を知らないのはもっともなことです。

無知を知る

藪野裕三著『有権者って誰?』は、中高生など若い有権者向けに書かれた本でしたが、55年体制後の有権者の投票行動の変遷を知るにはいいテキストでした。一票の集積が55年体制に大きな変化を与えた政治テーマとして著者は、消費税導入を指摘しています。確かに消費税は、全世代の国民に係るテーマで、現在の新型コロナ対策に匹敵するものです。あと同書で興味深かったのが、大学進学率の向上の一方で、勤労生活からもたらされる社会課題への関心の低下という流れでした。有権者の年齢下限が近年18歳に下がりましたが、今高校を卒業して働く国民の方が少数派です。それと労働組合そのものの組織率が低くなり、組織されていても力がなく、働きながら社会課題を考え政治を語ることがなくなってきています。社会にいながら政治に主体的に参加する環境が失われてきています。本来は学校教育の場で政治参加について学ぶのですが、投票を促す教育はあっても、社会課題について意見を交わす素地がないのではと思います。私が在学していたころはまだしも社会のことを考える教員がいましたが、今は組合活動をする教員と出会う機会がほとんどありません。市民運動を支援するような教員と出会うことはまれです。極端に言えば社会について無知な勤労者が増えているのではないかと思います。まずは自分の無知を知ることから始めたいと思います。自分とは立場が異なる人の存在を知ることを努めたいものです。

知の力

まだ読んだことはありませんでしたが、『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』、『21Lessons』など、人類史の視点から世界的ベストセラー書を出しているイスラエルのユヴェル・ノア・ハラリ氏のインタビューが昨日の朝日新聞に載っていて、なかなかいいことを言ってました。
「情報を得て自発的に行動できる人間は、警察の取り締まりを受けて動く無知な人間に比べて危機にうまく対処できます」ということからは、独裁よりも民主主義と市民の視点で政府を監視するメディアの力に信頼を置いていることがうかがえました。ウイルス感染の危機が去るまで数年は覚悟しないといけないと思いますが、それを達成するのは政治リーダーだけでなく国民の知の力がどれだけ備わっているかにかかっていると思います。
「無知によってばかげた陰謀論を信じるようになる」ことこそ危険なことはなく、憎しみではなく国際的な連帯が必要とも言っています。ここでも耳を傾けるべきなのは科学的な専門家の声です。科学には医学だけではなく、歴史といった人文科学の知も含まれます。ウソを見破る知の知からをこういう環境だからこそ全世代が培うべきだと思います。

どっちみち妖怪

八代市の博物館では、しばしば松井文庫所蔵の「百鬼夜行図」が展示されており、過去の展示会で見に行ったことがあります。この絵巻は、江戸時代の1832年、細川家の御用絵師矢野派の絵師によって描かれたもので、58種の妖怪たちが登場しています。熊本ゆかりの″アマビエ″は描かれていませんが、「ぬらりひょん」や「いそがし」、「どふもこふも」など、名称からしてユニークで現代にもいそうな妖怪が載っていて楽しい絵巻です。地方議会における公務員の虎の巻本には、答弁の際の有用な言葉として、「いずれにいたしましても」という枕詞があるそうですが、これは根拠理由の説明をぼかして結論だけ述べる際に使えるそうです。いわんとすることは、「どっちみち」という意味で、説明責任を果たしたくない議場内に巣くう妖怪たちが好むとされています。八代の妖怪絵巻はもともと松井の殿様が描かせたものでしたが、妖怪図鑑に名を借りた人間観察図鑑だったのではと思えます。