カテゴリー別アーカイブ: 教育

ファミリーヒストリーでの再会

7月30日(月)放送のNHK「ファミリーヒストリー 北海道スペシャル」を視聴していたら、大学時代の同級生が、解説者の一人として出演していて驚きました。彼とは学科は異なりましたが、いわば第3外国語としてロシア語を履修していたクラスで一緒でした。青森県八戸市出身の彼は、馬術部の活動をしていましたので、毎日馬の世話で大学には通っていました。私とは比べ物にならない努力の人でしたので、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの准教授として映像に出てきた時もまったく不思議ではありませんでした。画面越しとはいえ36年ぶりに会うのにすぐに彼だと分かりました。写真はまったく関係ない台北101です。

数学と小論文の能力は必要

大学入試を控える家族がいるため、昨今の受験事情に触れる機会があります。それで感じるのは、たとえ人文科学分野を学ぶ道に進むとしても、数学や小論文の能力は必要だということです。ある政策なり事業なりを実現しようと考えるときに、その成否の検討にあたっては、さまざまな条件の計算が伴います。進める手法についてもさまざまな対象の説得や理解が必要になります。状況を整理して求める結果を導き出すためには、ここをこう変えろとか、ここを潰せとかいうことがありえます。チームとして事に当たる場合は、分かりやすい言葉で共有することも重要になります。

理想実現の向き合い方

けさの新聞でも一昨日に死刑執行された人たちの起こした集団の成り立ちと事件についての論考が載っていました。けっして奇想天外ではなく十分起こり得ることだという私の考えとも通じる点がありました。一つは理想実現への向き合い方だと思います。首謀者には首謀者の、それに追随した者には追随者の崇高な理想があったのだろうと思います。しかし、その実現にあたってどうしても超えてはならない一線、それは障害となる相手の生命を奪うということですが、それを超えてしまった。そこに追い込んだものは、このカルト集団だけのものではなくて、程度の差はあれどのような組織、社会、家族、個人の中にあるのだろうと思います。そこに追い込ませないためにどうすべきかということを考えると、これもまたあらゆる人がそこに関われる機会を有している気がしてなりません。

児童にとってのよい環境

昨日得た情報で地元の放課後等デイサービスの利用者数がここ3年で倍増しているのを知りました。それだけ受け入れ施設が充実したともいえますが、まだ利用をためらう世帯もあるのではと思います。児童にとってのよい環境を考えているのか、将来を担う児童を尊ぶべきではないのかと思います。

よい環境のなかで育てられる

児童憲章のなかに「児童はよい環境のなかで育てられる」とあります。家庭、学校、地域社会それぞれの環境を考えて、少しでもよい環境を提供できるよう力になりたいと思います。実は、本日も小学校を訪ねていろんな情報を得ました。児童の幸福を邪魔する要因を一つひとつ取り除くことがどんなにたいへんかということを実感しました。

中学校訪問

民生委員児童委員の活動として児童福祉の向上に対する支援があります。そのため、小中学校へおじゃまし、情報交換会の場が毎年設けられています。本日訪ねた中学校の校長先生は、社会の変容に対応できる自立した生徒の育成に力を入れられているということでした。確かにこれが絶対無二の正解というものはありません。持論に固執した行動ではかえって解決を遠のかせることがあると思います。中学生にいえることが、民生委員児童委員を務めている大人たちにもいえることではないかと思いながら時間を過ごしました。

大学入試

一昨日の夜は出身大学の同窓会に出席しました。志望者拡大に力を入れているそうで、2万人超の出願があったそうです。合格者の入学歩留まりも高くて定員を大幅に上回ったために補助金が減らされそうだということでした。それはともかく出席者の一人から地元の国立大学大学院に進まれていて来春修了見込みという報告がありました。その方は後期高齢者間近なのですが、そういう意欲の高さが素晴らしいと思いました。一般に大学へは10代終わり方の人が進むことが多いですが、豊富な社会経験をもった人が進むことで、若い学生にも教授陣にもいい影響をもたらすという気がします。

昼と夜の長さ

緯度が高い地域を訪れた経験がある人は分かると思いますが、夏至近くの時期は暗くなる時間が遅くなります。29年前のGWにロシアを旅行したことがあってモスクワよりも北のサンクトペテロブルク(当時はレニングラード)では、暗くなり始めるのがようやく午後11時頃といった塩梅でした。時差もそうですが、昼と夜の長さも所変われば異なります。逆に冬場ですと、これはモスクワでの経験ですが、午後2時ぐらいから日が傾いてきて午後3時ぐらいにはすっかり暮れていた覚えがあります。こういう風土で暮らすと、人の精神や運動能力も随分と違うだろうなと思います。特に知的資産の形成は断然夜が長い方ができると思いますし、体を動かすのは断然昼が長い方が有利に思えます。

働き方改革なるものの前に

学童保育をめぐって次の動きが気になりました。一つは障害児が放課後に通う放課後等デイサービスに支払われる報酬が減額されるために、それらの施設の2割が経営悪化し、サービス廃止の危機にあるそうです。もともとは利益優先の悪質な業者を排除するために、障害が軽い子どもばかりを受け入れている施設向けの報酬を減らす施策だったようですが、良質なサービスを提供している事業者までも影響を受ける羽目になりました。これにより障害児が通常の学童クラブに通わざるを得なくなりますが、その通常の学童クラブにも問題が持ち上がっています。厚労省令に基づく学童保育の基準では、研修を受けた放課後児童支援員を施設単位ごとに2人以上配置することになっています。しかし、この人材確保が難しいことから自治体によっては参酌化を望む声があり、支援員1人だけ配置の検討が国で始まっているとのことです。1人だけでは防災や防犯といった緊急時の対応もままなりません。人を減らすことではなくて、支援員の待遇を厚くすることが後回しになっている観があります。結局、学童へのしわ寄せは保護者の働き方へも影響しますし、現役世代の働き方は医療介護保険・年金といった社会保障面の資産の過不足にも影響します。

選択的緘黙

放送大学の講座についてはインターネットラジオのサービスを使ってランダムに聴くことが多くあります。特に法律関係や社会福祉関係の講義に関心があります。耳学問といえば与太話的なイメージがあり、あまり価値がないと思われます。そこで発せられる見解が事実かどうか怪しいことがあるかもしれません。しかし、放送大学のような公共的なメディアであれば、もしもそこで発せられた情報が悪質であれば、直ちに批判が巻き起こるでしょうし、リスナー自身でも検証することが容易だと思います。昨夜聴いた情緒障がいについては、かつての厚生省と文部省との間でかなり範疇が異なっていたこと自体が驚きでした。医学的見地からの判断と、教育現場で直に接することで問題視することの差があったのかもしれません。昨夜の講義で感じたのが、私自身が小学1年時に北海道から熊本へ転校してきてから、中学校で生徒会長になるまで、選択的緘黙を通していたことでした。もっとも、現在の私は、違う意味でこの選択的緘黙の態度をとることがあります。特に人権感覚でこの人物とは違うと感じるときは話す気になりません。勇気を振り絞って議論すべきなのでしょうが、すっと離れることにしています。

体育祭ではなく体育大会

ロアッソ熊本のゲーム観戦前に鶴城中体育大会を見にきました。42年前にここの生徒会長でした。当時より生徒の体格が立派なのに時代の流れを感じます。プログラムを見ると、とにかく疾走するメニューが多いのも特徴です。しかも各種目の大会記録も載っています。

好対照

電子媒体が普及している中で、一般に印刷業界は斜陽産業といわれます。それでも、需要はあるわけで限られた印刷会社は生き残っていくと思います。その印刷会社関連のニュースで対照的な経営者の姿勢の報道に接しました。一つは、東証一部上場の世界的にも最大規模の大日本印刷の39年ぶりの社長交代ですが、これが3代続けての世襲となっており、「“息子ありき”で選んだわけではなく、候補者の中から適任者を選んだ。」ということでした。しかし、グループで4万人近い人材がいながらこのざまとは、政界と似たような人材不足が哀れに思えました。もう一つは、福岡市に本社を置く青陽社の80歳の創業者社長が、九州大学に奨学金名目で5億円余を寄付したことです。この方は、家庭が貧しく高校在学中に恩師から九大進学を勧められたそうですが、あきらめた経験をお持ちです。「死んで財産を残すよりも若い方に渡した方が、お金が生きる、あの世に行ったときは財産ゼロという死に方をしたい」と語っておられます。こちらには清々しさを覚えます。

何のためかを考える

昨日は憲法記念日でした。とりあえずの話題になっている自民党の改憲案のデキですが、非常に悪いとしか思えません。それは、何のためかという動機が、改憲を行ったという史実に名を留めたいという権力者の欲望でしかないからです。たとえば、憲法を触らなくても法律で実現可能な教育の無償化というウケねらいの事項を案に加えたのも、とにかく変えたいからということにほかなりません。国民投票には820億円かかるといわれます。そのカネは、教育の無償化にぜひ回してほしいと思います。専守防衛を逸脱する防衛予算もそうです。賢い国民の存在こそ最大の防衛であり、資産です。

ウルゲンチでの活躍

ウズベキスタン・ウルゲンチで開かれているアジアユース選手権に出場した八代農高3年の水口選手が男子85㎏級において5位入賞を一昨日果たしていました。世界とはレベルの差があるのは歴然ですが、こうしてユース世代のうちに海外のステージに立つのはいい経験だと思います。国内の選手への刺激を与えてくれることを期待しています。

AIとBI

人工頭脳とベーシックインカムについての本を立て続けに読んだところで、それをつなぐ論考にも目を向けたいと思いました。そこで、次に読む本は、井上智洋著『 AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書、840円+税、2018年)です。AI技術の進展により個人が収入・所得を得る仕事のありようが変わってくると思われます。仕事イコール職業とは限りませんから、収入・所得が望めないと、消費は生まれず社会が停滞することが目に見えてきます。経済政策、福祉政策の仕組みを根本から考えてみる必要がありそうです。

東ロボくんなら

学歴・職歴が華々しい方々の不祥事がいろいろと取りざたされています。統計や確率を駆使することに優れているAI技術を取り入れた「東ロボくん」は、偏差値60程度の大学入試は突破できる力があるそうですが、記述式問題のように読解力を必要とする難関大学の入試への合格は当分難しいそうです。不思議なのは東ロボくんが突破できない難関大学卒業をした方々が、およそ東ロボくんがやらかさないであろうセクハラや援交などへ走ってしまう結果の代償を読めなかったということです。AIに置き換えられない仕事をすべき人間の過ちをどう考えるべきか、悩みます。

新聞が読まれないはず

これから読む本は、新井紀子著『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、1500円+税、2018年)。子どもたちの読解力の無さもそうですが、大人たちの読解力の低下も相当なものではないかと思います。新聞に目を通す世帯が確実に減っているのを感じます。先日主催したイベント広告で新聞を使いましたが、ほとんど効果はありませんでした。情報発信源としての新聞の力は落ちています。ネット上に転載される記事でも、これはネットメディアの読解力の無さかもしれませんが、的外れの変な見出しが多いのをよく目にします。かといって、新聞の力が落ちるのは、国民の監視力が落ちることにつながるわけで、まったく歓迎できないことです。