教育」カテゴリーアーカイブ

学校と社会の常識格差

先日、3年ぶりに開かれた地元小学校との情報交換会に参加する機会がありました。常日頃、学校での常識と社会の常識との格差を感じる点があって、意見を述べさせてもらいました。
1.法的義務を果たしているか? 例に挙げたのが、学校におけるいじめ防止対策委員会の活動についてです。いじめ防止対策推進法では、学校内だけではなく外部の専門人材も入った委員会の設置義務があるのですが、当該校ではこれが果たされていませんでした。学校内のメンバーだけでの委員会ではどうしても学校長の判断が優先され、組織的に適切な対応ができないことが多く、仮にいじめ事態が発生しても対応を誤る可能性が高くなります。コロナを理由に外部人材を入れていませんでしたが、法的義務を満たしていない点では変わりありません。
2.施策の効果を考えているか? 当該校では環境教育の一環として「無言そうじ」を取り入れているのですが、結びつき理由が不明です。この「無言そうじ」は福井県の永平寺の修行僧らが黙々と掃除を行うことにならったものですが、おそらく修行僧らは環境保護のために行っているのではないと思います。社会の常識では、たとえば10分間の時間いっぱい黙々と清掃活動を行うことに意味を見出しません。それよりは、メンバー同士でコミュニケーションをとりながら効率的に清掃を行い、10分間という時間いっぱいかけるのではなく、5分間で終わらせて残りは自由に使える時間を作ることが、メンバー全体の利益にもなります。つまり、無言そうじは、子どもたちにロボットとして動かすことでしかないように感じます。子供たちに校則を作らせようとしている熊本市のある教育委員は、この無言そうじを否定的に捉えていますが、私も同意見です。
3.現実の把握能力、説明能力があるか? 今年度から当該校の学校運営協議会の委員を外れたのですが、毎年実施されている学校評価の分析についても奇怪な点があるので指摘させてもらいました。項目ごとに「4点:そう思う、3点:ややそう思う、2点:あまりそう思わない、1点:そう思わない」で評価した点数の平均点を、0~4点の横棒グラフで示されています。この評価点方式では、平均点3点以上でプラス評価となるのですが、横棒グラフの中心値が2点となっているために、平均点が2点台のマイナス評価であってもプラス評価であると誤認させる視覚効果を持たせています。評価コメントでも合格点である3点を割った結果についてもプラス評価しています。せっかくアンケートをとっても結果を正しく捉えていなかったり、不当に高評価へ見せるのでは、意味がありません。分析力がないのか、だまそうとしているのか、不信感を持たざるをえませんでした。

グローバル経済

表紙写真の本を読み始めました。商業高校では新しい社会科として「グローバル経済」を学ぶようになったそうです。本書は、その教科書がベースになっています。仕組みがわからないことには、さまざまな情報の判断もつかないですし、高校生だけでなく大人も読んでみるといいと思います。

科学と報道と政治

私も含めて大半の国民は学者でもジャーナリストでも政治家でもありません。政策が決定し法制化されるまでには、さまざまな知見の発表・報道があり、国民よろんの後押しもあって政治判断があってのこととなります。しかし、問題なのは既存利益を得ているグループは、これまたさまざまなロビイストを使って世論操作をして巻き返します。その場合、学者の活用がなされますが、たとえ肩書が教授だろうが、研究員であろうが、中には博士号も持たずもちろん論文も書かず学会発表の実績がない人もいます。学会には属せず、実態不明な○○会議、○○研究所の肩書頼りの例もあります。そのため、ある分野の学会では常識的な見方として確定しているのを隠して、あたかも学者の意見で大きな対立があるかのような宣伝を行うことを仕事にしている人もいます。そうした人についてはメディアでの露出を控えてもらいたいものですが、外見やトーク力だけで影響を及ぼしがちです。写真の本を読み終えてエセ学者に騙されないようにしなければとつくづく思いました。

知の巨人のもしも

立花隆氏についてのけさの朝日新聞の「評伝」で興味深かったのが、科学少年だった同氏が「色弱であるために理系に進学できない」という当時の誤った指導により、文系の道に進んだというエピソードでした。「評伝」では、田中角栄を追い詰めた金脈取材で「10年は損した」と語っていたことも触れられています。後に科学分野の取材に熱意を傾けたように、誤った進路指導や金権政治家がいなければ、もっと科学分野で多大な功績を上げた研究者としての同氏の存在があったかもしれません。そもそも指導の過ちが判明したのも科学の成果とするならば、これまでの人材的損失はいかばかりかと思います。

世界的地位が低下している

たとえば入管行政や入管申請取次に携わる関係者を見渡してみると、関係法令にはうるさいけれども国際関係についてはほとんど知識がない人が結構多いように感じます。これではまっとうな難民審査は行えません。同様に安全保障にかかわる防衛関係者も装備品については詳しくても国際関係には疎いように感じます。これでは戦略を誤ってしまいます。日本の場合、いろんな組織のリーダーの学歴が意外と低いものです。もっとも学歴とはいっても名ばかりの大学の教員の資質も低いのが問題かもしれません。世界のリーダーのパスポートが博士号が標準となっている現代において学部大学の偏差値ランキングや就職先の規模の大きさで個人の能力を誤って評価しているようでは、どんどん世界に後れをとっていくように思います。写真は次に読む本です。

ユースエール認定企業について

男性が育児休業をとりやすくすことなどを目指した改正育児・介護休業法が成立する見通しになったと、けさの新聞では報じていました。今月から新卒予定の大学生の採用面接が本格化していますが、男性の育休が取りやすい企業かどうか、学生側が判別することは難しいと思います。当社が従事したことのある高校生向けの就職ガイダンスでは「ユースエール認定企業」について紹介していますが、熊本県内でこの認定を受けている企業名は残念ながら承知していません。一応、触れ込みでは「ユースエール認定企業」とは、「若者雇用促進法」に基づき、若者の採用・育成に積極的で、若者の雇用管理の状況などが優良であると厚生労働大臣が認定した企業とされています。認定基準を例示すると、「直近3事業年度の、新卒者などの離職率が20%以下」「前事業年度の、正社員の月平均の所定外労働時間が20時間以下かつ、月平均の法定時間外労働60時間以上の正社員がゼロ」「前事業年度の、正社員の有給休暇の、年平均の取得日数が年10日以上または、年平均取得率70%以上(付与日数に占める取得日数の平均)」などとなっています。その「ユースエール認定企業」を調べるには、厚生労働省が運営する「若者雇用促進総合サイト」があります。いろんな検索条件で探せるのですが、ヒット数が驚くほど少ないので、反面、希少価値はありますし、応募対象つまり就職活動先も絞りやすいかもしれません。

ミランコビッチサイクルと人新世

地球に気候変動を起こす原因としては、地球の回転運動によるものと人類の産業や消費の活動に伴うものとがあります。前者の地球の自転運動や公転運動の周期的な変化はミランコビッチサイクルと呼ばれます。過去70万年間に限ると10万年周期であって、公転軌道の離心率、自転軸の傾き、自転の歳差(自転軸の方向)といった3つの変化があり、北半球の高緯度における日射量の変動により、氷期と間氷期という寒暖の入れ替わりがもたらされるそうです。後者は、人新世と称されますが、化石燃料消費や永久凍土融解による地中有機物分解促進からくる二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガス発生があります。問題なのは、人新世の影響が、地球の回転運動の周期と氷期と間氷期という寒暖の入れ替わり周期との時間スケールにズレを生じさせることになるということと、氷期と間氷期それぞれの平均気温を変えてしまうということにあります。現在生きている人類はまだ大きな弊害を受けないうちに亡くなるかもしれませんが、遠からず人類が生きていけない地球へ変化する危機は現に存在します。こうした知識について今の学校教育では学んでいるらしいです。高齢者でも何ができるか考える必要があります。

部分的なつながり

インターネット配信で今年の東大入学式の映像を視聴しました。新総長がコロナ陽性に伴い、式辞は理事・副学長の一人が代読となっていました。聴いていて印象に残ったのは、教養学部長の式辞でした。多様性と同質性について考える内容でした。万物が同じであれば、万物は存在しないわけで、「東大生」という同質性に預かってしまっては、異質は見えてこないということだと思います。同時に「部分的なつながり」があるということは、時空を超えて「無関係」はないということです。科学技術に限らず、政治課題もそうですが、何事も関係がないということを知り、関心を寄せるということが、学問なのかなと思いました。

機略を尽くせ

『キッシンジャー回想録 中国』を読み終えました。原書は10年前に書かれたものですが、提言は今も有効だと思いました。現代の指導者は実体験として対立の先にはどのような世界があるのかを知らないため、歴史的視点に立つ洞察力をもっているかどうかが重要です。少なくとも周囲にそうしたブレーンがいればいいのですが、気がかりです。米国の場合は、少なくとも8年に1回は政権が代わります。今回のように政党も変われば最初の9か月間は見習い期間だと、同書の著者は記していました。
以下に読書メモを示します。

中国の特異性
1.長い歴史を持つために、過去の出来事や教訓から物事を判断する。
2.自らを世界の中心であり卓越した存在と考える。
3.時間の観念が長く、長期戦略による相対的な優位を追求する。
4.西欧流の近代化は中国の文明や社会秩序を損なうと考える。
5.本能的に自立更生、自給自足の独自性を主張する。
6.侵入した異民族を中国化させるような文化力や忍耐力を持つ。
7.事物は流動的、相対的であり、矛盾や不均衡の存在は自然と考える。
8.完全な征服より調和を、直接的な勝利より心理的優位を狙う。
9.米国とは異なり自らの価値観を世界に広めようとはしない。

米中関係に求められるのは相互進化
両国ともに可能な領域では協力しながら自国の課題解決に取り組み、対立を最小限に抑えるように互いの関係を調整する。機略を尽くすのをやめ、衝突(あるいは対立)してしまえば世界はどこに行き着くのかにについて自問する必要がある。協議と相互尊重の責任がある。

表紙写真の本は、今度読む予定です。中国国内のモンゴル人に対する文化的ジェノサイドについても目を向けるべきだと思います。文革当時の中国は、文字の読み書きができない国民がかなりいましたが、現在は教育水準の高等化だけでなく、同化政策が進められています。

相手を知れ

「歴史総合」や「公共」などの新科目が2022年度の高校教科書に登場してくるのだそうです。国をまたぐ歴史や境界の問題は、日本の主張だけでなく相手方の主張も理解しなければ何が問題になっているのか、解決の方法はどこにあるのかが見えてきません。相手方の教育の在り方が自国中心であればなおさらです。相手の行動変容を促すにはどう考え動くべきか。教科書だけでなく教員の能力も気になります。新科目には「情報」もあるそうです。国際関係でいえば軍事的な力だけでなく人権や経済の面からも考える力が必要です。

言葉の誤用は恥をかく

昨日テレビを見ていたらタレント同士のトークで「神々しい(こうごうしい)」というべきところを「かみがみしい」、「素性(すじょう)」というべきところを「そせい」という発言があってあれれと思いました。一方で、「他山の石」という表現をふさわしくない意味で発言したニュースもあって、なんともこういうレベルでテレビ放送や国政が動いているのが嘆かわしいと思いました。

言葉は残る

柳美里さんの著書を初めて読みました。氏名の読みが「ゆうみり」さんということも初めて知りました。2002年4月から朝日新聞で長編小説『8月の果て』の連載をしていたことも記憶にないですし、その前に1994年9月号の『新潮』に掲載された『石に泳ぐ魚』がもとで出版差し止め請求の訴訟となったことも覚えがありません。不思議なほどに接点のない作家の一人でした。
今回読んだ作品も小説ではなく、著者の人生史となっていて、辿ってきた生活環境があまりにも違い過ぎるので、なんで記されたような言動をとるのかと、付いていけない部分もありました。
そんななかで、著者とかかわりのあった人物の言動においては、覚えておきたい部分がありました。一人は、著者がミッション系中高一貫校に在学していた中学3年の卒業間際のとき、素行不良を理由に高校への進学が認められそうにないところを止めた化学教師がいました。長くなりますが、著者が当時、担任教師から聞いた話を引用します。「結論から言うと、なんとか高校に進学できることになりました。今日の職員会議では、柳さんには高校でどこか他に転校してもらいましょうっていう先生方が多かったんだけど、木田先生が抗議をされたの。『聖書にはある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出掛けないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる99匹のためよりも、むしろその1匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父の御心ではないとあります。聖書の教えを生徒たちに伝えるミッションスクールが、群れからはずれて苦しんでいる柳さんを退学にするのはおかしい』と温和な木田先生が珍しく強い口調でおっしゃって、それで職員会議の流れが変わったのよ」。
しかし、著者が高校1年の1学期に家出をして警察に補導され停学処分を受けます。このときも前述の木田先生が退学に反対しますが、もう誰も味方をする教師はおらず、校長室で退学の手続きをするよう告げられます。その翌日、著者が父親と校長を訪ねたとき、カーネル・サンダース人形そっくりの校長は、次のように言ったそうです。「お父様のお気持ちは良く解りますがね、娘さんは他の生徒に毒をばらまいているんですよ。段ボールの中に腐った林檎がひとつあると、他のなんでもない林檎まで腐り始めます。だから、腐った林檎は取り除かなければならないんです」。
3.5%の力をもつ化学教師と実は腐った林檎は校長かもしれないというところが、実に印象深いエピソードでした。

在宅研修がスタンダードに

昨日、パソコンを新調しました。セットアップは当日中に行う気力はなく本日の午前中ひと段落してから取り掛かり昼過ぎに終わりました。使う人の能力低下ぶりとは違ってとにかくパソコンの反応が速くくなったのと、音も静かなのに驚きました。デスクトップながらWebカメラも内蔵で付いているので、そのままオンラインセミナーの受講参加にも使えます。最近はこうしたオンラインでの受講機会も増えてきました。主催者からすれば会場を用意しなくて済みますし、受ける側も往復の時間と費用がかからず助かります。学校での外部講師を招いての研修もオンラインで実施してくれると講師も感染リスクがなくていいと思うのですが。

知のオープン化

たまにいろんな大学のホームページを眺めてみると、オンラインでの公開講座などの情報に接することがあります。わざわざ外出する必要がないので、かえって多くの知に触れる機会が得られている気がします。ただし、ライブだと視聴日時が自分の予定との重なりをどうしても受けてしまいます。それと、同時アクセス数の制約があり、事前登録制をとっているものが多いように感じます。大学としては、有料であってもそれだけの価値がある内容であれば、積極的に活用してみて存在を示してみてはと思います。

どう学ぶべきか

昨日の首相の記者会見を聴いていたら、核兵器禁止条約への日本政府の対応を質問していた記者がありました。答えは予想された通りの後ろ向きの内容でしたが、いい質問でした。コロナと同じく全人類に対する危機への向き合い方、つまりリーダーとしての資質をあぶりだすことに成功したと思いました。翻って権力を監視するジャーナリズムの資質も示されたと思います。
ところで、緊急事態宣言によって首都圏の大学では休校こそありませんが、対面での授業や課外活動が制限され、異常な大学生活がやがて1年間となります。実際、私の家族もその弊害を受けています。私が大学生当時だった1980年代前半は今よりももっと反核運動が盛んだった覚えがあります。大規模な集会や原子力空母の入港についての社会の関心も高かったと思います。関連する場所を訪れたり、冷戦時代の旧ソ連から日本へ留学していて交流したことのある大学生が米国へ亡命したこともありました。そういうナマの体験や議論の機会が減っている中で学ぶことの制約はいかがばかりかと思います。一方で、技術の進展はありましたが、人の考える能力というのは当時と今とでもそう変わりはないのではと思います。

道徳が教科なのはおかしい

地元の小学校教員が児童の個人情報が入った私物のUSBメモリを勤務先の学校で紛失事件が10月にありました。本来はそうした私物のUSBメモリに校内の情報を入れて持ち帰ること自体が服務規定に反しているため、それらことが報道発表されました。発表時には教育委員会側から再発防止に努めるとの発言があったそうですが、現場の教員が自宅に児童の個人情報を持ち帰って仕事をしないと、終わらない実態を見ないでそうした発表の仕方をするのが茶番劇に見えて仕方がありませんでした。事実、その後の市議会で明らかになったことは、教員にアンケートをとった結果、実に44%の教員が私物のUSBメモリを使って情報の自宅持ち帰りを行っていると回答していました。これも正直に答えた教員の数字がそうであって、実際はそれ以上、つまり虚偽の回答も多かったと思います。つまり、規定違反ということと、虚偽回答ということが、教員の中に日常的にあると思われることです。そうした人に「決まりを守る」とか「嘘をついてはいけない」とかいう道徳教科を扱わせることほど不道徳な話はないのではないかと思います。あまりにも滑稽な話です。まず行わなければならないのは、規定や働き方の見直しです。ハナから守れない規定の下で働かせられて何も言わない被治者しか育てられない学校はいらいないと思います。

不快な童話作品

学校現場で実施される人権教室の教材に「こねこのしろちゃん」という紙芝居童話作品があるのを知りました。あらすじとしては、黒毛の母ネコから産まれた5匹の子ネコのうち4匹が黒毛で1匹だけ白毛だったのですが、その白毛の子ネコが黒ペンキを塗ったりしてなんとか黒毛になろうと努力するのですが、最後は白毛の父ネコと出会って自身が白毛であることを誇らしく思うという内容です。これこそは人の肌の色の違いを連想させ、黒人の母から産まれた子どもが白人で良かったと言っているようで、たいへん不快な話だと思いました。昨今では、国内の化粧品のCMでも美白効果をうたうことはなくなりました。ましてやこの童話作品をいまなお人種差別が激しい米国などで知られたら国際的な批判を浴びることは必定だと思います。ながらくこうした作品が人権教室で使用されていたことに、またそれにかかわる関係者の無感覚さにたいへん驚きました。
もう一つ、やはり人権教室で使用されるアニメ作品に「とべないホタル」というのがあるのですが、こちらは羽根が短くて飛べないホタルが擬人化されて、仲間のホタルの助けを借りて天敵にも捕食されない一方、身代わりで仲間のホタルが子どもに捕獲されます。ある小学校長経験者が原作者らしいですが、これなどは、自然淘汰の原則を完全に無視しています。ホタルが仲間同士で助け合うことなどはしません。子どもに人権のことを考えさせるなら人間以外の生物で示すのではなく、人間でその事例を示すべきだと思います。人間は身体的不自由があっても、医療や介護、合理的配慮を受けられますが、昆虫がそれを受けることはありません。自然の生態を無視して事例を示すまさに子ども騙しの手法は子どもにたいへん失礼だと思います。それこそが子ども扱いする人権侵害なのではないかと思います。私も子ども時代に学校現場でこのような馬鹿げた教育をさんざんバカな大人から受けさせられた無駄な経験を思い出しました。
けさの朝日新聞天声人語で一昨日亡くなられた、物理学者の小柴昌俊さんが一時期教えた中学校で「この世に摩擦というものがなくなったらどうなるか記せ」という試験問題を出した逸話を紹介していました。正解は「白紙答案」。なぜなら、摩擦がなければ紙に鉛筆で字が書けないからだそうです。科学とは、子どもの人権とはを考える際に、最高の教育の一例ではないかと思います。

 

米国の不思議

米国の大統領選挙の州ごとの勝敗色分けを見てみると、驚くほど地域や都市規模の違いを鮮明にしています。東部や西部の海岸に面する州は民主党が強く、中部や南部といった内陸の農村を抱える地域は共和党が優勢です。支持者の宗教勢力にも違いが見られます。一口に聖書を絶対視する人々は、おおざっぱに言えば科学的に無知な人々です。聖書の記述の中には、時代考証的にさまざまな矛盾が含まれています。実際米国にある聖書を信奉する人々が設立した博物館では展示の中に進化の考え方ではありえない生物も登場させています。文化の多様性を尊重することも政治では重要ですが、その社会で生まれた子どもがどのような価値観を身に着けていくか、それを親が強いるとなれば、個人の権利の侵害となります。中国国内における同化政策のように強権的に行うと、この問題が発生します。しかし、米国では個人の権利を尊重するように見えてある社会の内部での同化が頑なに継続されているのだとすれば、それは個人の選択を潰すことになり、果たして人権擁護の観点からどうなのかと思ってしまいます。宗教を必要としない気楽さについては日本は比較的ある方なのかもしれません。

 

Goodbye God

高橋和夫著『国際理解のために』を読んでからリチャード・ドーキンス著の『さらば、神よ 科学こそが道を作る』を読むと、後者の主張の歴史的・文化的背景が前者によって解説を受けているために、理解しやすい効果を生んでいます。読んでいてこれが読者に受け入れられるかどうかという問題があります。それはある教徒の家庭に生まれた子はどうしてもその宗教の影響を受けて育つので、科学的真実を受け入れることへの反感が起こりえると思います。こうした部分は本来は公教育でなされるべきですが、世界の経済的な先進国においてもかなり難しいとも思いました。かなり宗教について寛容な社会からの発信が重要だと思います。