カテゴリー別アーカイブ: 教育

フェイクを論破しよう

高校生の修学旅行先のベスト3都道府県は、沖縄、東京、京都なのだそうです。沖縄は、戦争の真実を考えるには格好の場所です。戦跡もそうですが、今も存在する基地の問題から、いろんなことが見えてくるかと思います。ともすれば、トンデモ論でメディアをにぎわす連中もいますから、それらのフェイク部分を論破するファクトを積み重ねて対処する必要があります。佐藤学・屋良朝博著『沖縄の基地の間違ったうわさ 検証34個の疑問』(岩波ブックレット、580円+税、2017年)は、手軽なファクトチェックのツールだと思います。

お歴々の顔

先日、地元小学校の学習発表会と地域住民とのふれあい教室を参観してきました。その発表会と教室活動との時間が50分近くもあったので、校長室に通され待っていました。校長室の壁面には、歴代の校長とPTA会長の顔写真の額縁がずらりと掲げられています。校長はだいたい50代、PTA会長は40代の歳のころです。昔の40代や50代はずいぶんと落ち着いていたものだなとつくづく思いました。現在の60~70代の雰囲気です。考えようによっては、人生のピークが昔よりも20年は延びた印象です。それにしても、校長先生は何十枚もの顔に見つめられて執務しているかと思うと、これほど息苦しい空間はありません。早々に退室したい気になりました。

専門的知性と市民的知性の往復

石井洋二郎・藤垣裕子著『大人になるためのリベラルアーツ 思考演習12題』(東京大学出版会、2900円+税、2016年)のP.280に「専門的知性と市民的知性の往復」が必要な理由と内容として、以下のように記されています。「専門知は、現時点でなにが確実に言え、なにが確実に言えないのか、その限界を正確につたえられるものでなくてはならない。同時に、現場にいる人の不安の中で、問題をさらに聴き直し、別の専門家と共同できるものである必要がある。このとき、高い共感性をもって市民的知性によりそうことと、距離をとって観察することとのあいだには、さまざまな距離感が設定できる。」。ここでいう専門知とは、学者を指していますが、他の専門職、たとえば政治家であるとか、行政書士であるとか、WEBプランナーであるとかにも言えそうです。信頼できる専門家かどうかの判断をつけるには、上記の回答ができているかどうか、つまり応答責任を果たしているかどうかという視点から、市民はいろいろ聴いてみるべきです。

PTA教育講演会

地元小学校のPTA教育講演会に昨日出かけました。昨年の講師はエセ占い師による最悪の内容でしたが、聴講した支持者というか半ば信者の方々には当然のことながら評判が良かったようです。さて、今年は地元民放TV番組で「家族がいちばん」のコーナーを持つタレントの方でした。本人も言われる通りもっと若い別の地元男性タレントとよく間違われるそうで、かくいう私も当日まで混同していました。講師は46歳、初の講演ということで22歳の娘さんも同行されていました。話の内容としては戦中生まれの両親に育てられた貧しい家庭環境や自身の学習経歴、育児方針などが主でした。本人は予習復習をしっかり行い、高専を首席卒業されたそうです。大学編入学後、大学院まで進まれたということでした。子育て時代は学習机をリビングに置いたと言われていました。感謝、尊敬、信頼、愛情、成長といったキーワードが頭に残りました。小学校としては大規模校でPTA会員は1000人を超えるのですが、受講者は役員や教職員を中心としたわずかに44人というのがご愛敬でした。総じて今年は趣旨に合った割と良質の講演会だったように思います。

耳学問かもしれませんが

このところの趣味は、睡眠前のラジオによる放送大学の講義聴講です。科目としては、政治、経済、法律系が多いのですが、結構聴いてておもしろいです。講師の中には現役の学生時代に同じキャンパスで講義を受け持たれていた方もいます。今になって現役時代に逃した価値を知るのもおもしろいものです。写真はこれから読む本です。

子どもの将来を考えた税制と社会保障を

朝から飛翔体が発射されたニュースがありましたが、結局のところ撃たれたらすぐには分からない、迎撃や避難対応は難しいということが分かっただけという思いを強くしました。撃つ側に付き合って高価な迎撃武器を取り揃えても、わざわざ的を提供することにしかならないという気がします。そんなことにカネを捨てるよりも国の将来を見据えたら子どもの福祉と教育を充実させることが先決です。こうした議論について国内で出てきているのは「子ども保険」と「All for All」ぐらいが目立つ程度です。どちらがいいのか、他にいい政策はないのか、飛翔体に飛びつくのもいいですが、こちらを真剣に考えないと自滅の方が早くて現実的な感じがしないでもありません。

高校生の演説を問題視する国を知りたい

スイスのジュネーブで開かれている軍縮会議で、広島・長崎など全国から選ばれた高校生代表が、3年前から毎年行ってきた核兵器の廃絶を訴えるスピーチを、今年の会議ではできないことになっています。この理由について、日本の軍縮大使がNHKのインタビューに答えて、高校生のスピーチを問題視する国があったことを挙げています。さらに、「私どもとしてはこれまでのように実現したいと考えていたが、一部の国から異議があった以上は、強行するわけにはいかなくなった」と説明しています。それなら、その問題視している国はどこなのか、なぜ日本の軍縮大使は、演説実現に動かなかったのかを知りたいと思います。と、その問いと答えはNHKの報道になかったので、分からないのですが、これでは軍縮大使ではなくして軍拡大使、これが核兵器禁止を求める国民の代表とは言えないと思います。まったくもって腹立たしい限りです。問題視しているのは、情けないことに今の日本政府そのものではないのでしょうか。不名誉で恥さらしの政府代表を送り込んだものです。

スポーツの高齢化と国際化

この週末は、熊本県のウエイトリティング選手が出場する大会が3つ重なりました。まず、県協会の財政にもっとも影響する国体九州ブロック大会は7位と低迷して追加代表枠の獲得はなりませんでした。練習量豊富な大学生選手がおらず、日頃仕事優先の社会人が出場するのですから、予想はされたことです。18年前の熊本国体の資産はなくなってきたようです。一方、出場選手の中にある納豆製造会社の社員2名がありました。ここの女性社長が自らもウエイトトレーニングをたしなむため、理解があり、先々選手の勤務先として有望視しています。国体の少年代表選手を決める選考会については、1名全国優勝を狙える素材がいますが、他は全国上位と開きがあります。もう一つ、新潟で行われた全日本マスターズには中高年選手が多数出場しました。ある意味、選手層が厚く、好成績であれば、世界大会に出場できる可能性もあります。この大会は審判員も選手が務めることになっていて、競技ももちろんですが、参加者同士の交流が楽しみになっているようです。五輪がそうであるように、政治や思想信条とは別にいろんな人間同士が出会うおもしろさこそがスポーツの効果なのではと思います。

野火

NHKネットクラブのプレゼントで当選し、Eテレで今月放送される「100分de名著 大岡昇平 野火」のテキストが送られてきました。解説者である作家・島田雅彦氏の思い入れが強く伝わる良いテキストでした。島田氏と私は同世代ですが、戦争をナマで体験した祖父母世代である大岡昇平への思いも何か似通っている感じがします。知識人が感じた戦争への見方というのが、文学を通じて激しく伝わる力強さがあります。政治の失敗ということだけでなく、一人ひとりの人間をどう翻弄させていくのかという優れた記録として読み手の心に突き刺さります。たぶん、『野火』を読んだのは20歳前ぐらいだったと思います。読んでおいて損はないと思います。

少年の主張大会を聴いてきました

市内の小中学校の代表児童・生徒11名による少年の主張大会に昨日参加してきました。自分のことだけでなく他人や社会のことを思いやれる少年少女の主張に感銘を受けました。一つ疑問だったのは、こうして口頭発表するわけですから、文章としては口語体がふさわしいので、一部に文語体の作文読み上げがありました。主張の中身も重要ですが、その主張を効果的に伝える技術も代表選出の校内選考の基準にしてほしいと思いました。

無人駅

就職ガイダンスの仕事で時折初めて降り立つ駅があります。写真の駅舎に隣接する高校へは1年前にもおじゃましたのですが、この城を模した無人駅舎は初めて目にしました。通学歴にある人にとってはきっと懐かしい風景なのではないでしょうか。

全国高校女子選手権で熊本県選手が3位

7月22日、札幌市西区体育館で開かれた全国高校女子ウエイトリフティング競技選手権大会の53㎏級で八代農業高校の選手が3位に入賞しました。おめでとうございます。ここ八代農業高校もそうですが、高校野球の県予選でも上位に進出した秀学館や文徳、菊池など、今年冬の高校生就職ガイダンスで訪問した高校生たちが活躍しているのは、喜ばしく思います。来月行われるインターハイでは男子の八代農生が好成績を挙げてくれると思います。

学校教育とは

昨日は地元の小学校長の講演を聴く機会がありました。地域住民に学校教育の今を理解してもらうための企画だったのですが、学力アップには遺伝的能力や家庭環境(学校教育外支出の高さ、保護者の子どもへの期待の高さ、保護者の所得の高さ、母親の学歴の高さ)が、学校教育の中身と共に影響しているというお話でした。裏を返せば、学力向上の要因は学校教育のレベルだけではないように聞こえました。家庭環境をだれがどう後押しするのかというのは、やり方を含めて難しいもんだいだとつくづく思わされました。

次に読む本は『拉致と日本人』

これから読む本は、蓮池透・辛淑玉著『拉致と日本人』(岩波書店、1700円+税、2017年) です。両著者の本は初めてですが、これまでの新聞取材等で知る発言を辿ると、ぶれずに真っ当なことを話す人だという印象を持っています。日ごろ襟に青リボンの徽章を着けて威勢がいい割には、日本と周辺地域との歴史に疎そうな人たちにも読んでもらいたいものだと思います。

何事もたやすくはない

監督交代で臨んだ昨夜のロアッソ熊本のゲームは0-3の敗戦。応援していなければなんてことはないのでしょうが、またしてもストレス耐性が高まってしまいました。一方で中学生プロ棋士の快進撃が止まりません。昨日はアマの学生名人を下しました。こちらの分野は子どもたちの将棋熱を高めているようで、かつて私の家族が通ったことのある地元の子ども将棋教室に参加する子供がずいぶん増えているということが、昨日の地元紙にも書いてありました。精神的強さを鍛錬する場としては将棋の効用は高いと思います。

正しい消火方法

福岡市民防災センターを研修で訪ねる機会を得ました。いろんな体験ができるなかで、訓練用消火器を使って正しい消火方法を学ぶことができます。まず火災が発生しているのを見たら、周囲にも消火を手伝ってもらったり、119番通報をしてもらうために、大声で「火事だ」と叫んで消火器を使用します。消火剤をかける際は火の根元をねらいます。ただし、住宅屋内において天井にまで火が及んだ場合は、消火は不可能ですから、今度は大声で「逃げろ」と叫んで避難すべきということでした。

「比較で見る」と「後ろの眼」

人生が有限である以上、無知のままでいるか、学知に触れるかで、個人の一生やその集合体である社会のありようは大きく異なる気がします。その学知に触れるにも手法を間違ってしまうとそれは学知にならないのではと思います。ようやく山室信一著『アジアの思想史脈』を本日読了しました。きょう読み進めた箇所でも著者のエッセンスを感じました。
p.318「何よりも、自己の学知の固有性を問い返すことは、決して夜郎自大の自己中心主義ではなく、新たな自己認識に繋がるはずです。つまり自分が対抗しつつ、自分が一体何なのかという、自分の立場、スタンスをきちんとそこで見きわめるということです。他との違いでこそしか、それはわかりませんから、他との違いで見る。もちろん自分のことは自分が一番知っていると思うかもしれませんが、自分のことが一番わからないのも自分です。ですから他との比較の中で、自分の位置というものをきちんと見ていく必要があるわけです。」
また、歴史に学ぶとはどういうことなのかについては、次の言葉が突き刺さりました。
p.330「人には誰も「後ろから押しているもの」があり、それは先人であったということです。私が何ものかを学ぶことができたとすれば、それは私より先に生まれた人々に、さまざまな考え方や生き方を示してもらったことに依っています。何よりも、ものごとを考えるための言葉や概念を受け継がなければ、何もできなかったはずです。」「さらに、「後ろの眼」は、また違った意味でも、私たちの今、を凝視しているように思えています。それは、後代の人たちから差し向けられる眼差しです。」

実力差は僅差

久々に家族のために菊池市まで送迎を行い、熊本県高校総体剣道競技の個人戦を観る機会に恵まれました。県内には全国レベルの強豪選手がひしめいていますが、そうはいってもその実力に大きな差はないのを実感しました。諦めず自惚れず因果関係をよく考えながら鍛錬すれば相当のレベルになるというのを感じました。確かに対戦競技は相手次第のところはありますが、必ず勝機はあります。スポーツといえども研究に尽きるというのが、私の考えです。