見守り新鮮情報

関係先から回ってきた情報です。お役に立つならと転載してみました。
さすがに、国勢調査をかたる手口は先月までの話で、もう下火になって次回は5年後なのではと思います。
ちなみに国勢調査が初めて実施されたのは105年前。当時の調査員は、地域の名士が務めていました。調査される世帯側も訪問を受けるのは名誉なことだと戸主が正装して応じていたという時代でした。当時の人からしたら、政府統計を利用した詐欺なんて考えが及ばず信じられないでしょうね。
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○見守り新鮮情報 第519号
「災害時にも活躍 携帯発電機やポータブル電源の取り扱いに注意」
https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen519.html
○見守り新鮮情報 第520号
「国勢調査をかたる不審な電話や訪問に注意」
https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen520.html
○見守り新鮮情報 第521号
「「見守り」と「気づき」で高齢者の被害を防ごう」
https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen521.html
○見守り新鮮情報 第522号
「海外事業者とのサブスク契約!?安易にサイトやアプリに登録しないで」
https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen522.html
○見守り新鮮情報 第523号
「無料動画を観ていたらいきなり有料登録に!」
https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen523.html
○見守り新鮮情報 第524号
「利用明細は必ず確認!意図せぬリボ払いに注意」
https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen524.html
○【緊急!】消費者トラブル注意報 第121号
「分電盤の点検商法トラブル」
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/55/242994.html

まだ履修途中ですが…

#日行連研修 #専修大学大学院 #行政救済法 #行政不服審査法 #行政事件訴訟法 #国家賠償法 #災害対策基本法 #地方自治法 #国民保護法 #長射程ミサイル配備 #原発訴訟

 このたび、日行連の企画による専修大学大学院における令和7年度司法研修「法律学応用特論(高リスク到来社会に対応する行政救済法の研究)」を受講する機会を得ました。受講してみての感想などを記してみます。
 まず受講にあたっては出願動機についての課題文や最終学歴の卒業証明書などの用意と提出が必要で、その審査があり許可されます。そのうえ募集要項には「申込者が30名に満たない場合には開講されません」とあります。しかも、受講料48,000円を負担して都合5回もキャンパスへ足を運ばないといけません。いかに6万人近い会員を有するとはいえ、全国に30名もこんな物好きな行政書士がいるのかと、ちょっと気をもんでいました。
 しかし、全国から15名(うち九州からも3名)もの会員が集い、無事開講。おまけに年度末までは大学図書館も利用できるので、ライブ講義と合わせて担当講師の著作(例:山下竜一先生『行政裁量と原発政策』5500円+税)を読んだりすれば十分受講料は回収でき、安いどころかおつりが来る思いでした。
 次に、講義内容についてですが、最初は山下竜一教授による行政救済法分野の行審法と行訴法が6コマあり、続いて山田健吾教授によるやはり行政救済法分野の国賠法、加えて災害対策基本法とで9コマありました。最終回は「テスト」となっていますが、これは感想文の提出のようなもので受講者はそう心配する内容ではありません。
 講義のねらいとしては、現在の災害対策基本法なるものが十分なものなのか、その関連で地方自治法第14章の規定は役に立つのか、憲法に合うのかを考えるところにあったと思います。それと、学究の場からずいぶん遠ざかっている受講者のために、毎回詳細な講義資料が配布されて理解を助けてくれました。中には熊本地震後の熊本市の災害弔慰金不支給事件の認容裁決や水俣病被害者の国賠訴訟の最高裁勝訴判決など、熊本にも縁がある資料があり、なおのこと受講意欲がそそられました。
 受講を終えての感想としては、行審法、行訴法、国賠法のいずれをとってみても公権力を相手にした国民の権利実現にかかわるものであり、行政書士であれ、弁護士であれ、代理報酬で食べている専門職としてはやはりコスパ、タイパを考えてしまいます。現状、本研修を受講すること以上に奇特な法律専門家でなければ公権力相手の国民救済の仕事に手を出さないのではないでしょうか。
 たとえば現在、熊本では長射程ミサイル配備計画が注目となっています。仮にこれに異議を申し立てたい住民を支援するとした場合、配備の段階に応じてどのような手立てを講じることができるかは学びました。ですが、それを支援する法律専門家が見つけられるかはまったく別モノの話だなという思いもしました。
 長射程ミサイル配備についてもう一つ述べておくと、有事の際に発射部隊は駐屯地を離れて動くと、だから駐屯地周辺住民は安心してろと言わんばかりに、地元選出の元防衛大臣が先々月地元紙取材に答えていました。言い換えると、攻撃される可能性があるのは、駐屯地(弾薬庫)に限らないわけです。行政訴訟提起の際の原告適格については、駐屯地周辺住民に限らず部隊が動いた遠く離れた先(おそらく九州・沖縄のどこかの陸上部)の周辺住民まで広く含められるのではないかと考えます。そこのところはどう想定して政府関係者は、これからものを言っていくのか注目してみます。

第6の大量絶滅期に生きる

「銀座 桃花源」が博品館ビルに移転してから行ったことがなかったので向かってみたのですが、あいにく当日は臨時休業でした。せっかくですから、博品館ビル内の売り場をひと通り見て、昨今の人気おもちゃについて知ることができました。それとなんといっても銀座です。並木通り沿いの居並ぶ高級ブランド店の外観だけを見て回りました。いくつかの県のアンテナショップについては入店してみました。そこでは、まだまだ知らない特産品がたくさんあるものだと驚きました。
そういう華やかな消費の世界、栄華の極みを垣間見た後、上野へ移動しました。ここもパンダや印象派絵画(国立西洋美術館で開催中)目当ての人出が多いように感じましたが、私の訪問先は国立科学博物館で開催中の「大絶滅展」。以下は、大雑把な展示の中身です。
この地球に生物が登場してから大量絶滅(種の約70%)が5回あったのだそうです。通称「ビッグファイブ」という出来事です。要因は火山活動によるものが4回、小惑星衝突によるものが1回となっています。寒冷化して凍結すれば海面が低下するとともに光合成生物は活動を停止し二酸化炭素吸収は減ります。そうした中で火山から放出された二酸化炭素が蓄積すると温室効果で温暖化が起こり凍結は終わります。寒冷化にしろ温暖化にしろ極端な環境変動は、二酸化炭素や酸素の濃度変化をもたらし、大量絶滅を引き起こすこととなります。
このようにこれまでは、生物それ自体が環境変動の要因ではなかったのが、第6の大量絶滅期の要因は人間活動それ自体に求めることができます。たとえば、核実験による放射性物質、化石燃料の燃焼に由来する微粒炭、鉛や水銀などの重金属、PCBやDDTといった化学物質、マイクロプラスチックなどは、人間活動によって生じていて、二酸化炭素濃度と気温の上昇にも連動しています。この人間活動が変えた地球環境の悪化をいかに食い止めるかも、まさにこれからの人間活動如何にかかっています。

書店沼とカレー沼にはまる

神保町界隈の書店めぐりとカレー店探訪はちょっとやそっとで終わるものではありません。
今回寄ったカレー店では、ビーフ&野菜カレーを注文したのですが、出てきたのはエビ&野菜カレー。値段が同じでしたから、アフリカではよくあることなのかもしれないとそのままいただいてきました。
おもしろいシステムとして、お通しみたいにまずふかしたじゃがいもが出てきます。じゃがいもはおかわり無料となっています。
それにしても、海外に行かなくても各地のうまいカレーが食べられるようになったんだから、在留外国人のみなさんの貢献に感謝していますね。

深大寺界隈を堪能

調布の深大寺そばをいただいてきました。そば店が20店ほどもあるとは知りませんでした。有名店では2時間待ちなのだそうです。七五三シーズンということもあってかなりの人出でした。
今回入った店へは、現在放送中の朝ドラ「ばけばけ」のヒロインの父親役の俳優さんがよく訪れるらしいです。だめオヤジにはうってつけの店なのかもしれませんね。

アート鑑賞と街歩きメモ

つかの間の都会滞在中、当日思い立って訪ねられる場所が多いのは愉快です。日に軽く10km超は歩いてしまいます。それと、目白界隈など高低差がある街並みもあるので、いい運動になります。車を運転しないことで環境的にも自分の健康にも適した過ごし方ができます。
以下はアート鑑賞と街歩きの覚え書きです。なお、訪問日順はランダムです。

■永青文庫 (最寄りバス停:目白台3丁目)
目白駅前からだとバスを利用し、目白台3丁目で下車するのがアクセスの常道ですが、今回は駅から徒歩で向かってみました。目白の地名の由来となる目白不動が面する「くらやみ坂」を下り、途中昔ながらの蕎麦屋「花月庵」を見つけ、「鴨南蛮そば」(980円)でランチを済ませました。他の来店客は学生風の常連っぽい感じでしたし、味や店内が時代に流されないたたずまいで、懐かしい気分も味わうことができました。それから「細川庭園」へ向かう途中に、長崎県諫早市の東京事務所があるのに気づきました。思わぬところで来季J1に近いクラブののぼり旗を見かけました。
永青文庫では、菱田春草の「黒き猫」がクラファンで修理を終えたのを記念した「近代日本画の粋 あの猫が帰って来る」展が開かれていましたので、じっくり絵画と対面してきました。入館当日はコレクターの細川護立生誕142年の日にあたり、特別に「黒き猫」のポストカードのプレゼントがあり、幸運でした。
鑑賞後は早稲田駅へ向かうため、神田川沿道へ向かって「胸突坂」を下りました。作家の村上春樹さんは、早稲田大学在学中にこの坂の上にある「和敬塾」に在寮していましたから、大学への行き帰りに利用していたかもしれません。
https://www.eiseibunko.com/index.html

■霞会館記念学習院ミュージアム (最寄り駅:目白)
永青文庫に立ち寄る前に「貞明皇后と華族」の特別展を開催中なので訪ねてみました。大正天皇が使っていた食器が展示されていて、それが意外と質素な有田焼だったのが強く印象に残りました。有田陶器市で似たようなのを探してみると楽しいかもしれません。
https://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/exhibition/

■国立新美術館 (最寄り駅:乃木坂)
国立新美術館が開館したのは2007年、同年に近くにサントリー美術館が移転開館してからほどなくして両方訪ねたのが前回でしたから、ずいぶんと年月を空けての2回目の入館でした。今回見てきたのは、「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」という企画展です。同館では同時期に別会場で「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」の企画展も開催中でしたが、石ころには興味がないのでパスしました。ただ、若いカップルの来場者は断然「ブルガリ」に人気があるようでした。買うのはハードルが高いですが、眺めるだけなら安いものです。
さて、「時代のプリズム」展ですが、私のサラリーマン時代がほとんど含まれる時期の美術表現ということで、その時代の社会の雰囲気の変化を思い出しながら観覧しました。会場に入ってすぐの「プロローグ」コーナーの写真パネル展示が、共に1984年開催の「ヨーゼフ・ボイス展」(西武美術館)と「ナムジュン・パイク展」(東京都美術館)でした。1984年だと、まだ学生時代だったのですが、どちらも当時観覧したことがあったので、いきなり感慨深いものがありました。80年代初頭というと、ポーランド戒厳令とワレサの「連帯」運動、第2回国連軍縮特別総会と反核機運の高まりなど、世界が動く予感がありました。それが1989年のベルリンの壁による冷戦体制の終結、1991年のソ連解体という解放感からさまざまな批評精神を持った表現が登場してきたように思います。作品の国際化が進み、この頃までは経済も好調で、若い世代の海外旅行も盛んな陽が差した時代だったのではないでしょうか。ナムジュン・パイクの作品をソウル近郊やニューヨークの美術館で見た経験があります。
奈良美智さんのおなじみの少女の絵画のほか、2008年北京五輪に対抗した架空の「西京」オリンピックを形にした作品、野菜を武器に見立てて各地の女性に持たせた写真が、私的には最強でしたので、会場風景をアップします。
https://www.nact.jp/

■SOMPO美術館 (最寄り駅:新宿)
以前は安田火災海上本社ビル(現:損保ジャパン本社ビル)の42階に東郷青児美術館としてあったのが、同ビル脇に別棟を新築して2020年、館名も新たに移転オープンしてから初めて訪ねました。開催されていたのは、「モーリス・ユトリロ展」。モーリス・ユトリロ(1883–1955)は、20世紀前半のフランス美術界を代表する風景画家です。幼少期からのアルコール依存症で、その療養の一環として絵を描き始めたという特異な経歴をもっています。第一次世界大戦の際に兵士として志願したのですが、医学的理由で兵役に就くことができず、失意でさらに酒浸りになります。ですが、兵役を免れたおかげで71歳まで数々の作品を残したのです。若いときの「白の時代」、晩年の「色彩の時代」と、同一画家の作風の違いを感じられるので、人間の奥深さ・振り幅の広さに魅せられます。
https://www.sompo-museum.org/

ひな型コピペする能しかないのか

10月29日の地元紙に、高所得の外国人に帯同する外国人家事使用人材受け入れに反対する意見が、県へ多数寄せられているとの報道がありました。大半は、ひな型コピペする能しかない、移民問題に対するリテラシーが低い方々からによるものと思われます。家事使用人を必要としない所得の低い日本人がそれを言うのはみっともない限りです。
https://kumanichi.com/articles/1918438

2024年時点での主要先進国(OECD)における外国人人口の割合は、以下の通り。
日本は現在3.0%です。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2070年の日本の総人口は約8700万人、外国人人口の割合は10.8%です。
ルクセンブルク 51.2%
オーストラリア 29.5%
カナダ     22.0%
ドイツ     18.2%
英国      15.4%
米国      14.5%
フランス    13.8%
イタリア    10.9%
フィンランド   8.6%
韓国       3.8%
日本       3.0%
ポーランド    2.2%
メキシコ     1.0%
50年近く後になっても現在のドイツや英国の水準に達しないので、移民受け入れ余力は十分にあります。
荒唐無稽な排外主義の話題に乗せられて、これから得られる人口ボーナスをみすみす逃すのは、およそ馬鹿げています。
日本経済の低迷や少子高齢化課題に対する不満を、3.0%しかいない外国人(納税などの義務はあっても政治参加の権利がない)へ向けるのは見苦しく、それこそ日本人としての名誉を棄損する言動です。
外国人が就労の在留資格を更新し続けるためには、入管当局による納税や保険料納付の実績などの審査にパスすることが必要です。高所得の高度人材外国人がもたらす国益を理解していないとしたら残念です。

戦争ミュージアムめぐり

戦争の記録や記憶を継承する上では、被害だけではなく、加害についても知らなくてはならないし、それがなくては戦争の実相を捉えることが一面的になり、継承の意味が変質してしまうと最近つくづく思います。
たとえば、長崎県大村市(幼少期に住んでいたので記憶はありませんが親しみを感じる土地です)についていえば、81年前の10月25日、第二一海軍航空廠に対して、中国・成都から出撃した米軍機B29による大規模な空爆があり、勤労動員されていた学徒が多数命を落としました。その中には旧制宇土中の生徒2名と引率の美術教師・佐久間修(妻を描いた「静子像」は長野県上田市の「戦没画学生慰霊美術館 無言館」が収蔵)もいます。
10月18日~11月24日の間、大村市歴史資料館では特別展「Never Forget 大村と戦争・その記憶と継承」が開催中で、10月25日には同市で「空襲・戦災を記録する会」事務局長の工藤洋三氏と「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」代表の高谷和生氏による講演会がありました。
このように、大村における空襲被害の継承は続けられていますが、当時からして国際法違反であった宣戦布告なき首都南京への渡洋爆撃を日本が始めた1937年8月15日の発進基地の地であり、南京事件前哨戦にかかわったことについても継承するべきだと考えます。初出撃は海軍木更津航空隊所属の九六式陸上攻撃機(中攻)20機でしたが、南京への空爆は同年12月13日の占領に至るまで各地から50数回、延べ900余機、数百トンの爆弾投下に及んでいます。
以下は、最近訪ねたミュージアムについてのメモです。

■東京大空襲・戦災資料センター(最寄り駅:住吉)
同じ戦争ミュージアムの一つに、「東京大空襲・資料センター」があります。こちらの館内には空爆に関する国内外の歴史年表が掲示されていて、大村からの南京への渡洋爆撃について、つまり加害の記録についても触れてありました。それによってその歴史検証拠点の信頼性も明らかになる感じがします。思うにそれは、その拠点の代表者の見識力によるのだと考えます。同センターの代表者は、『日本軍兵士』『続・日本軍兵士』を著した日本近代軍事史、日本近現代政治史が専門の研究者である吉田裕氏です(先代の館長は作家の早乙女勝元氏)。
https://tokyo-sensai.net/

■明治大学平和教育登戸研究所資料館(最寄り駅:生田、向ヶ丘遊園)
研究者が拠点の代表者を務める戦争ミュージアムとしては、「明治大学平和教育登戸研究所資料館」もあります。館長の山田朗氏の著書『兵士たちの戦場 体験と記憶の歴史化』を読むと、兵士一人ひとりに被害の側面と加害の側面があることを理解できます。資料館が考察対象とする「第九陸軍技術研究所」(秘匿名「登戸研究所」)の目的は、秘密戦兵器・器材の研究・開発にありましたので、加害の部分に加えて秘匿すべきとされた裏の記憶(被害や戦功は表の記憶としてまだしも語りつがれやすい)そのものです。それだけにその裏の記憶を継承する意義は大きいと言えます。こちらも館長の見識力があるからこそ、風船爆弾(昔のドローン兵器?)や偽札、電波兵器など展示が充実しているのだと思います。
同館には「石井式濾水機濾過筒」の実物が展示されています。石井というのはあの731部隊長の名に由来します。1965年に熊本日日新聞社が出版した『熊本兵団戦史 支那事変編』のp.132には、上海派遣軍軍医部部員(戦後化血研勤務)の証言として「上海では臨時編成の防疫給水班が呉淞上陸地付近に車載衛生濾水機を置き、黄浦江の水を水源にして大量の浄水を作り、各部隊に補給し、防疫にも戦力増強にも非常に寄与した。第六師団には昭和10年4月15日熊本県医師会が5個の石井式濾水機愛国第一号を献納した。この石井式は発明早々の最新式で、おそらく第六師団が日本で一番最初の濾水機装備師団であったろう」が載っています。
https://www.meiji.ac.jp/noborito/index.html

■昭和館(最寄り駅:九段下)
「伝単」の展示の説明文では、伝単を拾った者は内容を読まずに警察へ届けろとあるのですが、内容を読まなければ届けるべきシロモノかどうか判断できないのではと、当時のバカバカしさに苦笑してしまいました。
遺族の戦後の暮らしを展示するブースには、熊本県の遺児たちが東京の靖国神社へ参拝したときの感想文が掲載された遺族会通信や原稿用紙の展示がありました。通信と原稿の両方に宇土在住の遺児の名前がありました。私の母も遺児団の一員で参加したと聞いています。
図書室には「半藤文庫」があり、半藤一利・宮崎駿の対談本『腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫、2013年)があり、ジブリ映画『風立ちぬ』で描かれた零戦設計者の堀越二郎の住家のモデルは、玉名市小天の前田家別邸だと書かれていました。2010年11月にスタジオジブリの社員旅行で宮崎駿が小天を訪ねたそうです。
https://www.showakan.go.jp/

■しょうけい館(最寄り駅:九段下)
10月9日に公表された、「香淳皇后実録」には、傷病兵に対する慰問をたびたび行っていたことが記されているとありましたが、同館には香淳皇后が下賜した義眼や義足の展示がありました。
https://www.shokeikan.go.jp/

■吉村昭記念文学館(最寄り駅:町屋)
訪ねたときは「吉村昭と津村節子 戦時下で過ごした青春」の特別展の会期中でした。1942年4月18日、米軍が東京を初めて空爆したときのB-25ドーリットル機を目にしたときの体験を語る吉村昭の映像が放映されていました。
ところで、吉村昭の略年譜を見ると、26歳のときに学習院大学を中退していますが、75歳のときにそれが学費未納による除籍処分だったと知り、改めて未納の学費を支払い、昭和28年3月付の退学許可書を受ける、とありました。これだけの著名人ですら卒業が了とならなかったことに高潔さを覚えて清々しいです。
https://www.yoshimurabungakukan.city.arakawa.tokyo.jp/index.html

なお、冒頭の大村大空襲も東京大空襲も米軍側で指揮したのは、戦後日本政府から空自創設に寄与したということで勲一等を授与されたカーティス・ルメイです。上岡伸雄学習院大学教授が2025年出版した著書『東京大空襲を指揮した男 カーティス・ルメイ』p.134-135に、東京大空襲に加わった爆撃機搭乗員による次の回想が載っています。「上昇気流は気持ちの悪くなるにおいを一緒にもたらした。鼻について離れないにおいだった――焼かれた人間の肉のにおいだ。あとになって、乗組員たちのなかにはこのにおいのために息を詰まらせたり、吐いたりした者がいたという話を聴いた。気絶した者もいたらしい」。
被害とは「殺傷される」であり、加害とは「殺傷する」であるリアルに他ならないわけですから、人類が歩むべき道は絶対に「殺すな」でしかありません。

『ニッポンの移民』読書メモ

銀座の「単向街書店」(英文表記店名:One Way Street Tokyo)で購入した、是川夕『ニッポンの移民』(ちくま新書、920円+税、2025年)は、日本の移民政策の現状を理解し、移民受け入れに伴う懸念(=デマ)を払拭するには、適した書籍だと感じて読了しました。
まずここは政府が「日本は移民政策をとらない」と国民へ言い続ける不誠実な態度を取ってきたがために多くの日本国民が誤解していることですが、日本はすでに先進国でも上位の「移民国家」の道を進んでいます(p.58)。最長5年間の中長期在留資格(特定技能を含む)は更新こそありますが、国際基準で言えば、永住型移民に該当し、日本は2023年時点で先進国中第10位に位置しますし、留学や企業内転勤などの一時滞在型も併せると7位になるそうです(p.47)。とりわけ外国人の受け入れが進んでいる介護分野では、現在、「EPA」、「留学などを経た在留資格「介護」の取得」、「技能実習」(今後「育成就労」に変わる)および「特定技能」とスキームが4つもあります(p.115)。
著者によると、「これまでの移民研究に基づけば、移民の受け入れ自体が新たな貧困や格差を生み出し、社会的な分断を生むことはほぼない」と断言しています(p.202)。「排外主義は民主主義を破壊する」ものでしかありません。
著者は、たとえば、在日外国人による健康保険「タダ乗り」の懸念は間違いとも指摘しています。具体的には「国民健康保険制度に加入する外国人は、留学生、自営業、フリーランスなど企業に雇用されていない者に限られる。実際、国民健康保険に加入する外国人は約90万人程度であり、在日コリアンなどの特別永住者を除く中長期在留外国人約350万人の1/3にも満たない」と書いてありました(p.211)。
「日本への移民は今後ますます増加する」(p.159)上、「アジアの堅調な経済成長とそこにおける新中間層の若者の移住先として日本が位置づけられる中で、個人レベル、送り出し受け入れ双方の国レベルのいずれにおいても、好循環を生みつつある」と力強く論じていました(p.225)。
ところで、最近、神保町界隈を散策する機会に恵まれました。神保町は本の街でもありますが、カレー店激戦区でもあります。せっかくなので、努めてカレー店で食事をして味比べをしてみました。それで店舗ごとに、そこで働く人たちがまちまちでした。日本人、インド人、パキスタン人、ネパール人…。混在で運営している店もありました。彼らの出身国同士の関係はいろいろですが、ここニッポンで仲良く住めることは外交的な強みにもなり、素晴らしいことだなと思います。このようにリベラルで開放的な方向へ国柄の舵をとるべきです。

書店めぐり

1週間ほど都内へアクセス至便な場所に滞在する機会があったので、かねてから興味のあった書店を訪ねてみました。そのうちの3カ所について記してみます。いずれも特化した分野で突出した品ぞろえと、それらに関心をもつ人びとが集えるイベント企画とスペースがあれば、文化サロンとしての書店経営が成り立つのだなと感じました。まともな書店がない文化的に貧しい地域に住む身からすると羨ましい限りです。これからも機会があれば訪ねてみたいと感じました。

■宇野書店(最寄り駅:大塚駅)
2025年8月にオープンした宇野常寛さんプロデュースの書店です。東邦レオ東京支社ビル2Fに店舗が入っています。入口では靴を脱ぐようになっています。店内は無人で、会計は完全にキャッスレス対応でした。ちゃんと監視カメラが備わっています。宇野さんの著書はほとんど置いてあります。その宇野さんがなんと石破茂(訪問時はまだ首相)との対談本を2012年に出版していたとは知りませんでした。その他、取り扱っている本の分野としては、社会思想・批評系が多いという印象を受けました。店内に試し読みするソファーが窓側一面にあり、静かにゆっくり過ごせる工夫がなされていました。ときおり店内でイベントが開催されているので、参加すれば交流機会があるかもしれません。
https://x.com/unoshoten_

■単向街書店(最寄り駅:京橋駅)
この店舗の存在は、舛友雄大さんの『潤日』で知りました。日本に在留する中国の知識人が利用する、アジア関連書籍を取り扱う書店です。オープンしたのは2023年8月です。中国語原書が多いですが、大陸で出版された書籍だけでなく、台湾で出版された書籍も扱われているようです。私は中国語の素養がないので2025年10月に「ちくま新書」から出版されたばかりの、是川夕『ニッポンの移民――増え続ける外国人とどう向き合うか』を購入してみました。こちらも宇野書店と同様、さまざまな人物を招いてイベントが開催されています。カフェスペースもあります。
https://one-way-street.com/ja/

■SOLIDA(最寄り駅:神保町)
神保町界隈にフランス文学者の鹿島茂さんがプロデュースした共同書店が4店舗ありますが、訪ねてみたのは2024年3月にオープンした3号店です。共同書店というのは、店内にある一つひとつの書棚ごとにそれを借り受けた店主がいて、店主ごとにこだわりの本を販売していますので、1カ所でSOLIDAの場合、600棚(店舗)をめぐることができます。販売されているのは新刊本に限らず古書や一部雑貨もあります。売上ごとに販売手数料もかかりますが、古書販売の場合は棚主には古物商免許はいらないそうです。ここも当然のことながら鹿島さんの著作が多く取り扱われていました。いろいろフェアも開いているようで、訪ねたときは荒俣宏特集があっていました。しかも、訪れた当日、鹿島さん自身が配架作業を行っているのを目にしました。
https://passage.allreviews.jp/

※おまけ 神田古書店街の「矢口書店」の屋外に書架がある風景がSNS映えするせいか、海外からの観光客と思われる人たちが、盛んに写真撮影していました。この向いにある「文華堂書店」は、軍事関係専門の古書店で、戦史料を探す際には重宝します。

殺すな

先日都内(一部近郊)の11のミュージアムを訪ねる歩く機会がありました。何回かに分けて投稿してみます。まずは、岡本太郎「殺すな」(『ワシントン・ポスト』1967年4月3日)についてです。これはベトナム戦争当時に「べ平連」によるベトナム戦争反対の意見広告として制作された作品です。いずれも開催中の企画展最終日に東京国立近代美術館(企画展「記録をひらく 記憶をつむぐ」)と川崎市岡本太郎美術館(「戦後80年《明日の神話》次世代につなぐ 原爆 芸術」)とで観てきました。
東京国立近代美術館の展示の目玉は、鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す」(1942年)や藤田嗣治「アッツ島玉砕」(1943年)といった戦争記録画(いずれも終戦後米国に接収され、1970年に「無期限貸与」という形で同館が保管)でした。しかし、同展の出口に近い部屋に展示されていた、やはり岡本太郎や熊本県出身の浜田知明のように二等兵として召集され戦地経験のある人間が戦後に制作した作品の方が、けっして大作ではありませんが、思いの深さが直截的に伝わりインパクトがありました。
川崎市岡本太郎美術館を訪ねるきっかけは、NHK「ETV特集」で広島県立基町高等学校の生徒たちが被爆者の証言をもとに絵を描く活動を取り上げていて、その作品が同館に展示中と知ったからでした。30歳のとき二等兵として召集を受けて中国戦線に赴いた岡本太郎は、その期間を「冷凍された5年間」と言っています。絵画だけでなく造形、写真、書(太郎の父・一平は書家)と、多彩な才能をもつ岡本太郎は、「本職は何か」と問われて「本職は人間」と答えていますから、戦争は人間であることをやめさせるという思いがあったのかもしれません。それだけに同館ほど反戦反核の作品を展示するにふさわしい施設はないという思いもしました。

グレーバー流の〈自由〉な人類史の視座

小茄子川歩・関雄二編著の『考古学の黎明』(光文社新書、1300円+税、2025年)は、デヴィット・グレーバー(1961-2020)とデヴィット・ウェングロウ(1972-)の共著『万物の黎明』の視座に刺激を得た、日本国内の気鋭の考古学者たちが、自らの研究分野を捉え直して語っている本で、たいへん面白く読みました。考古学というと発掘されたモノを通じて研究する学問というイメージがありますが、その時代、その地域からモノが発見される裏には、人類の自由な移動や交流があったワケで、海外の大学がそうなのですが、考古学と人類学はクロスオーバーする学問なんだなと、認識を新たにしました。そうすると、モノの発掘の手柄話ばかりして、人の移動や交流の歴史についての知見がない自称「考古学者」については、さてどうなんだかという見極め方ができるかもしれません。
ちょうど今月(2025年10月)から『考古学の黎明』の編著者がナビゲーターを務めて「3か月でマスターする古代文明」の放映がNHK「Eテレ」であっています。こちらのテキスト読書と番組視聴もあわせてしてみましたが、古代文明といってもその社会構造はさまざまだった(例:国土なき国家、王なき帝国…)ということを理解するには、こちらもおススメです。
1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」を制作した岡本太郎は、戦前、パリ大学の民族学科で人類学を学びました。そのときに師事したのが贈与論で著名なマルセル・モースで、「移動することが人類の本来の姿」と語っていたようです。『万物の黎明』の著者である2人のデヴィットも、「人類は本来、自由に移動して交流していた」として、「移動の自由」は「交流の自由」と結びつくと捉えていました。人々は自由に、いわば遊びのように移動し合い、その結果モノが長距離移動したと書いています(『考古学の黎明』p.342)。
モノについてはその生産と消費だけを考えるのではなくその交換について考えることが重要です。その交換も贈与なのか負債を伴うかでも社会のありようが異なってきます。『考古学の黎明』p.380-381では、柄谷行人の交換様式論を手際よく紹介していました。
交換様式A 互酬交換(贈与と返礼)
交換様式B 略取と再分配(支配と保護)
交換様式C 商品交換(貨幣と商品)
人類史は当初から、この3様式の併存のもとに推移したが、社会構造の変化は、どの交換様式が前面に押し出されるかによって区分されるという歴史理論。人類が定住生活を選択した時点から3種類の交換が同時発生したと考える。
グレーバーと柄谷行人には相通じるものがあり、じっさい交流もあったことが、2025年6月18日の朝日新聞掲載の「柄谷行人回顧録」で明かされていました。
グレーバーの著書では『ブルシット・ジョブ』しか読んだことがありません。なんせ『万物の黎明』は大書なので、その点でも『考古学の黎明』や「3か月でマスターする古代文明」は便利でした。
人類史をモノの発達だけで見ると発展一辺倒ですが、人とモノの移動という視点で見ると、さまざまな社会構造が浮き彫りになります。「都市や国家がなくても自由と平等がある」と「都市や国家があっても自由と平等がない」が露呈した例をp.320より引用紹介します。
新大陸に進出したヨーロッパ人は、そこで出会ったアメリカ先住民から、絶対王政下にあったヨーロッパには「自由と平等がない」と痛烈に批判をされる。これがきっかけとなり、ヨーロッパ人は自由と平等に目覚めることになるのだが、同時に、このような批判は、ヨーロッパの社会を根底から覆しかねない脅威であった。そこで、ヨーロッパ人は自らの優越感を守るために、「社会が進歩すると、必然的に自由や平等が失われる」「一部の人間の貧困は、社会全体が繫栄するための必要条件である」という、ストーリーが考案されたというのである。

行政の相場観を正すツール

10月9日の朝日新聞熊本地域面に、胎児性水俣病患者が水俣市に対して行った行政不服審査請求で、市の却下処分を取り消す裁決が出たと載っていました(翌10日の熊本日日新聞でも報道)。認容裁決が出たとはいえ、申請人に対する却下理由の説明が不十分だったとし、市の行政手続条例に違反したという手続きの不備が、その根拠とされました。そのため、今後改めて申請をしても却下理由を書き直した上で再び市が却下するような形式的対応をとられる恐れもないわけではありません。
このように申請人からすればまだ手放しで喜べる状況にはありませんが、行政の相場観を正すためにも行政不服審査請求を行った意義は大きいと思います。市に限らず行政機関はさまざま行政処分を行いますが、ほとんどの住民はその処分結果を受け入れますので、ついつい行政側はこれぐらいで仕事を進めればいいだろうと、あぐらをかきがちです。行政機関といっても仕事は一人ひとりの職員の判断で進められるわけですから、誤った法令理解・運用による仕事ぶりがないともいえません。今回の審査請求には弁護士が保佐人に就いたということですが、認容裁決により得られる経済的利益やサービス受益が大きければ、専門家の支援を受けて請求に踏み切る価値はあります。
それと今回の請求とは直接関係はありませんが、まだ前世紀仕様の地方自治気分でいる地方公共団体があるかもしれない点に目を向けるべきです。ジャーナリストの中村一成氏が、『世界』2025年11月号掲載の寄稿(p.72)で、次の通り記していました。「1995年に地方分権推進法が、2000年には地方分権一括推進法が施行された。国と地方は上下ではない対等・協力関係となり、従来の通知通達行政は過去となった。片山善博総務大臣(当時)は2011年3月、同法施行により、それ以前の通知や通達は失効し、場合によっては違法となったと答弁している」。この視点で地方自治の現場を点検してみることもありだと考えます。

やれやれだぜ

移民政策に詳しい小井土彰宏氏が、インターネット時代に起こりがちな不毛な「論争」状況について『世界』2025年11月号掲載の寄稿(p.31)で触れていました。長くなりますが、引用してみます。「インターネットをはじめとする新しい情報ツール・情報環境は、情報の効率的な拡散・共有ではなく、全く基礎的な知識を持たない人々による、唐突な意見表明を可能にし、「議論」に参入する条件をつくり出してきた。ネット上へのにわか「論客」、疑似「専門家」のご登場である。基礎的用語や関連法制のリテラシーにも欠け、身近な事象と自分の実感こそがリアリティと信じ、海外の断片的なルポもどきとリンクすることでフォロワーを獲得する新たな発信者の出現とかれらの起こす「論争」は、事実の検証と政策論理の構築・精緻化をさまたげ、もともと脆弱な論争空間を破砕しかねない」。
たとえば、先々家族帯同の定住も可能な「特定技能」という新概念を導入することで、ブルーカラー労働者を日本に入国させ就労させることが初めて法的に承認されたのは、安倍晋三政権下の2018年12月の入管法改正でした。これは、少子高齢化とその帰結としての持続的な人口減と労働力不足という構造的な問題を乗り越えるためにとられた、国際的にも見ても真っ当な「移民」政策判断だったと言えます。
このおかげで、予想では毎年35万人以上外国人が増え続け、2040年に国内人口の10%が外国ルーツになるといいます。介護や建設、製造、物流などさまざまな分野(当然税金や保険料納付を含む)で日本を支えてもらっているのが現実で、この流れは続きます。
ただし、面白いことに立役者の安倍さんは、「移民」という言葉をタブー視し、公式用語としては頑なにつかいませんでした。安倍さんは「自分の内閣では移民政策は、これをとらない」と国会で答弁を繰り返していました。なお、この「移民政策をとらない」という芸風は、以後の首相も、先の自民党総裁選に立候補した5人も全員が踏襲しています。
このように、表向きの言葉と現実の政策とが乖離している事象を見破れないようでは、不毛な「論争」に陥ることが必定になります。それでも、冒頭に登場の、にわか「論客」や疑似「専門家」のたぐいを支持層に引き込める能力があってこその政治家であり、それが政治の世界なのかと思うと、やれやれだぜという気持ちにもなります。

意見書反対議員名を全員報じよ

熊本への長射程ミサイル配備に慎重判断を求める意見書の採択が、昨日の熊本県議会で否決されたと、本日の地元紙で報じられていました。記事によると、「(意見書には)立憲民主連合と新社会党の計4人が賛成し、最大会派の自民党県議団など42人が反対した」とありました。
現在防衛省が配備を予定している長射程ミサイルという武器は、専守防衛を逸脱し他国領土への攻撃が可能となる能力を有するものです。事態を見誤って他国領土へ向けた攻撃の動きをすれば、それこそ反撃される口実を相手国に与えてしまいます。長射程ミサイルの配備は抑止力になりえないどころか、攻撃されるリスクが高まるからこそ、自衛隊基地をせっせと地下基地化したり、より堅牢な弾薬庫をあちこちに造ろうとしたりしているのではないでしょうか。余計な軍拡予算が膨らむばかりです。
一方で、このたび自身の傀儡総裁誕生に成功したマンガオタクの老人なんかにすれば、家業のセメントがバカ売れしますから、ずいぶんと喜んでいるとは思います。意見書反対議員は自身の行動が県民の生命と財産を本当に守る方向に寄与しているのか冷静に省みてほしいと思います。
意見書反対議員の数があまりにも多くて報道記事には個別の氏名が載っていませんでしたが、このような場合は、反対理由とともにすべて報じてほしいものです。しょうがないので、県議会議員名簿を画像で示します。もしも意見書反対議員の地元にミサイルが運ばれて何かあったらそのときは、コイツらがだらしなかったからだったんだと、思い出してください。
8月に田川を訪ねたときの写真も付けておきます。

人を牛馬扱いするのが今もいるんだ

自民党の新総裁に選出された方が、選出直後のあいさつで「馬車馬のように働いていただく」「私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく」と述べていました。目の前の仲間内の国会議員に向けた発言でしたが、報道で伝わるわけですから霞が関の官僚はもちろんのこと、広く国民がこの言葉をどう受け止めるか思いを寄せる器量はないのだなと思いました。
総裁の座を渡すことになった方もさすがに気になったみたいで、「あそこまではっきり『ワーク・ライフ・バランスをやめた』と言われると大丈夫かという気がしないではない」と指摘していましたが、水俣病を引き起こしたチッソの創業者の野口遵が「労働者は牛馬と思え」と言っていた有名な逸話を私はつい連想しました。
野口遵は、1944年1月15日に死没していますが、公害病を引き起した企業体質はその組織のトップの考えに起因していると思います。水俣病研究会著『〈増補・新装版〉水俣病にたいする企業の責任−チッソの不法行為−』(石風社、2025年)によれば、チッソ水俣工場における労働災害は非常に多く、最多を記録した1951年ではほぼ2人に1人が被災するほど社内の安全性を無視して操業していたといいます。生産第一、利益第一で稼働させて安全教育も蔑ろにされていたことが同書では明らかにされています。社員を危険にさらしてもなんとも思わない幹部で占められていた企業だったからこそ、自社工場から海へ排水するメチル水銀が水俣病の原因と社内で気づいてからも秘密を通して危険を回避する対策をとりませんでした。漁民に限らず魚介類を食べる生活をした社員とその家族も水俣病の被害を受けました。社員を守れない企業は結果として企業自身へも不利益をもたらすことになったことは歴史が示しているところです。
人を牛馬扱いするのを厭わないトップが今もいるのが驚きでもあり、そういう組織が向かう先は…という気がします。

テルアキ妄想録

「気持ちでどうにかなる甘い世界じゃない」と佐藤輝。昨オフに自らを客観視して「打撃フォームを理解する」ことに努めて課題に向き合ったからこそ、今季の目覚ましい活躍につながったと、けさの朝日記事で触れてありました。
同期入団の「レン」の退団により来季からのスコアボード表示名がどうなるのかわかりませんが、個人的には現在の表記を続けてほしいものです。それか別の佐藤姓の選手を招聘するのか。
それと、もしも将来メジャーへ渡ったらどういう表示でいくのかも気になります。もともとセ界一のチームにいるんだから、わざわざ行かなくてもいいんじゃねぇという気持ちもあります。

信用ならない手合い

2年後の夏の完成を目指し、熊本県護国神社内に東京の靖国神社遊就館の熊本版資料館建設の動きが進んでいます。9月25日の地元紙には、その建設費の寄付を募る広告が掲載されていました。その広告には60名弱の発起人の名前が載っていて興味深く見ました。顔ぶれから察するに、第一は当人がその信念から80年前の戦争を侵略戦争とは考えていない方々と、第二は県内の主要企業団体等のトップとかで付き合いで名前を出している方々と思われました。
前者は日頃から日本会議や元統一教会の活動歴でその名に覚えがある方々です。相も変わらずだなあと、思うだけです。始末に悪いのは、後者の方々です。日頃立派なことを言っていても、80年前の戦争で多大な苦痛を強いられた国・地域の記憶を逆なでする歴史観に立つと見なされることに思いが至らないのかなと、不思議でなりません。当人が思慮に欠けるのか、当人の取り巻きがそうなのか分かりませんが、これは信用ならない手合いだなと感じます。
9月30日の全国紙熊本版に県内の私大の理事長が、水俣病の教訓を講義したと好意的に書いてありました。しかし、この人物は、一方で戦争における兵士の行動を賛美し、国策の誤りを直視せずにひたすら愛国・国威発揚に邁進する資料館建設の音頭取りに名を連ねています。この両立がなぜ可能なのか、ちょっと理解するのが困難でした。

人新世は条件という認識はあるか

元環境大臣の経歴をもつ政治家が、今回の自民党総裁選挙の有力候補者として注目されているようですが、選挙中の発言を追ってみると目先の話ばかりで、たとえば気候変動対策についてどのような外交を展開していくのかという大きな政策ビジョンが聞こえてきません。その人物が現在所管する食料の安定生産についても実際のところは気候変動が大いに関係しています。現在米国大統領を務める老人の場合は、任期が残り3年もないので、地球に暮らす将来世代に禍根が残ろうとも関係ないのかもしれませんが、まだ数十年くらいは政治家を続ける可能性のある40歳代なら少しは頭を使えよと言いたくもなります。
アドリアン・エステーヴ著『環境地政学』(白水社文庫クセジュ、1400円+税、2025年)を最近読んでみました。経済成長至上主義、資源の収奪、植民地支配、自然の支配、男性中心の社会といった近現代の人間の活動が、気候変動をもたらした流れを理解できます。これはグローバルノースの国家に限らずグローバルサウスの国家にも共通する課題ですし、人新世そのものなのだと思います。本書では、さまざまな人物が警鐘を鳴らしてきた歴史、国際的に対応している動きについての情報も紹介しています。コンパクトな著作ながら、人新世の見取り図・現在地を掴むには適した本だと思いました。
これからの地球人にとって必要なことは、領土的枠組みにとらわれず人類共通という考えで、歴史と科学を学び、人新世は条件であるという認識に立つことが重要だと思います。その認識で国際的にリードできる人物の活躍を期待したいと考えます。