克明な記録こそが未来への価値ある資産

7月18日の朝日新聞読書面で、日本中世史が専門の呉座勇一氏が石井妙子著『女帝 小池百合子』の書評の最後で「職業倫理や専門性を持たないタレント学者や自称歴史家のもっともらしいヨタ話が社会的影響力を持つ様を、評者は何度も目にしてきた。私たちが対峙すべきなのは、表面的な面白さを追いかける風潮そのものなのである。」と書いていました。こうした対峙を高い職業倫理と専門性をもって追究できるジャーナリストがいれば、とことん支援すべきです。写真の著者の仕事は30年近く見守っていますが、私が支援したいジャーナリストのひとりです。著者の仕事は、結局のところ人権が擁護された社会の実現につながり、その社会に暮らす多くの人々の利益にもなると考えます。裁判の記録をたどれば、アレとかソレとかテレビでコメントしている輩どもの無知と無恥ぶりが手に取るように理解できると思います。そうした輩にはとても怖い本かもしれません。

無知を知る

コロナ禍の影響で歴史を学ぶ機会が増えています。さまざなな著作に触れるたびに自分の無知さを知ることができています。歴史といってもその時代を体験した時代もありますが、その評価はその当時と現在とでは異なることも多く、ボーっとしていると、騙されることが多いと思います。ただ流されるばかりではなく、騙す側に乗っかって騙す側に立ってしまうのは、まさに一生の不覚となるでしょう。

読書遍歴で政治家の資質は測れる

思想信条の違いを理由にした選考差別につながってはならないとして、採用現場では応募者の読書遍歴を聴くことがありません。そのせいか他人と書籍について話をすることは日常めったにありません。しかし、その人がどのような読書遍歴を辿ったかは、確実にその人の資質を測る材料になります。
昨日、河合秀和著『クレメント・アトリー』を読了しました。同書のなかで、イギリスの首相を務めたチャーチルとアトリーがどのような書籍に親しんだかが紹介してありました。政治家になる前のチャーチルが愛読したのは、マコーレーの『イギリス史』(全5巻、1848-1861年)とギボンの『ローマ帝国衰亡史』(全6巻、1776-1788年)でした。ギボンの6巻については、アトレーも首相就任してから読了しています。アトレーがもっとも大きな影響を受けたのは、C・D・バーンズのエッセイ「政治的理想」(1915年)とする伝記もあります。アトリーは、同じくバーンズの遺著『第一のヨーロッパ、中世キリスト教世界の成立』(1947年)からも影響を受けたようです。ある人物を理解しようとするなら、それぞれの時期にその人物を作り上げていった精神世界を発見する手法は、きわめて重要に思えます。
『クレメント・アトリー』のp.276には以下の記述があります。「歴史とは、過去を比較することによって現在を理解しようとする営みであるが、ここで引照されている過去は、(地域的にはヨーロッパに限られているが)紀元前5世紀からシャルルマーニュの帝国まで、深く、長い。このことは、古い文化との継続性を保ってきた文化を持つ国にはよく見られることで、さして驚くべきことではない。日本でも、少なくとも明治期までの知識人は漢籍を読み、古代中国の歴史や道徳、詩に照らして日本を理解しようとしていたが、日清戦争に勝った後は、中国の国力を軽視するようになった。また一つにはマルクス主義の影響によって、近代とは資本主義の発展であり、帝国主義とは――レーニンの『帝国主義論』の原題がいうように――「資本主義の最新の段階」であると考えられた。中国の古代以来の帝国と、大日本帝国を比較することはなかった。」
また、p.277-278に次の記述があります。「日本の現代史は敗戦によって断絶しており、ヒットラーとスターリンによって分断されたヨーロッパ諸国の歴史記憶についても同じ断絶がある。ついでに指摘すれば、第二次大戦では英米ソのビッグ・スリーが帝国主義としての責務を担ったが、ソ連帝国はベルリンの壁とともに崩れ、今では中国が新しい帝国として興隆して、それぞれに帝国としての責任を問われている。」
このくだりを読むと、今の日本の政治家やジャーナリストに歴史から現在を正しく理解している人物がどれほどいるのかという思いに駆られます。たとえば、社会主義や帝国主義といった用語の上っ面だけを見て実相を見て考えていないことが多いのではと感じます。
ところで、ヤルタ会談やポツダム宣言といった日本の敗戦処理との係わりでチャーチルの名前は日本でも知られていると思います。労働党のアトレーは、第二次大戦中、保守党のチャーチルを首班とする挙国一致内閣で副首相を務め、戦後の6年半はイギリスの首相として労働党政権を担った人物です。その6年半は、日本にとって米国の占領下に置かれた時期、つまり国際社会の外に置かれた時期と重なり、アトリーの業績や考えについてほとんど知られていないと思います。
アトリー政権の政策は、正真正銘の社会主義でした。ソ連型社会主義その他は看板だけは社会主義でしたが、学問的思想的視点では専制国家による帝国主義であり、現在の中国もその傾向があります。第二次大戦で勝利したとはいえ、イギリスは疲弊しており、国民の生活再建が急務でした。1945-1946年のイギリス議会の会期では、国有化、国民健康保険、社会保障関連法、労働組合活動の規制解除の修正案など重要法案を含めて70の法案を可決させていて、この年間記録は今も破られてはいません。また、この政権下ではインドなど植民地を独立させました。
また、アトリー自身は、国際連合の役割に期待していました。特に核兵器につながる原子力の管理について熱心でした。中国については、中国共産党政権を承認することがソ連の衛星国から引き離すことだと考えていましたし、中国国民党政権の台湾については国連の管理下に置くことを望んでいました。もしそうした方向に動いていたら歴史がどう動いていたか、興味がそそられます。アトリー自身は、新中国を承認しておけば、朝鮮戦争は起こらなかっただろうと考えていました。
アトリーのことからは離れますが、日露戦争の時代の「ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア皇帝ニコライ2世は、ともにイギリスのヴィクトリア女王の孫であり、互いに英語でウィリー、ニッキーと呼び交わして手紙をやり取りして」(p.280)いたのは、初めて本書でしりました。

国内の人権弾圧を見よう

香港における国家安全維持法の恣意的な運用は人権弾圧そのもので中国政府は非常に愚かな行動をとっているといえます。人権問題は国内問題ではなく、人類共通の問題ですから、思想信条の自由への侵害に対する批判について内政問題とはねつけるのは明らかに間違いです。法治国家というのなら国際法も遵守する義務があります。翻って日本政府が「黒い雨訴訟」で控訴の考えでいるとの報道が出ています。これも原爆被爆者に対する人権弾圧そのもので、香港の人権問題に対する言及の資格を危うくするくらい恥ずかしい話です。恥ずかしいと言えば、核兵器禁止条約の批准国は44か国に達し、あと6か国・地域の批准を得てその90日後には発効するところまで来ています。この条約に対しても日本政府は批准に向かわなければ、その外交姿勢は世界から嗤われてしまうでしょう。

小中華と神格化の萌芽

BSテレビの放送大学で昨日たまたま『日本の古代中世』の第2回「日本列島の原始から古代へ」・第3回「律令国家への道」を視聴しました。大和朝廷が成立する過程が紹介されていました。当時の大陸との関係、小中華と天皇神格化による倭国から日本への変貌についてたいへん引き込まれてしまいました。隋や唐からの学びや百済からの渡来人による影響など、成り立ちには外部との関係があることを認めないわけにはいきません。この時代から日本を見ていくと、アジアでも新しい地域という気がしてくるので不思議です。古来の伝統だといわれても、1500年くらいさかのぼってみれば、そうではないことの方が多く、そこ75年前の教育で育った日本人と同じくらい無知なだけのように思います。
今日の歴史学では『日本の古代中世』に載っていることが当然のこととして学べるのですが、アジア・太平洋戦争下の庶民の子どもたちは「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国」というように偏狭な自民族第一主義、神々に作られたという非科学的な神国思想を学ばされました。一方で、同じ時代に、スーパーエリートを育成する「特別科学学級」で学ぶ英才の子どもたちは、治安維持法下の禁書である津田左右吉の『古事記及び日本書紀の新研究』をテキストとして歴史を学んでいました。どのようにして権力者は民を統治するか、騙しのテクニックを学べたというわけです。

管理画面の清掃

SSL導入を機に管理画面内を見渡すと、いろいろと改善が必要な問題があってさっそく手直ししました。不要なテーマやプラグインを削除しました。それと、サイトの使い方としては公開情報だけをサーバーに入れておくことです。当然すぎることですが、意外とほったらかしにしている事業者が多いので、不正アクセスされたときに慌てるのだろうと思います。

初盆

新型コロナ禍で迎えた亡父の初盆が無事終了しました。マスク着用での読経とお話で30分ほどで済み、会席弁当を参列者には持ち帰っていただく形式でした。熱中症予防に加えて換気やアルコール消毒などいろいろと気をつける点が多かったのですが、負担なく進み良い時間を過ごせました。

国際水準に達していない日本

国際法の世界で国際水準に達しているかどうかの目安は、国連や加入した条約の条約機関からの勧告状況の数量にあると思います。もともと国連加盟国や条約締約国は決議や条約規定を遵守する義務があります。国際法の枠組みに入っている以上、その遵守状況の審査を受ける義務があり、審査で守られていないと判断された場合は、勧告を受けます。
日本は、現在、国連人権理事会の理事国ですが、以前から同理事会から多数の勧告を受けています。第1回審査(2007年)の勧告数26、第2回審査(2012年)の勧告数174、第3回審査(2017年)の勧告数217となっており、毎回増えています。勧告は、日本が加入している条約の条約機関からも受けています。自由権規約委員会や子どもの権利委員会、女性差別撤廃委員会、人種差別撤廃委員会、拷問禁止委員会のいずれの条約機関からも受けています。なお、障害者権利委員会からは批准時期が遅かったのでまだ審査されていません。このことを知ると、日本にオリンピックを開催する資格があったのか、大いに疑問です。
これらの勧告の中には国内人権機関の創設を求めるものが多数あります。実際、2012年11月、民主党政権は「人権委員会設置法案」を国会に提出することを閣議決定し、国会に提出されましたが、国会審議に入らないまま、同年衆議院解散により廃案となりました。同年12月に政権を奪還した自由民主党は、「民主党の『人権委員会設置法案』に断固反対」を掲げて、国内人権機関設置に関する動きはストップして現在に至っています。法案そのものはパリ原則に沿ったものであり、評価はされていますので、国際水準を率先して満たさないことには他国の人権侵害についても口出ししにくいのではないでしょうか。

国内人権機関の実現を

国際人権法の世界で日本政府が遅れをとっている一例として国内人権機関といえる組織がないことがあります。国内人権機関とは、公権力から独立した権限を有する人権救済機関です。1993年の国連総会で決議されたパリ原則(国内人権機関の地位に関する原則)の中でこの機関の設立が求められました。人権救済に対する行動が地域的に遅れているアジアにおいても大韓民国国家人権委員会(NHRCK)やインド国内人権委員会(NHRC)がすでにあり、国会等に対し、多くの勧告や意見表明がなされていたり、政府機関等に対し、人権意識向上に向けた活動とトレーニングを行っていたりします。
たとえば、いじめ防止対策推進法に基づき、いじめの重大事態の調査を学校や教育委員会の下に設置された組織が行うことがあります。第三者機関と称されますが、調査主体の選任権を調査される側が持つことになります。また、調査ごとに設置される組織では、調査の手法、技術、早さなどのレベル向上は見込めません。前述の機関もないよりはあった方がましですが、やはり常設の子どものための第三者機関による調査が期待されます。日本の地方自治体の中にも、子どもの権利条約の批准を受け、子どもの権利救済を目的とした権利救済機関を設置している自治体がわずかながらありますが、日本全国くまなくこうした機関が必要です。子どもの権利条約の条約機関、子どもの権利委員会は、日本に対し、子どもによる苦情を子どもに優しい方法で受理し、調査しかつこれに対応することができる、子どもの権利を監視するための具体的機構を含んだ、人権を監視するための独立した機構を迅速に設置するための措置とパリ原則の全面的遵守が確保されるよう、資金、任務及び免責との関連も含めて監視機関の独立を確保されるための措置を求めているところです。
在日外国人の人権救済についても日本の取り組みは、遅れています。人種差別撤廃条約の条約機関、人種差別撤廃委員会からは「技能実習法」に基づく適切な規制及び政府による監視を勧告され、アメリカからは技能実習法の執行及び実習生の保護が不十分であること、二国間取決めに抜け穴があること等の指摘がなされ、強制労働が発生し、中には性的搾取目的の人身取引の被害者になる者もいるとされており、国際的にその問題点が指摘されています。これでは、技能実習生は、じっと耐えるか逃げ出すかという状況に追い込まれるしかないのがうなずけます。
司法を通じた人権救済を図ることも確かにできるかもしれませんが、その人権侵害を受けた被害者に、時間的にも費用の面でも多大な負担を背負わせます。これでは、人権救済を求めること自体について抑制的になってしまいます。
私も委員として末端に連なる法務省による人権擁護行政については、法務省自身が「人権救済等に必要な専門性や経験を有する人権擁護委員が必ずしも十分に確保されていないため、活動の実効性にも限界がある。」と述べるとおり、パリ原則が求める国内人権機関としての要請から大きくかけ離れています。法務省には「人権委員会設置法案」の実現に向けて前進してもらいたいと思います。
人権外交を標榜する日本は、アジアでの人権の確保に向けて範を示す立場にあります。国際人権条約の活用・促進を積極的に進めることが、アジアの人権状況の改善に繋がるものでもあり、日本にはその役割が期待されています。しかし、国際人権条約に加盟しつつ、条約上の権利を実現するための個人通報制度を導入しなかったり、国内人権機関を設置しなかったりするのであれば、国際人権条約に加盟した意味がありませんし、国民への背信行為でしかありません。

核軍縮・核廃絶へ

本日は、広島原爆の日です。平和記念式典の模様をテレビ視聴しましたが、日本政府の代表者の口からは、核兵器禁止条約への参加の意思は示されませんでした。現在必要なことは、核保有国と非保有国との橋渡しというよりも、核保有国との対話や保有国間の仲介にこそ日本外交の使命があるのではないでしょうか。現実は、核兵器禁止どころか、世界にある核兵器の9割を占める米ロ間の核軍縮の枠組みも存続が危うい状況です。経済規模で米国の3分の2になってきた中国の増強も止める必要があります。
昨日、NHKの「視点・論点」という10分間の解説番組に国連事務次長の中満泉さんが登場して「戦後75年 核軍縮と安全保障の展望」と題してこの問題について熱く語っていました。現在の世界には新型コロナという危機もありますが、人命だけでなく生活や自然環境まで地球全体を滅亡させる可能性のある核兵器ほどの危険な存在はありません。SF映画の「猿の惑星」では、猿が生き残っている核戦争後の地球がエンディングで明らかにされますが、現実は猿も生き残れない惑星となる運命です。人類の賢い行動でこの危険は取り除けるものだけに、向かうべきところは決まっています。
平和記念式典には、冷戦期の1982年に一般参列者として行ったことがあります。当時の首相は不沈空母発言で知られる故中曽根康弘でしたが、軍縮を希求する世論の熱意は今以上に熱かったように思います。人類は進歩しているのか、核軍縮・核廃絶についてはたいへん疑わしく思えてしまいます。

政治の力量が問われる

2018年10月に韓国大法院(最高裁)が韓国人元徴用工に対する賠償を日本企業へ命じる判決が出てから2年近く経ちました。韓国にある日本企業の資産を差押えし、現金化へいよいよ着手するということで、日韓関係のこじれは一向に解消されません。日本政府は1965年の日韓請求権協定でこの問題は解決済みであり、国家間では国際法(条約)が国内法に優先するので、韓国大法院判決は国際法(ウィーン条約法条約)違反との立場の一点張りです。この後段の国際法が国内法に優先するという部分は正しく、それで行くと韓国政府が三権分立で行政は司法に介入できないとして、判決任せで問題を放置するのは問題があります。ただ、日本政府の前段の主張、つまり日韓請求権協定で「解決済み」というのにも無理があるともいえます。仮に国際司法裁判所へ持ち込まれた場合、1910年の韓国併合条約が合法か不法かという問題に行きつきますし、今日の国際水準からすれば植民地統治の違法性は明らかですし、「解決済み」という日本の主張を通すのは苦しいのではないでしょうか。一般論としては正義であっても歴史的経緯を振り返ると、別の方法で歩み寄る寛容さは必要だと思います。この問題によって経済関係(輸出規制)や安全保障関係(GSONIA)でもぎくしゃくしたことも忘れてはなりません。互いに冷静になって相手を知ることが求められていると思います。

独自SSL Let’s Encrypt

昨日、所属団体の会員からご指摘をいただいたので、本サイトでもSSL導入を行おうと思います。以前は年間の管理料が数万円していましたので、オンラインショップやよほどWEBメール受信が多い企業以外は導入が進んでいませんでしたが、無料のサービスも普及していて大手のレンタルサーバーではユーザーが管理画面から簡単に設定できるようになっています。導入していないと、確かに大半のブラウザで保護されていない通信と表示され、無用の不安を与えかねない側面があります。しかし、あのツイッターでさえ少年にアカウント乗っ取り被害に遭う世の中です。入れても入れなくても絶対安全とは言い切れないと思ってもいます。

人権理事会

人権擁護委員向けに隔月刊行されている小冊子『人権のひろば』の中に、外務省人権人道課による寄稿「国連人権理事会での動き」という1ページのコーナーがあります。先月発行の『人権のひろば』(134号)では、同コーナーの掲載は第42回となっており、第43回人権理事会の動きが報告されていました。おそらくこれを手にする委員のほとんどは目にも留めないかと思います。一つは、2月25日に外務政務官がスイス・ジュネーブで行った演説です。演説で触れた分野の項目名だけ紹介されていて、物足りない内容でしたので、外務省ホームページで全文を読みましたが、それでも物足りない内容でした。他国の人権侵害へ目を向けさせる一方で日本の立場の弁解やイベントのPRに熱心な印象を受けました。それと、気になったのが、アジアを向こうに置く姿勢です。あたかも日本はアジアとは別なのだという姿勢が言葉の端にうかがえました。もう一つの報告は、今会期では国別決議案が14本、テーマ別決議が25本の、計39本が提出されているけれども、新型コロナの影響で3月13日を最後に会合が中断されており、採択の時期が未定ということの紹介でした。決議が遅くなるということは、それだけ人権侵害が長引くということでもあります。何か決議の手立てがないものかと思います。なお、日本は2017年1月~2019年12月に続き、2020年1月~2012年12月の3年間は、理事国(全体で47か国、アジアで13か国)となっています。2期連続の直後は続けて理事国になることはできません。日本の場合、技能実習制度や入管施設収容における人権侵害が問題視されていますが、こうした問題に対する所見報告を出させないために理事国へ名乗りを上げているのでは思う側面もあります。外務省の動きもしっかりと見ていきたいと思います。

人権問題は国内問題ではない

各種国際人権条約における国際人権基準は普遍的に実現される人権内容を明示しています。地球上のどこにいても、人は人である限り、同等の価値を持ち、同等の取扱いを受けるのが国際人権法の理念となっています。
ところが、現実の世界は、地球上のどこにいるか、あるいはどこの国民であるかなどによって保障される人権の内容が異なっています。その理由は、それぞれの国家の国内法が異なるからです。ただし、国家は締約した国際法を遵守する義務がありますから、その国内における人権侵害について条約機関から報告があるとか、他の国家から通報を受けることで、事態が改善することがあります。いま一つは個人による条約機関への通報です。国連公用語の6か国語のいずれかで行う制度があります。
日本の場合、戦後、さまざまな国際人権条約を批准してきましたが、個人通報制度の導入を定めた各条約の選択議定書についてはすべて未批准となっていて、個人にとっては国内で救済されないと道を閉ざされることとなりかねません。その意味で、けっして日本は人権保障の点では世界をリードしていないといえます。
これがないと、日本国民が国外でその国内において人権侵害を受けたときにも同様の不利益をもたらします。かつて日本人のツアー客がマレーシアでスーツケースを交換させられて知らない間にヘロインの運び屋に仕立てられ、オーストラリアに入国したため、有罪判決を受けたメルボルン事件というものがありました。取り調べや裁判の過程で誤訳の多い通訳があてがわれたことが、不当な有罪判決につながったと、これを救済するためにオーストラリアでは導入されている個人通報制度が活用されました。通報そのものは却下されましたが、大々的に報道されるところとなり、日豪の政府が動き、4人が仮釈放されています。日本にはこうした国際法がからむ事件に対応できる法律家がほとんどいないというのが現状ですし、法務省内の人権擁護局においても専門家はほとんどいないと思われます。
もともとアジアは人権擁護後進地域ですから、日本国民が旅行をする上でもそうした事情を知っておく必要があります。ですが、アジアでは例外的に韓国では個人通報制度が導入されています。同時に日本においても法律家を自称するなら国際的に通用する人材が輩出されることを望みます。

親日家レッテルは評価を誤る

7月30日に台湾の民主化に貢献した李登輝・元総統が亡くなった報道に際してNHKがやたらと「親日家として知られる」と強調して伝えていたのに底の浅さを感じました。確かに本人は植民地下の台湾に生れ、日本語教育を受け、日本の大学に進学して学徒動員で旧日本陸軍にも属しましたが、台湾人としての悲哀を覚えざるを得ない人生だったと思います。それを「親日家」というレッテルでひとくくりにするのは、あまりにも日台関係について無知であると感じます。しいて表現するなら、「知日家」であったことは否定できません。自国民第一主義の受信者の皆様には、おそらく「親日家として知られる」と報道した方が心地よいとでもNHKは考えているのではないかと思いました。だとすれば、ずいぶんと自国民をバカにした報道姿勢です。政治家はもちろんのことですが、どこの国民であれ、親しいか・嫌いかではなく、相手を知っているか・知らないかが重要です。知っているからこそ、援助の手を差し延ばすこともあり、非を正すこともあります。無知なる上での一方的な非難は憎悪と侮蔑しかありません。

国際水準から遅れているアジア

今から40年近く前の時代になりますが、私が大学の法学部政治学科に入学したとき、1年次の必修科目は、憲法、国際法、民法Ⅰでした。形の上では国際法を学んだことになっているのですが、現在振り返ってみると、本当に学んだといえるのかという思いにかられています。というのも、1966年にできた国際人権規約こそ日本は1979年に批准しましたが、以下の通り、その他の条約はすべて履修後に批准または加盟したものばかりだからです。
「難民条約」1982年(昭和57年1月1日発効)
「女性差別撤廃条約」1985年(昭和60年7月25日発効)
「子どもの権利条約」1994年(平成6年5月22日発効)
「人種差別撤廃条約」1996年(平成8年1月14日発効)
「拷問等禁止条約」1999年(平成11年7月29日発効)
「強制失踪条約」2010年(平成22年12月23日発効)
「障害者権利条約」2014年(平成26年2月19日発効)
確かに私たちが社会生活を送る上では、批准した条約の規定内容に合わせて整備された国内法の規定を意識します。私が社会人になったころは、男女雇用機会均等法が施行されて間もないころで、男性限定の求人募集はできないけれども女性限定の求人募集はできるということで、大騒ぎでした。今でこそ電車やバスの女性運転士は珍しくありませんでしたが、当時ソ連旅行した時には女性運転士の比率が高く驚いたものでした(もっとも当時のソ連は若い男性の多くが軍隊にとられていましたので、男女平等というのは無理があるとも思いました)。ともかく、枝葉の国内法だけにとらわれて女性差別撤廃条約を真剣に学んだ覚えはありません。最近でも平成25年の民法における婚外子相続規定の最高裁の違憲判決を経て今では該当部分を削除する民法改正がなされましたが、人権擁護委員向けに法律家によって書かれた人権相談対応本ですら、人権条約の精神から説き起こしたものはないのが実情です。人権のことをいうなら核戦争で命を失うのも最悪で重大な人権侵害ですが、核兵器禁止条約を日本が未だに批准しないのも情けない限りです。
もともとアジアでは欧米のような地域レベルの人権保障機構がなく、国家間の通報も活用されていません。国際水準に乗り遅れている国同士が、都合のいい内政不干渉で互いの国民の人権侵害に目を閉じているようにも思えます。
たとえば、香港の民主派候補がその政治的信条を理由に立候補が認められないというのは、明らかに国際法違反になります。それを可能にしている国内法をタテに内政干渉を主張するのは、果たして徳のある政治なのか、むしろそうした国内法を定めた過ちを恥じるべきではないのか、国際水準を満たした外国政府であれば堂々と指摘できるものなのですが、そう指摘できない自らのやましい部分を衝かれるのが嫌なのか、自らを律しながら互いに水準を高める関係を作っていけないものかと思います。

コロナ禍の人権保障が求められている

コロナ禍においてさまざまな人権相談に応じる場が減ってきています。面談となれば、会場提供する施設管理者もさまざまな感染防止対策が求められますし、対応する相談員も、相談者自身も余分な神経をとがらせなければなりません。電話だとお互い説明の意を尽くせるか、心もとない点があります。かといってメールやテレビ会議システムは敷居が高くなるようです。
もっとも、人権侵害について相談したい人は、どうしたら救済されるか、つまり保障されるのかとういう現実的な権利実現を求めているのであって、そうなると、はたしてそれを可能にする機関はあるのかというと、はなはだ貧弱というのが、現実の姿です。この点は、そうした相談に乗る側ももっと国際水準を学んでどのような仕組みが必要なのか考えてみる必要があります。

クレメント・アトリー

大学時代の恩師・河合秀和先生の最新著『クレメント・アトリー』(中公選書、2000円+税、2020年)の読書に取り組み始めました。先生は1933年生まれですので、御年87歳です。今も現役の研究者でおられることに、まず読み手の方が姿勢を正さずにはおれなくなります。
現在では、歴史に埋もれてしまったできごとですが、第二次世界大戦末期から戦後まもなくの期間、日本を支える優秀な科学者や技術者の育成を目的として「特別科学学級」という英才学級が設けられていました。IQ150以上の全国から選抜された児童・生徒が高度なエリート教育を受け、結果的に敗戦後の高度経済成長を牽引する人材として、理工系をはじめ各界で活躍しましたが、先生も京都師範学校附属国民学校(現:京都教育大附属京都小中学校)と京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高)のなかに設置された学年定員30名の特別科学学級に在学されました。映画監督として活躍した伊丹十三と同級生でした。他に湯川秀樹の長男湯川春洋や、貝塚茂樹の長男で経済学者の貝塚啓明、日本画家の上村淳之がいます。京都における設置にあたっては、京都帝国大学の湯川秀樹博士の意向が働いています。湯川がじきじきに旧制高等学校(現在の四年制大学教養課程)レベルの物理学の授業を行うこともあったようです。物理・化学の実験や、生物の実習などにも重点が置かれました。授業の内容は数学や物理学や化学はいうに及ばず、当時敵性語だった英語、さらには国語・漢文・歴史にもわたっており、当時、治安維持法下の禁書とされていた津田左右吉の『古事記及び日本書紀の新研究』を題材に用いるなど、当時の軍国主義的イデオロギーにとらわれない高度な内容の授業で進み方も速かったといわれます。特別科学学級の児童・生徒は学徒動員が免除され、学習を継続しうる特権を持つとともに、上級学校への進学が保証されてもいました。現在のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)構想には、その精神が受け継がれているといえます。
当時の国民学校の歴史教科書を紐解くと、神国日本を刷り込む教育が行われていたことが明らかですが、一方のエリート教育では科学的リアリズム重視だったわけで、この対比から統治者と被治者の教育は別立てだったということがよく理解できます。

歴史認識に誠実さが求められている

中国や韓国・北朝鮮、ロシアとの関係を語るときに、ここ150年間足らずの史実を知らずに語っていれば、これほど無知をさらけ出すみっともなさはないという思いを最近強くしています。
たとえば、日清戦争(1894-1895年)は、清朝の冊封体制にあった朝鮮を、日清のいずれかが支配するのかという覇権争いにほかならない戦争でした。その朝鮮支配をめぐる覇権争いにおいて、清朝に代わる競争相手がロシアであり、日露戦争(1904-1905年)は、日露のいずれの領土でもない朝鮮(当時:大韓帝国)や満洲(当時:清)を戦場とした戦争です。こうした基本的な関係を押さえただけでも中国や南北朝鮮の今に連なる人たちの記憶がどのようなものかを認識すべきだと思います。
戦争だけでなく、現代では大半の日本人が忘れている事件も数多くあります。日清戦争後に清から日本へ割譲された台湾では、日本の領有に反対し、さらには清朝からの独立を目指して台湾民主国が樹立されましたが、日本は台湾に5万人派兵して「消滅」させています。同じ年に清に独立を認めさせた朝鮮において親露派の国母・閔妃を殺害する事件が民間日本人(熊本県出身者が多数を占めています)の関与により起きています。1900年に起きたブラゴヴェシチェンスク事件は、最大2万5000人まで諸説ありますが、清国人がロシア軍によって大量虐殺され、黒竜江(ロシア名:アムール河)に葬り去られた事件です。当時、世界最大の陸軍国であるロシア戦に備えて現地で諜報活動を行っていた石光真清は、「老若男女を問わぬ惨殺死体が筏のように黒竜江の濁流に流された」(『曠野の花』)で語っています。旧制一高寮歌「アムール河の流血や」として当時の日本の人々の心をとらえました。
日露戦争に際して、国力と軍事装備において劣っていた日本がとった戦略は、援軍が到着しない前にロシア軍に大打撃を与えて外債を獲得し、戦況が有利な段階で英米などに講話斡旋を依頼して早期に戦争を終結させるものでした。その外債の募集には高橋是清が渡英して動き、それに応じたのがニューヨークの投資銀行経営者であったヤコブ・シフでした。ユダヤ人であるシフがなぜ日本を援助したかというと、当時の帝政ロシアでは世界の約3分の1に当たるユダヤ人が強制移住や改宗強要、虐殺などの迫害にあっていたからでした。
日本で持たれた恐露感の一方、ロシアでも東方の民族である日本に対する潜在的な恐怖感が13世紀のモンゴルの支配に起因してあります。ヨーロッパではモンゴル系の人々を、ギリシャ語で「地獄の住人」を意味するタルタロスに重ね合わせて、タタールと呼びました。15世紀末まで続いたモンゴルによるロシア支配を指して「タタールの軛」と称しています。野蛮な黄色人種が白色人種のキリスト教文明国の脅威となるという黄禍論については、ドイツのヴィルヘルム2世が、ドイツが東アジアにおいて軍事的な拠点を得るために日本の進出を牽制するとともに、ロシア皇帝ニコライ2世に日本と対抗させて東アジアに目を向けさせ、ドイツへの軍事的圧力を避けさせるためにも大いに利用されました。
歴史、特に戦争は、憤怒と侮蔑の連鎖から起きます。理解と敬愛の連鎖からしか、非戦平和の歴史は築かれないものです。日清戦争・日露戦争の時代に生きてこのことを理解していた日本人も少なからずいました。当初、日清戦争を義戦と唱えた内村鑑三は、戦後(1905年)、それを「略奪戦」だったと考えを変えます。さらに日露戦争後の演説で「日清戦争はその名は東洋平和のためでありました。然るにこの戦争は更に大なる日露戦争を生みました。日露戦争も東洋平和のためでありました。然しこれまた更に更に大なる東洋平和のための戦争を生むのであろうと思います。戦争は飽き足らざる野獣であります。彼は人間の血を飲めば飲むほど、更に多く飲まんと欲するものであります」と、覇権主義の暴走を批判しています。日本最初の社会主義政党を結成した安部磯雄も「日清戦争といい、日露戦争といい、その裏面にはいかなる野心の包蔵せられあるにせよ、その表面の主張は韓国の独立扶植であったではないか。しからば戦勝の余威を借りて韓国を属国視し、その農民を小作人化せんとするが如きは、ただに中外に信を失うのみならず、また我が日本の利益という点より見るも大いなる失策である」と、1904年記しています。歴史認識に対する誠実さをもつ深い賢さが必要な気がします。

子ども人権SOSミニレター炎上をあえて歓迎したい

今月、大阪府の人権擁護委員が回答した「子ども人権SOSミニレター」の内容を批判するSNS投稿がニュースとなりました。確かにコロナ感染を怖がる子どもに対して「あきらめて」通学を勧めるのは、思慮を欠いていました。学校や教育委員会の判断を無批判に受け入れがちな大人の考えではそうなります。そもそも人権保障にかかわる唯一の正答はないと思います。ただ、今回、逆説的な効果として子ども宛の回答を読んだ母親がその内容に疑問を感じてSNS投稿を行った結果、レベルはまちまちでしょうが、1日で5万件超の反響があったそうですから、その中にはおそらく子どもが受容できる回答もあったのではないかと思います。いろんな意見に接するきっかけに「子ども人権SOSミニレター」がなった点は、思わぬ副産物効果でした。今回のニュースは、先日の地元の人権擁護委員の研修会でも取り上げられ、こういう批判の的になるなら回答執筆を避けたいと委縮する委員の声もありました。しかし、今回の回答がなければ、SOSを発した母親の行動がなければ、その子どもの人権侵害が握りつぶされていたことでしょう。人権擁護委員は全国でたかだか14000人です。しかも質的に高い人材とは限りません。社会の集合知や委員の知見の向上につながるのならどんどんSNS投稿炎上してもらいたいと思います。