非行政書士の排除

昨日の朝日新聞で党首討論の際の発言事実を検証する記事が出ていました。こういう取り組みは国会論議を深めるためにもたいへん良いことだと思います。課題について考えるときも、解決策について探るときも、正確な事実に基礎を置かなければ判断を誤ります。その場しのぎに勢いに目を奪われることなく、冷静な論戦からしか建設的な政治は生まれないと思います。
ネット上で飛び交う言葉もかなり誤ったものが多くあります。たとえば、行政書士でもない人が、堂々とお客さんを募り、報酬を得て、官公署に提出する書類を業務として作成することは、法律違反です(他の法律で特別な定めがある場合は除く)。

うなぎ談義

昨夜参加したある会食で、期せずして「甲佐うなぎ」が話題に上りました。甲佐町は「やな場」があることから鮎が特産品であることは有名ですが、うなぎについては初耳でした。なんでも地下水がきれいなので養殖に適しているそうです。通販でしか手に入れられないそうですが、わずかな要員でかなりの売り上げがあるということ(実際の数字は同社関係者の方から聞きました)で、驚きました。

メディアの見識が問われる

プロ野球球団も傘下にもつあるIT企業が運営する健康情報サイトが、医学的に不確かな記事をライターに書かせていたことが発覚し、公開中止に追い込まれました。インターネットの世界ではありがちなことかもしれませんが、地元紙の読者投稿欄も国際情勢や歴史をめぐって明らかに荒唐無稽の認識に毒された読者による文章がそのまま載っているのが散見されます。それに反論する読者の投稿をもって紙面を賑やかにするのも手でしょうが、あまり知的生産的には思えません。メディアとしての見識をもってして、低質な投稿に紙面を割くべきではありません。

繋がったり切れたり

新しい体制に移行した単位民児協や新年に開催する中学同窓会関係の連絡等で新たな出会いがあったり旧知の人と久しぶりに言葉を交わしたりしています。立場柄、割と出会う機会は多いような気がします。それも仕事とは直接関係のない人との出会いは金銭的な得失がないので面白いと思います。無理して繋がる必要もありません。自然に切れていくこともあるかもしれません。ですが、トータル的に見て出会いには得がある感じがします。一人で思い悩むよりも誰かと話をしてみることを勧めます。

墓埋法の知識

「墓地、埋葬等に関する法律」(略称:墓埋法)という法律があって、実は改葬許可申請など行政書士業務と深い関係があるということを、会報誌『日本行政』(2016年12月号)で初めて知り、興味深く読みました。
実は、散骨がいまだ「合法でも非合法でもない」のだそうです。墓埋法の骨子が制定された1948年のままで散骨の規定がないとありました。刑法第190条には遺骨遺棄の規定がありますが、葬送を目的として節度をもって散骨を行う限り、死体遺棄には当たらないと、法務省刑事局担当者が見解を述べたことがあるそうですが、これも述べたというだけで文書には残されていないので、公式見解とも言えないことになっています。
それと、散骨の前提として火葬が必要になるかと思いますが、この火葬は世界標準というわけではなくて、日本だけが火葬率98%と世界一の高さだそうです。カトリックもムスリムも土葬が基本で、火葬なんか飛んでもないと考える文化の違いについてもっと知っておくことが国際化の流れのなか重要だと思いました。
結論として散骨を希望する人は、現在のところその法的根拠がないこと、陸上及び岸壁付近では条例違反や近隣住民・漁民とのトラブルになるので推奨されないことを理解しておく必要があります。遺言とかで遺言執行者を定めて事前に理解しておいてもらわないと、埋葬済みになると実行できなくなるので注意が必要です。

昇格争いが決着

JリーグのJ1、J2争いが昨日決着しました。J1の最後の1枠はセレッソ大阪がつかみました。J2・J3の入れ替え戦は金沢が残留を決めました。きょうはロアッソ熊本のシーズン報告会が開かれるのですが、スポンサーになってからまだ参加していません。J1へ昇格したらお祝いにかけつけようと思います。クラブも営業戦力を整えなくてはならないと思います。仕事ができない人ではスポンサーがついてこないと思います。

2期目の扉

民生委員・児童委員、主任児童委員の委嘱状伝達式が本日開かれ出席しました。2期目となりますが、同時に単位民児協の会長も務めることになりました。所属する委員の皆さんへ以下の考えを述べさせていただきました。
◇新任会長として一言
1.委員は対等。単位民児協の役員だからと言って何か強い権限があるわけではありません。委員は法律に基づいて厚労大臣からの委嘱を受けていますから、実は厚労大臣とも対等です。
2.委員の活動は無報酬です。これは行政の下請けではなく、住民の立場から行政の間違いや怠慢に対して意見を出す役割が求められています。
3.今年度の活動は決まっていますが、来年度に向けてこれまでの活動を見直す「たな卸し」に取り組んでいきたいと考えています。その中で委員の負担になっている活動はないか、効果が見えない形骸化している活動はないか、を洗い出したいと思います。
4.このたび多くの新任委員を迎えました。新任委員の皆さんを支えるということを定例会その他で実現したいと考えております。全国的には「一期目の壁」が問題になっているそうですが、笑顔で活動できる運営を行っていきますので、委員全員の主体的な参加をお願いします。

アンケート回答による振り返り

当社のように経営管理者が一人という企業だと、社内での対話がないため、経営方針のチェックを怠りがちです。一方、起業して長くならない企業、新規農業参入企業ということで、公的機関やマスメディアからアンケート調査依頼が届くことがあります。あまり頻繁だと面倒ですが、設問を通じていろんな振り返りができて、有益です。回答協力すると提供される調査結果を見て発見につながることもあります。

持てる人に持てない人にも悩みはある

日ごろいろんな事例に接していますと、資産を持つ人にも悩みがあるというのがわかります。もちろん持たない人にも悩みはありますし、それは生存にかかわることもあります。ただ、どちらにしてもその悩みが軽くなることにこしたことはありません。
命の次に重要なのは、人権です。ニュースで、あるテーマパークのスケートリンクで魚を氷漬けにしてネット炎上したことから、その企画が中止に追い込まれたことを取り上げていました。話題としては取り上げやすいのかもしれません。しかし、そのニュースよりもネットで、ある事件の犯人を何の根拠もなく在日外国人の仕業と発言していた、このヘイトクライムの典型ともいうべき行動をとった作家の悪質さこそ取り上げるべきではないかと思いました。ある識者が語っていたように、こうした罪人のアカウントは削除するのが当然だと考えます。

たまには振り返るのもいいもの

昨日は珍しく親族(正確に言えば5親等にあたるので少し遠くなります)の結婚披露宴に招かれ出席しました。神前結婚式での誓いの言葉や披露宴で語られる祝辞などを聞いていますと、自らの結婚生活をついつい振り返ってしまいます。人生の後輩への祝福よりも、齢を重ねた人にとって自省の機会として披露宴は優れているかもしれません。招待客の大半が警察ギョーカイの皆さんでもあったので、その点でもいろいろと興味津々の割と飽きない楽しい時間でした。

6年ぶりの天草市

昨日所用で6年ぶりに天草市を訪れました。天草市役所だけが地震の爪痕が残っていましたが、他は被害を感じるものは見かけませんでした。同じ県内でもずいぶん雰囲気が異なります。三角と大矢野を結ぶ建設中の橋ももう少しでアーチがつながります。すでに来年1月と3月にも今の橋を渡る予定ですので、変化を見てみたいと思います。

キライなもの

時計、電話、ネクタイ、車、テレビ、カラオケ、タバコ、スポーツジム、野菜ジュース、マグロ、宗教、ヘイトクライム、戦争、学習塾、コンサルタント、自己啓発、自己実現、意識高い系、反社会的勢力・・・。書き出してみたら大して思いつきませんでした。

最後までソリが合わない

山折哲雄著『 「ひとり」の哲学』(新潮選書、1300円+税、2016年)を昨夜読了しました。最後までソリが合わないというか、頭にすっと入ってこない本でした。著者の個人的な紀行文なのか、思想家の足跡をたどる狙いなのか、はたまた思索を深める論述なのか、焦点が拡散してたいへん読みづらい本でした。「ひとり」は「ひとり」なのですが、当然それを考えるどころではない立場の人もいるわけで、普遍性を持てない論考だからなのかもしれません。たまにはこういうこともあります。

顧客満足の実現のために

行政書士の業務は、顧客の目的の実現にあります。ですが、顧客が考える目的を伺ってみると、実現するにはさまざまな障害があったりします。できるだけ費用をかけずにしかも短期間で達成するアイデアを提示し、具体的な手法で実現することに業務の醍醐味があるように思います。解決スキーム作りにあたる際に、調査を行ったり有識者の意見を聴いたりもします。顧客の満足が実現できることは受任者自身の達成感にもつながります。ただし、専門職の中には顧客の申し込んだ手続きを流すだけの方もいる感じがします。結果として費用だけかかって目的が得られずに顧客は不満をかかえたままですが、その専門職は報酬だけ稼ぐというケースです。こうした専門職は市場から排除していく必要があります。

墓も位牌もいらない

昨日の朝日新聞「Reライフ」面に掲載の「位牌 私の死後は?」は、たいへん興味深く読みました。位牌を最後は「まつり捨て」したり、棺に入れて共に旅立たせたり、そもそも作らなかったりと、仏教宗派によってあり方はさまざまなそうです。もっとも仏教発生当時は墓も位牌もなかったそうですし、将来いるかいないかさえもはっきりわからない祭祀承継者の負担も考えたら作らないのが望ましいと思います。それぞれの気持ちの問題ですから無理強いはしませんが、少なくとも私自身の死後に墓も位牌もいりません。そんなところに私はいません。記事では、親鸞自身が「父母の孝養のために念仏を唱えたことは一度もない」と言っていたことや釈迦も「死んだ人に向かって読経しても意味がない」と言っていたことを紹介していました。人の不安につけこみ余計なことにお金を使わせる宗教関連業者をのさばらせる必要はまったくありません。