カテゴリー別アーカイブ: 教育

学校教育とは

昨日は地元の小学校長の講演を聴く機会がありました。地域住民に学校教育の今を理解してもらうための企画だったのですが、学力アップには遺伝的能力や家庭環境(学校教育外支出の高さ、保護者の子どもへの期待の高さ、保護者の所得の高さ、母親の学歴の高さ)が、学校教育の中身と共に影響しているというお話でした。裏を返せば、学力向上の要因は学校教育のレベルだけではないように聞こえました。家庭環境をだれがどう後押しするのかというのは、やり方を含めて難しいもんだいだとつくづく思わされました。

次に読む本は『拉致と日本人』

これから読む本は、蓮池透・辛淑玉著『拉致と日本人』(岩波書店、1700円+税、2017年) です。両著者の本は初めてですが、これまでの新聞取材等で知る発言を辿ると、ぶれずに真っ当なことを話す人だという印象を持っています。日ごろ襟に青リボンの徽章を着けて威勢がいい割には、日本と周辺地域との歴史に疎そうな人たちにも読んでもらいたいものだと思います。

何事もたやすくはない

監督交代で臨んだ昨夜のロアッソ熊本のゲームは0-3の敗戦。応援していなければなんてことはないのでしょうが、またしてもストレス耐性が高まってしまいました。一方で中学生プロ棋士の快進撃が止まりません。昨日はアマの学生名人を下しました。こちらの分野は子どもたちの将棋熱を高めているようで、かつて私の家族が通ったことのある地元の子ども将棋教室に参加する子供がずいぶん増えているということが、昨日の地元紙にも書いてありました。精神的強さを鍛錬する場としては将棋の効用は高いと思います。

正しい消火方法

福岡市民防災センターを研修で訪ねる機会を得ました。いろんな体験ができるなかで、訓練用消火器を使って正しい消火方法を学ぶことができます。まず火災が発生しているのを見たら、周囲にも消火を手伝ってもらったり、119番通報をしてもらうために、大声で「火事だ」と叫んで消火器を使用します。消火剤をかける際は火の根元をねらいます。ただし、住宅屋内において天井にまで火が及んだ場合は、消火は不可能ですから、今度は大声で「逃げろ」と叫んで避難すべきということでした。

「比較で見る」と「後ろの眼」

人生が有限である以上、無知のままでいるか、学知に触れるかで、個人の一生やその集合体である社会のありようは大きく異なる気がします。その学知に触れるにも手法を間違ってしまうとそれは学知にならないのではと思います。ようやく山室信一著『アジアの思想史脈』を本日読了しました。きょう読み進めた箇所でも著者のエッセンスを感じました。
p.318「何よりも、自己の学知の固有性を問い返すことは、決して夜郎自大の自己中心主義ではなく、新たな自己認識に繋がるはずです。つまり自分が対抗しつつ、自分が一体何なのかという、自分の立場、スタンスをきちんとそこで見きわめるということです。他との違いでこそしか、それはわかりませんから、他との違いで見る。もちろん自分のことは自分が一番知っていると思うかもしれませんが、自分のことが一番わからないのも自分です。ですから他との比較の中で、自分の位置というものをきちんと見ていく必要があるわけです。」
また、歴史に学ぶとはどういうことなのかについては、次の言葉が突き刺さりました。
p.330「人には誰も「後ろから押しているもの」があり、それは先人であったということです。私が何ものかを学ぶことができたとすれば、それは私より先に生まれた人々に、さまざまな考え方や生き方を示してもらったことに依っています。何よりも、ものごとを考えるための言葉や概念を受け継がなければ、何もできなかったはずです。」「さらに、「後ろの眼」は、また違った意味でも、私たちの今、を凝視しているように思えています。それは、後代の人たちから差し向けられる眼差しです。」

実力差は僅差

久々に家族のために菊池市まで送迎を行い、熊本県高校総体剣道競技の個人戦を観る機会に恵まれました。県内には全国レベルの強豪選手がひしめいていますが、そうはいってもその実力に大きな差はないのを実感しました。諦めず自惚れず因果関係をよく考えながら鍛錬すれば相当のレベルになるというのを感じました。確かに対戦競技は相手次第のところはありますが、必ず勝機はあります。スポーツといえども研究に尽きるというのが、私の考えです。

非暴力・非戦の思想

山室信一氏の著書『アジアの思想史脈』p.220において、非暴力・非戦の思想を貫いた故・北御門二郎氏が、かつて宇土高校でトルストイの思想を語り、同氏が翻訳した『イワンの馬鹿』を当時の高校生らによる版画集に結実したエピソードがその出版物の写真入りで取り上げられていました。この版画集には私の高校時代の担任・坂田燦先生がかかわっているだけに誇らしいものがあります。

まだ知らないことがある

前文部科学省事務次官が現役の課長時代に発信していたブログで義務教育国庫負担制度の問題があることを知りました。従来は義務教育に係る費用は国が半額を負担していたのですが、これがある時期から3分の1に減りました。その分、国から地方自治体へ交付される財源が増えたのですが、これが必ずしも義務教育に充てられるわけではなく、一般財源として他の用途に使われる恐れが出てきました。つまり、公立小中学校の先生たちの人件費が減るので、雇える先生の人数が減り、学校の統廃合が進められ、児童が受けられる教育サービスが削られる結果になるというわけです。うかつにもこうした自体が進行していたとは知りませんでした。公立小中学校の先生たちからこのような実態について話を聞いたこともありませんでした。何よりも許せないのは将来を支える児童の教育機会を低下させるということです。まだまだ子どもを取り巻く環境について注意を払わないといけないと実感しました。写真は記事と関係ありません。きょうは所属団体の総会でした。

ニコラにーさん

昨夜放送のTBS「マツコの知らない世界」の次週放送予告で、懐かしい顔を発見しました。
私の高校、大学時代を通じての先輩のチェキ写真家の米原康正さんが登場するみたいです。2012年1月11日の朝日新聞教育欄では、10代前半の少女向けファッション誌『ニコラ』(新潮社)の読者相談コーナーでの回答者「ニコラにーさん」としても活躍されている様子のインタビュー記事が載ったのを覚えています。1997年の『ニコラ』創刊以来、少女たちの悩みに媚びずに本気で回答する人柄が支持されているということでした。

生徒第一ならいいが

2年ぶりに開催ということで短時間でしたが、高校の体育祭会場をのぞいてきました。晴天で暑いのでそこそとで戻りました。私自身はこうした集団行動になじめないたちで、当時も張り切って臨むタイプではありませんでした。参加する生徒たちが満足してくれればいいと思います。

radiko

このところの趣味はradikoの放送大学コンテンツの乱聴です。政治、経済、法律、その他もろもろ。ライブで聴くこともありますが、放送1週間以内のライブラリの聴講もできます。時間と場所を選ばず無料で楽しめるツールです。

教育を受けさせる義務

これは、お試し改憲に邁進したい首相の完全にウケ狙いだと思いますが、高等教育の無償化が語られています。思うに、高等教育の無償化は、憲法を変えなくても、教育を受けさせる義務がありますから、これは可能ではないでしょうか。子どもの人口が減ってきていますが、それとは関係なく高等教育を受ける機会を増やして、国民のレベルを上がることが、税収の増加、福祉の向上につながります。義務教育といえば、子どもは小学校と中学校だけは絶対に修学しなければいけないと考えている保護者がほとんどですが、それはまったくの誤りです。子どもの義務ではなくて、国やその代理人である保護者の義務です。

立憲主義に基づく自省を

ただ改憲をやりたいだけの首相やその追随勢力は、権力の暴走を縛る憲法の理念が実現できたかという、立憲主義に基づく自省を試みたことがあるのでしょうか。彼らの発言を聞くと、到底そうした理解がなされているとは思われません。たとえば、福島の原発事故被災者や水俣病患者、ヘイト被害者、その他人権を踏みにじられた多くの人々の存在を思いやった発言はなく、ただ一方的に排外的な主張を繰り返すのみです。彼らが進もうとする道はやがて自らの人権も侵される自滅へと続くことを知ろうとしないのが、不幸です。ここで突き放すのではなく、どのように目を醒ましてもらうのか。絶え間ない発言が必要なのだと思います。

無知と無恥

「一番のがんは学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」と発言した地方創生大臣がいました。学芸員資格を持つ一人としてこの大臣は、ほんとうに物を知らないのだなと思いました。その後の報道によって発言の根拠にした出来事も誤りか事実が確認できないものであることが分かっています。学芸員の仕事は、まさにこうした事実の積み重ねを考察検証して文化財の価値を世間に解説するわけですから、この大臣の価値はどう受け取られたか容易に知れます。いま審議に入っている共謀罪にしてもそれを出す法務大臣の資質が問われています。しかし、この二人の大臣の経歴を見ると、世間的に言うエリートコースを歩まれています。それにしては、あまりにも無知過ぎて本人が恥じ入ることがないという悲劇を生んでいます。大臣に据えるには本物の知的エリートであってほしいと思うのですが、任命する方の知性を考えればこれまた無理な願いという気になりました。

地域住民ネットワーク

昨夜は地元諸団体の合同監査に続いて関係者の懇親会に参加しました。嘱託員、老人クラブ、婦人会、そして民生委員。孤独死を防ぐ活動など住民のネットワークこそが第一だと感じました。暫定21位に低迷するロアッソのゲームの行方も気になりますが、今夜は地元小学校PTA主催の懇親会に参加です。

新しい職務

新年度になって新たにお引き受けする予定の職務が増えてきています。例を挙げると、社会福祉法人の評議員、医療法人の監事、教育委員会関連事業の委員などです。正式に選任されたら随時沿革やプロフィール欄に追加表示していきます。行政書士登録も今月から7年目に入ります。何に関心が高いかというと、福祉、教育、国際、農業といったところのようです。それぞれ別々のようで関係することも多い感じを受けます。さまざまな団体の事業運営の役に立ちたいと思います。

入学おめでとう

あいにくの雨でしたが、新入生128名を迎えての地元小学校の入学式に出席してきました。校長式辞で学校長が新入生に対して3つの約束を呼びかけていました。「1.絶対に道路に飛び出さない。2.先生のお話をしっかりきく。3.大きな声であいさつをする。」の以上です。小学校入学から半世紀近くも経つと、3はともかく道を踏み外してしまうことや人の話を聴かないことは多々あります。実はそれが面白くて、逆に学校生活というくくりのつまらなさなのですが、開校しかかった変なモリトモ小学校と比べたら、比較にならないくらいマトモな教育を子どもたちは受けられるわけで、とにかく楽しんでほしいと思いました。

押しつけの鋳型を問い直す

4月9日の朝日新聞読書面に、新任の書評委員である野矢茂樹氏による、三谷尚澄著『哲学してもいいですか?』(ナカニシヤ出版、2200円+税、2017年)の書評が、さっそく登場していてたいへん面白く読みました。評者も著者も共に哲学者ということで、大学から哲学教育が追いやられようとしていることに危機感を抱いておられるようです。もちろんそれは自分たちの食い扶持が失われるからというレベルの低い話ではありません。「文科省は、とりわけ人文系の学部に対して、これを学べばどういう職業的技能が身につくかを明確にせよと求めてくる。」「文科省は学生を鋳型にはめようとしている。」「他方、哲学は鋳型そのものを考え直し、論じようとする。」「こわいのは、学生たちの多くもまた、鋳型にはめてもらいたがっているということだ。」と、評者は語ります。大学へ天下り先を求めてきた文科省OBたちの職業的技能は、おそらくなく、補助金獲得のためのお付き合い的人質でしかない、などという見方を養成するのは、まさに哲学教育を抜きにして不可能だと、私は常日頃考えています。
それが当たり前なのかどうか、本来の目的は何なのか、人の社会生活で問い直すべき事件・事象は山のようにあります。余裕がなくて暴走する政治には特に哲学的言論行動がものを言います。ぜひ哲学してみたい気持ちになりました。