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自分の国語力を省みろ

昨日(3月5日)と本日(3月6日)の朝日新聞紙面に、国語力について参考になる記事があり、印象に残りました。
まず昨日の方は、私より少し若い方だと知ってその驚きもありましたが、TVでもロシア問題の解説で顔を見る機会が多い、駒木明義論説委員が「新聞記者の文章術」欄で書かれた記事です。そこでは、「自分が書いている文章がわかりやすいかどうか自信が持てないときに、時々私が試してみることがある。それは、外国語に移してみるという方法だ。」とありました。確かにネット上の自動翻訳を利用してみると、原文の言わんとするところが不明瞭であれば、変てこな訳文しか返ってきません。このように、自分の国語力の検証方法として有益だと感じた経験が、私にもあります。加えて、大学時代の所属ゼミの教授も同じようなことを言われていた覚えがあります。その教授は、日本語訳本で意味が通らない箇所を原書で当たってみると、だいたい原文そのものに問題があるものだと、言われていました。言いたいことが多すぎて一文が長すぎると、結局何を伝えたいのかわかりませんし、トランプ流に短く断言しすぎても、前提や周辺の情報が伴っていないと、単なる遠吠え的な発言に終わってしまうかもしれません。トランプの言葉は単純で平易であり、その言葉を信奉者らと共に口にさせることで、一体感に酔わせるだけが目的のように思います。バイデンではなく、あえてオバマを例に取り上げると、彼の言葉は含蓄に富み論理的ですが、あまり理知的ではない国民が大勢を占める社会では通じないのかもしれません。
次いで本日の記事の方ですが、内田伸子お茶の水女子大学名誉教授に聞いた、シリーズ「早期教育へのギモン」の5回目の見出しには「英語読解 日本語の読み書きが土台」とありました。「早く英語に取りかかればいいというのは誤解だと考えています。カナダ・トロント大の言語心理学者らがかつて、日本からカナダに移住した子どもを10年間、追跡調査したことがあります。」として、「学業成績が一番高かったのは中学から行った子どもたちでした。」と紹介していました。つまり、国語力が「考える力」の土台というわけです。
どの言語であれ、自分の国語力を公開する行為というのは、自分の「考える力」の度合いを晒しているのと等しいということになりますから、SNS投稿もリスクがあるかもしれません。かといって国語力に自信がないからと、むやみに写真や動画をアップすると他人の権利を侵害することもありえますから、とにかく用心することです。
写真はワシントンD.C.のホワイトハウス。2000年5月撮影。

本と美術の楽しみ

どのような社会づくりを私たちは目指すのか。それには技術発展の基礎となる理工系の学問は重要ですが、それとともに新しい価値を作り出す人文・社会科学系の学問も重要です。異文化が交錯するところ、多様な文化的背景をもつ人や土地との出会いから視野が広がり、さまざまな価値に気づくことがあります。その手っ取り早い方法は、旅行であるとか留学などがそうです。時間や金銭的制約を考慮すると、本や美術に接するのもいいと思います。食事は人が生きるために必要不可欠ですが、私にとっては読書や美術鑑賞もアタマのための食事です。つまり本や美術は食べ物です。
そんなこともあって他人がどんな食事をしているかよりも、どんな本を読んでいるのか、どんな美術作品に接しているのかという方に興味が湧きます。だいたいそれでその人となりが知れます。
昨日のBSフジの番組で、中国・南京出身のエコノミスト、柯隆さんが、都内にリベラルな中国関連書籍を扱う書店があって、中国出身の知識人が日本に呼び寄せられる要因になっているというようなことを言っていました。これまでそうした書店はロンドンやニューヨークにはありましたが、東京にも新しい華人ネットワークが形成されることは、むしろ望ましいことだと思います。
一方、ついこの前まで副知事を務めていた方の10代の頃の読書遍歴の記述を目にしたのですが、野村克也の『裏読み』と川北隆雄の『大蔵省』を挙げていて、ちょっとどうかなと思いました。対戦相手を出し抜く技量や財政を握って権勢(県政?)を振るうことへ憧れを感じて官僚を目指されたように感じました。
ちなみに私の10代の頃の読書遍歴で印象が強い作品としては、ソルジェニーツィンの『収容所群島』であるとか、五味川純平の『戦争と人間』あたりでしょうか。お互いヒネたガキだった点では似ているともいえますかね。
写真はロンドンのウィンストン・チャーチル像。1993年12月撮影。

高2時代の担任の訃報に際して

けさの地元紙で高2時代の担任の原田榮作先生の訃報に接しました。ご冥福を祈ります。
最後にお目にかかったのは、先生の2冊目のご著書『シルバー夫婦の「日本百名山」物語』を出版された直後の6年前でした。日本百名山踏破の信念の強さに驚きましたし、専門の国語教師として嗜んでおられた短歌作品も文中に織り込まれていて、心の懐の深さを感じました。1冊目のご著書『反故にするまえに』は新任高校教師時代から校長時代に至る教育に対する日々の思いを記されたものですが、そちらもいただいて読ませていただきました。この2冊は私の手元だけに眠らせておくのは惜しいと、共に母校の宇土高校図書館へ贈呈していますので、興味のある方はご覧になれると思います。
学校で縁があった先生でもその後も何かと交流がある方とそうでない方がやはりいます。教え子からすると、先生の生き方を学べるに値する大人かどうかの違いの気がします。先生は間違いなく前者の一人でした。ありがとうございました。

「世界」2024年3月号読後メモ

例年この時期は大学入試の真っ盛りです。来年度から大学入学共通テストの制度が変更されることもあって浪人回避の意識行動がいつもよりも強いようです。ですが、受験の根本にあるのは、将来どのような分野の世界に進みたいか、その準備としてどのような分野の理を学びたいかについてです。そのきっかけは何か、それは人さまざまだと思います。
私の場合は、当初社会学に関心があって現役生のときはそうした学科へ進みたいと考えていましたが、浪人生のときに大江健三郎さんの作品と出会ってから氏の同時代に対する発言に共感を抱くようになりました。それと同じころに共同通信配信の論壇時評を後に恩師となる河合秀和先生が書いておられ、社会の実態を知るだけでなく社会そのものを変えていく政治学に関心を覚えるようになってきました。
そんなこともあって大学は河合先生が所属する政治学科のある学習院へ進みましたし、入学当初から岩波書店の「世界」は欠かさず購読していました。実はここ10年ほど深い理由もなく定期購読をやめていましたが、リニューアルした2024年1月号を手に取り、同号で伝えていたガザにおけるジェノサイドは人道の危機というよりも「人類の危機」という思いを持ちましたし、やはり同号で再録されていた大江健三郎さんが大切にしている「持続する志」の必要を感じて購読を再開することとしました。
もともとこの「世界」の成り立ちには、安倍能成や清水幾太郎、久野収ら学習院関係者らがかかわっています。そのあたりのいきさつは2024年2月号の石川健治氏の「『世界』の起源」で明らかにされていますが、この部分でも今にして思えばつながるべくした縁かもしれません。
写真は「世界」とは関係ありませんが、博士号取得率の国際比較を載せておきます。人文・社会科学系の博士号取得者は人口100万人に対してわずかに10人程度。しかも減少しています。率でこそ中国を上回っていますが、人口規模が日本の10倍以上ですから絶対数では少ないのは明らかです。こんなありさまなので政治にかかわる人材の知的レベルが国際的にも劣っていると思われます。当然社会は良くなりません。博士号を取得する人材を増やすと同時に、そこまでは求めないにしても国民の学びが必要です。
さて、本題の最新号3月号の読後メモを記しておきます。
・コンスタンチン・ソーニンとゲオルギー・エゴーロフによる論文「独裁者と高官たち」によれば…「独裁の権力が個人に集中すればするほど、有能で機転のきく人間よりも無能で忠実な人間が高官になる。」
・日本は二流国へなりさがった。2023年、日本の名目GDPは、人口が日本より少ないドイツに抜かれて4位に下落。一人当たりGDPも24位(2020年)→27位(2021年)→32位(2022年)へと低下。労働生産性は、OECD38カ国中28位(2021年)→30位(2022年)へ低下。正社員の男女賃金格差は35位。世界経済フォーラムによるジェンダー・ギャップ指数は世界120位(2021年)→116位(2022年)→125位(2023年)と低迷。男性の平均賃金が韓国に抜かれ、ベトナムにも抜かれそうになった。日本は移民受け入れ国どころか、移民送出国になるかもしれない。
・TSMCは正式発表していないが、熊本進出に際して第四工場までは建設が既定路線で進んでいる。熊本の第一工場で製造される半導体は12ナノのオールド世代、第二工場では6ナノを生産する可能性がある。TSMCは最先端の2ナノの開発に成功しているとされるが、その製造はいま台湾高雄市(本誌中では「高尾市」と誤り?)で建設中の最新工場で量産化の計画。優秀な台湾人エンジニアがいる台湾でしか最先端の半導体製造ができない実情がある。台湾の新卒就職市場では、一流が平均年収2000万円超のTSMC、二流がその他の半導体メーカー、三流がシャープを買収した鴻海(ホンハイ)に行くといわれる。
・TSMCの生みの親は、蒋介石の息子で二代目総統の蒋経国。若いときは父親に反抗し、共産主義に傾倒しモスクワ留学した。結婚相手はロシア人。留学中に鄧小平と出会い親交があった。鄧小平が台湾の「一国二制度」を唱えていたのも、相手のトップが蒋経国だったため。蒋経国が、台湾が韓国のように高成長を続けるためにハイテク産業育成の号令をかけたのは1974年。工業技術院を作り、院長にテキサス・インスツルメンツ副社長の張忠謀(モリス・チャン)を招いた。
・TSMC創業者のモリス・チャン氏は浙江省寧波市生まれ。国共内戦中の1948年頃に香港に逃れ、米国留学した。ハーバード大学に進んだが、マサチュ-セッツ工科大学へ編入し、学士号および修士号を取得。テキサス・インスツルメンツ在職中にスタンフォード大学で博士号を取得。TSMCは官製プロジェクトから民間企業として1987年に起業された。製造受注型(ファウンドリー)としては初だが、第2号にあたる。第1号は半導体メーカーの聯華電子。TSMC躍進の要因は、製品の不良化率の低さにあった。委託元のAMD(CEOのリサ・スーは台湾系米国人)が一貫生産のインテルを脅かすまでになった。
・2023年11月に中国のファーウェイ製スマートフォンに7ナノの半導体が搭載されていることが判明した。それを製造したのは中国の中芯国際、開発したのはTSMCの元技師長・梁孟松。米国のF-35戦闘機には7ナノ半導体が搭載されている。米国が台湾へ中国への先端技術漏出阻止を求めるとともに、生産を米国内にするよう求めると考えられる。
・文化人類学者のD・グレーバーは『ブルシット・ジョブ』で、仕事の社会的価値と支払われる報酬の間は「倒錯した関係」があると指摘している。実際に日本でも、エッセンシャルワーカーであるほど、」給与水準が低い状況が30年以上続いている。ドイツでは、日本のような正規・非正規といった処遇の区別がない、非正規雇用がそもそもない。何時間働くか、どの時間帯で働くかなど、働く側の希望で決められる。働く側の意に反した転勤を強いることも違法とされる。

自分が決める・変える

きょうは台湾総統選の投開票日です。日本の選挙と異なるのは、その投票率の高さです。日本の国政選挙では期日前投票や在外投票の制度がありますが、台湾ではそれがないにもかかわらずはるかに上回る要因はどこにあるのか、学ぶべき点が多いと感じます。
先日読んだ「世界」(2024年1月号)で、上智大学法学部教授の三浦まり氏が「法学部で政治学を教えて20年になるが、法律を自分たちで作り替えることができる、政治によって社会が良くなる、自分たちも政治を良くすることができる、と思っている学生はほとんどいない。法秩序は学び、受け入れ、守るものであり、それをおかしいと疑ったり、まして変えてもいいものだとは思っていないのである。どうやらわたしたちの社会は、根本的なところで政治主体性をもつ市民を育成することに失敗し続けているようだ。」と書いていました。法学部の学生のなれの果ての一類型である法律専門職に就いている方の中にもそういう傾向が見られますから、ハナから主権者意識が学校教育で身に付いていないのかもしれません。
それどころか社会的弱者を蔑む冷笑的なレイシストに身をやつした大人に出くわすこともあります。そういえば、先日、山口市の「はたちの集い」には、アイヌの民族衣装を着用した人を揶揄して札幌や大阪の法務局から人権侵犯を認められた女性国会議員が、招かれていました。そして何をその場所で話したかというと、臣民意識を求めて先の大戦を美化する内容でした。こういう大人になりたくないなという思いを抱いた参加者がいてくれたら、反面教師の意味もあったかもしれませんが、それを望むのは淡い期待でしかありません。権力者に操られるのではなく自分で決める・変える大人が増えないと社会は良くならないと、言い続けていくしかありません。
写真は台北市。2018年7月撮影。

ホントおめでたい

熊本県の公式LINEの今年初(1月4日)の投稿が阿蘇神社参拝を勧めるものでした。これをおかしくはないかと気づける素養が関係者にはないのかと残念に感じました。巷のSNS投稿においては、還暦過ぎのいい大人が陰謀論者の駄本をありがたがっているのもよく目にします。そういうマーケットがあるからこそ、荒唐無稽の歴史言説が商品になるのかもしれませんが、踊らされている人たちもそれなりの教育は受けてきただろうに、今になって身に付いていないのはなぜなんだろうと思います。その程度の知性で、変な使命感から政治家になったりすると、余計始末に悪いものです。
過去についても正しく学べていなければ、当然のことながら未来への対処も誤ります。昨年11月に、運転停止中の石川県志賀町(このたびの能登半島地震で震度7を記録)にある北陸電力志賀原発を訪問した経団連会長が、「一刻も早く再稼働を望む」と述べていましたが、昨日(1月4日)にあった賀詞交歓会では、なんらその発言について釈明をせず、それを問い質して報道したマスメディアも確認できませんでした。経済界トップですらこうした塩梅です。
ホントおめでたい人材に恵まれたわが国において、教育やジャーナリズムの役割が重要だなあと感じます。

KKDよりも理論

自分の業務分野では馴染みがない世界ですが、興味があって秋川卓也・木下剛著『はじめて学ぶ物流』(有斐閣ブックス、2900円+税、2023年)を読んでみました。普段の生活の中で目にする物流と言えば、道路を行き来する貨物輸送のトラックのイメージが強いと思います。ですが、それはほんの一部の姿でしかなく、物流センター内の保管や荷役、それを機能させる情報システムなど、規模は大きくてとてもじゃないですがKKD(経験・勘・度胸)では済まない分野であることを知りました。KKDはまさに属人化の極みですから、それでは物は流通できません。物流を可能にする理論がしっかりないことにはシステムは組めませんし、ここに学問として成り立つ理由があるのだと感じます。
本書は、さまざまな用語の定義が親切に解説されています。それらの用語の定義にはJISがかかわっていて、その重要性を改めて認識しました。それでいて語り口は平易であり、紹介されているエピソードにはいくつもの興味深いものがありました。たとえばコンビニ1号店オープン当初は1店舗へ1日70台のトラック配送があっていたのが、現在は管理温度帯別の商品配送でせいぜい1日10台に効率化されているそうです。FedEx創業のきっかけは、教授から自己の理論を低評価された学生(創業者)の反発によるものだったということです。ちなみに本書では触れられていませんが、低評価を受けたレポートは同社本社に今も飾られているそうです。

公教育の義務は

10月17日、滋賀県東近江市の市長が、子どもの不登校対策について同県内の首長会合や、その後の報道陣の取材で、フリースクールへの公的支援について「国家の根幹を崩しかねない」「不登校の大半は親の責任」などと発言したことがニュースになりました。これを受けた同月25日の定例記者会見で、二つの発言は「保護者や運営団体などを傷つけた」として陳謝し、その2日後の27日には、県内のフリースクールや親の会などでつくる市民団体側と面会して謝罪したことも報じられました。
現在不登校の子どもたちの受け皿として一定の役割を担っている民間のフリースクールがあることは認めますが、前述の市長発言の騒ぎに乗じて質の悪いフリースクールへも公金注入を進めるのは疑問だと考えます。私自身は市長の持論にはくみしません。しかし、子どもの不登校対策は公教育の枠組みで行うのが筋で、安易に民間へ丸投げするものではないと思います。自治体には子どもたちへ教育を受けさせる義務がありますから、不登校の子どもたちにも教育を受けさせる機会を提供しなければなりません。よって公の運営によるフリースクール形態の場を用意することはありえます。
ところが、民間の自称フリースクールの質はさまざまで、学習指導要領を無視した体験活動が主体のところも見受けられます。運営者の思想信条や歴史認識が極端な例も見受けられます。またそうした運営者が不勉強な議員へ近づいて自らへ有利な質問を議会で行うよう働き掛けないとも限りません。
地元の直近の市議会だよりを見ると写真画像のような質疑もすでにあっています。まずは公教育が文字通り公自身の手で義務を果たすことが先決です。民間のそれはあくまでも事業であって公教育の義務を負った存在ではありません。

予想は嘘よ

本日(10月3日)の朝日新聞に社会学者の加藤秀俊氏の訃報が載っていました。大学3年次に先生の講義を受講する機会がありました。当時は先生の多くの著書にも親しみました。社会学の面白さは分析結果もさることながら、対象そのものに接することから生まれる体験というか、フィールドワークによる知見の広がりにあると思います。同氏の講義は毎年「○○の社会学」というテーマ設定があり、講義を受けた年は「レジャーの社会学」でした。単位取得の要件は原稿用紙50枚のレポート提出となっており、かなりヘビーな科目です。同級生4人でチームを組み、「競馬場の社会学」をテーマとして提出して、高い評価を得たのが思い出となっています。競馬場には「予想屋」という商売があるのですが、「予想」を下から読むと「嘘よ」という冗談話があるのを取材で知り、それはいまだにしっかり覚えています。訃報には近年も精力的に執筆活動を続けていたとありましたが、先生自身が現場から学ぶことから生きる力を得ておられたのではないかと思います。
同じく訃報と言えば、9月29日のやはり朝日新聞に理論物理学の江沢洋氏の名前もありました。講義を受ける機会はありませんでしたが、新入生向けに原稿をお願いしたことがあり、少しだけご縁があったかと思います。どちらの先生も学者としては一流でした。
写真は、今度読む本です。同著者の『戸籍と無戸籍―「日本人」の輪郭』(人文書院)を以前読んだことがありますが、非常に価値ある研究だと思いました。今回も期待を裏切らないと感じています。

CO2排出抑制

CO2排出抑制が世界的な課題となっています。そうしたなか、CO2(二酸化炭素)からCu(銅)を電極触媒として用いてCH4(メタン)やC2H4(エチレン)、C2H5OH(エタノール)といった有用物質を得る電解還元の研究が注目されています。どのような材料を電極に用いれば、それらの生成効率が上がるのか、あるいは社会実装が可能な目標値の達成ができるのか。
私にとってはまったくの異分野ですが、研究の最前線ってわくわく感があります。
[S10_2_12] 多孔質構造を持つCu電極を用いたCO2電解還元

競争的選挙は民主主義の基本

アダム・プシェヴォスキ著『民主主義の危機 比較分析が示す変容』(白水社、2400円+税、2023年)の第一章イントロダクションションのp.14において以下の記載があります。「ギンズバーグとヒュクのいう三つの「民主主義の基本的な述語」なるものは、競争的選挙、表現や結社の自由の権利、法の支配から成り立っている。この三位一体を民主主義の定義とすれば、民主主義が危機にあるかを見極めるための便利なチェックリストを入手できる。すなわち、選挙が非競争的か、権利が侵害されているか、法の支配が崩壊しているか、というものだ」。つまり、競争的選挙は民主主義の定義の筆頭に挙げられる基本ということになります。現代においてロシアや中国では選挙による権力交代はありませんので、民主主義が機能していないと言えます。しかし、完全な比例代表選挙が行われていても、ナチスに政権を与えるまでに至った歴史もあります。どういう道をたどってそれに至ったかは、同書を手に取ってみると理解できると思います。
さて、9月26日に任期満了を迎える市選挙管理委員としての実質的に最後の職務となる主権者教育に本日は立ち会いました。小学6年生を対象にした模擬選挙の出前授業において投票所の受付・選挙人名簿対照係を務めました。模擬選挙とはいってもかなり本格的で、候補者の選挙演説動画や選挙公報を児童に見てもらって自身の投票行動を決定してもらいます。実際の選挙で使われている記入台や投票箱を用いて投票を行ってもらい、開票結果の発表まであります。真剣にワークシートに取り組んでいるのがたいへん頼もしく感じました。
架空の十八ヶ丘市の市長選挙では、人口減少対策が争点となり、3人の候補が政策を訴えました。私は起業・雇用・進学支援を訴えた候補が課題解決に効果的に思えて当選を期待したのですが、児童たちの支持を集めたのは子育て支援を訴えた候補でした。給食無償化など児童虐待の中でも経済的ネグレクトの解消に期待する声が多く聞かれました。世代的には少数ですが、模擬投票では94.53%と極めて高い投票率でしたので、選挙権が得られる年齢になって実際に投票を行えば、選挙結果を大きく変えることになります。その力を感じ取ってもらえたのなら嬉しい限りの経験でした。

速い思考のワナ

九州内の鉄道普通列車に3日(回)乗り放題できる「旅名人きっぷ」はずいぶん重宝しました。鉄道会社が異なっても一々切符を買わずに済みますので、乗り換え時間ロスもありません。西鉄については特急にも乗車できるので、西鉄沿線については移動時間も少なくて済みます。昨日(8月20日)は、大牟田、東甘木、柳川、(二日市で乗り換え)太宰府で下車し、目当ての場所を訪ねました。それと、私の習慣として電車内では読書がはかどります。最初の勤務先時代は通勤時間が往復で2時間/日確保されましたから、これは貴重な学習の時間でした。さまざまな資格試験合格が果たせたのもこの当時の「通勤タイムスクール」のおかげです。仮にマイカー通勤だったら、こうはいかなかったと思います。
さて、昨日は車中で、クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社、3400円+税、2023年)を読んでいました。まだ、途中ですが、第6章の「誤認識」を中心に興味深い記述がありましたので、以下にメモを残しておきます。
歴史的に見ると、戦争は例外であり、通常は選択されません。争って得られる利益よりも争わずに得られる利益が確実だからです。これは国家間でもそうですし、民間のギャングの抗争のたぐいでもそうです。逆にどのような場合に、起きてしまうのか。そこには、人間ならではの「誤認識」が大きな役割を果たしています。
速い思考:心理学者のダニエル・カーネマンが指摘する概念。人間の脳は迅速で能率的な判断をするようにできていて、そのために一部の選択にバイアスがかかることを明らかにした。自分の脳がゆっくりと合理的に問題を考えていると自覚しても、私たちの頭は近道をし、感情に影響されている。自己中心主義(エゴセントリック)、可用性(アベイラビリティ)バイアス、確証バイアス、(快感を求め不快感を避ける)動機付け、情緒が特徴。対立概念は、意識的、論理的で、熟慮を伴う「遅い思考」。
新婚ゲーム実験から明らかな自分の能力の過信:行動科学者のニコラス・エブリーの実験によると、相手の好き嫌いを推測して当てるゲームでは、新婚よりも長く一緒に暮らしたカップルほど過信率が高く、カップル間の理解(推測)が低かった。(金融の世界でもトレーダーのほとんどが損を出している。自信過剰なリーダーが選ばれると、交渉領域が狭くなり、平和が脆弱になる)
知識の呪い:知識の豊富な人が、他の人が何を知っているかを気にかけない傾向。
後知恵バイアス:自分がすでに知っている結果を他人は容易に予測できないことに気付かない。
フォールス・コンセンサス(偽の合意効果):他人も自分と同じようにその難しい判断ができると考える。
レンズの問題:他人も自分と同じようにものを見ていると考える。
集団思考(集団浅慮):心理学者のアーヴィング・ジャスニスが作った用語。協調を重んじ、論争や異議を抑制し、結果的に融通が利かない間違った信念に至ってしまう組織文化。誤認識が改善されず、議論の結果が極端になる。
デビルス・アドボケイト(悪魔の代弁者):議論を活性化するために、あえて多数派に異議を唱える役割の人。

動作はゆっくりで良かった

本日(7月29日)、宇土市運動公園グラウンドで開かれた「夏期巡回ラジオ体操・みんなの体操会」に参加してみました。NHKラジオ第1で全国に生放送されるものですが、この公開放送のラジオ体操に参加するのは人生初めての体験でした。
ナマで講師の動作を見ながらやってみると、かつてラジオを聴きながら行っていた動きは速すぎたのではないかと、気づきました。特に年配になれば急激な伸びはかえって身体を痛めつける危険があるわけで、当たり前なのかもしれません。
また、屋外での生放送特有のハプニングとして、第1のときにパトカーのサイレン(それに反応した参加者の笑い声)、第2のときに新幹線や在来線の列車通過音があったりと、これが遠くはブラジルまで伝わるのかと思うと、その地域の生活環境まで感じられ、タイトル通り「みんなの体操会」の雰囲気が出たと思いました。
放送後、県○議○だの、市議○長だの、副市○だの、市教育○だのの来賓紹介がありましたが、これだけはせっかくの朝の爽やかさを帳消しにしてしまい、なんとも無粋だと感じたことでした。

ベルマークの寄贈についての紹介

本日、校区の小学校を訪ねる機会がありました。いろいろ情報交換したなかで、同小では現在ベルマーク収集を行っていないということでした(以前は自宅で集めたマークを提供していました)。昨今は校内でのPTA活動も激減しているみたいです。
そうした場合、手元にあるベルマークの活用方法としてベルマーク教育助成財団へ送付して、全国の僻地校や特別支援学校の支援に役立ててもらうことができますので、紹介しておきます。
必ずしも地元の学校支援にはなりませんが、少しでも教育環境が良くなれば幸いです。
【寄贈マークの送り先(財団への寄付)】・・・できれば協賛会社別(ベルマーク番号別)に仕分けすると先方が助かるようです。
〒130-0026 東京都墨田区両国3-25-5 JEI両国ビル9階
ベルマーク教育助成財団「寄贈マーク係」
https://www.bellmark.or.jp/about/donation.htm

国際政治学者の責務

本日(5月16日)の地元紙におそらくは共同通信配信だと思いますが、国際政治学者の羽場久美子氏の寄稿が載っていました。羽場氏の名前は、4月5日に衆院第1議員会館で、ロシアによるウクライナ侵攻の停戦を広島サミット前にG7へ訴える、記者会見の記事でも拝見しました。報道では、「停戦はどちらかの敗北や勝利ではない。人の命を救い、平和な世界秩序を構築すること」などと語られていました。こうした行動こそが、国際政治学者の責務だと思います。
個人的な思い出としても、羽場先生の講義を、40年前に受けたことがあります。当時はポーランドの軍事政権と対峙した「連帯」が世界の注目を浴びた時期であり、民主化運動への共感を覚えながら東欧の政治状況を見守っていました。何点だったかは記憶に残っていませんが、単位はいただいたと思います。履修要覧の写真もアップしておきます。

それは個人の問題か

河合優子著の『日本の人種主義』(青弓社、1800円+税、2023年)を読んでいるところです。人種差別(レイシズム)に係る著作としては、これ以外に最近では平野千果子著の『人種主義の歴史』(岩波新書、940円+税、2022年)やイザベル・ウィルカーソン著の『カースト』(岩波書店、3800円+税、2022年)を読みました。後の2作は、世界の、あるいは米国・インド・ナチスドイツにおける人種差別の歴史を理解するのにたいへん役立ちました。冒頭の著作はこうした世界の流れも押さえつつ日本における差別に焦点を合わせたものとなっています。
特に日本における差別の実態を見るには、「人種なき人種主義」について注目する必要があると思いました。それを理解すると、他の差別の構造についても同じものを感じます。以下は、p.131からの引用です。
「まとめると、人種なき人種主義とは以下のような人種主義である。まず、人種平等とはこれから実現する「人種は平等であるべき」という理念であるのに、人種主義に基づいて歴史的に作られてきた社会的制度や構造を根本的に変革せずに「人種は平等である」という現実と見なす。いまや人種主義は否定され、みな同じ機会を与えられているのに、異人種間に社会経済的な格差があるならば、それは人種主義の問題ではなく個人の問題、としてしまう考え方である。その結果、人種主義を解決するための政策を導入できなくなることで、既存の人種主義的な社会のあり方が維持される。つまり、人種なき人種主義とは、人種をみえにくくすることで人種主義が不可視化されるような人種主義である。」
外国人や女性、性的マイノリティ、貧困など、差別の構造には、差別する側が自身の特権を見てないことで、特権を持たない側の個人の能力や努力のせいにして差別することを正当化してしまい、差別的な社会が維持される側面もあると思います。「差別はしていない」とか「差別されていない」と言い切って社会改革に後ろ向きな人物は、はたしてそれは声を上げることもできないでいる個人の問題か疑ってみることが必要だと思います。

根道核藝

永青文庫の館内に「根道核藝」と隷書で書かれた扁額があります。清朝末期の学者である羅振玉が、辛亥革命後、亡命するような形で来日した時期に揮毫したようです。その後、満洲国建国に関わったこともあって、現在の中国では評価が分れる人物とのことですが、書は味わい深く魅了されました(鑑定に出したら相当の値打ちモノ?)。道をもって根をなし、芸をもって核とする。芸術に限らず、学問や仕事の専門性を究めたい人には刺さりそうな言葉に感じました。写真は季刊誌。

結婚・出産奨励に国は介入するな

先日読了した斎藤淳子著の『シン・中国人』のp.179に、中国の軍や重要な政治部門の党員が結婚を希望するときに組織へ提出しなければならない「結婚申請書」のひな型が紹介されていました。たいへん興味深い内容ですので以下に示してみます。
「私は誰々で、XXと結婚を希望しています。XXは政治上、思想上安定しており、国を愛しており、党員でもあります。私はXXと何月何日に知り合い恋愛関係を構築し、相互に理解、信頼し感情の基礎は強固です。恋愛は長期にわたり思想は成熟しています。相互の協議を経て、家族の支持も得てXXと結婚を希望します。組織の批准をここに願います」。
公権力がプライベートな空間に入り込むことには違和感を覚えるしかないのですが、日本においても嗤ってはいられません。最近、結婚や出産をした人の奨学金返済は減免するという極めて異様な少子化対策の論議も出ています。少子化対策とは、すべての子どもに対する福祉や教育の支援に向けられるべきです。結婚や出産を条件に据えられれば、個人ごとに受けられる支援に格差が生じる結果になります。こんな不公正な子ども政策しか語れない政治はNGです。

退職教員の小遣い稼ぎ仕事か

2023年度からすべての公立小中学校が国版のコミュニティスクールとなることから、市教育委員会の生涯学習課では地域学校協働活動事業を進めていて年2回運営委員会が開かれています。委員会とは称していても市の担当者が1回目に事業計画を発表し、2回目に事業報告を行うというもので、市内の各界の代表委員はいてもいなくても関係ない会議です。文科省、県教育委から言われるままにやっている感を出す感じです。2月22日に開かれた第2回運営委員会ではまず事業報告が行われましたが、構成団体図の記載から漏れている団体名があったり、関係団体の役職名表記が間違っていたりと、担当者の頭の中を覗き見たような資料でした。さらに県統括アドバイザーの肩書を有する人物による研修があったのですが、ある市の活動実績に「神社学習」というものが含まれており驚きました。また、同人物が研修資料の中で人権学習を「道徳」科目と位置付けていたのにも驚きました。この人物は、人権はモラルであり、お情けで与えられるものと考えているのではないかと思いました。教科としては「社会」に位置付けるのが正当だと思いました。もう一つ、この方のお気に入りフレーズに「ストーリー性のある」というのがありましたが、これも目くらまし的な感じで、ずいぶん薄っぺらな研修でした。事業報告者も研修講師も退職教員ですが、このような無駄な活動のために県民・市民は養わなければならないのかと思いました。
写真は記事と関係ありません。阿蘇駅前のウソップ像。

多元性社会と教育投資

人類の「出アフリカ」から現代社会を見渡したとき、格差があることを知ることができます。もちろん格差が存在することを知らない世界もあります。農業革命、戦争、感染症、宗教革命、産業革命、温暖化…。文化特性や地理的条件の違い。人類が辿った道のりにはさまざまな出来事や条件がありました。しかし、オデット・ガロー『格差の起源』を通読して思うのは、著者が示す結論である「未来志向や教育や技術革新を促し、男女平等や多元主義、差異の尊重を進めるような方策こそが、普遍的な繁栄のカギ」という指摘の重みです。事実、発展した地域には多元性があり、教育投資に熱心という共通性が見られます。教育投資が高い地域ほど技術革新が進みます。たとえば、韓国と北朝鮮、イタリアの北部と南部のように同じ民族で地理的にも近いところでさえ格差が生じます。出生率が低くなることよりも教育投資を高めることに目を向けることが重要という思いも持ちました。