水俣病」カテゴリーアーカイブ

裁判官次第なのか

3月13日に水俣病第二世代国賠訴訟の福岡高裁による不当判決があり、原告は上告することとしました。28日夜に水俣市において原告・弁護団による報告会が開かれます。同じく13日に岩波現代文庫から写真の本が出版されました。聞き手は私の学生時代からの知人によるものです。裁判官はそれ自体が独立した機関ですが、判決を導くにはその裁判官自体の人間性がやはり出てくるものだと思います。法律以外のものになびくだらしなさが救済を遠ざけることがあります。裁判官次第で判決が分かれてはならないと思います。

信頼できるか

本日届いた水俣病センター相思社の機関誌『ごんずい』を読んでいたら、故・川本輝夫氏の子息の思い出話として人権擁護委員に水俣病被害の相談に行ったら「すでに終わった話」「カネが欲しいのか」と言われさらなる人権侵害を受けたことが載っていました。確かに人権擁護委員の立場にありながらどうかと思う人はいます。その自覚がないからその立場にいるのではとも思います。今号の『ごんずい』は、韓国浦項における水銀公害や戦前・戦中までの現在の北朝鮮興南におけるチッソの植民地支配のありようをリポートしていて、読みごたえがありました。このところ新型コロナと東京五輪関連のニュースが席巻していますが、日韓関係の信頼回復や北朝鮮拉致被害者帰還問題の進展は聞こえてきません。政治リーダーに信頼できるかしっかり見ていこうと思います。

裁く資質に欠けている

昨日、胎児・小児期にメチル水銀の影響を受けた水俣病被害者8人による損害賠償訴訟の福岡高裁判決が出ました。一審では認められた3人も含めて8人全員の請求が棄却されました。朝日新聞の解説で書かれている通り、この判決に従えば、すでに認定された患者も認定されないことになり、被害の実態をとにかく歪めて矮小化してきた原因企業や国・県に追随するものです。裁く資質に疑いが大いにある結果となり、司法不信の汚点を歴史に刻んでしまったと思います。

その人に職業倫理はあるか

有馬澄雄責任編集『〈水俣病〉Y氏裁決放置事件資料集 』(弦書房、3000円+税、2020年)を読み進めています。登場する行政官や医学者の職業倫理について考えさせられます。彼らがもし本書を手にする機会があれば、自分の職業人生に誇りを持てるのか、問い質したい気持ちになります。肩書に溺れることしか能がない人生だったとしたら悔い改めてもらいたいと思います。

クズ公務員の記録

3月25日に福岡市内にある出版社の弦書房より『〈水俣病〉Y氏裁決放置事件資料集 』が刊行されます。これは、本来は行政の運用の誤りを糺し、国民の正当な権利を実現する、行政不服審査制度を破壊した公務員の恥ずべき行為を記録した資料集となっています。まず、訴訟に例えれば裁判官役の環境庁(当時)が判決にあたる裁決を出す前に、被告役である熊本県へその内容のお伺いを立てていたという不公正な関係が断罪されなければなりません。何度も裁決が準備されながら、熊本県による狂信的妨害に遭い、認容裁決を原告役の被害者遺族へ出さずに放置した不法・怠慢もあります。地方自治体が存在する目的は住民の福祉の増進にありますが、それを妨害した当時の担当者を追及する必要があります。
【出版社の紹介文引用】〈水俣病〉救済制度の正体をあぶり出す資料193点。ひとりの男性(Y氏、1980年死去)が、1974年に水俣病認定申請、さらに1979年の申請棄却処分からその棄却処分取消しを求めて、行政不服審査を請求した。1999年に環境庁と熊本県から水俣病と認定されるまでの経過と真相、責任の所在を明らかにする。従来、ブラックボックスとなっていたY氏の審理に関する環境庁と熊本県のやりとりを示す内部資料(申入書、診断書、弁明書、裁決書等)をすべて収録。1999年1月19日「環境庁は水俣病をめぐる男性の行政不服審査請求において、水俣病と認める裁決を遺族に交付せず放置していた」と報じた新聞記事がなければ政治決着の流れの中で、闇の中へ葬り去られたままだった裁決放置事件を、いま再び問い直す。  誰のための救済制度なのか。

 

早春のイベントご案内

以下のご案内をいただいたので紹介します。【以下引用】
一般社団法人水俣病を語り継ぐ会では「水俣病を朗読で伝える」ことを目的に、今年度も「第4回早春の朗読会」を2月23日(日)14:00から、水俣市総合もやい直しセンター3階ホールにて開催します。
亡くなった石牟礼道子さんの3回忌との気持ちも込めて、参加者一同一年間練習を重ねてきました。光永さんのピアノ、小出さんの朗読もお楽しみください。
ご多忙とは思いますが、ご参集いただければ幸いです。朗読会終了後、16:30からホールの隣で「茶話会」も行いますので、併せてご参加ください。
事前の連絡等はご不要です。

追記:本イベントは開催中止となりました。

研修目的と効果

昨日は地元の市教育委員会主催の人権教育指導者研修会に参加しました。参加対象は人権擁護委員や教育委員、市関係部署などでした。日頃、人権侵害事案の相談や救済に関与する立場の人たちです。この日の研修講師は、同和地区をかかえる公立学校での勤務経験がある元教員の方でした。講演内容は、人権尊重全般や同和問題の歴史の解説など大味な内容が多く、教育指導の役に立つ実践的な対応方法の紹介といった側面ではたいへん物足りないものでした。確かに県の登録講師という触れ込みでしたが、自己紹介でもかつてどこそこの学校長でしたという点にはまったく能力の保証にはなりません。研修会を企画する側も、もっと目的と効果を考えて講師の選定や研修内容の依頼を行うべきではなかったかと思います。ちょうど主権者教育の講師が言っていましたが、学校には閉鎖的な文化があり、外からの参加を好まず、たまたま外部から講師を呼んだときはその講師に内容を丸投げしてしまう傾向があるといっていました。昨日はまさにそうした傾向が強い研修会でした。それと、熊本県における人権侵害といえば、水俣病被害者を認定しようとせず、救済に後ろ向きな県そのものという思いがあります。それらしく研修を消化すれば「やっている感」のポーズが出せるという企画者の安直さをスルーしないようにしたいとも感じました。

湯の児温泉

昨日は、今年1月以来となる湯の児温泉へ行ってきました。役員をしている財団の理事会と懇親会でしたが、おかしなもので温泉に入ってから会食しながらの方が、いろんな意見が活発に出ます。それぞれの経験や人柄が出るからなのかもしれません。これを踏まえてしっかり財団を支えていきたいと思いました。写真は天草の十三仏公園からの眺め。

水俣への旅のご案内

女性対象の旅のご案内を、水俣病資料館語り部の会事務長さんからいただきましたので、紹介します。旅の案内人は、地元・水俣の女性たちです。水俣のいろんな魅力に触れられそうです。申し込みは、リーフレットに掲載されているQRコードからお願いします。

義によって助太刀いたす

水俣病を告発する会の代表だった本田啓吉先生が鬼籍に入られて13年になります。裁判闘争の初期のころ、「義によって助太刀いたす」という有名な言葉を出されたことは、渡辺京二さんの著作で紹介されています。つまり、私は本の中でしか、その言葉を知りません。生前お会いしたころの先生はいつも穏やかで激しい物言いをされる方ではありませんでした。だからなのか、時折この言葉が気になります。そして、何の義理がなくても不条理な環境に置かれた出来事があれば、黙って見過ごしてはならないと、ついつい首を突っ込むことがあります。えてしてあまりお金にならないことだから、損得を考えずに本気で動けるのかなと思います。
写真は、6月30日の群馬戦のもの。昨夜の天皇杯2回戦の鳥栖戦は惜しくもPK戦負けでした。

教訓を忘れない病名は他にあるか

このところ地元紙が、水俣病という病名をメチル水銀中毒症へ変更を求める市民の動きがあることから、そのことの是非を考える記事を出しています。よく水俣を訪問することが多い私にとっても気になる問題です。というのも、水俣病という名称にはメチル水銀中毒症という症状を指す病名の意味合いもありますが、原因企業を行政が擁護して被害拡大を招くばかりか救済にもずっと後ろ向きである被害者圧殺の事件の総称として定着した歴史があります。そのため水銀条約にも水俣が冠せられるようにもなりました。一時期は被害者の方からチッソ水俣病として原因企業の名前を記憶に留めるために改名の動きがあったこともありました。病名を変更しての何か特別のメリットも感じられません。事件が風化することで環境保護に熱心な良いイメージの方をかえって失うのではという気がします。

丸木作品展示への期待

昨日は水俣病歴史考証館を運営する一般財団法人水俣病センター相思社の理事会に出席しました。前年度下半期に、このたび建物解体されることになった、乙女塚の「みんなの家」から「沖縄の図」「原爆の図」「水俣の図」で世界的に著名な丸木位里さん・俊さんの作品が、考証館へ寄贈されました。考証館内での整備された保管環境の中で、早く公開展示されることを願っています。そのための資金支援や全国の丸木作品収蔵ミュージアムとの紹介交流が生まれることも期待しています。

責任の問い方

養液栽培による農業事業を行っていたころ、原発プラントと同じような問題を抱えていると思いました。農業の場合、生産性を高めるためにまず技術的な成功を追い求めがちです。しかし、どうしても肥料の排液が出てしまいます。冬場のハウスであれば、暖房による温度や湿度管理、果ては二酸化炭素濃度も考えなければなりません。技術的に正しいことを突き詰めれば、経費は天井知らずに上昇します。そうなると、経営的には採算が合わないことになるので、技術的にはここまでしたいということが分かっていてもあえてセーブすることをします。それと、排液はそのまま農業用水路へ流しますから、当然水質を変化させます。環境への影響はつきものです。もしも循環処理するとなると、その設備のためにさらに経営を圧迫します。原発もそうです。技術的に管理を極めれば環境への危険性は低くなるでしょうが、採算のとれる電源ではなくなり、経営的に成り立たなくなるから、どうしても管理にはある程度の線を引くという対応になってしまいます。公害病の原因企業も似たような対応を図ってきました。
このように、事業を例にとると、技術、経営、環境の3つのバランスの取り方が重要です。それぞれのマイナス部分の内容次第では事業自体が成り立たないことがあるかもしれません。
もうひとつ考えたいのは、何か問題が発生した時に、それに対処する人が、いろんな部分への影響を多面的に考えられるかが問われると思います。問題解決能力のある人には、そうした多面的な見方ができ、そうでない人は一面的な見方しかできないという気がします。問題解決能力のない人への責任を問わなければならないとき、一面的に問うのではなく、多面的に問う必要があるかもしれません。

お手盛り感が半端ない

3月16日の地元紙に載っていた同紙主催の出版文化賞のお手盛り感が例年通り半端なくがっかりものでした。受賞作4作品中の実に3作品がグループ子会社の出版社が版元となっていました。通常、新聞社主催の出版物表彰において自社あるいはグループ会社による出版物は選考対象としないのが暗黙の了解です。それをすれば、ノーベル賞においてスェーデン王室関係者を受賞者とするようなものだからです。今回、知人の著作がノミネートされていましたが、こうした三流出版文化賞などに引っかからなくて良かったと思います。

エセ専門家に任せられない

『環境と公害』の最新号を読むと、水俣病の認定や裁判で、いかに疫学的因果関係を理解していない医師や法律家が判断にかかわっているかという構図がわかります。資格名は専門職ですが、実は肝心なことを知らない、これほど始末に悪いものはありません。なんか根本の知力が欠けている人が意外と重要な権限を持つ仕事を任せられているのではないかと思うことがあります。行きがかり上そうなったのかもしれませんが、これは悲劇です。そういう人ほど再教育が必要なのではないでしょうか。趣味で放送大学の講座を聞いていますが、哲学や人類学、言語学あたりは面白いです。