カテゴリー別アーカイブ: 教育

働き方改革なるものの前に

学童保育をめぐって次の動きが気になりました。一つは障害児が放課後に通う放課後等デイサービスに支払われる報酬が減額されるために、それらの施設の2割が経営悪化し、サービス廃止の危機にあるそうです。もともとは利益優先の悪質な業者を排除するために、障害が軽い子どもばかりを受け入れている施設向けの報酬を減らす施策だったようですが、良質なサービスを提供している事業者までも影響を受ける羽目になりました。これにより障害児が通常の学童クラブに通わざるを得なくなりますが、その通常の学童クラブにも問題が持ち上がっています。厚労省令に基づく学童保育の基準では、研修を受けた放課後児童支援員を施設単位ごとに2人以上配置することになっています。しかし、この人材確保が難しいことから自治体によっては参酌化を望む声があり、支援員1人だけ配置の検討が国で始まっているとのことです。1人だけでは防災や防犯といった緊急時の対応もままなりません。人を減らすことではなくて、支援員の待遇を厚くすることが後回しになっている観があります。結局、学童へのしわ寄せは保護者の働き方へも影響しますし、現役世代の働き方は医療介護保険・年金といった社会保障面の資産の過不足にも影響します。

選択的緘黙

放送大学の講座についてはインターネットラジオのサービスを使ってランダムに聴くことが多くあります。特に法律関係や社会福祉関係の講義に関心があります。耳学問といえば与太話的なイメージがあり、あまり価値がないと思われます。そこで発せられる見解が事実かどうか怪しいことがあるかもしれません。しかし、放送大学のような公共的なメディアであれば、もしもそこで発せられた情報が悪質であれば、直ちに批判が巻き起こるでしょうし、リスナー自身でも検証することが容易だと思います。昨夜聴いた情緒障がいについては、かつての厚生省と文部省との間でかなり範疇が異なっていたこと自体が驚きでした。医学的見地からの判断と、教育現場で直に接することで問題視することの差があったのかもしれません。昨夜の講義で感じたのが、私自身が小学1年時に北海道から熊本へ転校してきてから、中学校で生徒会長になるまで、選択的緘黙を通していたことでした。もっとも、現在の私は、違う意味でこの選択的緘黙の態度をとることがあります。特に人権感覚でこの人物とは違うと感じるときは話す気になりません。勇気を振り絞って議論すべきなのでしょうが、すっと離れることにしています。

体育祭ではなく体育大会

ロアッソ熊本のゲーム観戦前に鶴城中体育大会を見にきました。42年前にここの生徒会長でした。当時より生徒の体格が立派なのに時代の流れを感じます。プログラムを見ると、とにかく疾走するメニューが多いのも特徴です。しかも各種目の大会記録も載っています。

好対照

電子媒体が普及している中で、一般に印刷業界は斜陽産業といわれます。それでも、需要はあるわけで限られた印刷会社は生き残っていくと思います。その印刷会社関連のニュースで対照的な経営者の姿勢の報道に接しました。一つは、東証一部上場の世界的にも最大規模の大日本印刷の39年ぶりの社長交代ですが、これが3代続けての世襲となっており、「“息子ありき”で選んだわけではなく、候補者の中から適任者を選んだ。」ということでした。しかし、グループで4万人近い人材がいながらこのざまとは、政界と似たような人材不足が哀れに思えました。もう一つは、福岡市に本社を置く青陽社の80歳の創業者社長が、九州大学に奨学金名目で5億円余を寄付したことです。この方は、家庭が貧しく高校在学中に恩師から九大進学を勧められたそうですが、あきらめた経験をお持ちです。「死んで財産を残すよりも若い方に渡した方が、お金が生きる、あの世に行ったときは財産ゼロという死に方をしたい」と語っておられます。こちらには清々しさを覚えます。

何のためかを考える

昨日は憲法記念日でした。とりあえずの話題になっている自民党の改憲案のデキですが、非常に悪いとしか思えません。それは、何のためかという動機が、改憲を行ったという史実に名を留めたいという権力者の欲望でしかないからです。たとえば、憲法を触らなくても法律で実現可能な教育の無償化というウケねらいの事項を案に加えたのも、とにかく変えたいからということにほかなりません。国民投票には820億円かかるといわれます。そのカネは、教育の無償化にぜひ回してほしいと思います。専守防衛を逸脱する防衛予算もそうです。賢い国民の存在こそ最大の防衛であり、資産です。

ウルゲンチでの活躍

ウズベキスタン・ウルゲンチで開かれているアジアユース選手権に出場した八代農高3年の水口選手が男子85㎏級において5位入賞を一昨日果たしていました。世界とはレベルの差があるのは歴然ですが、こうしてユース世代のうちに海外のステージに立つのはいい経験だと思います。国内の選手への刺激を与えてくれることを期待しています。

AIとBI

人工頭脳とベーシックインカムについての本を立て続けに読んだところで、それをつなぐ論考にも目を向けたいと思いました。そこで、次に読む本は、井上智洋著『 AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書、840円+税、2018年)です。AI技術の進展により個人が収入・所得を得る仕事のありようが変わってくると思われます。仕事イコール職業とは限りませんから、収入・所得が望めないと、消費は生まれず社会が停滞することが目に見えてきます。経済政策、福祉政策の仕組みを根本から考えてみる必要がありそうです。

東ロボくんなら

学歴・職歴が華々しい方々の不祥事がいろいろと取りざたされています。統計や確率を駆使することに優れているAI技術を取り入れた「東ロボくん」は、偏差値60程度の大学入試は突破できる力があるそうですが、記述式問題のように読解力を必要とする難関大学の入試への合格は当分難しいそうです。不思議なのは東ロボくんが突破できない難関大学卒業をした方々が、およそ東ロボくんがやらかさないであろうセクハラや援交などへ走ってしまう結果の代償を読めなかったということです。AIに置き換えられない仕事をすべき人間の過ちをどう考えるべきか、悩みます。

新聞が読まれないはず

これから読む本は、新井紀子著『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、1500円+税、2018年)。子どもたちの読解力の無さもそうですが、大人たちの読解力の低下も相当なものではないかと思います。新聞に目を通す世帯が確実に減っているのを感じます。先日主催したイベント広告で新聞を使いましたが、ほとんど効果はありませんでした。情報発信源としての新聞の力は落ちています。ネット上に転載される記事でも、これはネットメディアの読解力の無さかもしれませんが、的外れの変な見出しが多いのをよく目にします。かといって、新聞の力が落ちるのは、国民の監視力が落ちることにつながるわけで、まったく歓迎できないことです。

地域のつながり

昨夜は、地元小学校PTA主催の歓送迎会へ出席しました。ここ10年ほどおじゃましていますが、こうした催しはどこでも開かれているわけではなく、珍しいようです。目的は、転出入した教職員と新旧交代したPTA役員の慰労と歓迎なのですが、地元市議や各種団体長、区長なども参加する交流機会となっています。いろんな経験をもつ人材がいることが確認できるので有意義だと思います。最近読んだ恩師の著書で、球磨地方が初任地であったために、焼酎の洗礼を受けたエピソードがふんだんに書いてありました。焼酎で歓待を受けるために家庭訪問が日に1軒程度しか進まないのどかな時代が描かれていました。別にアルコールの力を借りる必要はありませんが、ホンネで話せる環境づくりは大事だと思います。

頭脳の使い道を誤るな

このところの中央官庁の幹部の言動を見聞きすると、頭脳の使い道を誤っているなという思いを強くします。気の毒としかいいようがありません。国民に対して恥ずかしくないのかと思いますし、これからそうした仕事へ進みたいと考えている若者が失望のあまりもしも進路を変えたら、これはこれで国民にとって大きな損失です。

みっともないことはするな

みっともないことはするな。3月28日の朝日新聞1面の「折々のことば」で、筆者の鷲田清一さんのかつての上司、阪大元総長のことばとして紹介されています。筆者は、「言葉を生業(なりわい)とする者として、人前の挨拶では二度と同じ話はしないという主義を通してきたが、大事なことはくり返しきちんと口にすべきことを学んだ」と書いています。昨日の国会論戦を聴いていても、論戦にならないぐらい、みっともない答弁しか政府からはありません。そこまでしてどんな政治を続けたいのか、もう他に任せたらどうかと、思わされました。

 

アフガニスタンへランドセルを贈る

アフガニスタンの子どもたちへランドセルを贈る活動をしているNGOのことを先週たまたま見たテレビ報道番組で知りました。我が家にも2個のランドセルがありましたので、家族の承諾を得て贈ることにしました。詳しくは、ジョイセフという団体のホームページに載っていますが、傷みがひどくなく、素材に豚革が使用されていないことを条件に、贈ることができます。それと、海外輸送料の負担が必要です。未使用の鉛筆や消しゴムなどの学用品も同送することができます。これも結構あったので、役立ててもらえるのはありがたいと思って入れました。このランドセルを使ってくれた子どもの将来も夢があって楽しみです。

入学式にはしご参加

午前に小学校、午後に中学校と、いずれも自身の卒業校でもある地元小中学校の入学式に参列しました。学校の統廃合が進む中、どちらも地域内トップの大規模校ということで、幸いにも消滅することなくこうした行事を垣間見ることができます。さすがに中学校になると、式の運営の手伝いを在校生がやってくれます。たとえば、受付、胸章取付、控室への誘導、給茶サービスなど、一連の動きをテキパキやってくれます。並みの企業の社員よりもはるかに気が利いています。式典会場のステージにはずらりと14本もの優勝旗が並び壮観です。新入生入場の伴奏その他も吹奏楽部による生演奏とあって、数日前まで小学生だった新入生からすると、在校生が眩しい存在に見えることだと思います。しかし、その新入生代表の誓いの言葉の挨拶も立派なもので、素晴らしいなと思いました。地域の将来を担う生徒の素質を学校が摘むことなく成長してほしいと願います。

道徳を教科とするのは不適切

道徳を教科とするのは不適切だと、それとは一見関係のない昨日の証人喚問を見ていて思いました。道徳というのはまさに内面の問題であってそれが正しいか正しくないかを他者が決めることはできません。これが法律なら問題の言動が正しいか正しくないかを決めることができます。証人喚問でいえば、証言を拒否することはできても、それを道徳的にどう見るかは関係者の立場によってどうにでも変わります。公務員の仕事を法的に適正に行ったかどうかについては、いくらでも追及してかまわないことです。教科として必要なら法教育ではないかという気がします。

保育園卒園式に出席

毎年お招きをいただいている近くの保育園卒園式に出席しました。今年で45回目を数え、卒園児も1000人を超えました。ということは、第1回卒園の方も50歳に達しているわけで、いずれ3世代が卒園という世帯も出てくるかもしれません。式の終わり方で卒園児が「ドキドキドン!1年生」の歌を披露してくれるのですが、いつも来賓の大人たちに初心に還れと言われているみたいで、ドキドキします。

映画でも見たい作品

今、読んでいるイレーナ・パウエル著『ホローコーストを生き抜く』は、もしも映画化されれば絶対見たい作品です。ナチス時代のユダヤ人絶滅の史実を分かっているようでまだまだ知らないことが多かった思いをします。たとえば、ポーランドは、国境線がウクライナ寄りに動いたり、ドイツ寄りに動いたりした国です。その地域に暮らす民族構成もしばしば変動しました。互いへの感情も知らないことが多かったことを認識しました。無知であるために起こりうる過ちの悲惨さを世界中の人間が知るべきだと思いました。

我が担任に学ぶ

今にして思うのは、高校1年と2年のときの担任の先生に学ぶことが多いということです。1年のときは美術の先生でしたが、その教科を履修することはありませんでしたので、授業を受けることはありませんでした。2年のときは国語の先生でしたが、授業はその1年限りでした。その2人の先生に共通しているのは、シニアの年齢になってから旅を続けておられることと、その体験を著作にまとめられたということです。美術の先生は、俳諧の松尾芭蕉の「奥の細道」の足跡をたどり、版画集を著されました。国語の先生は、日本百名山を踏破されましたし、短歌も嗜まれていましたので、その作品も収められていました。旅を続けられることで何かを掴まれたのだと思います。私自身は今のところ旅をしようという気持ちはありませんが、人生の歩みを文章でまとめてみたいものだと思います。ところで、国語の先生の著書の中で、しばしば忘れ物体験が書かれています。私もこのところ忘れることが多いので、それだけは真似たくないものだなと思います。