「フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)」が、本日から施行となりました。この法律で保護の対象となるフリーランスとは、「実店舗がなく、雇人もいない自営業主や一人社長であって、自身の経験や知識、スキルを活用して収入を得る者」と定義されています。
ところで欧米では、スマホやタブレット端末の専用アプリを通じて、単発の仕事を請け負う就労者である「ギグワーカー」はフリーランスにあたるのかが議論になっているようです。具体的にはウーバーなどの自家用車を用いたタクシー(ライドシェア)の運転手やフードデリバリーの配達員がそれにあたります。しかもこれら「ギグワーカー」は、使用者から直接的に労働指令を受けるのではなく、プラットフォームを通じたアルゴリズムによる管理を受けて働いています。日本でも今年4月から限定的にライドシェアが解禁されましたが、現在のところ、運転手は、既存のタクシー会社に雇用されることになっているので、今後、自営の運転手も認められるようになれば議論の対象となります。
その他、新法の目的などについて手っ取り早く知りたければ、『世界』2024年11月号の橋本陽子学習院大学法学部教授の「労働者・自営業者・フリーランス 労働者性をめぐって」を読むと参考になります。私の同業者にとっても密接なかかわりがある法律ではないかと思います。
もともと上記号の第2特集は、「フリーランスを生きる」となっています。ジャーナリストの北健一氏の「生身の働き手としての権利 四つの現場から」も、印象に残るルポでした。その記事ではフリーランスの凄まじい実態が描かれています。たとえば、九州の久留米市と佐賀市に2店ずつあるラーメン店「ふくの家」の「経営パートナー契約書」の悪質さを知ると、同店へは絶対に足を運んではならないと思わされました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b653708.html?_gl=1*fmqxos*_ga*MTk5MDU0Nzk5MS4xNzI5MDAwMDcy*_ga_L95Q1BL1G0*MTczMDQyNzczMC4yLjAuMTczMDQyNzczMC4wLjAuMA..
よりによって
イギリスの経済学者、ジョーン・ロビンソン(1903~1983)は、「経済学を学ぶ目的は、経済を語る者にだまされないようにするためだ」と言ったと、3カ月前に読んだ本(平賀緑『食べものから学ぶ現代社会』)に書かれていました。その論法で行けば、社会学の研究者には、社会を語る者にだまされない国民をひとりでも多く養成する使命があるのではと、勝手に考えます。
10月27日に水俣病センター相思社の理事会があり、翌朝、宿泊先の朝食会場で、理事のお連れ合いの社会学者と1時間ほど原発や戦争ミュージアム、歴史認識を中心に話をしていて、自然と話題は教育の役割や読解・言論リテラシシーへ移っていきました。その社会学者が語られるには、今の大学生は新聞を読まないし、事実は言えても自分の意見が語れず、教員が言葉を選ばないと学生に理解してもらえないなど、教員と学生の間での対話が成立しにくいということでした。いわゆる団塊の世代を頂点としてリテラシーは世代が若くなるほどに下がっているという見方をされました。私の周囲を見渡しても、たとえ難関大学卒の学歴を有する方や難関資格合格の専門職に従事する方であってもエセ歴史やエセ科学信仰に篤い例は多く見受けられます。文章を読む力がないとか、まともな文章を書く能力がないと感じる例によく出合います。
このことからも教育の果たす役割は非常に大きいと感じるのですが、来月、地元市主催で開かれる「こどもどまんなかの日」なるイベントの基調講演の講師に予定されている人物が、かつて「親学」を推進する「TOSS熊本」の中心メンバーであったフリースクールの経営者とあって、このような人物を講師として選ぶ市の思慮の欠如をたいへん残念に思いました。「親学」の提唱者や「TOSS熊本」のメンバーは、熊本県が全国に先駆けて2013年に制定した家庭教育支援条例に影響を及ぼしました。同条例は、親に対して「親としての学び」により「自ら成長していく」ことを義務付けるほか、(育児不安の解消や児童虐待の防止は、家庭教育のみで解決できる問題ではないのですが)公権力による保護者に対する過干渉というべき異様な内容が含まれています。TOSS は、科学的・学問的根拠はないヨタ話(「水からの伝言」「江戸しぐさ」)を教材として取り上げ、道徳教育にかかわっていたことでも知られます。加えて、同条例制定の「成功」に目を付けた旧統一教会の関連団体が、青少年健全育成基本法や家庭教育支援法の制定を求める意見書提出の請願運動を行い、本市議の一部が取り込まれたこともありました。
地元市の残念ついでにもう一つ事象を紹介すると、本年9月の定例市議会において「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める請願」が、賛成1・反対15で不採択となっていました(「うと市議会だより第87号」p.15より)。昨年は賛成4・反対13での不採択でしたから、核兵器廃絶を希求しない不見識な議員がさらに増えたことになります。なんとも情けない限りです。
写真は宿泊先からの風景(湯の児温泉)。
金沢・敦賀雑感
10月20日に石川県金沢市、同月21日に福井県敦賀市を訪ねました。北陸方面はこれまで縁遠い地で両県へは初めて足を運びました。より正確に言えば、1979年の夏に山形県鶴岡市で開催された全国高校総体参加のため、国鉄の昼行特急(おそらく「雷鳥」)で大阪―鶴岡間を往復通過したことはあります。ついでに言えば、鶴岡滞在中に気温40度超えの経験に見舞われ、ずいぶん難儀した覚えがあります。
それでなんでまた金沢へかというと、能登地震に伴う災害復興支援で輪島市へ派遣されている地元市の職員を激励するために計画したものです。計画後さらに豪雨災害が発生し、心労を心配していましたが、無事に会うことができて、そちらはたいへん有意義な時間を過ごすことができました。
わずか5時ほどでしたが、金沢市で観光したところは以下の通りです。
①金沢21世紀美術館・・・2004年10月9日の開業以来いつかは行ってみたいと思っていましたが、実際行くまでは20年もかかってしまいました。当日の有料展はコレクション展で国内外の作家による造形作品が中心でした。ですが、個人的に楽しめたのは、たまたま同館の市民ギャラリーで開催されていた入場無料の「KOGEI TIDE 縁煌15周年展」でした。縁煌(えにしら)は、ひがし茶屋街に本社を置く美術商のようです。同展では若手作家70名超の作品が並び、特に陶芸では繊細な文様の作品が印象に残りました。今月は有田焼に薩摩焼、そして九谷焼に連なる焼き物まで鑑賞できて、ずいぶんと贅沢な体験をしました。
https://www.enishira.co.jp/artist/
②兼六園・・・さすが加賀百万石の前田さんちの庭だけに細川さんちの水前寺公園に比べると広いなというのがまず実感でした。ですが、これもまったく個人的な経験になるのですが、今年8月に島根県の足立美術館へ行ってしまったがために、見る庭園としては雑然とした造りに思えてしまいます。だれでも園内を歩ける庭園としてこれからも観光名所として君臨することは間違いなさそうです。
③金沢城公園・・・ここも広いなというのが最初の印象。本丸は復元されておらず、跡地は森となっていますので、そこまで足を運ぶ観光客は少なそうだと思いました。金沢市中心部で能登半島地震の被害の痕跡を感じる場所はありませんでしたが、唯一、金沢城の石垣では崩れたところがあるを知りました。復元された建造物の中に「菱櫓」がありますが、櫓の角が80°あるいは110°になっていて、その昔にそうした軸組を可能にした建築工法があったことがたいへん興味深く思いました。
④ひがし茶屋街・・・ここは街並みを眺めただけです。和服姿で散策する観光客が目立ちました。
⑤金沢市立安江金箔工芸館・・・金沢城を訪ねたときに豊臣秀吉が築城させた名護屋城跡の雰囲気(眼下に海は見えませんが)に似た感じを抱いていたところに、金箔の沿革を示す年表に「当地における箔打ちは、加賀藩祖・前田利家が文禄2年(1593)豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋(現在の佐賀県)の陣中から、七尾で金箔を、金沢で銀箔を打つように命じたことから、16世紀末には行われていたことが明らかになっています。」とあったことから、頭の中で、黄金の茶室や名護屋城とのつながりを勝手に感じました。同館を訪ねたときは、館のガイドがフランス語で団体観光客へ展示内容を説明していましたので、かなり海外からの入館者も多いのだろうと思いました。ホームページも8か国語対応となっています。それと、購入はしませんでしたが、センスのいい金箔のポストカードが土産物として販売されていました。
なお、同館の始まりは、金箔職人であった安江孝明氏(1898~1997)が、「金箔職人の誇りとその証」を後世に残したいとの思いから、私財を投じ金箔にちなむ美術品や道具類を収集し、北安江の金箔工芸館で展示したことにあります。そして、この安江孝明氏の息子が、「世界」編集長や岩波書店社長を務めた、安江良介氏(1935~1998)。つまり、良介氏の実家は金箔職人ということになります。「世界」編集長時代の同氏の文章で今も心に刺さっているのは、「若者は、タクシーを利用せずにそのお金で月に1冊でも岩波新書を買って読み、社会を知ろう」という趣旨の呼びかけです(当方はすっかり若者ではなりましたが…)。良介氏は1958年金沢大学法文学部法学科卒業ですが、金沢大学の法文・教育・理学部キャンパスは1949年から1989年まで金沢城内にあり、全国的にも珍しい「お城の中の大学」として親しまれました。熊本で言えば、開校当初の熊本県立第二高等学校が熊本城二の丸にあったのと同じです。この安江良介氏の金沢大学法文学部での後輩にあたるのが元大阪地検検事正の北川健太郎(1959年生)です。安江親子と異なり、石川県人および金沢大学の名誉を大いに汚しました。
https://www.kanazawa-museum.jp/kinpaku/index.html
※食事の方は、ゴーゴーカレー、8番らーめん、金沢おでんを賞味しました。
続いて敦賀市で観光したところは以下の通りです。
①人道の港 敦賀ムゼウム・・・敦賀港は、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であるという歴史をもちます。ムゼウムとは、ポーランド語で資料館の意です。開館は2008年3月29日といいますから、最初の史実から90年近く経ってからの記憶継承活動だったと言えます。現在の建物は2020年11月にリニューアルオープンした二代目ということで、さらに新しい施設です。今回金沢を訪問するまでこの館の存在を知らなかったのも無理ありません。それにしても今から100年前あるいは80年前の当時者の子孫との交流が続いているは、感慨深いものがあります。難民救済の善行は後の代まで永く伝えられる証しとも言えます。
https://tsuruga-museum.jp/
②敦賀鉄道資料館・・・旧敦賀港駅舎を再現して建物となっていて入館は無料でした。欧亜国際連絡列車など初めて知る鉄道史がありました。小ぶりな施設でしたが、鉄道ファンには必見の場所なのではと思います。それと、敦賀市内には「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターのモニュメントが随所に展示されていました。「鉄道の町」「港の町」で売り出し中であることを、行ってみて初めて知りました。鳥取県境港市の水木しげるロードが妖怪のモニュメントでいっぱいでしたが、モニュメントの大きさでは敦賀の方が大きめでした。
③その他もろもろ(赤レンガ倉庫、五木ひろしの洋鐘、魚問屋街、敦賀水産卸売市場、下着窃盗歴のある人物のポスター、晴明神社、気比神宮・・・)・・・日本海さかな街にも最初は寄ってみるつもりでしたが、食事には中途半端な時間帯でしたので、そこは寄らずに2時間程度で切り上げて帰途につきました。晴明神社は特に呪詛したい相手もなかったので前を通っただけです。気比神宮の大鳥居も周遊バスの窓越しに見ただけです。
※行きに大阪市内で「モータープール」の表示を見かけました。全国的には「駐車場」や「パーキング」を意味する言葉です。宮本輝の『流転の海』にはよく登場する言葉だったので妙に感動しました。
この1か月ほどの読書傾向
欲があるとすれば、そこいらの政治家よりは、世界のことを普段から知っておきたいと考えています。それと、職業柄、取り扱う可能性のある分野の事情にも精通しておきたいという欲だけはある方だと思います。言わば、厄介な相手がいると分かっていれば、いかにその危険を回避するかが最優先ですし、やむなく相手が切りかかってくればいつでも返り討ちできるよう、常に刃を研いでおく心境です。
それで、実際にどんな本をここ1か月ほどの間に読んだかというと、以下の通りとなりました。
①鈴木一人『資源と経済の世界地図』(PHP研究所)
②中西寛・飯田敬輔・安井明彦・川瀬剛志・岩間陽子・刀祢館久雄・日本経済研究センター『漂流するリベラル国際秩序』(日本経済新聞出版)
③ピーター・ゼイハン『「世界の終わり」の地政学』(集英社) ※上・下巻
④本山敦・岩井勝弘『人生100年時代の家族と法』(放送大学教材)
分野としては、①②③が地政学(地経学)やリベラル国際秩序について考えるもの、④は家族法や社会保障・福祉について考えるものとなっています。もし①②③でどれか1冊を人に勧めるとすれば、③(実際には上下巻なので2冊ですが)を選びます。①は日本の読者向けに書かれている本なので、世界について語るとしてもどうしても日本と密接な関係にある国・地域に絞った記載となります。自国優先志向で頭がいっぱい、手がいっぱいになる政治家には十分かもしれません。②は外交や国際社会のあり方について俯瞰したい方にはいいかと思います。特に日本からすると、EC諸国それぞれの志向するところについて疎いので、便利かと思います。それで結局のところ③が世界の歴史も振り返りながら、地理と人口統計学の知見データも豊富で、かなり説得力のある世界の未来像を示してくれるので、現代の巷間の議論を目利きする上で役に立つと思いました。著者のピーター・ゼイハンは、読者向けに本書内に掲載された図表のカラー化データや無料の週刊ニュースレターも提供していますので、それも利用すれば、知識のアップデートも図れます。
https://zeihan.com/end-of-the-world-maps/
④は、2023年開講の放送大学テキストです(2024年施行法の補足資料が別冊子で付いています)。購入するきっかけは、たまたま同講座の第1回放送を視聴しておもしろかったからという単純な理由です。民法の家族法分野に留まらず家事事件の手続法や社会福祉制度についても解説されています。一口に相続と言っても家族法だけ理解していれば済む話ではなく、保険や年金、税制の知識も必要となります。婚姻・離婚についても国内外・ジェンダーにおいて多様化したカップルが現実にはあるので、それに伴う講義が盛り込まれている点でも新鮮でした。「人生100年時代」という言い回しはあまり好きではありませんが、コンパクトで分かりやすいテキストだと思いました。
鹿児島雑感
昨年の鹿児島特別国体以来、1年ぶりに鹿児島県を訪ねる機会がありました。初めて行ったところでは、「沈壽官窯」や「奄美の里」がありましたが、2度目(17、18年ぶり?)となるところでは「維新ふるさと館」があります。
今月は、有田焼の産地・佐賀県有田町を訪ねたばかりなので、同じ朝鮮陶工由来の薩摩焼とそれぞれの技法の発展を比べて鑑賞する楽しみがありました。作品収蔵庫やギャラリー売店だけでなく、窯の近くにある陶片だけを見ても味わい深いものがあります。門には日韓の国旗が掲げられ、建物入口には韓国名誉総領事館の看板があるのも見ました。現当主は2021年1月15日より大韓民国名誉総領事に就任して、日韓の親善交流に貢献されているとのことです。
またこれも佐賀(肥前)と同じ印象を感じるのですが、鹿児島(薩摩)における明治初期前後の郷土の偉人愛の強さには圧倒されます。「維新ふるさと館」ではこれでもかこれどもかと、近代日本の礎を築いた人物を顕彰しています。熊本への帰路に立ち寄った桜島SA上り線でもそうですが、郷土の偉人をあしらった土産物が断然多いと感じます。熊本では、今年新1000円紙幣の肖像に採用された北里柴三郎が注目されましたが、全県的な盛り上がりがそこまであるとは思えません。生地の小国や医療業界などに限られているのではないかと思います。なんといっても、歴史上の評価に左右されない「くまモン」という万人受けする当たり障りのないキャラクターがいますから、今さら歴史上のスターをもてはやす必要もないのかもしれないですし、あまり群れることを嫌う熊本人の心性には神輿担ぎは響かないのかもしれません。
ちょうど鹿児島滞在中の10月17日の南日本新聞「かお」欄には、ノーベル賞の登竜門とされるクラリベイト引用栄誉賞を受賞した堂免一成氏(鹿児島県南さつま市出身)が載っていました。同記事の結びに「いずれは故郷に戻るつもりだ」とあって、世界的に活躍している現代の方であっても、どんだけ薩摩人なんだと思いました。
不都合なことほど覚えています
1年前、日本が核兵器禁止条約に参加・署名・批准することに反対する、つまりは核兵器廃絶にたいへん後ろ向きな地元市議会議員さんらが、ずいぶんといたわけだが…。😞
日本被団協がノーベル平和賞を受賞した今、どんな顔をしてお過ごしなのでしょうかね。😤
市議会だよりで市民へ公開された永久保存版の情報だから、今さら自分の見識のなさを棚に上げて文句言ってこないよね。😅
以前は市庁舎敷地内に「非核平和都市宣言」の標柱がありましたが、新庁舎になってからはそれがなくなり、市公式ホームページ内にひっそり掲載されているばかりです。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1125/3269.html
心平気和
心平気和。「心(こころ)平(たい)らかに気(き)和(わ)す」と読むそうで、心が落ち着いていて、争いを起こす気が全くない様子を指す言葉のようです。この扁額をどこで見かけたかというと、現在は温泉が休業中ですが、不知火温泉センター内の大広間でした。10月13日に参加した、旅のよろこび主催の「第6回くまもと戦争遺産を巡る旅」の昼食会場がそこだったからです。1999年に亡くなられた福島知事の書による味わい深いいい言葉ですから、あまり人目につかないのはなんとももったいないなと感じました。
さて、この旅で訪ねた中から3カ所を取り上げ、メモを記しておきます。
1.旧陸軍隈庄飛行場跡(熊本市南区城南町)
祈念碑(裏の碑文部分のプレートが割れているのは熊本地震で倒れたため)がある火の君文化センターやアイシン九州も当時の飛行場敷地内にあるというのを初めて知りました。当時の痕跡がまったく確認できない場所がある一方、くまもと南部広域病院職員駐車場のように機体の待機所(エプロン)をそのまま利用しているため、舗装が当時のままというところがありました。同様に飛行機格納庫の基礎部分をそのまま利用して住宅を囲む塀が設置されているところがありました。なお、後年映画俳優となる三船敏郎さんは敗戦を同飛行場で迎えました。
2.旧国鉄永代橋梁(宇城市松橋町)
鹿児島本線複線化に伴う付け替えにより現在は廃線となっている鉄橋跡です。1945年の松橋(宇土・川尻も一部含む)の空襲による爆弾痕跡と機銃弾跡が橋脚に確認できます。橋脚に使われている煉瓦は、明治時代に旧宇土藩士族らが設立した自助社で製造したものである可能性が高いと思います。(宇土市築籠町の船場川にかかる三角線の橋梁に使用されている煉瓦が自助社製です。その橋梁は開業から125年経った現在も使われています)
3.旧陸軍船舶部隊物資壕(宇城市三角町)
旧陸軍船舶部隊は通称「暁部隊」。この部隊については、2021年7月に出版された、堀川惠子著『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』が詳しいです。この壕には軍隊被服や食糧(乾パン、牛缶、砂糖等)が収められていたようです。戦後は向かいの醤油製造会社が道具類の保管倉庫として利用したそうです。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000354870
「くまもと戦争と平和のミュージアム」の設立がぜひとも必要です。できる限り応援します。
有田雑感
10月5~10日、11カ月ぶりに佐賀県有田町を訪ねる機会がありました。本来の訪問目的は国民スポーツ大会の競技役員に従事することでしたので、スキマ時間はわずかでしたが、それでも少しだけ有田焼の世界を楽しむことができました。
初めて訪ねてみたのは、有田焼卸団地協同組合が運営する「アリタセラ」。ここには日用食器、贈答品、業務用食器、高級美術品などの陶磁器を扱う22の店舗のほか、カフェやレストランがありました。伝統的な有田焼だけでなく、工業デザイン的な雰囲気で最近人気を博している長崎の波佐見焼に近い焼き物も販売されていました。とにかく値段的にも工芸的にもバラエティーに富んでいるので、一通り品定めしてから買い求める場合には便利な施設だと感じました。
有田焼の歴史を知るには、佐賀県立九州陶磁文化館がやはりお勧めです。同館へはずいぶん久しぶりに行きました(たぶん4回目?)。コレクションの質と量が秀逸です。保有資産を計算すればいったいいくらになるのか、ついつい想像をかき立てられます。人口的には少ない佐賀県ですが、県民一人当たりでの資産はかなり裕福なんではなかろうかと思います。
特別企画展「江戸大皿百物語」は、文字通り有田焼の大皿100枚の展示なのですが、緻密な文様の絵付けの技は人間離れした感があり、見事としか言いようがない、大したものばかりでした。
佐世保雑感
10月5~10日、11カ月ぶりに佐世保市に滞在する機会がありました。とはいえ、昼間の用向きは隣りの佐賀県で開かれていた国民スポーツ大会でしたので、佐世保市内を見聞した時間はわずかです。今回初めての遭遇した体験としては、クルーズ船寄港がありましたので、それについてのメモを記しておきます。
佐世保市港湾部の公式インスタによると、中国国産初の大型クルーズ船「アドラ・マジック・シティ」(愛達・魔都号)が、10月9日(水)11:35~21:00の入出港ということで、佐世保港国際ターミナル(三浦岸壁)に寄港とありました。済州(前港)→佐世保→上海(次港)となっていますが、神戸観光局港湾振興部のホームページには10月3日に神戸港へ初入港したとあり、その後も5日に高知港へ入港した情報もあります。前日の8日にも別の中国のクルーズ船「ピアノ・ランド」が佐世保港へ入っていました。
それにしても間近で見ると、クルーズ船は巨大です。「アドラ・マジック・シティ」の総トン数は136,201tあります。全長323.6m、37.2mあります。船客定員は5,246人。しかも、2024年1月から商業航海を開始したばかりですから、新しい船です。
1983年3月に佐世保湾内に停泊中の米海軍の原子力空母「エンタープライズ」を針尾の高台から見たことがあります。これが全長342.3mありましたが、クルーズ船になると客室が上にそびえていますので、カサがある分、やはり「アドラ・マジック・シティ」の方がよけい大きく感じました。
港周辺をクルーズ船の乗客と思われる観光客が多数散策して買い物や食事を楽しまれていました。年齢層はさまざまで比較的若い層が多い印象を受けました。大型バス100台分の観光客が立ち寄ってくれるわけですから、寄港地からすればかなりの経済効果をもたらされると思います。ちなみに2024年の佐世保港へのクルーズ船の入港は今回の「アドラ・マジック・シティ」で60隻目ということでした。
https://www.instagram.com/sasebokouwan/
金森通倫に恥ずかしくないか
迫害されている仲間を守るために変節しなかった曾祖父の金森通倫。
※2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」では柄本時生さん演。
裏金議員を守るために変節しまくりの曾孫の石破茂さん。
注:NHK報道では「不記載議員」だってよ。
「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関する意見
せっかくのパブコメ機会だから、物好きな県民の一人として以下の意見を提出しました。ぜひ皆さんも関心あるテーマの基本方針や総合戦略の素案とやらをご覧ください。
別に文章が長ければいいってもんではありませんが、「水俣病問題への対応」についての「基本方針」が279字、同じく「総合戦略」が468字。しかも、ちょっと言い回しを変えて双方の内容は重なっています。要するに400字詰め原稿用紙1枚程度のことしか仕事しませんと宣言しておられるわけです。オタクら大丈夫なんかと思います。
「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関する意見
「くまもと新時代共創基本方針及び総合戦略」(素案)に関して「水俣病問題への対応」に絞って以下の意見を提出します。
①「水俣病問題への対応」にかかわる「基本方針及び総合戦略」(素案)を読むと、「新時代共創」の看板を掲げながら、非常に中身が薄い印象をまず持ちました。たとえば施策の中で県が主体性をもって取り組む事業として書き込まれているのは、公健法に基づく認定審査業務と、水俣病に対する偏見・差別解消事業ぐらいしか読み取れませんでした。患者やその家族に寄り添った生活支援をするとの表現はあってもどのような機会を具体的に設けて行うかが見えません。国が限定的に実施する健康調査に県が協力するとあっても、その実は国任せであって、その調査方法の問題点に目を向ける姿勢がありません。水俣・芦北の地域振興も大切ですが、被害者救済には直接関係しない県政課題であり、本項目に書き込むのは「やってる感」を出すための文字数稼ぎにほかならないと感じました。
②上記①で指摘するように中身の薄さは、「水俣病問題への対応」にかかわる「重要業績評価指標(KPI)」が何ら示されていない点にも表れています。施策推進の進捗状況が可視化される指標の公表予定が何もないということは、最初から成果評価もせず、改善に向けた見直しの予定もないとしか受け取れません。「公健法に基づく認定審査については、平成25年の最高裁判決を最大限尊重し、申請者の個別事情に配慮しつつ、丁寧に対応しながら、着実に進めます」と、もっともらしい記述で済ませていますが、被害の実情や疫学の知見を正しく反映した判例が出ているのもふまえると、公健法の改正や、特措法での救済からもれた被害者に向き合った施策の推進こそが必要であり、その進捗状況を可視化公表すべきです。何も改善しないことや、被害者を救済しないままでいることを、わざわざ「基本方針及び総合戦略」に掲げるのは、きわめて不誠実・不当だと思います。
③「水俣病問題への対応」として書き込むべきことは、認定と未認定と問わず患者団体との継続的な直接協議の場を設けて、共に諸課題を解決していくことと、不知火海沿岸全域の住民の健康被害調査を実施することにほかならないと考えます。それへ向かってこそ、共に熊本県の新時代を創れるのではないでしょうか。
以上
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/18/213169.html
能登半島豪雨に関するお知らせ
「能登半島豪雨に関するお知らせ」について、【出入国在留管理庁からのお知らせ】メールマガジン(20241003)より引用してお知らせします。
【出入国在留管理庁からのお知らせ】(20241003)
外国人生活支援ポータルサイトの大事なお知らせに「能登半島豪雨に関するお知らせ」を掲載しました。
https://www.moj.go.jp/isa/support/portal/index.html
来年4月以降の盛土規制について
10/3熊日3面にも記事が出ていましたが、来年4月から盛土規制法に基づく規制区域が指定されます(改正法の施行は昨年5月)。
https://kumanichi.com/articles/1561800
簡単に言えば、一定規模以上の盛土や切土を行う場合、平野部では届出、山間部では許可が、それぞれ必要となります。許可は市長ではなく県知事が行います。
農地改良や転用許可の際には規制対象に該当するかどうか留意する必要が出てきます。
今の時代に忠利がいたら
細川家の初代熊本藩主の細川忠利は、天草四郎の「首を取った」ことがよほど嬉しかったのか、その手柄話を親しい大名ら15人にも拡散していたのか。
しかも原城落城のわずか2日後(1638年3月1日)という早業。
今の時代に忠利がいたら、SNSのフォロワーはすごい数だったかもしれない。
https://kumanichi.com/articles/1561806
ちなみに天草四郎は、父親が小西行長の元家来ということもあって、現在は町中華の「大星」がある宇土市旭町(江部村)で幼少期を過ごしました。「大星」の店舗横に市指定文化財の標識とともに解説文が掲示されています。
https://www.city.uto.lg.jp/article/view/1101/1791.html
県立高等学校あり方検討会に係る地域意見交換会
「県立高等学校あり方検討会に係る地域意見交換会」の宇土市会場は、10月24日(木)18-20時の開催とあります。
「10年後、この地域にあって欲しい高校の姿」をテーマとしたワークショップとなるので、宇土市会場の場合は宇土高校の未来像を語ることになりそうですね。
参加を検討される方は、「県立高等学校あり方検討会」で交わされた議論も目を通しておかれると良いと思います。2007年度までは通学区が8学区だったのが、以後は3学区になりました。以来、宇土市は熊本市と同一学区になりましたから、わざわざ熊本市内の高校へ進学する生徒が増加した影響は大きいと思います。
個人的な意見としては、現在の併設型の中高一貫ではなく、都立の中高一貫校で向かっているように高校入学の募集停止に舵を切るべきではないかと考えています。
先生の資質は熊本市内の進学校と郡部の学校とで差はないです。若い時期の大切な時間を長い通学時間に費やすのはバカらしい限りです。
もっとも私がいま中学生なら時間の融通が利く通信制高校を選んでしまうかもしれません。じっさい中学生のときに宇土高校へ進んだ理由は、自宅から近いから以外にありませんでした。
「県立高等学校あり方検討会」
https://www.pref.kumamoto.jp/site/kyouiku/215119.html
同朋同行
学生時代に当時立教大学教授だった栗原彬さんの「政治社会学」の講義を聴講しに同大学へよく行っていました。栗原さんの著書『管理社会と民衆理性』を持参し、先生に一度サインをいただいたことがあります。その際に浄土真宗の開祖・親鸞の言葉「同朋同行」を添えられました。なかなかに含蓄ある言葉で、40年以上ときおり脳裏に浮かんできて意味を考えさせられます。なんとはなしに、自分の行動指針の一つとなったことは間違いないと思います。栗原さんは、「水俣展」を企画する認定NPO法人水俣フォーラム評議員として今も活躍されています。
冒頭の立教大学での聴講の思い出としては、当時慶應義塾大学教授の内山秀夫さんが講師として講義されていた政治学もありました。内山さんにも著書の『民族の基層』にサインのお願いをしたことがありましたが、照れ隠しなのか「やだよ」とあっさり断られてしまいました。なお、この頃、内山さんと栗原さんの共著『昭和同時代を生きる』も出ていました。
それでなんでまた「同朋同行」のエピソードを持ち出したかというと、浄土真宗本願寺派(お西さん)の現門主が親鸞聖人生誕850年・立教開宗800年にあたる2023年に発布した「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」をめぐって宗派内で混乱が生じている事象に接したからです。
文学の世界では、1000年以上前に書かれた『源氏物語』の現代語訳が複数あります。蓮如が生きた500年ほど前から用いられた『領解文』の現代語訳の必要性は一定あるかもしれません。ですが、文学の世界では訳者個人の解釈に基づいて大胆な表現が許されるでしょうが、宗派の教義にかかわる文章を門主だからと言って構成も含めて一方的に改変を定めると、確かに混乱をきたしかねないと思います。
会社に例えると、創業者が定めた社是社訓を、創業記念事業の一環で社長が社内に諮らずに広告プランナーに丸投げして今風にCIリニューアルして創業の精神が混乱してしまったようなものです。社史に業績として社長の名前を刻みたいだけとか、改憲したいだけの某総理みたいな…。
さすがに生成AIを使ってもデータが蓄積されていないと適切な文章にはならないと思いますし、教義宗教の場合は、唱和するので音楽的要素も重要だと思います。黙読で済む文学作品以上に難しいと思います。
同朋同行の精神に立ち返ると、門主も信徒も平等であるべきなので、ひとことで言えば門主だけの解釈を押し付けないことが大事なのではと眺めています。
被災地の選管負担と投票機会毀損への憂い
昨日あたりから10月15日公示、10月27日投開票の日程での衆議院解散総選挙が取りざたされています。憲法54条1項には、衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、総選挙を行うこととされていますので、たとえ10月9日の解散であったとしても、総選挙の日は、11月17日でもいいわけです。まずなんでこのように詰めた日程での選挙を望むのでしょうか。野党に候補者の準備を与えない嫌がらせということが一つ言えると思います。
それとともに、これは選管と有権者への嫌がらせとなりかねないと考えます。かつて地元市の選挙管理委員を務めた経験からいえば、全国の選挙管理委員会事務局の負担は相当なものです。とりわけ能登地方のような豪雨被災からまもない自治体における投開票事務の準備の負担は相当重いと察せられます。
国政選挙ですから選挙実施に伴う経費は国から出ますが、市町村で実際に動くのは地元の職員や住民です。ポスター掲示場所や期日前投票所、当日投票所、開票所の確保準備に始まり、日程に合わせた選挙管理委員会の開催や投開票の管理者、立会人、事務従事者、機材の手配も必要になります。投票所となるのは、災害時の避難所を兼ねる施設がほとんどですから、避難住民を差し置いて設けることもできません。選挙人名簿登載住所と異なる住所に避難している住民も多いことでしょうし、指定投票所から離れていれば投票を諦める被災者が多くなるのではないでしょうか。支援を要する被災地の有権者の投票機会(=国民の権利)が損なわれかねない状況下で急いで選挙を強いることが、民主国家としてはたしてふさわしい政治なのか、マジメに考える必要があります。
必ずホシを挙げる
新総裁の曽祖父は熊本出身の「今仙人」
石破茂新総裁と熊本の縁と言えば、何と言っても徳富蘇峰(現在の水俣市出身)らと共に熊本バンドのメンバーの一員だった、金森通倫(現在の玉名市出身、宗教家・牧師、晩年は「今仙人」と言われた)の曾孫であるということ。金森の孫にあたる母の影響もあって、石破氏はプロテスタントであると聞く。
(追加メモ)
2013年NHK大河ドラマ『八重の桜』(綾瀬はるか主演)
徳富蘇峰役演:中村蒼、金森通倫役演:柄本時生
熊本バンドとは、1876年(明治9年)1月30日に熊本市の花岡山で、熊本洋学校の米国人教師ジェーンズの影響を受けた生徒34名が、自主的に奉教趣意書に署名してプロテスタント・キリスト教に改宗して、これを日本に広めようと盟約を交わした集団のことをいう。このできごとが問題になりジェーンズは解任され、同年に洋学校は閉鎖され、メンバーの一部が同志社英学校に転校して、明治以降の日本におけるキリスト教の源流の一つとなった。
ついでながら、写真のジェーンズ邸について触れると、もともとはジェーンズを熊本へ迎えるために1871年(明治4年)に建てられたもので、熊本県最初の西洋建築であり、県重要文化財に指定されていて、1877年(明治10年)西南戦争の際、佐賀の七賢人・佐野常民が征討大総督有栖川宮から博愛社(現在の日本赤十字社の前身)の設立許可を受けた場所でもある。最初は古城(現在の第一高校)に建てられたが、移転を繰り返し、水前寺成趣園の東側隣接地に移設された。しかし、2016年(平成28年)4月16日の熊本地震で倒壊し、2022年(令和4年)より、現在の水前寺江津湖公園の一角に移設復元されている。
日赤と言えば、細川元首相の実弟・近衞さんや皇族、その皇族にはやはりクリスチャン(カトリック)の麻生元首相も関係してくるので、なんともややこしい。
お出かけ知事室登壇記
9月21日に宇土市民会館大ホールで開かれた「お出かけ知事室~ともに未来を語る会~in宇土市」に質問者の一人として登壇しました。その記録と所感を掲載します。
なお、本企画の質問者は宇土市在住か同市内勤務の住民に限られますが、県政に関してなら質問テーマは限定されないこととなっています。
【私の発言要旨】
(冒頭宇土市とは直接関係ないテーマでの質問を行うので休憩離席を客席に呼びかける)
・木村熊本県知事の師匠である蒲島郁夫前知事が1988年に著した『政治参加』(東京大学出版会)の記述を紹介(下記)しながら本企画の意義や市民の政治参加の重要性を述べた。政治エリート(県で言えば知事や職員など)は国家的な大きな目標を追求しがちであり、そのため市民の政治参加の拡大をなるべく後回しにしようとする。市民の声を聴かずに過去の問題について決着をつけられないで未来を語る資格はないとして、水俣病被害者救済(今現在の問題でもあるが…)について質問のテーマとすると述べた。
「政治参加は市民教育の場としても重要。市民は政治参加を通して、よりよい民主的市民に成長する。自己の政治的役割を学び、政治に関心を持ち、政治に対する信頼感を高め、自分が社会の一員であること、正しい政治的役割を果たす。」
「政治システムへの帰属を高め、政治的決定が民主的に行われた場合、たとえそれが自己の選好と異なっていても、それを受け入れようとする寛容の精神を身につける。市民は他人の立場に大きな配慮を払う思慮深い市民に育っていく。」
・本年5月の環境大臣と患者団体との懇談会のマイクオフ事件を受けての再懇談以降の知事の発言に接しても、知事就任前の公開質問状に対して示した「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「県としての健康調査の実施は考えない」旨の考えから今も変わりないように見受ける。この3点の見直しに向き合わずして、今後患者団体との協議機会を増やしても信頼関係を築けないし、なんら根源的な解決策にはならない。
・個別具体的に指摘するが、1点めは、公健法での患者認定条件が不当だということだ。医学的には食中毒症の一つである水俣病か否かの判別はシンプル。原因食品である汚染された不知火海産の魚介類を食べ、手足の感覚障害など関連症状のいずれかがあれば患者と言える。環境疫学の知見によれば、メチル水銀汚染地域の寄与危険度割合を用いてメチル水銀食中毒症との因果関係を推定するのが国内外で確立したルールだ。たとえば水俣市の寄与危険度割合は99%だから、汚染地域で症状がある人は100%患者認定して医学的に問題ない。疫学の専門家がいない委員だけで構成された審査会も問題だ。被害者を診るのではなく補償負担のことばかり加害者たちが脳裏に描いているので、認定が歪められている。認定条件を見直す考えはないのか。
(このあたりから会場客席からパタパタと何かを叩きつける苛立った物音が聞こえてきた)
・2点めは、特措法での救済もれの件だ。裁判では後から救済を求める被害者に除斥期間の適用を加害者が主張して、著しく正義・公平に反する姿勢を続けている。これは後から被害に気付いた人に救済を求める権利はないと言っているようなものだ。すでに除斥期間の適用を認めない判決もある。県民の生命と財産を守る立場にある知事なら、このような不正義・不公平な主張を即刻取り下げるべきだ。その考えはないか。
(会場客席から「宇土市に関係ない質問はするな」というヤジがあったので、私から「県政にかかわる質問をしている。聞きたくないならどうぞ休憩してください」と返して、暗に退席を求めた。その後、ヤジは止んだ)
・3点めは、健康調査の件だ。国が2年以内に開始する予定の検査手法では1日最大5人しか検査できない。汚染地域居住歴のある人数を47万人とすると、257年かかる意味のない検査方法だ。福島第1原発事故後に福島県が202万人に行ったような調査を本県独自でも実施してもらいたい。以上3点について明確な回答をお願いしたい。
【知事の回答】 ※私の所感
1点め「患者認定条件の見直しについて」…最高裁判決に則って行い、見直す考えはない。
※寄与危険度割合といった地元紙報道で触れられる疫学の知見・用語について理解していないと思われた。
2点め「特措法での救済もれ被害者への除斥期間の適用撤回について」…係争中なので申し上げられない。
※裁判対応を県職員や代理人弁護士に任せっきりで当事者意識が感じられない。法律論として除斥期間適用の主張はもちろん可能だが、正義・公平に反するか否かを判断するのが政治家の仕事である。やはり除斥期間が争点になった旧優生保護法訴訟では最高裁判決後に首相が適用の主張を撤回し和解が成立したように、政治決着させる器量がほしい。
3点め「県独自の健康調査の実施について」…国に実施してもらい県独自では行わない。
※257年もかかる国の検査方法では被害者救済に結び付かない。国の検査体制の問題点も地元紙報道で知られている事実だが、そうした問題点を把握していないのではと感じられた。知事には良きブレーンはいないのか。
【まとめ】
知事の回答を受けて国や県職員の声ばかりを聴くのではなく、被害当事者の声をこれからも聴き続けてほしいと要望した。それについては知事から続けるとの返答があった。
水俣市ではない本市ですら、いまだに水俣病被害者救済を口にすると、会場内から(どこの誰だか知らないが)下劣なヤジがあった。およそ「他人の立場に大きな配慮を払う思慮深い市民」とはいえない、卑怯者が残念ながら本市にいることも事実だ。しかし、私としては「政治参加」の意欲が大いに湧きたった。これからも不当に人権が蹂躙されている人たちのために声を上げていく決意が高まった良き日だった。
(追加)
本企画についてうがった見方をすると、公費を使っての任期中の支持集めの事前運動とも言えます。質問者は地元各界でリーダー的な役割を担っている方が多く、実際半数以上は以前から名前を知る人ばかりでしたし、登壇のきっかけが地元市からの声かけだったと明らかにする方も多数いました。
そのためか、質問内容には思いつき的提案ネタが多く、質問者の発言時間は短めなのに対して、回答者の知事の発言時間が数倍長く、聞かれてもないエピソード話やリップサービスが展開されるようなこともありました。確かに鳥取県観光課長や消防庁防災課勤務の経歴があるので、観光やスポーツ振興、防災といった得意分野では饒舌ぶりが発揮されていました。
ですが、水俣病被害者対応のように当事者間に明らかに分断がある問題に対する質問回答は、予想していたとはいえまるっきり素気ないもので、不用意なことは一切語らないという態度が、対照的でした。知事と市民が対話する機会そのものは歓迎しますが、問題が複雑で専門知も必要なテーマについてはやはり短い時間での一問一答では掘り下げた議論はできません。これについては、当事者間で継続的に時間をかけて対話できる場を求めていくしかないと考えます。