カテゴリー別アーカイブ: 教育

反故にするまえに

高校時代の恩師が15年前に記された私家版の著書『反故にするまえに』をいただきました。昨日電話をいただき、新著と共に同書についても話題にしたところ、自宅まで進呈に見えられました。ありがたいことでした。何か御祝の席を設けたいと思いました。

それぞれの百名山

大正生まれの父方の伯父が昨日亡くなりました。先の大戦では無謀な作戦で後年知られた南方戦線からの生き残りでした。戦後は農家の長男として家庭や地域の礎を築いてこられました。そんなことを思っていたところへ高校時代の恩師から著書をいただきました。定年退職後、15年かけて百名山登山の偉業を達成されました。教え子の一人として、自分にとっての登るべき山を探してみたい気にさせられました。

就職ガイダンス

今日は今年最初の就職ガイダンス講師の業務に携わりました。相手にとっては今年どころか人生で初めてという場合もあります。なかなか緊張するものです。ある漢字を間違って教えたのに帰宅してから気づき学校へ連絡して相手に伝えてもらうようにしました。次回は来月になります。気を引き締めて臨みます。

久しぶりの審判

全国高校選抜大会県予選が開かれるということでウエイトリフティング競技の審判に久しぶりに携わりました。このところ地元の行事が重なることが多く足が遠のいていました。有望選手が育つ一方で審判の人材が薄いのが心配です。今週と来月はこの大会に出場した2校へ別の事業で訪問します。

考えると確認と

センター試験の地歴と公民の試験開始時刻の間違いがよく発生するのだという記事がけさの朝日新聞に載っていました。1科目受験と2科目受験による勘違いから結構起こっているそうです。始末が悪いのは、学校の先生の無理解から生徒に間違った情報を与えているケースもあるとか。まずは、受験生自らがよく考えるなり確認するなりして、安易に学校の先生の言うことを信じないことだと思います。受験生が向かおうとしている世界は、まさに正解を覚えるのではなく自ら考えてその正しさを自ら証明するところだと思います。

文系理系の区別は無意味

本日のように雪が降る季節はセンター試験など大学入試の季節です。そこで思うのは数学の得意不得意が文系理系の区別を増長する悪しき風潮です。ある大学では数学の入試では記述式に重きを置いているそうです。記述式解答では、受験者の思考法が現れます。マークシート式解答と異なり部分点も獲得できます。そもそも論として学問とは正解を覚えることではなく、真理を考え極めること。そのための訓練というか素養として数学は優れています。人文科学の道に進む学生であっても数学的思考力が必要だと思います。

成人式

宇土市の成人式式典会場へ初めて入りました。自身が20歳のときは東京都北区在住でしたので王子公会堂(今はその施設はないようです)で開かれた式に出ました。ステージ上に区長や区議がずらりと並び、区議会の紹介みたいな式でした。ケンちゃん・チャコちゃんで一世を風靡した俳優が同世代として壇上で紹介されたのも記憶に残っています。それに比べると、宇土市の成人式は当事者たちが進行企画して式典そのものはコンパクトにまとまっていてよかったと思います。目的は最後の記念撮影会なんだろうなと思いました。式典はさっぱりしたものがいいと思います。

行政不服審査制度への信頼失墜

けさは近くの学童クラブを訪ね、児童とふれあい活動を行ってきました。段ボール紙で大きな将棋の駒を作り、将棋を楽しんだりしました。さすがに小学1~3年生と遊ぶのは体力を使います。世の中のおじいさんおばあさんの苦労を感じました。明日も別の学童クラブを訪ねて民生委員児童委員のPRを行ってきます。
ところで、25日の朝日が、水俣病と認定されなかった人の不服申し立てを審査する国の公害健康被害補償不服審査会側が、裁決の見通しを事前に環境省に漏らしていたと、報じていました。これは行政の適正な運営を確保する行政不服審査制度への国民の信頼を大きく損なう不当な介入です。加計学園問題で「行政のあり方が歪められた」ということがありましたが、環境省自身が「行政のあり方を歪めた」、自浄能力を放棄した憂慮すべき行為です。なんとも腹立たしい思いを持ちました。

陽子崩壊

けさの朝日新聞の「科学の扉」欄で驚いたのが、陽子崩壊を証明できればノーベル賞級の発見だということでした。陽子にも寿命があれば、陽子が崩壊するということになり、すべての物質の崩壊につながるというわけです。つまりは宇宙そのものがなくなるという哲学的な問題になります。なんとも壮大な話です。

フェイクを論破しよう

高校生の修学旅行先のベスト3都道府県は、沖縄、東京、京都なのだそうです。沖縄は、戦争の真実を考えるには格好の場所です。戦跡もそうですが、今も存在する基地の問題から、いろんなことが見えてくるかと思います。ともすれば、トンデモ論でメディアをにぎわす連中もいますから、それらのフェイク部分を論破するファクトを積み重ねて対処する必要があります。佐藤学・屋良朝博著『沖縄の基地の間違ったうわさ 検証34個の疑問』(岩波ブックレット、580円+税、2017年)は、手軽なファクトチェックのツールだと思います。

お歴々の顔

先日、地元小学校の学習発表会と地域住民とのふれあい教室を参観してきました。その発表会と教室活動との時間が50分近くもあったので、校長室に通され待っていました。校長室の壁面には、歴代の校長とPTA会長の顔写真の額縁がずらりと掲げられています。校長はだいたい50代、PTA会長は40代の歳のころです。昔の40代や50代はずいぶんと落ち着いていたものだなとつくづく思いました。現在の60~70代の雰囲気です。考えようによっては、人生のピークが昔よりも20年は延びた印象です。それにしても、校長先生は何十枚もの顔に見つめられて執務しているかと思うと、これほど息苦しい空間はありません。早々に退室したい気になりました。

専門的知性と市民的知性の往復

石井洋二郎・藤垣裕子著『大人になるためのリベラルアーツ 思考演習12題』(東京大学出版会、2900円+税、2016年)のP.280に「専門的知性と市民的知性の往復」が必要な理由と内容として、以下のように記されています。「専門知は、現時点でなにが確実に言え、なにが確実に言えないのか、その限界を正確につたえられるものでなくてはならない。同時に、現場にいる人の不安の中で、問題をさらに聴き直し、別の専門家と共同できるものである必要がある。このとき、高い共感性をもって市民的知性によりそうことと、距離をとって観察することとのあいだには、さまざまな距離感が設定できる。」。ここでいう専門知とは、学者を指していますが、他の専門職、たとえば政治家であるとか、行政書士であるとか、WEBプランナーであるとかにも言えそうです。信頼できる専門家かどうかの判断をつけるには、上記の回答ができているかどうか、つまり応答責任を果たしているかどうかという視点から、市民はいろいろ聴いてみるべきです。

PTA教育講演会

地元小学校のPTA教育講演会に昨日出かけました。昨年の講師はエセ占い師による最悪の内容でしたが、聴講した支持者というか半ば信者の方々には当然のことながら評判が良かったようです。さて、今年は地元民放TV番組で「家族がいちばん」のコーナーを持つタレントの方でした。本人も言われる通りもっと若い別の地元男性タレントとよく間違われるそうで、かくいう私も当日まで混同していました。講師は46歳、初の講演ということで22歳の娘さんも同行されていました。話の内容としては戦中生まれの両親に育てられた貧しい家庭環境や自身の学習経歴、育児方針などが主でした。本人は予習復習をしっかり行い、高専を首席卒業されたそうです。大学編入学後、大学院まで進まれたということでした。子育て時代は学習机をリビングに置いたと言われていました。感謝、尊敬、信頼、愛情、成長といったキーワードが頭に残りました。小学校としては大規模校でPTA会員は1000人を超えるのですが、受講者は役員や教職員を中心としたわずかに44人というのがご愛敬でした。総じて今年は趣旨に合った割と良質の講演会だったように思います。

耳学問かもしれませんが

このところの趣味は、睡眠前のラジオによる放送大学の講義聴講です。科目としては、政治、経済、法律系が多いのですが、結構聴いてておもしろいです。講師の中には現役の学生時代に同じキャンパスで講義を受け持たれていた方もいます。今になって現役時代に逃した価値を知るのもおもしろいものです。写真はこれから読む本です。

子どもの将来を考えた税制と社会保障を

朝から飛翔体が発射されたニュースがありましたが、結局のところ撃たれたらすぐには分からない、迎撃や避難対応は難しいということが分かっただけという思いを強くしました。撃つ側に付き合って高価な迎撃武器を取り揃えても、わざわざ的を提供することにしかならないという気がします。そんなことにカネを捨てるよりも国の将来を見据えたら子どもの福祉と教育を充実させることが先決です。こうした議論について国内で出てきているのは「子ども保険」と「All for All」ぐらいが目立つ程度です。どちらがいいのか、他にいい政策はないのか、飛翔体に飛びつくのもいいですが、こちらを真剣に考えないと自滅の方が早くて現実的な感じがしないでもありません。

高校生の演説を問題視する国を知りたい

スイスのジュネーブで開かれている軍縮会議で、広島・長崎など全国から選ばれた高校生代表が、3年前から毎年行ってきた核兵器の廃絶を訴えるスピーチを、今年の会議ではできないことになっています。この理由について、日本の軍縮大使がNHKのインタビューに答えて、高校生のスピーチを問題視する国があったことを挙げています。さらに、「私どもとしてはこれまでのように実現したいと考えていたが、一部の国から異議があった以上は、強行するわけにはいかなくなった」と説明しています。それなら、その問題視している国はどこなのか、なぜ日本の軍縮大使は、演説実現に動かなかったのかを知りたいと思います。と、その問いと答えはNHKの報道になかったので、分からないのですが、これでは軍縮大使ではなくして軍拡大使、これが核兵器禁止を求める国民の代表とは言えないと思います。まったくもって腹立たしい限りです。問題視しているのは、情けないことに今の日本政府そのものではないのでしょうか。不名誉で恥さらしの政府代表を送り込んだものです。

スポーツの高齢化と国際化

この週末は、熊本県のウエイトリティング選手が出場する大会が3つ重なりました。まず、県協会の財政にもっとも影響する国体九州ブロック大会は7位と低迷して追加代表枠の獲得はなりませんでした。練習量豊富な大学生選手がおらず、日頃仕事優先の社会人が出場するのですから、予想はされたことです。18年前の熊本国体の資産はなくなってきたようです。一方、出場選手の中にある納豆製造会社の社員2名がありました。ここの女性社長が自らもウエイトトレーニングをたしなむため、理解があり、先々選手の勤務先として有望視しています。国体の少年代表選手を決める選考会については、1名全国優勝を狙える素材がいますが、他は全国上位と開きがあります。もう一つ、新潟で行われた全日本マスターズには中高年選手が多数出場しました。ある意味、選手層が厚く、好成績であれば、世界大会に出場できる可能性もあります。この大会は審判員も選手が務めることになっていて、競技ももちろんですが、参加者同士の交流が楽しみになっているようです。五輪がそうであるように、政治や思想信条とは別にいろんな人間同士が出会うおもしろさこそがスポーツの効果なのではと思います。