教育」カテゴリーアーカイブ

いやはや

東京大学の入学式では例年総長や来賓の祝辞はニュースになります。かつては難解な言葉で47分間にわたる挨拶を述べたフランス文学の大家の総長もおられました。ところが、教養学部長の式辞はその陰に隠れてほとんど取り上げられることはありません。今年はその教養学部長式辞で、以下のようなくだりがありました。「教養とは直接関係ないのですが、皆さんには社会で生きていくために必要なマナーも身につけて欲しいと思います。例えば、通学時に井の頭線の電車に乗ると思いますが、混雑時にはリュックサックを体の前で抱える、出入り口付近に立ち止まらずに車両奥に移動する、歩きスマホをしないなどのマナーを守りましょう。また、挨拶は人的交流の基本ですが、東大生はこれが苦手な人が多いようです。人とのコミュニケーションは今後とても重要になります。まずは、大学の正門で守衛さんに挨拶ができるようになってくれるとうれしく思います。」。要はフツーの人付き合い感覚を持とうということではないかと思います。私も先日、混み合う電車の中でリュックを背負いながら手にアイスシェィクを容器を持ち食べている女子高3生に遭遇しました。警告する視線を向けましたが、悪びれることもありませんでした。マナーという点では、私が属する専門職関係でも断りもなく関係者限定の集まりの模様を撮影してSNSに載せるような厄介なセンセイもおられますから、けっして他人事ではありません。いやはや、と思います。

みんな一緒をやめる

苫野一徳著『「学校」をつくり直す』を一昨日読み終えました。イエナプラン教育などの紹介もありました。おそらくというか、本書内でも指摘されていましたが、限られた現場しか知らない先生たちや教育行政の担当者たちは、著者の主張を反映するにはたいへん後ろ向きだと思います。ですから、「学校」はつくり直されず、合わない子どもたちは登校しないという被害回避行動をとるのは当然のことだと思います。しかし、つくり直されないことは、教育を受けさせる義務の放棄につながります。一家庭の当事者なら逃避が正しい選択肢になりますが、将来と地域住民の利益を考えたら誰かが声を上げ動かなくてはなりません。

不都合を隠す方便になっていないか

昨日の朝日新聞オピニオン面は、インクルーシブ教育について取り上げていました。近くの公立学校長の口からもこの言葉が出ていて、その内実について気になっていました。インクルーシブとは、文字通り包み込むという意味の英語です。いろんな問題を抱える子どもたちを区別せずに、みんな一緒の教室で学び育てようという教育スタイルを指すものと理解されています。ですが、たとえばいじめの構造が残ったままで、加害児童も被害児童も一緒にしておいていいということにはなりません。放置しているという不都合な事実を覆い隠す方便としてインクルーシブ教育という言葉が発せられているとしたら、それは悲劇です。個々に応じた教育の中でしか子どもは学習する権利は確保できないと思います。公立学校にはそうした教育環境を提供する義務がありますが、それを提供できない環境にあるなら、保護者としてそうした学校に子どもを通わせられないというのが正直な気持ちだと思います。

「学校」をつくり直す

現在、地元の公立学校でいじめ対策が問題化していて、地域住民としてどうかかわるべきか考えながら動いています。そんなこともあって、これから苫野一徳氏の最新著『「学校」をつくり直す』(河出新書、840円+税、2019年)を手に取ろうとしているところです。公立学校における教職員や保護者、行政に問題に対処する力が不足しているとなれば、それを補完するのは地域住民の知恵と行動しかいないと思います。いじめ防止対策についていえば、当事者である教職員自体に専門的な知識も経験もないために、場当たり的な対応やヘタすると隠蔽する傾向があると思います。
苫野氏の著書を読むのは5年ぶりです。前回読んだのは、『「自由」はいかに可能か』(NHKブックス)でした。その中で同氏は、「自由」のための社会的な根本条件は、「自由の相互承認」の原理に基づいた社会を構想することにあり、その原理をどうすればより実質化していくために、自由のための共通ルール「法」の設定、法の理念を実質化する「教育」、法・教育を補完する「福祉」の重要性を挙げていました。それでいえば、法の理念を実質化すべき教育の場である学校において教育を受ける権利が脅かされている事態は、非常に苦々しいことです。ここは、地域福祉の出番だと思います。

寄り添うということ

本日は県議選の告示日となっています。正午現在、我が家の前にある立候補者の選挙ポスター掲示板を見ると、定員1人に対して現職1人のポスターしか貼ってなく、事前の報道通り無投票の可能性が高くなっています。無駄な経費がかからなくて良いという意見もありますが、公職として働く人の資質向上のためには、政策論争を通じた選択の機会があった方が長期的にはいいと思います。さて、そうした公職にある人が寄り添うという言葉をつかうときがありますが、そんなに簡単につかえない言葉だと思います。最近、いじめの問題や在留希望の外国人の問題と身近で接する機会があり、不利益を被る人の気持ちをくみ上げるのは難しく、それらの人を保護すべき人の思考を改めてもらうのもさらに難しいと感じています。特に保護すべき立場の方にわかってもらいたいのが、対処を誤れば当事者の生命に係るという点です。せめて代弁者になろうと思います。写真は、一昨日、甲佐町の特別養護老人ホーム前で撮った桜です。

根も葉もある話

当社がミニトマト生産を行っていたころ、養液栽培研究会の研修でミニトマトの尻腐れ病を防ぐには、根からカルシウムを吸わせる必要があると学びました。それ以前には、別の農業技術コンサルタントから葉面散布でカルシウムを吸わせればいいと聞いていましたので、このコンサルタントは無知だということを学びました。確かに葉からもカルシウムは吸うので、葉の状態は良くなります。しかし、葉から果実へカルシウムが供給される管はありません。果皮からもカルシウムは吸いません。果実の状態を良くしたければ、根から果実へ通じる管を使ってカルシウムを与えるしか方法はありません。もっと始末の悪いことに、葉は地上から目視できますが、根は地下部にあるので根が腐っていると、効率的に養分を吸ってくれません。
こんな根も葉もある話が、身近な学校で沸き上がっています。それは、校内での子どもによる子どもへのいじめ、つまり虐待です。学校では、いじめの実態をあまり掌握せずに不登校をなくそうと努めていて空回りしています。いじめが発生しないような対策をとることもなく通学を勧めたら、当然、いじめは続きます。
県内公立学校の教職員の4割が今後10年で定年を迎えるとあって、授業を行う能力の低下が懸念されています。しかし、授業が成立する以前の問題が多いことが深刻に思います。いじめあるいは虐待を起こしてしまう子どもへの対処については、ほとんどの教職員が専門外です。問題を解決しないまま授業を行わざるを得ない状況にあるように思います。本来の務めを果たす場がなく、能力の持ち腐れになっているような気がします。行政にしても児童福祉の専門家があまりにも少なすぎます。
子どもも教職員も疲れて腐れ果てているのですが、地域は葉を見ていて根の腐れに気づいていない、そんな気がします。今、学校の果実は腐りかけています。

式辞は怖い

各種の式辞に耳を傾ける季節です。今日は、ダーウィンの名言「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。」を引いて卒業生に対して「自ら変化できること」を贈る式辞を聴きました。ですが、これは怖い言葉です。一つは、往々にして変わる必要があるのは、口にした本人であることがあり、聴く側からすると、「自ら変わらなければならないのは、あんたでしょう」と突っ込みを入れられかねません。もう一つは、そもそもダーウィンはそんなことは言ってなかったそうで、後世の人による進化論の乱暴な要約に過ぎず、教訓めいた話にすり替えるのは誤りという見方があります。式辞では、このネタを使わないのが賢明だと思いました。あと同じ式のあいさつで、ご健勝を「ごけんかつ」と言う保護者代表もいました。なんともびっくりでした。

人類史を学べ

ニュージーランドのモスクで起きた惨劇の犯人の誤った妄想を砕く必要があると思います。犯人の出身地であるオーストラリアにしても、ニュージーランドにしても、今の住民の祖先は肌の色にかかわらずすべてアフリカ大陸からの移民です。犯人の妄想に従えば犯人自身も排除の対象になることがわかっていません。30年近く前に一度だけオーストラリアを旅行した経験がありますが、シドニーにあった州立博物館では、オーストラリア先住民族と英王室の写真を並べて祖先は同一であるとの人類史の展示があったのを覚えています。科学的検証を経た正確な研究成果に基づく教育が、世界のどこでも重要です。

いまどきのインフラ

新生活に備える家族のために昨日もう一つ立ち寄った量販店が情報家電分野でした。いまどきの学生生活はインターネット環境、それもWi-Fi設備がないとどうにもなりません。大学からの学生向け情報伝達はもちろん各種申込登録もネット経由になっています。保護者に対する成績開示もそうです。ちょっと前までならこのネット環境を自宅に構えるため固定電話回線が必要でしたが、現在は電波を利用した接続が普通になってきました。わが子の場合もWiMAX利用で検討中です。

フレッシャーズフェア

進学先が決まった子どものために紳士服量販店でスーツ、コート、ネクタイ、ワイシャツ、靴下、靴、ベルトを選びに行きました。一揃い買い求めるとそれなりの値段はしますが、入学式、成人式、就活を見据えると安いものです。これが女性の成人式の着物になれば法外な出費で、意味を感じません。それにしても本日訪れた店舗は、大賑わいでした。それぞれの進路に備える家族の姿があり、幸せな光景でした。

明日は公立高校卒業式

我が家でも関係するのですが、明日3月1日は県下の公立高校の卒業式となっています。3年前の4月に大規模な地震があり、5月の連休明けまで休校し、体育大会も中止されたあおりで、今度の卒業生の高校生活は余計短く感じられたことと思います。そうした非常時の体験を経て進路選択にもいろんな影響があったかもしれません。たくましさと同時に他人を思いやる人に成長してもらいたいと期待しています。

八代駅

本日の朝は八代で用があり、八代駅に降り立ちました。意外と降車する乗客が多くて驚きました。今月駅舎が新しくなったのですが、県内第2の都市にしてはチープな風情で付近の工場の煙の下でくすぶっている感じがしました。特産の晩白柚をイメージする明るい暖色系にした方が元気が出る感じを受けたのではと思います。

エセ専門家に任せられない

『環境と公害』の最新号を読むと、水俣病の認定や裁判で、いかに疫学的因果関係を理解していない医師や法律家が判断にかかわっているかという構図がわかります。資格名は専門職ですが、実は肝心なことを知らない、これほど始末に悪いものはありません。なんか根本の知力が欠けている人が意外と重要な権限を持つ仕事を任せられているのではないかと思うことがあります。行きがかり上そうなったのかもしれませんが、これは悲劇です。そういう人ほど再教育が必要なのではないでしょうか。趣味で放送大学の講座を聞いていますが、哲学や人類学、言語学あたりは面白いです。

入学に向けた権利金負担と家庭環境

子どもが受験する大学入試への出願がすべて完了しました。結構な費用負担になります。これから志望大学の合否結果と手続き期限をにらみながら入学金振り込みについても動かなくてはなりません。書類の郵送手続きもそうですが、振り込み手続きも専用の用紙を使わなくてはならないとすれば、金融機関の窓口まで出向かざるを得ないため、親がかりでの対応となります。入学後ばかりでなく、入学前から受験家庭の環境によって受験の機会が狭くなるのを覚えます。写真は出願先とは関係ありません。