カテゴリー別アーカイブ: 水俣病

水俣の思い出

6月21日、45年前の水俣病センター相思社の設立委員の一人であった、映画プロデュ―サーの高木隆太郎氏が亡くなられました。高木氏が制作にかかわった作品を見る機会は過去ありましたが、ご本人と会ったことはありません(私と同世代の長女さんとは相思社10周年の大収穫祭や下北沢での青林舎の年末餅つきでお目にかかったことがあります)。高校の先輩にもあたり、遠くから仰ぎ見る存在でした。その人となりは昨年映画で、今年書籍で取り上げられています。現実を前にしてどう行動すべきなのか考えさせられます。

アジアは近い

肥薩おれんじ鉄道に乗って水俣にある財団の評議員会に出席してきました。同財団には国際NGOとしての活躍を期待しています。海外からの研修を受け入れたり、海外向け情報発信を行っています。将来的には海外出身の職員が誕生してもいいと思います。車中で山室信一著『アジアびとの風姿』を読みましたが、かつて熊本人が近隣アジアに渡っていろんな足跡を残した歴史があります。それがけっして当地の人々の幸福につながったわけではありませんが、その距離は現代よりもはるかに近さを感じます。
帰宅したら先日お手伝いした在留資格申請者(新規)から資格取得のお礼の電話がありました。嬉しいものです。
今週も社会福祉系の2法人の評議員会に出席します。

ジャーナリストの分かれ目

昨日の地元紙1面記事下に出版元の広告が出ていて、しかも社会面記事に同社の元記者も取り上げられている書籍として、平野恵嗣著『水俣を伝えたジャーナリストたち』(岩波書店)が紹介されていたので、これを買って読もうかどうしようかと思案中です。同書に登場する人物の何人かとは会ったこともあり知っています。ただ、何か違うなというのは、ジャーナリストをヒーロー扱いしなければならない現在に病理性を感じるせいかもしれません。繰り返しますが、同書の登場人物の仕事は素晴らしいものがあり、そのおかげで事件に日が当たった側面はあります。しかし、ジャーナリストの職分としてはそれが当然であるべきです。その当然の仕事をしない者をジャーナリストとはいえないというのを、特に国内政治ニュースに感じます。最近では、官房長官を相手に東京新聞の社会部記者がたいへんいい仕事をされていました。その記者の日本の武器輸出を問うた著書は大学生の家族にも送付したほどの警告が含まれていました。ちなみに前記『水俣を―』の著者は私と同年代の現役の通信社記者のようです。水俣病事件そのものではなく、事件を追ったジャーナリストをまぶしく思う背景には何があるのかなと感じます。

言論の力

またしても山室信一氏著『アジアの思想史脈』からの引用になりますが、p.252において足尾鉱毒事件で被害民のために闘った田中正造の日記の一節が紹介されています。「道は二途あり。殺伐をもってせるを野獣の戦いとし、天理をもってせるを人類とす」。山室氏は、その意味するところは、武力をもって戦えば、人間は獣と同じになってしまうが、人間は言論の力によって「権利のための闘争」を戦うことが肝要であるということ、と語ります。
話は飛躍するのですが、ちょうど地元紙の熊本日日新聞において「水俣病60年 第7部 なぎさの向こうに 闘争は問う」という連載があって、「水俣病を告発する会」の創成期の関係者の証言を紙面で目にしています。実際に私もかかわった人たちの名前もその連載に登場するのですが、やはりそこで感じたのが言論・言葉の力でした。現在のネット上で飛び交う極めて皮相的・断片的コピーではなく、対決する相手を恥じ入らせてしまう研ぎ澄まされた思想や論理構成があったように思います。
それは個人の深い修行だけでなく、学際的な付き合いによる触発も大きいように思います。いまそうした場がたいへん少なくなっている気がします。

半年ぶりの水俣訪問

半年ぶりに水俣を訪問しました。「宮崎さんちの一番茶」がちょうど入荷したので、「天の紅茶」と共に買ってきました。通販サイトでも入手できます。水俣病事件を考えるミュージアムが来年設立30周年を迎えます。海外向け情報発信にも力を入れていて英語サイトもあります。

立憲主義に基づく自省を

ただ改憲をやりたいだけの首相やその追随勢力は、権力の暴走を縛る憲法の理念が実現できたかという、立憲主義に基づく自省を試みたことがあるのでしょうか。彼らの発言を聞くと、到底そうした理解がなされているとは思われません。たとえば、福島の原発事故被災者や水俣病患者、ヘイト被害者、その他人権を踏みにじられた多くの人々の存在を思いやった発言はなく、ただ一方的に排外的な主張を繰り返すのみです。彼らが進もうとする道はやがて自らの人権も侵される自滅へと続くことを知ろうとしないのが、不幸です。ここで突き放すのではなく、どのように目を醒ましてもらうのか。絶え間ない発言が必要なのだと思います。

一筆

明日(4月5日)の熊本日日新聞夕刊から3か月間、水俣病センター相思社の常務理事が週一コラム「一筆」に登場するそうです。年齢は私よりも数段若い女性ですが、苦しい人生を歩んできた患者の話を日ごろから聴いている人だけに、どのように社会を捉えた文章が出てくるのか非常に楽しみです。

まだ失敗を繰り返す気か

2016年10月10日の朝日新聞西部本社版10版1面では、同月3日の1面紙面と同じく、水俣病検診記録の分析結果について報じていました。それによると、水俣病被害者救済法による救済策の申請期限が過ぎた2012年8月以降の検診受診者1542人に痛覚や触覚が鈍くなる感覚障害すなわち水俣病の典型症状が確認されたということでした。これについて環境省の特殊疾病対策室長は「(水俣病被害者救済策の申請は)猶予を設けて周知を図った。救済を望んで取り残された人はいないと考えている」と、事実に目を向けず、自分勝手な妄想を語っているようです。問われている国民の被害について話を逸らすのですから、本来は解決策について向き合わなければならない公務員としての職責を放棄していると思います。言ってみれば水俣病事件は、原因企業はもちろんのこと、行政の失敗の歴史の積み重ねです。まだ失敗を繰り返す気でいると思えてなりません。期限を設けることも、居住地域の線引きを行うことも無意味です。有機水銀に曝露した生活経歴があれば症状の軽重はあっても、それはすべて被害者です。そうした論理的思考を基礎にして行政は国民の負託に応えていかなければなりません。

バカげた線引きの不幸

2016年10月3日の朝日新聞西部本社版10版の1面・2面(総合2)・33面(社会)は、水俣病被害者の検診記録1万人分を、医師団と朝日新聞が共同で分析した結果を報じていました。結果は、救済対象地域外で暮らしてきた人々にも対象地域に暮らしてきた人たちと酷似した症状が現れているということでした。つまり、救済対象地域の線引きがいかに根拠のないものであるかということを示しています。不幸なことに認定審査会の医師の面々は、沿岸部から奥まった内陸部においても行商によって日常的に魚を食していた生活歴に考えが及びません。線引きという点では自由に海を行き来する魚たちにも無意味です。ですからチッソが排水を止めた時代以降に生まれた人たちに被害が及んでいることや不知火海から離れた地域に住む漁民に被害があることは十分にありえる話です。こうした事実から目をそらしながら救済のポーズをとってきた国や県は新たな犯罪を重ねているとしかいえません。

阿賀に生きる

映画「阿賀に生きる」の仕掛け人の旗野秀人さんを招いて水俣病センター相思社において上映会が行われます。映画に出てくる登場人物の魅力や、新潟のいまを語っていただきます。
日時 2016年10月2日(日)10時~14時
場所 相思社集会棟仏間
参加費 無料(昼食を希望の方は相思社へ事前に連絡要。南里わっぱ飯800円です)

なお、前日10月1日(土)には、水俣市中央公民館で「風の波紋」(小林茂監督)を見ながらパンやカレーを食べて、その後21時過ぎから始まる相思社での打ち上げに参加してそのまま相思社に泊まる合宿企画もあります。
打ち上げは参加費1,500円、宿泊は一泊2,400円、朝食500円、昼食800円、イベント終了後希望の方は温泉に連れて行きます。

なかなか楽しそうなので思案中です。

水俣市に残された水銀による環境汚染

東京都の豊洲新市場の土壌汚染が問題になっていますが、熊本県水俣市における水銀による環境汚染も深刻であることが、花田昌宣・中地重晴編『水俣病60年の歴史の証言と今日の課題』(熊本学園大学・水俣学ブックレット、800円+税、2016年)を読むと、理解できます。土壌調査を行った、環境化学が専門の中地重晴熊本学園大学教授によると、水俣市明神町の土壌から土壌汚染対策法の基準値の11倍にあたる水銀が検出されたのだそうです。水俣市内には、過去に水俣病の原因企業チッソの工場から出た廃棄物などが埋め立てられたり、投棄されたりした場所が複数あるといいます。中地教授は土壌中から水銀を回収し、永久保管する環境保全対策を行うべきだと主張しています。なぜなら、土壌中の水銀が地下水に溶出したり、大気中へ飛散したりして有機化し、魚介類などに濃縮して、摂取した人に蓄積される恐れがあるからということです。被害者の救済が未解決である今なおこうした危険が放置されている現実があります。
ところで、熊本日日新聞社が発行元となっている、この「熊本学園大学・水俣学ブックレット」は、今回No.15を数えるようです。巻頭に2006年5月1日付けの故原田正純氏(当時:熊本学園大学水俣学研究センター長)によるブックレット刊行辞が載っています。その中で「そのような経済発展に伴って、国際的にも日ソ平和条約が締結され、国連加入が認められて経済大国の道を進んでいた。」というくだりがあります。日ソ・日露間の平和条約締結は、北方四島の帰属の問題を解決してからという基本方針が日本政府にあるという常識があれば、「日ソ平和条約が締結され」という勘違い表記は生まれなかったと思います。大学や新聞社の関係者の目にこれまで触れる機会もあっただろうに、誰も気づいていないのでしょうか。せっかくの著作の信頼性が台無しになりますし、故原田氏にとっても不名誉です。遺族に了解をとって修正するべきだと思います。

水俣病60年の歴史の証言と今日の課題

これから読む本は、花田昌宣,・中地重晴編の『水俣病60年の歴史の証言と今日の課題』(熊本学園大学・水俣学ブックレット、800円+税、2016年)です。発行元は熊本日日新聞社です。熊本地震の後ろに隠れていますが、今も認定を待つ人が多数いる現実を忘れてはなりません。

りんごの注文が始まりました

熊本でなぜ「りんご」と思われるかもしれませんが、監事を務める水俣病センター相思社で例年おこなっています。さっそく私も注文しました。40年近く前に国体開催地が青森・長野と、りんごの産地が続き、りんごの美味しさに直に触れた経験があるのですが、相思社が扱っているりんごは良質です。詳しくは、下記(相思社サイトから引用)を参照願います。

りんごのご注文受付を始めます

今年もおいしいりんごができそうです。
今から30年以上前、水俣病との出会いがきっかけで農薬の使用を最低限まで減らしてやってきた長野県佐久穂町の須田さん一家。
研究を重ねた手法やその思想は、二代目たちにしっかりと受け継がれています。
とはいえ水俣と佐久穂、直線距離で860km。この距離をできるだけ縮めるために私たちは機会を見つけては顔を合わせるようにしています。今年は、東京で二代目の生産者たちと合宿。また、生産地に取材にも行きました。詳しくは「のさり」をダウンロードして読んでいただければ嬉しいです。
http://goo.gl/Oz5miB (約10MB)
りんごお買い求めはインターネットからできます。ぜひどうぞ。
http://goo.gl/9K8oxy

 

監事重任

本日開かれた一般財団法人水俣病センター相思社の評議員会において監事として選任されました。これから4年間の任期となります。課題はありますが、有望な職員も入ってきています。これからが楽しみです。写真は新八代駅のホーム待合室。畳のいい香りが立ち込めています。

私にとっての水俣病

7月8-10日に東京で水俣病60年を考える催しが開かれます。検診だけでなく支援者との交流機会を設けたらと提案していたのが実現し喜ばしく思っています。以下、水俣病センター相思社のサイトからの転載です。

【7月8日から3夜連続・水俣病患者検診報告企画】
関東在住の水俣病患者検診のため、東京へ出張し、7月8・9・10日報告会を開催します。

中日には、今回の検診を担っていただく緒方俊一郎医師にもご登場いただきます。1960年代に、九州大学医学部生だった緒方俊一郎さんは、医師の原田正純さんの助言で水俣にむかい、そこで2年間にわたり診療と調査をおこないました。その後も水俣病にかかわりつづけ、2010年から2年間もうけられた水俣病特別措置法における「救済」の申請期間には、500名以上の患者を診察されています。緒方さんには東京での検診報告もふくめ、水俣病の現状についてお話しいただきます。
相思社の永野三智は水俣市生まれで、2008年から相思社職員として患者相談などを担当しています。日ごろの患者相談の雑感と、「いま患者ではないわたしたちが語る必要とその可能性」について皆さんと考えます。患者ではなく、経験もしていないなか、水俣病という事件を突きつけられ、なにを考え、行動し、伝えるのか――。

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7月8日(金)18時半会場、19時~21時
【いま、考える「私にとっての水俣病」~水俣病公式発覚から60年~】
◎患者検診前夜、相思社職員が、水俣病事件に関わり始めたきっかけや相思社の活動紹介、患者相談業務の中で日々感じていることを語ります。水俣の産物のご紹介もあります!
◎場所:練馬区立勤労福祉会館 2階会議室 / 参加費:無料(カンパ歓迎!)
◎主催:大泉で水俣について考える会
◎問い合わせ・連絡先 mail: ooizumi.minamata@gmail.com FAX 03-3978-4158
https://www.facebook.com/events/1340240489325169/

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7月9日(土) 18時開場、18時半~21時
【水俣病事件 公式発覚から60年のいま、考える】
・緒方俊一郎(医師)「関東在住の水俣病患者検診の報告」
・永野三智(相思社)「いま水俣病患者ではないわたしたちが語るということ」
※司会:丹波博紀(最首塾)
◎場所:文京区区民センター(都営地下鉄三田線/大江戸線春日駅A2出口徒歩2分)
◎資料代:500円(カンパ歓迎!)
◎主催:最首塾(http://www.geocities.jp/saishjuku/)
●連絡先 saishjuku@yahoo.co.jp/090-9971-6642(丹波)

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7月10日(日) 17時半~19時半
【本屋さんで考える―水俣病患者相談の現場からの報告】
◎場所:青猫書房 (北区赤羽2-28-8/JR赤羽駅:北改札、東口から徒歩10分)
◎参加費:500円(お菓子付き)(カンパ歓迎!)
●連絡先 ころから出版 電話 03-5939-7950  FAX 03-5939-7951
ご不明な点や詳しいことは、お気軽に各主催の方々へメールやFAX、お電話でお尋ねくださいませ。

水俣病の60年

昨日の朝日新聞「耕論」欄で「水俣病の60年」をテーマに3人の関係者の意見が取り上げられています。巻頭には水俣病センター相思社の常務理事が登場しています。支える組織のあり方も課題山積ですが、私も主目的を明らかにし、進んでいこうと考えています。

思想史はおもしろい

約600ページもあるため、いまだ船木亨著『現代思想史入門』(ちくま新書、1300円+税、2016年)と格闘中です。いろんな切り口で西欧近代人がどのように人間や万物をとらえてきたのか、つまり考えてきたのかが、概観できます。神(宗教)と科学探究の進化が思想に与えた影響も興味が尽きませんでした。そして考えれば考えるほど、社会を変えることの難しさを覚えました。時間だけは全世界共通であるにもかかわらず、同じ人間でも個々の人間の脳はあまりにも違いがありすぎます。それはこの国内にいても国籍が同じでもいえることです。

時代を超える

水俣病公式発見から60年を迎えたけさの地元紙の1面で、このたびの熊本地震の影響で水俣市にあるチッソの廃棄物処分場跡の護岸にひびが入り、水銀を含む土が不知火海に流出する恐れがあると報じていました。これに対してチッソの事業会社JNCは「異常がない」と、事実を顧みない異常な回答を行っています。このような無責任な言動が今日の水俣病問題の混迷を招いてきた元凶です。ですが、反面このように人というものはせいぜい自分が現役でいるぐらいのたかだか数十年の長さでしか物の判断を下さずにやり過ごしている生き物なのかもしれません。
考えなければならないのは、個人には有限の命がありますが、水銀や原発の放射性廃棄物がもたらす悪影響の長さは個人の一生の長さをはるかにしのぎます。ある世代の人間が犯した過ちが後世何代にもわたって及ぼすのですから、その罪の重さははかりしれません。
一方、よく伝統を口にする人の思慮の程度にも考えを巡らせるべきだと思います。語られる伝統の中身がせいぜい明治以後だったり、戦後70年足らずだったりすることがあるのではないでしょうか。たとえば、わが国が立憲主義に根差した国づくりに踏み切ったのはここ70年足らずでしかありません。その中身をまだ理解できずに別のルールを持ち出す浅はかさの動きは、まず立憲主義の伝統を大切にしてみろと言わざるをえません。

水俣病を知っていますか

熊本日日新聞論説主幹の高峰武さんが著した『水俣病を知っていますか』(岩波ブックレット、580円+税、2016年)を読み終えました。69ページの小冊子ながら事件の歴史を概観理解するには最適だと思いました。なぜ被害の拡大を防げなかったのか、なぜ多くの被害者が患者と認められず放置され続けているのか。そうした事実を知る人がけっして多くはないというのがこの事件の特徴です。巷の環境学習で特に子供たちに伝えられる情報は、「昔公害がありました。でも今は海もきれいになり環境保護に熱心な地域として再生しています」というところではないかと思います。原因企業だけではなく公権力や地域住民自体も事件の隠蔽や矮小化に動いてきた罪を忘れてはならないと考えます。罪という点では、事件を掘り起こしてきた側にも自分が抱える負い目を出発点にしてきた人たちがいます。本書ではかかわりをもつ人物を紹介していますが、私が印象に残った人として東大自主講座「公害原論」を続けてこられた故・宇井純さんがいます。宇井さんが水俣を初めて訪れたのは1960年、東大の大学院生の時。そのきっかけは大学院に戻る前に勤めていた化学工場でこっそり水銀を流した個人的な体験があったからだそうです。それで、宇井さんは「水俣で、患者を見てしまうともう知らない顔はできなかった」と語っています。医師の故・原田正純さんもそうでしたが、「知ってしまった」がために後戻りできない、そんな負い目を持つ人に運動は支えられるということがあります。他にも「水俣病を告発する会」の代表だった、故・本田啓吉さんの「義勇兵の決意」の言葉も鮮烈です。すでに鬼籍に入られた人たちばかりですが、みなさん魅力的な方々でした。