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農業と福祉の連携講座

#農業と福祉の連携講座
※くまもと農業アカデミー過去受講者である私宛にもらった案内ですが、下記理由により紹介します。
※農業と福祉の連携を通じた障がい者等の活躍、農作業の人材確保の可能性について関心がある方々には有益な講座かと思われます。

くまもと農業アカデミー「農業と福祉の連携講座」の開催について

くまもと農業アカデミー過去受講者、研修終了生  様

くまもと農業アカデミー「農業と福祉の連携講座」の開催について(御案内)

くまもと農業アカデミーでは、農業と福祉の連携を通じた障がい者等の活躍、農作業の人材確保の可能性について考える
「本-18 農業と福祉の連携講座」を下記の通り開催します。
※本講座は会場とオンライン、どちらでも聴講できるハイブリッド講座となります。

1 日時
令和5年(2023年)11月8日(水)
13時30分から15時30分

2 場所
熊本県立農業大学校研修交流館
(住所)合志市栄3805

3 内容
(1)農業と福祉の連携概要
(2)農福連携をはじめるにあたって!
(3)農福連携に取り組む福祉事業所の事例発表

4 申し込み方法
下記サイトから電子申請又はFAXにてお申し込みください。
「くまもと農業アカデミー申し込み」
https://www.pref.kumamoto.jp/site/agri-academy/83669.html

尚 このメールは過去に受講申込のあった方、又は過去の新規就農支援研修生にお送りしております。
ご質問、ご連絡は下記にお願いいたします。
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熊本県立農業大学校研修部
担当:松﨑、平野
TEL:096-248-6600(直通)
FAX:096-248-6018
E-mail: noudaikensyuu@pref.kumamoto.lg.jp
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家族法の知識の再確認

まだ読み始めですが、呉明植著の『伊藤塾呉明植基礎本シリーズ9 家族法(親族・相続)』(弘文堂、2300円+税、2023年)は、自分の知識を再確認するために役立ちそうです。著者を始めとする伊藤塾講師による講義には、日本行政書士会連合会中央研修所のVODでもたびたび視聴したことがあり、馴染みを覚えていましたし、もともと司法試験受験生向けに書かれた本なので、判例・通説に基づいて重要部分が図解を交えながら丁寧に解説されています。せっかく学習しても体系を正しく理解していなければ実務にも対応できない訳で、あやふやな記憶がクリーンアップされていく感覚はたいへん心地よいものです。それと、法律自体も年々アップデートされています。本書は2022年12月の親族法改正(例:女性の再婚待機期間がなくなる)にも対応しています。今後たとえば同性婚が法的に認められていけば、同性カップルの財産や連帯債務、債権者代位権などについても見直しが迫られます。現在地を理解することが、先にある目標地の適切な設定の議論にもつながります。
本書内の事例記述で登場人物に「山田太郎」の名前がありましたが、婚姻中の「不貞行為」の解説でも使用されておれば、なお学習者の理解が進むのではないかと思ったことでした。

『戸籍と国籍の近現代史』読書メモ

遠藤正敬著『新版 戸籍の国籍の近現代史 民族・血統・日本人』(明石書店、3800円+税、2023年)の帯には、「〈日本的差別〉の深層構造」とありますが、まさしくそれを理解するには極めて重要な書籍だと思います。米国社会やインド社会における差別の構造を考察するには、イザベル・ウィルカーソン著の『カースト』(岩波書店、3800円+税、2022年)を推奨しますが、いずれも値段的に4000円を超える書籍ですので、実際に手に取る読者は少ないかもしれません。このように優れた研究成果に触れる機会が多くないことは実に惜しいものです。これを補う役割がジャーナリストには必要なのですが、そうした人材も稀少になっているように思います。
さて、近代日本の戸籍とは、どのようなものなのでしょうか。冒頭の遠藤本の終章では、「必ず一つの家=戸籍に属し、家名としての氏をもつという「日本人」の定型ができあがったのである。それは、戸籍に載らなければ「国民」にあらず、という道徳的規範を醸成し、戸籍への自発的服従を引き出す力を発した。こうした「日本人」の定型のなかに職業、家族関係、風習、価値観なども多様な人々が押し込まれ、「臣民」へと画一化された。」(p.330)とあります。そして「「家族」の純血性と一体性を保持してこそ「正統」となるという家の統合原理は、「日本人」の法的資格を決定する国籍法においても貫かれた。」(p.332)として、戸籍と国籍の主従関係を指摘しています。しかし、戸籍の証明する「血統」とは、単に戸籍を同じくするだけの記号的な「日本人」の系譜としての意味にほかならず、それは信仰に近いものだと著者は見ています。じっさい、個人の市民権を保障する世界基準の趨勢は、国籍から定住地、国民から住民を重視へ移行しているので、戸籍制度は合わなくなってきています。
それと、生物学的な親子関係(父A・母B・子C)は認められながら、法律上の親子関係(母A・母B・子C)は認められないという矛盾例も発生しています。
・女性A(2018年、戸籍上の性別を男性から変更)
・Aのパートナー女性B(Aが男性であったときに凍結保存しておいた精子提供で妊娠)
・子C(2020年、Bが出産)
なお、AB間にはAの性別変更前に生まれた子Dもおり、Dの戸籍上の父はAと控訴審で認められています。

東アジアの平和に影響を及ぼす3人

次に手にする予定の本は、大澤傑著『「個人化」する権威主義体制 侵攻決断と体制変動の条件』(明石書店、2500円+税、2023年)。世界が、とりわけ東アジアでもその思考が気になる3人について考察された著作です。この3人にどう向き合うのか、考えてみたいと思います。

過去・今日・明日

10月8日の朝日新聞記事中に、ドイツ近現代史が専門の石田勇治著『過去の克服』(白水社)から以下の引用がありました。「民族には自らの歴史を冷静に見つめる用意がなければなりません。なぜなら、過去に何があったかを思い起こせない人は、今日何が起きているかを認識できないし、明日何が起きるかを見通すこともできないからです」。これはドイツのある首相の言葉なのだそうです。神話の記述を史実と信じ込む程度のオツムの議員センセイ方に聞かせてやりたい言葉でした。
写真はベルリンのペルガモン博物館の代表的な展示構造物「イシュタール門」(1992年12月撮影)。紀元前560年頃のバビロニアの古都バビロンにあったものが再構築されています。同館は今月23日から14年間にわたる大規模な改修に入るため、しばらく観ることができないそうです。

予想は嘘よ

本日(10月3日)の朝日新聞に社会学者の加藤秀俊氏の訃報が載っていました。大学3年次に先生の講義を受講する機会がありました。当時は先生の多くの著書にも親しみました。社会学の面白さは分析結果もさることながら、対象そのものに接することから生まれる体験というか、フィールドワークによる知見の広がりにあると思います。同氏の講義は毎年「○○の社会学」というテーマ設定があり、講義を受けた年は「レジャーの社会学」でした。単位取得の要件は原稿用紙50枚のレポート提出となっており、かなりヘビーな科目です。同級生4人でチームを組み、「競馬場の社会学」をテーマとして提出して、高い評価を得たのが思い出となっています。競馬場には「予想屋」という商売があるのですが、「予想」を下から読むと「嘘よ」という冗談話があるのを取材で知り、それはいまだにしっかり覚えています。訃報には近年も精力的に執筆活動を続けていたとありましたが、先生自身が現場から学ぶことから生きる力を得ておられたのではないかと思います。
同じく訃報と言えば、9月29日のやはり朝日新聞に理論物理学の江沢洋氏の名前もありました。講義を受ける機会はありませんでしたが、新入生向けに原稿をお願いしたことがあり、少しだけご縁があったかと思います。どちらの先生も学者としては一流でした。
写真は、今度読む本です。同著者の『戸籍と無戸籍―「日本人」の輪郭』(人文書院)を以前読んだことがありますが、非常に価値ある研究だと思いました。今回も期待を裏切らないと感じています。

CO2排出抑制

CO2排出抑制が世界的な課題となっています。そうしたなか、CO2(二酸化炭素)からCu(銅)を電極触媒として用いてCH4(メタン)やC2H4(エチレン)、C2H5OH(エタノール)といった有用物質を得る電解還元の研究が注目されています。どのような材料を電極に用いれば、それらの生成効率が上がるのか、あるいは社会実装が可能な目標値の達成ができるのか。
私にとってはまったくの異分野ですが、研究の最前線ってわくわく感があります。
[S10_2_12] 多孔質構造を持つCu電極を用いたCO2電解還元

救済漏れではなく救済逃避・妨害

昨日、水俣病特措法に基づく救済が受けられなかった原告128人を水俣病と認める大阪地裁判決がありました。本日の朝日新聞の同判決要旨の見出しに「救済漏れを問う」とあったのですが、水俣病事件の経緯を多少知っている者からすれば、加害企業や国・県が続けてきたのは、「救済漏れ」ではなく「救済からの逃避」あるいは「救済の妨害」でしかなかったと思います。
彼らの「救済」の手口はいつも狡猾でした。カネを値切るために、公健法より安上がりな特措法を編み出したのもその一つ。なおかつ「救済」対象者を少しでも減らすために、居住地域や生年、症状に厳しい制限を設けてきました。その最たるやり口が、やり過ごす年月の引き延ばしであり、被害者が死ぬのを待つということでした。
判決要旨を読むと、水俣湾の仕切網が設置された1974年1月までの時期に、水俣湾またはその近くでとられた魚介類を多食した者についてはメチル水銀曝露が認められるとあります。現在50歳代の人であっても症状が遅れて現れることがありえるわけで、加害行為が終了しても当該損害の全部または一部が発生した時が除斥期間の起算点とも指摘されていることから、まだまだ救済は終わっていない進行中の事件なのだと改めて感じます。

俗流化された前向き主義からの離脱

甲佐町からの帰路に「うきうき豊野ひまわり園」へ立ち寄ってみました。見ごろを過ぎた10万本の「うなだれ感」には、人生に引き寄せてみると、なんとも味わい深いものを覚えます。
9月23日の朝日新聞「悩みのるつぼ」欄で、政治学者の姜尚中さんが、俗流化された「前向き主義」からの離脱や漂泊を、相談者へ勧めていました。この言葉を体現する風景が、今時分の豊野のひまわりにあるように思います。

どういう了見なのか

昨日(9月22日)の宇土市議会において、国に核兵器禁止条約批准を求める請願は賛成少数で不採択となったと、けさの地元紙が報じていました。請願者がどのような関係者であったか、さらには請願内容や賛否別の議員氏名については、詳細をまだ確認していませんので、今後それらの情報収集をしたいと思います。
現在地方議会における同意見書決議の状況は、原水協のサイトに載っており、9月19日現在、全国で664自治体議会が採択しています(熊本県内では上天草市、菊池市、玉名市、小国町、長洲町、錦町、苓北町の7議会)。このサイトでは請願例文・意見書例文もダウンロードできます。関連して触れると、非核宣言自治体は全国の9割、熊本県内の全市町村となっています。
ここで簡単に日本の原水爆禁止運動団体の歴史を振り返ると、1954年の第五福竜丸乗組員が「死の灰」を浴びたビキニ事件に始まります。翌年原水協が設立されますが、安保改定やソ連の核実験再開をめぐる対立を経て、1965年段階では保守系の核禁会議、共産党系の原水協、社会党系の原水禁に分裂しています。原水協と原水禁は1977~1985年の間、再統一しますが、再び分裂して現在に至っています。原水協の役員には共産党系の人が多いのは事実で、日本の原水爆禁止運動に党派性が持ち込まれた歴史は否めません。なお、原水協は2017年にノーベル平和賞を受けたICANにも加盟していません。それと、現在の原水禁のサイトを見ると、反原発のキャンペーンの方が目立つように感じます。
冒頭に戻って、仮に原水協系の請願だったとしてですが、その意見書案はICANの理念と合うものであり、よほどの屁理屈をこねない限り反対の理由は見当たらないと考えます。いったいどういう了見なのか反対議員に説明能力があるのか、追及したいものです。

競争的選挙は民主主義の基本

アダム・プシェヴォスキ著『民主主義の危機 比較分析が示す変容』(白水社、2400円+税、2023年)の第一章イントロダクションションのp.14において以下の記載があります。「ギンズバーグとヒュクのいう三つの「民主主義の基本的な述語」なるものは、競争的選挙、表現や結社の自由の権利、法の支配から成り立っている。この三位一体を民主主義の定義とすれば、民主主義が危機にあるかを見極めるための便利なチェックリストを入手できる。すなわち、選挙が非競争的か、権利が侵害されているか、法の支配が崩壊しているか、というものだ」。つまり、競争的選挙は民主主義の定義の筆頭に挙げられる基本ということになります。現代においてロシアや中国では選挙による権力交代はありませんので、民主主義が機能していないと言えます。しかし、完全な比例代表選挙が行われていても、ナチスに政権を与えるまでに至った歴史もあります。どういう道をたどってそれに至ったかは、同書を手に取ってみると理解できると思います。
さて、9月26日に任期満了を迎える市選挙管理委員としての実質的に最後の職務となる主権者教育に本日は立ち会いました。小学6年生を対象にした模擬選挙の出前授業において投票所の受付・選挙人名簿対照係を務めました。模擬選挙とはいってもかなり本格的で、候補者の選挙演説動画や選挙公報を児童に見てもらって自身の投票行動を決定してもらいます。実際の選挙で使われている記入台や投票箱を用いて投票を行ってもらい、開票結果の発表まであります。真剣にワークシートに取り組んでいるのがたいへん頼もしく感じました。
架空の十八ヶ丘市の市長選挙では、人口減少対策が争点となり、3人の候補が政策を訴えました。私は起業・雇用・進学支援を訴えた候補が課題解決に効果的に思えて当選を期待したのですが、児童たちの支持を集めたのは子育て支援を訴えた候補でした。給食無償化など児童虐待の中でも経済的ネグレクトの解消に期待する声が多く聞かれました。世代的には少数ですが、模擬投票では94.53%と極めて高い投票率でしたので、選挙権が得られる年齢になって実際に投票を行えば、選挙結果を大きく変えることになります。その力を感じ取ってもらえたのなら嬉しい限りの経験でした。

追悼の妙

昨日熊本市内へ出向いた際に文芸誌「アルテリ16号」を買い求めました。今号は「渡辺京二追悼号」となっていて、購入の最大の理由は執筆者・談話者の中に何度もお目にかかったことのある方たちの名前があり、それが読みたかったことに尽きます。たとえば、掲載ページ順に、松下純一郎さん、磯あけみさん、阿南満昭さんです。
渡辺京二氏の死去間もない時期に新聞各紙にさまざまな方々による追悼文が掲載されました。しかし、それらのどの文章よりも「アルテリ」に載っている追悼の言葉の方が、読んでみて(表現は適切ではないかもしれませんが)面白く感じました。特に上記に名前を挙げた3人の文章・談はそうでした(逆に、他の全国的に著名な方々のそれはそうでもありませんでした)。
これは、なぜかと考えたときに、新聞紙上での文章は普遍性が求められるので、故人の業績紹介に重きが置かれて、どうしても故人から筆者の人格形成に受けた影響はそのエピソード情報も含めて文量が少なく、後景に追いやられてしまいます。それと、故人の名誉を慮りどうしても非の打ち所がない人物として持ち上げられ過ぎてしまいます。言うなれば、当たり障りなく上品な仕上がりになってしまいます。
「アルテリ」の場合は、新聞と比べてかなり身近に接した経験を持つ執筆者・談話者が、故人の社会常識から逸脱した側面も明らかにしていますし、故人から受けたきわめて私的な影響が詳らかになっています。結果的に故人に対する新しい視点や理解の深まりが得られた気がします。阿南さんが語るように「困った人だった」だからこそ、歴史が作られた点も確かにあります。
私自身は、渡辺京二氏についてお姿を見たことはありますが、ほとんど著書や伝聞でしか知りません。字面を通じた影響には感謝していますが、こういう気性が難しい方とはナマでは付き合いたくないときっと感じたことだろうと思います。

平和工学者のための十戒

クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社、3400円+税、2023年)より「平和工学者のための十戒」を引用します。
これを紹介したからと言って大方の人は何のことか分からないと思います。ですが、著者はこの原則はどんな分野にも適用できると述べています。実際にはこの原則以外にも規則が記されたマニュアルが必要になりますし、複雑で変化する状況に規則を適用させる判例的な思索の集成も必要にはなります。ただし、本書を読むとやはり思い当たることは多いので、これは役に立つとは思いました。気になった方はやはり読んでみないと伝わらないということにほかなりません。
1.容易な問題と厄介な問題を見分けなさい
2.壮大な構想やベストプラクティスを崇拝してはならない
3.すべての政策決定が政治的であることを忘れてはならない
4.「限界」を重視しなさい
5.目指す道を見つけるためには、多くの道を探索しなければならない
6.失敗を喜んで受け入れなさい
7.忍耐強くありなさい
8.合理的な目標を立てなければいけない
9.説明責任を負わなければならない
10.「限界」を見つけなさい

魚の食べ過ぎは体に悪い

東京電力福島第一原発の処理水海洋放出が始まって1週間が経ちました。中国が日本の海産物の全面禁輸に踏み切ったことにより、水産業界にも影響が出始めています。首相は東京の豊洲市場を視察してタコを食べるパフォーマンスをしたうえで、業界関係者へ販路拡大などの支援策を説明したことが報道されていました。
ですが、最大の輸出先は中国であり、大半を占めています。鮮度が求められる海産物の輸出先として中国に代わる近隣の人口大国はありません。中国以外の輸出国が拡大したとしても到底現状を超える望みはありません。国内消費の拡大もしかりです。人口減少傾向にある日本国民が急に海産物の食事を増やすことが期待できるでしょうか。ましてや日本の子どもたちをダシにして学校給食材で海産物を増やすなど過剰反応に走るのも心配です。
現実的な解決方法は、依怙地にならず海洋放出を止めれば済む話です。海洋放出を続ければ続けるほど、貿易赤字は増え、水産業界を始めほかの業界も損を被るだけですし、それらの業界の支援に必要な費用がかかります。中国政府は禁輸を続けても何も困らないですが、苦しむのは日本国民であり、新たな支援や賠償の責任が生まれる日本政府や東京電力です。
それと、国内消費の拡大が推奨されるとなると、放射能よりも魚介類に含まれる水銀の摂取の方が心配になってきます。厚生労働省のホームページには、現在においても「水銀に関する近年の研究報告において、低濃度の水銀摂取が胎児に影響を与える可能性を懸念する報告がなされていることを踏まえ、妊娠中の魚介類の摂食について以下の注意事項を公表しているところです。」との記載があり、「妊婦への魚介類の摂取と水銀に関する注意事項及びQ&A」の情報を出しています。
水俣病関係の書籍で読んだ記憶がありますが、水俣病患者が多数発生した不知火海沿岸住民よりも県外の日頃マグロを口にする機会が多い寿司職人の方が、毛髪に含まれる水銀濃度が高いという調査結果があったかと思います。
11年前に環境省の国立水俣病総合研究センターの主任研究企画官から「水銀と健康について」というテーマで話を聴く機会もありました。そのときの聴講メモもついでに載せておきます。うがった見方をすると、中国の禁輸措置は福島よりも水銀リスク回避のためかもしれません(本稿最終行参照)。
・国水研では「水銀分析マニュアル」を開発している。RI機器も使われている。
・毛髪水銀量の分析は無料で受け付けている。
・体内に取り込まれた水銀は約70日で半減するので、魚の摂取頻度が少なくなれば、毛髪水銀量(ほとんどがメチル水銀)も減る。
・金属水銀による健康への影響として、小規模金採掘の現場での水銀使用が問題になっている。金と水銀のアマルガムを作り、熱して水銀を蒸発させて金を取り出すときに、採掘労働者が水銀の蒸気を吸ってしまう危険にさらされている。
・中国における石炭燃焼から出る水銀が大気に含まれ偏西風にのって日本に飛来している。特に冬は濃度が高くなっている。
・食物連鎖によるメチル水銀濃度が高い魚として、サケ、イカ、マグロがある。クジラも高い。マグロの消費量が高い東日本、捕鯨出港地の住民の毛髪水銀量は、平均より高い。

交渉相手の頭の中を知れ

文化的背景が異なる相手と交渉するのは難しいものです。相手が気分を害することがあれば、それは言語の行き違いよりも何か歴史的な虎の尾を踏んでしまったことによるかもしれません。たとえば、先進国とか開発途上国とかいっても、何百年・何千年前となるとまったくその立ち位置が違うことがあります。
こういうときにこそ歴史の知識が役立ちます。最近目にしたいくつかの資料を示してみます。まず「東アジア年表」。これは図録『憧れの東洋陶磁』のp.114に載っています。日本では素焼きの土器しかなかった古墳時代の頃、中国や韓国においては高温焼成による硬質な製品が生産されていました。中国の王朝の歴史を振り返ると、漢族と北方遊牧民との対立と融合の歴史であり、統一王朝時代と分裂時代の繰り返しでもありました。それについては、松下憲一著の『中華を生んだ遊牧民』から「中国史の略年表:地域別・諸勢力別」(p.11)と「北魏皇帝表」(p.79)を載せてみました。中国において北魏王朝が成立した時期も日本の古墳時代とかさなりますが、すでに皇帝を擁するだけの政治体制が確立していたことを改めて感じますし、皇帝廃位の理由のほとんどが殺害であったという権力闘争の苛烈さに驚かされます。
現在の中国の絶対的な権力者は、ご承知の通り習近平氏です。彼が口にする中華民族は漢族だけのようにしか思えませんが、中国王朝の半分は異民族王朝が支配したように北方遊牧民を含むさまざまな民族の子孫から中国は成り立っており、権力に対する執着はまさに命がけだと思います。その点、日本の政治家は柔ですから、場当たり的なメンツを守ることに気がとられて実を失うことが多いように感じます。習氏が「皇帝」の地位を保つためには足元からの不平不満を解消させるしかありません。これは足元のガス抜きにつながる動きなのかどうかという見極めをしっかり行うことが大切で、日本側が過剰反応して自分の首を絞める必要はないと思います。

ついでにこれも書いておきます。
「処理水」の陸上保管を続けた方が、東京電力にとっても日本経済全体にとってもお得なのでは?
海洋放出が陸上保管より20分の1も安いと考えた小賢しさが、国益を失う結果に…。
東電も陸上保管費用を上回る新たな賠償リスクがかかってくる可能性が大きく、科学的に安全とか言って、海洋放出にこだわるのはまったくもってバカらしい。
中国に反発されて感情的になってしまい、長期的な損得勘定が合わなくなっていませんか?
逸失する中国+香港向け水産物輸出年額1626億円×?年 > 東電が新たに組んだ賠償基金800億円(1年分でさえカバーできず) > 向こう30年のタンク建設費用374億円 > 向こう30年希釈して海洋放出の費用18億円

経済人による社会科学的な知見も必要だ

あまり触れたくはないのですが、J2ロアッソ熊本が勝てません。前節は順位が20位まで下がりJ3降格圏寸前の位置にいます。こういうときは、良からぬ感情を鎮めるのに限ります。幸い先日鑑賞した「憧れの東洋陶磁」展の図録(大阪市立東洋陶磁美術館・九州国立博物館共同編集)が手元にあり、眺めているとずいぶん落ち着きました。この図録は展示品の写真と解説もさることながら、東洋陶磁全般の歴史、技法についても学ぶことができますし、コレクション充実に至った経緯を知ることもできます。大阪市立東洋陶磁美術館の収蔵品の目玉は安宅コレクションであるのはよく知られていますが、故安宅氏に限らず昔は優れたコレクターであり経済人としても秀でた人物がいて、今日の鑑賞者はその恩恵に与っています。
経済人の誰もが優れたコレクターになれるわけではありませんが、少なくとも経済人として平和をもたらす術について貢献できる可能性はあります。最近読んだ、クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社、3400円+税、2023年)においては、宗教的対立による紛争が起こりづらい都市の特徴として商業による相互依存の例を挙げていました。たとえば、ネパールの南に接するインドのアヨーディヤーという都市では1992年、ヒンドゥー教徒の暴徒がイスラム教徒に襲いかかる宗教的な暴動が起き、イスラム教徒を中心に2000人が死亡したと推計されています。しかし、同じ年に、あるいはほかの年でも、宗教的な暴動が起きなかった都市があります。インド西部の沿岸部に位置するソームナートという都市では、中世以来何百年もイスラム教徒とヒンドゥー教徒は社会的に統合され、経済的に相互依存しています。ヒンドゥー教徒が、インド洋全体とつながりがあるイスラム教徒の貿易商人に都市に定住するよう促し、そのために土地まで提供して、巨大な織物市場が生まれました。彼らは、長い間、診療所を共有し、宗教間の協力団体を作り、宗教を問わず災害や貧困に苦しむ人々を救済する組織を運営してきました。一緒にジョイントベンチャーを起ち上げたり、一方が商品を製造し、もう一方がそれを輸出したりするといった、相補的な経済活動を行ってきました。
商業が平和を促進することについては、古来さまざまな思想家も指摘していると、上記書では紹介しています。「商業は、最も破壊的な偏見に対する治療薬である」(モンテスキュー)、「(国際貿易は)戦争のシステムを根絶する」(トマス・ペイン)、「(商業は)戦争に対抗する自然な力である個人的利益を強化し、増大させることで、戦争を時代遅れにする」(ジョン・スチュワート・ミル)。宗教的対立だけでなく国家間にも言える論理となります。
経済的交流が盛んであれば必然的に人や文化といった社会的交流も促進します。今回の福島第一原発の大量希釈汚染水の海洋放出問題に関しても、政治的感情や科学的安全性論にこだわりすぎて双方が経済的損失を出すだけになっています。陸上保管を続けた方が結果的に国益になるということを冷静に考えたがいいのではないかと思います。
写真は上海市内(1997年撮影)。

海洋放出の損得勘定は?

東京電力福島第一原子力発電所から出る汚染水を大量希釈したALPS処理水を海へ排水することが問題になっています。これによって水産業界において対中輸出ができなくなる影響が出ています。
この一連の流れの損得勘定はどうなっているのか気になりましたので、いろいろデータを見てみました。
まず、日本から中国への2022年のJETRO発表の輸出額ですが、1848億3070万ドル(為替レート131.46円/ドル)となっています。品目別内訳では、ほとんどが工業製品(電気機器:構成比27.2%、製造用機器・機械類:同20.0%、自動車・部品:8.4%、光学機器等:7.5%)となっており、水産物を含む食品は1%にも達していません。中国からの日本への同年の輸入額は1,887億673万ドルで、そこでは水産物を含む加工食品が構成比1.3%となっています。エネルギーや貿易全体の政策を所管する経済産業省にとっては、水産物の輸出の重みは小さいことがうかがえます。
農水省の統計では、2022年の中国向け水産物の輸出額は871億円、香港向けが同755億円となっています。
ところが、中国へ輸出する水産食品関連企業727社の売上高に占める中国向け輸出の割合は平均で55.9%ということでかなり中国依存度が高い傾向があります。水産食品関連業界に限って言えば、かなり影響が大きいことが分かります。
一応政府も漁業者らの風評被害に対処するため800億円からなる基金を設置し、損害が出れば東電が賠償するとなっていますが、基金総額の規模は上記の農水省統計にある1年間の輸出額におよびません。
そこで、原子力市民委員会が出している陸上保管費用と汚染水処理対策委員会のもとに設置されたトリチウム水タスクフォースの報告書で示された海洋排出費用を示してみます。2022年夏から廃炉予定である2051年までに発生する汚染水の長期保管用タンクの建設費用は374.2億円となっているのに対して、海洋放出(希釈あり)費用は18.1億円となっています。
損得勘定だけからいえば、一見して海洋放出よりも費用が高い陸上保管を続けた方が、新たに発生する貿易損失や風評被害賠償の見込み額よりも安上がりのように思えます。
写真は、ウィーンの氷結したドナウ川(1993年1月撮影)。スケートを楽しんでいる市民の姿が写っています。この近くにIAEA本部があり、建物の前まで行ったことがあります。

悪魔の代弁者たらん

昨日、地元の宇土市より同市の都市計画マスタープランの策定にあたっての「まちづくり」に関するアンケート依頼がありました。せっかくなので、「悪魔の代弁者(デビルス・アドボケイト)」たらんと、自由記載欄に添付画像の意見を記して回答を送付することにしました。「悪魔の代弁者」とは、議論を活性化するために、あえて多数派に異議を唱える役割の人のことを言います。逆に似たような意見ばかりだと、計画の方向がその線に沿った極端な結果となるものです。これを「集団浅慮」といいます。地方自治体の各種審議の場の多くがただ議論の場に座っている要員だけで構成されていて、「集団浅慮」に陥りがちです。
話は飛びますが、世界の気候科学者の共通理解として、アジア太平洋地域に限っても今世紀中の近い将来、海面上昇などの影響で気候移民・難民として中国1億700万人、バングラデシュ5300万人、インド4400万人、ベトナム3800万人、インドネシア2600万人があふれ出ると推計されています。
海抜標高が低い住宅地を多く抱える本市では、2m海面上昇すれば、かなり浸水リスクがあります。おこしき海岸の砂紋も失われますし、海水温度が高まれば特産品の海苔の生産減少は避けられません。現在の在住市民がこの世からいなくなるころには「都市計画マスタープラン」を策定する必要がなくなっている可能性すら感じます。
したがって本市に必要なのは、将来、移民となっても生活力がある人材の教育、つまり「人づくり」にほかならないと考えます。

海苔にまつわるエピソード
1902年(明治35年)11月に、本市において陸軍特別大演習があり、明治天皇が行幸されています。昼食を摂られた場所は自宅の近所ですが、明治天皇が何か黒い物体を召し上がっておられる様子が、当時の住民の間で話題になりました。その後、あの黒いものは海苔だったという話になりました。ちなみに本市で海苔の養殖が本格化したのはここ60-70年前のことです(英国人の藻類学者・ドゥルー女史が糸状体の海苔を発見したのは1949年)。100年ちょっと前までの住民にとって海苔は食卓に上らない食品でした。

7月3日の大雨で発生した近隣の浸水被害
益城町の木山川の氾濫がニュースでも取り上げられましたが、自宅近隣においてもこれまで発生した記憶がない場所で内水氾濫被害がありました。遊水地機能を果たす農地が減少しているため、河川や用水路に土砂や木くずが溜まると、それがダムとなり容易に上流部で浸水被害が発生していました。

受託者責任を広げられないか

児玉安司著『医療と介護の法律入門』(岩波新書、960円+税、2023年)を読んでみて、判断能力のサポートを要する人の意思決定支援と、それらの人の利益を第一にする受託者責任(フィデユシアリー・デューティー)のバランスについて考えさせられました。ちなみに2022年現在の国内人口において65歳以上の人は、3600万人、全体の30%近くを占めます。その65歳以上の人口の6人に1人が認知症有病者であり、若年の障がい者も合わせると1000万人になります。つまり全世代を通じると12人に1人は潜在的に判断能力のサポートを要する人で日本社会は成り立っているというわけです。
日本国憲法13条は自由権を保障し、そこでは個人の自立、自己決定、自己選択、自己負担の「自由」が重視されると、上記書では書かれていました。2006年に採択された国連の「障害者の権利に関する条約」では意思決定支援が謳われました。一方、厚労省ガイドラインでは「本人が意思決定した結果、本人に不利益が及ぶことが考えられる場合は、意思決定した結果については最大限尊重しつつも、それに対して生ずるリスクについて、どのようなことが予測できるか考え、対応について検討しておくことが必要である。」というような、現場は結局どうすればいいのか戸惑う線で収めた作文なんかもあります。
「本人の意思」は大切ですが、それが必ずしも「本人の利益」にならない意思決定に周囲が直面することがあります。法定代理人のように受託者として法的に確立している立場の人は、「本人の利益のために」を第一にした権限が使えますが、そうではなくても周囲にはさまざまな支援者がいるはずです。法的には確立してはいなくても他人の利益の実現の手助けをしたいという人には受託者に近い存在として権限を行使することがあってもいいのではという思いにかられます。

速い思考のワナ

九州内の鉄道普通列車に3日(回)乗り放題できる「旅名人きっぷ」はずいぶん重宝しました。鉄道会社が異なっても一々切符を買わずに済みますので、乗り換え時間ロスもありません。西鉄については特急にも乗車できるので、西鉄沿線については移動時間も少なくて済みます。昨日(8月20日)は、大牟田、東甘木、柳川、(二日市で乗り換え)太宰府で下車し、目当ての場所を訪ねました。それと、私の習慣として電車内では読書がはかどります。最初の勤務先時代は通勤時間が往復で2時間/日確保されましたから、これは貴重な学習の時間でした。さまざまな資格試験合格が果たせたのもこの当時の「通勤タイムスクール」のおかげです。仮にマイカー通勤だったら、こうはいかなかったと思います。
さて、昨日は車中で、クリストファー・ブラットマン著『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社、3400円+税、2023年)を読んでいました。まだ、途中ですが、第6章の「誤認識」を中心に興味深い記述がありましたので、以下にメモを残しておきます。
歴史的に見ると、戦争は例外であり、通常は選択されません。争って得られる利益よりも争わずに得られる利益が確実だからです。これは国家間でもそうですし、民間のギャングの抗争のたぐいでもそうです。逆にどのような場合に、起きてしまうのか。そこには、人間ならではの「誤認識」が大きな役割を果たしています。
速い思考:心理学者のダニエル・カーネマンが指摘する概念。人間の脳は迅速で能率的な判断をするようにできていて、そのために一部の選択にバイアスがかかることを明らかにした。自分の脳がゆっくりと合理的に問題を考えていると自覚しても、私たちの頭は近道をし、感情に影響されている。自己中心主義(エゴセントリック)、可用性(アベイラビリティ)バイアス、確証バイアス、(快感を求め不快感を避ける)動機付け、情緒が特徴。対立概念は、意識的、論理的で、熟慮を伴う「遅い思考」。
新婚ゲーム実験から明らかな自分の能力の過信:行動科学者のニコラス・エブリーの実験によると、相手の好き嫌いを推測して当てるゲームでは、新婚よりも長く一緒に暮らしたカップルほど過信率が高く、カップル間の理解(推測)が低かった。(金融の世界でもトレーダーのほとんどが損を出している。自信過剰なリーダーが選ばれると、交渉領域が狭くなり、平和が脆弱になる)
知識の呪い:知識の豊富な人が、他の人が何を知っているかを気にかけない傾向。
後知恵バイアス:自分がすでに知っている結果を他人は容易に予測できないことに気付かない。
フォールス・コンセンサス(偽の合意効果):他人も自分と同じようにその難しい判断ができると考える。
レンズの問題:他人も自分と同じようにものを見ていると考える。
集団思考(集団浅慮):心理学者のアーヴィング・ジャスニスが作った用語。協調を重んじ、論争や異議を抑制し、結果的に融通が利かない間違った信念に至ってしまう組織文化。誤認識が改善されず、議論の結果が極端になる。
デビルス・アドボケイト(悪魔の代弁者):議論を活性化するために、あえて多数派に異議を唱える役割の人。