戦雲(いくさふむ)

三上智恵監督作品の映画「戦雲」をDenkikanで観てきました。2016年から2023年にかけて与那国島、石垣島、宮古島、沖縄本島には実に多くの自衛隊基地・弾薬庫が設置されました。さらに防衛目的の空港拡張や港湾整備が進められようとしています。与那国町の場合、住民の1割近くが自衛官となっており、基地のある離島は文字通り不沈空母状態となっています。有事の際には国民保護の名の下、島民全員を九州など島外に避難させるということですが、原発が立地している周辺住民の避難計画と同様、気象条件その他が必ずしも良好とは限りません。たとえ避難できても作物や家畜は置き去りですし、避難民は生業を捨てなければならないことになります。そもそも基地があるから攻撃を受ける可能性を高めているばかりか、全国民的にも巨額の国家予算を投入しなければならなくなったわけで、何を何から守るのかわからなくなったように見えました。
石垣市においては2015年自衛隊基地配備計画の賛否を問う住民投票条例制定請求の署名が市自治基本条例の規定を超える有権者の4割に達しました。しかし、市議会が住民投票条例案を否決し、さらには市自治基本条例から住民投票実施規定の条文を削除する蛮行に出て、現在それが裁判になっていることも映画で紹介されました。住民投票の手段を取り上げるなど、地方自治を自らの手で抹殺することにほかならず、それに加担する有害な首長・議員を生まないように、住民の不断の監視が必要なことを感じました。
※裁判についての補足:市民らは2019年9月、住民投票の義務付けを求める訴訟を起こしましたが、2021年8月に最高裁で敗訴が確定しています。2021年4月に地位確認の当事者訴訟を提起し、2023年5月(同年3月に基地開設)の一審判決は、住民投票の実施を規定する条例文が削除されたことから訴えを却下しました。2024年3月の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部は、「確認の利益はあると認められる」とも判示しつつも、控訴を棄却しています。
映画を観る前に、本日の朝日新聞オピニオン面に掲載された元防衛官僚の柳沢協二さんのインタビュー記事を読みましたが、以下の発言が印象に残りました。「台湾の領土や政権を守るために自衛隊員や国民に犠牲が生じることを、日本の有権者として受け入れるのか否か。そのことを国民は考える必要があるのだと思います」「こういうとき気をつけなければいけないのは、英霊思想の台頭です。(中略)国家のために犠牲となることは有意義だとする、英霊の思想です。そこには、他者の人生を自分の道具と考える政治指導者のおごりがあります」。
https://www.asahi.com/articles/ASS4L2TMNS4LUPQJ00NM.html

代わりはいくらでもいるんだよ

ちょうど1年前に読んだ、民事の元裁判官・瀬木比呂志氏の『我が身を守る法律知識』(講談社現代新書)の中で、過労死・過労自殺をめぐり以下のような記述がありました。年度が替わり新しい仕事環境で心身に変調をきたしている人も多いと思います。p.200-201より長い引用ですが、一助となればと示してみます。
【過労死や過労精神障害・自殺による請求がなされるような例では、被用者は、まじめで責任感の強いタイプが多いのです。そういう人は、長時間労働でも途中で適当に気を抜くことができず、自分だけで苦労を抱え込み、自分がやるしかないと悲壮な覚悟をし、さらに、「ここで倒れたら自分はおしまいだ」とみずからを追い詰めてゆくことになりやすい。そうならないためには、「そうした自分から距離を取ってクールに状況を見詰めること」と「倒れる前に手を挙げる心構え」が必要だと思います。 若いころ、ある先輩が、「裁判官なんて、代わりはいくらでもいるんだよ。最高裁判事だろうと、難件を抱えた裁判長だろうと、死んだらすぐ代わりが来るのさ。ただ、ほんのちょっとの間波が立つだけのことなんだよ」と言うのを聞いたことがあります。そして、今になってみると、あれは真理だったと思います。 代替性のない仕事などほとんどありませんが、あなたという人間については代替性はありません。動物の一種として人間も「サバイバル」あってこそですから、「もうだめだ」と感じたらすみやかに医師にかかり、診断書を書いてもらって見切りをつけましょう。まずは、その時点で、肉体か精神に異変が出始めています。 私自身もそうした経験があるからいうことですが、実際には、そこで見切りをつけさえすれば、回復と再挑戦は難しくないのです。まずは、自分と家族を大切にしてください。なお、自分の職場の休職制度についても、あらかじめ調べておくとよいと思います。】

無権利者から財産を取得した者の保護

朝ドラの「虎に翼」のストーリー展開には、法律の専門家も興味津々みたいです。明治民法の下での裁判で、妻が離婚成立に伴い夫の保護下にある財産(実母から渡された着物)の返還を求めた訴えに、憲法学者の木村草太さんが「『その色留袖は、妻が使用貸借していたのみで、所有権は妻の母(管理権は夫たる父)にある』と構成してみてはどうか?」と、Xにツイートしていました。私もこのドラマは面白いので毎度視聴しています。こうした法律的突っ込みを行ってみると余計楽しめる思いがしました。
ところで、今月11日、日本橋高島屋での展示販売会「大黄金展」の会場から、純金製茶碗(販売価格1040.6万円)が盗まれる事件がありました。幸い翌々日の13日に警察は窃盗容疑で職業不詳の男性容疑者(32)を逮捕したとありましたので、刑法犯罪としていずれ起訴されることとなると思いますが、問題は日本橋高島屋(以下「A」)が盗品(以下「甲」)を取り戻せるかです。
容疑者の供述によると、甲を事件当日に約180万円で、買い取り店(以下「C」)へ売却したとあります。さらに、警察の調べでは、既に転売されたとみられますので、甲の占有者(以下「B」)の存在もあります。ですが、転売先のBが特定されているのかが、本日現在、明らかではありません。
仮にBが甲を占有していることが分かったとして、Aは甲の返還を請求できるかが、問題となります。また、Bが甲を占有している間、展覧会収益を得ていたらその扱いも問題となります。下記のような主張が考えられます。
A→B Aの所有権に基づく返還請求権としての甲の引渡請求権と甲の使用利益返還請求権ないしは不当利得返還請求権の本訴請求。
(甲は盗品であり、民法193条には、盗難の日から2年間、被害者は占有者に対してその物の回復を請求できる規定もあります) ※2年間は権利行使の除斥期間であり出訴期間ではない。
B→A 甲の購入代金相当額の弁償を求める予備的反訴請求。即時取得の抗弁(反論)。
(民法192条に基づく即時取得の要件①動産を占有する者が取引行為によって当該動産を取得したこと②占有を始めた者が平穏に、かつ、公然と占有を開始したこと③占有を始めた者が占有開始時に善意・無過失であったこと)
A(再反論)→B 占有所得者Bの過失(前主Cの処分権限の調査義務を講じたかなど)
(Bが古物商であれば、古物営業法20条に基づき、Aは、Bに対し、甲を盗難または遺失の時から1年間は無償で回復することができる)
今回の事件の場合はリアルな店舗を介した転売でしたが、誰もが売買できるネットオークション・フリーマーケットアプリとなると、占有者の保護が重視されることとなるかもしれません。
果たして日本橋高島屋は訴訟に踏み切るでしょうか。私が担当者なら弁護士を儲けさせるだけの裁判は起こしません。穏便に占有者から購入価格に色を乗せて買い戻す交渉を行うでしょう。300万円だったとしてもデパートでは1000万円超で売れるのです。盗難に遭ったナラティブ付きのプレミアでもっと高く売れるかもしれません。デパートにとっても占有者にとっても悪い話ではないように思います。一番気の毒(=被害者)だったのは、茶碗の造形作家さんではないかと思います。だって、1000万円超の作品がおそらく原材料価格の約180万円でしか買い取ってもらえなかったのですから。
写真は記事とは関係ありません。佐賀県立名護屋城博物館の黄金の茶室です。

【4月15日追記】その後の調べで上記Bは古物商であり、純金製茶碗の所在もわかりました。となると、古物営業法の適用範囲となりそうです。

5年ぶりの入学式参加

地元校区の小学校・中学校の入学式に5年ぶりに参加しました。公立の義務教育学校だけにさまざまな家庭環境に育った子どもたちが学ぶこととなります。将来どのような大人に成長するのか、はたしてその頃の社会はどのような姿になっているのか。見守る側の世代の人間としては、いろいろ複雑な心境で式を迎えました。
それぞれの学校長が新入生に贈った言葉を紹介してみます。まず、小学校では、3つの守ってほしいお願いの話がありました。「1.命を大切にする」「2.仲良くする」「3.あいさつをする」ということでした。次に、中学校では、「自分で考えて自分で決めて自分で行動する」という呼びかけでした。現在、この中学校では、校則も生徒たちが決めていると紹介がありました。実は、私はこの中学校の卒業生(しかも生徒会長のなれの果てでもある)なのですが、在学時に校則改正を生徒で決議しても職員会議で否決(まるで機能不全の国連安保理みたいなもの)されて、あまりいい思い出がなかったものですから、隔世の感に驚きました。ただし、LGBTQの生徒にも配慮した標準服がせっかく今年決まったのに、導入が新1年生に間に合わなかったのは残念に感じました。
あと、それぞれの式の番外編の話題として2つ記しておきます。小学校では、元相棒に違法賭博の賭け金を盗まれたプロ野球選手から全国の小学校に6万個進呈されたうちのグローブ3個を見ることができました。大量発注によって単価1.1万円として推定コストが、6億6000万円ですから、彼はこの代金と誤解して口座からカネが減っても気付かなかったのではないかというのは、まったくのシロウト推理です、はい…。中学校の会場は市の体育館であり、その敷地入口付近には戦没者慰霊塔があるので、改めてその碑文を確認してみました。気になったのは「英霊」の部分。靖国神社に祀られた戦没者を指す用語であり、この慰霊塔で慰霊の対象となっているのは、軍人・軍属のみとなっています。たとえば、アジア太平洋戦争末期の1945年8月10日、米軍機の空襲により現在の宇土市内では300超の家屋が全半焼し、多数の死傷者が出ましたが、こうした民間人の死者の存在は忘れられて慰霊されることもありません。子どもたちには、「集団浅慮」(心理学者のアーヴィング・ジャスニスが作った用語。協調を重んじ、論争や異議を抑制し、結果的に融通が利かない間違った信念に至ってしまう組織文化。誤認識が改善されず、議論の結果が極端になる)のワナに嵌らず、学校の内外で学んでほしいと思います。

ネット観戦の楽しみ

ウエイトリフティング競技の審判員資格を保有している関係で、2024年度中に九州内で開かれる3つすべての全国大会に審判員として参加する予定です。近年はこの全国大会に限らず国際大会においては、動画配信されることが多くなりました。ちょうどこの時期は、タイにおいて世界選手権大会が行われていて、しばしば視聴しています。
ウエイトリフティングの場合は、チーム対戦型のスポーツと異なり、資金力のある大国ばかりではなく、かなり小国からの参加が実に多いのが特徴です。男女別・体重階級別にそれぞれ出場選手層の厚さが異なりますから、バラエティーに富んでいます。同時に当然のことながらネット観戦者もさまざまな国・地域の人たちが一堂に会して視聴しているのが、「いいね!」やコメントからうかがえてたいへん面白く感じます。ですが、北朝鮮や中国からの選手の出場はありますが、ネット観戦者についていえば、さすがに確認できませんでした。
さらに面白いのが、私自身がそうでしたが、必ずしも自国の選手が出場していない試合でも視聴する国・地域の人が多いということでした。こうなってくると、出場選手の所属国・地域にかかわりなく、純粋に競技観戦を楽しんでいる印象を受けました。
これと対極をなすのが、場を腐らせる人たちの存在ではないかと思います。本日の地元紙読書面に、作家の佐藤優氏による片田珠美著『職場を腐らせる人たち』(講談社現代新書)についての書評が載っていて、こういう人とは極力接点を持たない方がいいと書いていてこれも面白く感じました。「こういう人を根本的に改心させるためには全人格的に付き合う必要がある。そういう課題は宗教家に委ね、職場ではこういう人との付き合いに費やすエネルギーをできるだけ少なくするというのが現実的処方箋と思う。」ともありました。
「職場を腐らせる人たち」の15事例は、以下の通りとなりますが、確かにこういう人をXの投稿で見かけることはあっても、ウエイトリフティングのネット観戦者の書き込みで見たかけたことはありません。ストレスに感じるかどうかは、チームスポーツか個のスポーツかの違いもあるのでしょうか。15事例◇根性論を持ち込む上司◇過大なノルマを部下に押し付ける上司◇言われたことしかしない若手社員◇完璧主義で細かすぎる人◇あれこれケチをつける人◇八つ当たり屋◇特定の部署にこだわる人◇いつも相手を見下す人◇相手によって態度を変える人◇他人のせいにする人◇不和の種をまく人◇他人の秘密を平気でばらす人◇その場にいない人の悪口を言う上司◇陰で足を引っ張る人◇ストーカー化する人。

時系列で変化点を押さえる

年度末にかけてのここ1か月ばかりは、各種団体の会議等や雨天も多く、慌ただしくも鬱陶しい日が続きました(極めつけは合間を縫って駆け付けた17日のロアッソ大敗か)。読書も新しい本は手に取らず、一度読んだ呉明植著『家族法』と千葉惠美子・川上良・高原知明著『紛争類型から学ぶ応用民法1総則・物権』の読み直しに留めました。
『家族法』に関連して触れれば、今月1日から親子法制の改正法が施行され、嫡出推定制度が新しくなりました。新年度となると、新法や改正法が施行となるので、福祉行政がらみでもいろいろアンテナを張っておかなければなりません。たとえば、「孤独・孤立対策推進法」という新法が4月1日施行となっています。それでは、自治体は孤独・孤立対策地域協議会の設置に努めなければならないとされています。場合によっては、本人の同意を得ずに、当該者の個人情報を協議会の構成機関等に共有し、情報共有の要請やその要請に基づく他の構成機関等からの情報共有、支援の内容を協議することがありえるとされてます。そうした協議の場が必要だとは日頃感じていますが、枠組みが大きな協議体だといつもの地域の名士が宛て職で顔を出すだけで、効果がないと思います。設置するなら行政区単位レベルにしないと意味がなさそうです。示された予算措置資料から判断すると、どこかのNPO等へ補助金を出して終わりという印象もあります。また、「障害者差別解消法」の一部改正も4月1日施行となりました。こちらは、事業者による障がいのある方への合理的配慮の提供が義務化されました。
『紛争類型から学ぶ応用民法1総則・物権』については、メモを取りながらの再読を行い、いい脳トレになりました。世の中にはいろんな紛争があり、当事者はそれぞれ最も利益になりしかも早期の解決を望むものです。そのためには、時系列で変化点をしっかり押さえてどのような法構成を選択し、攻防するかという思考が求められます。当事者としてはたとえ事実が認められて他人から同情されることがあっても、実際に保護されるとか、利益を得なければ、何にもなりません。
他人から相談を受けてアドバイスを求められる立場にある人には、法律条文の上っ面の知識だけでなく、事象を歴史的(時系列)かつ科学的(変化分析)に捉える素養が必要だなと、改めて感じました。やはり歴史と科学に学ぶことが重要です。いくつかその分野の読みたい本をリストアップしているところです。

特定活動の対象に高度専門士を追加

「特定活動の対象に高度専門士を追加などの見直し」について、【出入国在留管理庁からのお知らせ】メールマガジン(20240329)より引用してお知らせします。

【出入国在留管理庁からのお知らせ】(20240329)

外国人留学生の就職促進に向けて、在留資格「技術・人文知識・国際業務」の運用を見直すとともに、大学卒業者と同等と認められる者について、在留資格「特定活動(告示第46号)」の対象に追加しました。
詳細はこちら
https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/10_00188.html

無知は無恥

台湾出身で日本在住の芥川賞作家の李琴峰さんが、本日の朝日新聞国際面で台湾の人々の政治意識を語る中で、日台の関係はいびつだと指摘していました。日本国内の保守派による台湾に関する言説についても冷ややかに捉えてました。やや長い引用となりますが、次のように述べています。「日本の保守派はよく「台湾が好き」と言いますが、その言説を観察すると「日本の植民地時代のおかげで台湾が近代化した」「だから台湾人は日本が好き」などと紋切り型の表現を使います。植民地支配の歴史を正当化するために台湾を都合良く使っているだけではないでしょうか。」。台湾の人々が抱く日本の工業製品や文化商品に対する親しみの感情は確かにあると思います。しかし、かつて日本の植民地であったことを良かったと考える台湾人は皆無に近いのではないでしょうか。統治対象であった本省人の末裔もいれば、日本の侵略対象となった中国本土から渡ってきた外省人の末裔もいるのですから、容易に解りそうなものですが、あたかも植民地統治時代からも台湾の人々が「親日」的だと都合良く考える日本人がいたとしたら、無知で無恥だと言わざるを得ません。
もっとも、台湾の人々の中にも、日本との政治的あるいは経済的な協力関係を重視するあまり、リップサービスで「親日」を強調する向きがあるかもしれません。今週、熊本県内の技能実習生監理団体で働くインドネシア人の方の話を聞くセミナーの機会がありました。イスラム教の戒律をめぐる情報は非常に役立ちましたが、それと共にインドネシア独立の際にオランダと闘った残留日本兵の存在を引き合いに、その方がインドネシア人の「親日性」を語ったので、他の無知な受講者をミスリードしないかと気になりました。
1942年3月から1945年8月までの日本軍による軍政下におけるインドネシア人に対する非道な支配の犠牲者は国連の報告によると約400万人といわれます。そういう史実を知らないまま相手先の人々に接すると恥をかくことを忘れてはならないと思います。30年以上前に一度インドネシアを訪ねたことがあります。日本軍による多くの犠牲者が眠る場所近くは下車する勇気がなくタクシーで付近を通ってもらって眺めるだけにしました。
写真は、ジャカルタ市内。1991年7月撮影。

知事の顕「過」碑も必要では

本日(3月14日)の朝日新聞「耕論」では、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」から朝鮮人追悼碑を今年1月末に撤去した群馬県の過ちについて3人の識者(小田原のどかさん、中沢けいさん、李鍾元さん)の受け止めを示していました。当コーナーではテーマをめぐって賛成・反対・中立のように、3つの見方を載せることが多いように思いますが、今回は群馬県の行政による、歴史や県民、東アジア周辺国・地域へ向き合う姿勢に問題ありとしている点で、3者の見方は一致していました。私も3者の意見には賛同します。
https://www.asahi.com/articles/ASS3D5W9QS34UPQJ00T.html
戦時中に多くの朝鮮人や中国人、捕虜を劣悪な環境の下、働かせた事実は、各地にありました。そうした負の歴史を隠すことは、真実を知らない無教養な国民や真実を語ることができない権力に従順な国民ばかりなっていくことにほかなりません。自国民の名誉をかえって汚して国際的な信頼も崩すまったく国益に反する行為です。
今回、群馬県知事は、最高裁のお墨付きを得たかのような論理で、追悼碑の撤去を進めました。しかし、裁判所の判断は、県立公園内における碑の設置期間の更新不許可処分は違法でないというだけであり、碑の撤去を命じるものではありません。さらに、勝手に撤去しながら、その高額な費用を市民団体へ請求して弾圧する気でいます。
100年前の関東大震災後の混乱の中での朝鮮人虐殺を認めたがらない無恥な知事もいますが、こうした知事の過ちを明らかにした碑もどこかに必要なのではないかと思います。
写真は、大牟田市にある、徴用犠牲者慰霊塔。朝鮮半島を望むよう西向きに建てられています。アジア太平洋戦争末期、三池炭鉱などがある大牟田地域では、朝鮮人や中国人、捕虜など約2万人が労務動員されていました。2023年8月撮影。

ないないづくし3点セット

本日(3月7日)の朝日新聞熊本地域面に、水俣病の患者・被害者計7団体でつくる連絡会が知事選立候補表明者から得た公開質問状への回答について載っていました。
注目したのは、現知事から「県政の良き流れ」を継承する候補と推された人物の回答内容です。予想通りのゼロ回答でした。要約すると、「国の患者認定制度の見直しは求めない」「公害健康被害補償法で対応し、特措法での救済漏れには対応しない」「健康調査の実施は考えない」の「ないないづくし3点セット」でした。
こと水俣病問題対応については県政の悪い流れにしか遭ってこなかったであろう患者・被害者ならびに支援者にとっては、明確な判断材料になったかと思います。
写真は、水俣病歴史考証館内に展示されている丸木位里・俊画「水俣の図」。2023年12月撮影。

自分の国語力を省みろ

昨日(3月5日)と本日(3月6日)の朝日新聞紙面に、国語力について参考になる記事があり、印象に残りました。
まず昨日の方は、私より少し若い方だと知ってその驚きもありましたが、TVでもロシア問題の解説で顔を見る機会が多い、駒木明義論説委員が「新聞記者の文章術」欄で書かれた記事です。そこでは、「自分が書いている文章がわかりやすいかどうか自信が持てないときに、時々私が試してみることがある。それは、外国語に移してみるという方法だ。」とありました。確かにネット上の自動翻訳を利用してみると、原文の言わんとするところが不明瞭であれば、変てこな訳文しか返ってきません。このように、自分の国語力の検証方法として有益だと感じた経験が、私にもあります。加えて、大学時代の所属ゼミの教授も同じようなことを言われていた覚えがあります。その教授は、日本語訳本で意味が通らない箇所を原書で当たってみると、だいたい原文そのものに問題があるものだと、言われていました。言いたいことが多すぎて一文が長すぎると、結局何を伝えたいのかわかりませんし、トランプ流に短く断言しすぎても、前提や周辺の情報が伴っていないと、単なる遠吠え的な発言に終わってしまうかもしれません。トランプの言葉は単純で平易であり、その言葉を信奉者らと共に口にさせることで、一体感に酔わせるだけが目的のように思います。バイデンではなく、あえてオバマを例に取り上げると、彼の言葉は含蓄に富み論理的ですが、あまり理知的ではない国民が大勢を占める社会では通じないのかもしれません。
次いで本日の記事の方ですが、内田伸子お茶の水女子大学名誉教授に聞いた、シリーズ「早期教育へのギモン」の5回目の見出しには「英語読解 日本語の読み書きが土台」とありました。「早く英語に取りかかればいいというのは誤解だと考えています。カナダ・トロント大の言語心理学者らがかつて、日本からカナダに移住した子どもを10年間、追跡調査したことがあります。」として、「学業成績が一番高かったのは中学から行った子どもたちでした。」と紹介していました。つまり、国語力が「考える力」の土台というわけです。
どの言語であれ、自分の国語力を公開する行為というのは、自分の「考える力」の度合いを晒しているのと等しいということになりますから、SNS投稿もリスクがあるかもしれません。かといって国語力に自信がないからと、むやみに写真や動画をアップすると他人の権利を侵害することもありえますから、とにかく用心することです。
写真はワシントンD.C.のホワイトハウス。2000年5月撮影。

行政書士倫理綱領を正しく理解したい

行政書士である当職は、以下の倫理綱領を意識して活動しています。

行政書士は、国民と行政とのきずなとして、国民の生活向上と社会の繁栄進歩に貢献することを使命とする。
一、行政書士は、使命に徹し、名誉を守り、国民の信頼に応える。
二、行政書士は、国民の権利を擁護するとともに義務の履行に寄与する。
三、行政書士は、法令会則を守り、業務に精通し、公正誠実に職務を行う。
四、行政書士は、人格を磨き、良識と教養の陶冶を心がける。
五、行政書士は、相互の融和をはかり、信義に反してはならない。
上記の通り5項目ありますが、数字が若い項目が優先されます。
たとえば、「二」に関連して、町に対する賠償責任が法的に確定しているにもかかわらず、その義務を履行していない会員の事案があったとします。これでは、町民の権利が侵害されたままですし、賠償を踏み倒している会員は、義務の履行に寄与しているとは言えないと思います。こうした事案があれば、遡って、「一」の行政書士の名誉を汚し、町民の信頼に応えていないと考えられないでしょうか。
ですが、こうした事案をしでかした会員で、自分の行動は棚に上げて、いきなり「五」の相互の融和を取り上げて、協調を求めている人がいて、たいへん驚きました。
綱領の「一」~「四」の遵守ができている会員であれば問題ないのですが、そうでない会員とまで仲良くなりたいとは思いません。これからも公益性のある情報発信に努めて、国民の権利擁護を推進していきます。

専門家選びは難しい

熊本県弁護士会所属の若手弁護士の方がこのたび日弁連ゴールドジャフバ賞を受賞されたと、本日(3月3日)の地元紙が報じていました。この方は、元技能実習生死体遺棄事件で、被告の主任弁護人として最高裁で昨年3月24日逆転無罪判決を勝ち取っています。私もこの方の存在については、事件発生直後の2020年11月から救援に動いていた先輩行政書士の方の講演で聴いて知っていました。最高裁の自判無罪判決を得るのは稀有なことで、本件は戦後25件目にあたります。2018-2022年の最近5年間の最高裁の事件処理件数に限っても、高裁から最高裁への上告件数は1万件ありますが、そのうち最高裁が弁論決定したのが16件(0.16%)、破棄自判無罪となったのは2件(0.02%)に過ぎません。ただでさえ支援が行き届かない技能実習生制度のもとでの孤立出産が罪に問われた事件から被告女性を救った活躍は素晴らしいと感じます。
日常生活において多くの人は裁判とは縁がありませんが、いざ係争となると、いかに仕事ができる弁護士と出会えるかが重要です。私も会社員時代に法務的業務に従事して、顧問を委嘱する弁護士を探したり、はたまた解嘱したりした経験があります。今回の受賞報道に接して、法務担当時、世話になったある優秀な弁護士を思い出しました。その方は、1993年3月25日の水俣病第三次訴訟2陣熊本地裁判決において、チッソ・国・熊本県に勝訴の判決を得た際の弁護団の若手弁護士の一員として活躍されています。その判決は賠償金の仮執行と仮執行の免税がついているものでした。弁護団は事前に周到な準備を進めて、和解に応じようとしなかった国に打撃を与えるため、国に賠償金を支払わせる仮執行に成功しています。国が執行金相当額を熊本法務局へ先に供託すれば、仮執行が免税されますが、判決直後に国の現金が保管してある熊本中央郵便局へ執行官と弁護士が出向いて差押えれば、仮執行が可能になるというものでした。しかも、執行金を預金する先の銀行から金銭をカウントするプロと紙幣をカウントする機械も伴っています。そのあたりの攻防の模様は、水俣病訴訟弁護団編『水俣から未来を見つめて』(1997年刊)に書かれていますが、このように鮮やかに国の現金を差押えする前例はなく、読むと法廷ドラマのようなドキドキ感があります。
ただ一つ残念なのは、私が世話になり、上記の手記を執筆した弁護士とは別の方ですが、同じ当時の若手弁護士のメンバーの一人で、先ごろまで全国B型肝炎訴訟熊本弁護団長だった人が、口座の預かり金から約9000万円着服したという報道が今年ありました。30年後にこうした事件を自らしでかしてしまう弁護士もいるわけで、資格だけで資質を体重みたいに推し量ることはできず、弁護士など専門家選びはなんとも難しいものです。
写真は記事と関係ありません。ウィーン市内で見かけたコイン式体重計(1993年1月撮影)。同種のものは昔モスクワ市内でも多数見かけたことがあります。
https://kumanichi.com/articles/1345422
https://kumanichi.com/articles/1314340

エセものではない科学と歴史を学べ

水谷千秋『教養の人類史』(第七章 現代史との対話――明治維新と戦後日本)読書メモより。
・p.239-240見田宗介(読売新聞2018.1.25)…「僕の考えでは、平成の始まりは明治維新と並ぶ、大きな歴史の曲がり角です」「二つは対照的です。明治は坂を上り始めた時代、平成は坂を上り終えた時代」「消極的にとらえる必要はありません。日本は富国を成し遂げたと考えるべきです。この先、谷底に下りるのではなく、高原を歩き続けられるようにすることが大切です。地球環境・資源に限りはありますが、無理をしなければ、今の相当豊かな生活をほぼ保つことができるはずです。どうやって高原の明るい見晴らしを切り開くのか、それが日本の課題です」。
・p.241吉見俊哉(『平成時代』2019.5)…「(平成とは)グローバル化とネット社会化、少子高齢化の中で戦後日本社会が作り上げてきたものが挫折していく時代であり、それを打開しようとする多くの試みが失敗に終わった時代であった」。
・p.243福沢諭吉(『学問のすすめ』)…「学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」。
・p.254半藤一利(『昭和史1926-1945』)…「(日露戦争勝利で)日本人はたいへんいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を滅ぼしてしまう結果(になった)」。
・p.259司馬遼太郎(『「昭和」という国家』)…「(昭和の初年からの20年、この国は)日本の軍部に支配される、というより占領されていたのだろう」。
・p.265水谷千秋(堺女子短期大学「短大通信」2020.8)…「ポストコロナ世界はモラルなき乱世の時代、と見る識者も多い。しかしこれからの時代(それは気候危機の時代でもあろう)を、ただ世間の動きに順応し生き延びていくのではなく、どういう世界を創っていくべきかを考え、主体的・自覚的に生きていくには、やっぱり私たちは科学や歴史を学ばなければならない。大学は何よりもそのための場である。」。
水谷千秋『教養の人類史』(第八章 人類史と二十一世紀の危機)読書メモより。
・p.270-271長谷川眞理子(『進化的人間考』)…「(ヒトは生後9か月を過ぎると)自分が興味を持ったものをさしたり、母親の前に差し出したり、さらに手渡したりするようになる」。「三項表象」の理解=「共同注意」の発生。人間だけが三項表象を理解し、美の観念を持ち、言語を持つ。
・p.275水谷千秋…「現代に起きていている問題はすべて過去の歴史にその源があるのであり、その解決への道も歴史が教えてくれるはずであることが垣間見えてきます。枢軸時代(カール・ヤスパースが名付けた、今から2500年くらい前のヘレニズム文化、ヘブライズム、仏教、儒教といった思想が生まれた時代)の先人たちの教える人間愛と人生への態度、そして近代科学の教える合理主義と科学精神のもたらす成果が、私たちに未来を指し示してくれるはずなのです。これから待ち受ける不安な未来に対し二十一世紀の人類が駆使できる叡智は、この二つ以外には存在しません。決して偏見や憎しみ、科学に基づかない思い込み、呪術、差別、偏狭な愛国心、また富への執着といったものに頼って判断してはならないのです。今世紀から来世紀に向けて人類の生存はそこに懸かっているのではないか、と私は思います。」。→p.287人間の尊厳というものへの理解がまだ日本では不足している。
・p.277-278斎藤幸平(『人新世の「資本論」』)…「資本主義こそが、気候変動をはじめとする環境危機の原因にほかならない」「資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限である」。→p.283「コモンズ」=p.282宇沢弘文「社会的共通資本」
・p.278水野和夫(『資本主義の終焉と歴史の危機』)…「資本主義は『中心』と『周辺』から構成され、『周辺』つまりフロンティアを広げることによって、『中心』が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム」「地理的な市場拡大は最終局面に入っている」「地理的なフロンティアは残っていません」。→p.281新自由主義の失敗、一部の特権階級だけが富を独占、格差の拡大。

人気度と政治能力は別

本日(2月25日)の朝日新聞1面トップ記事は、宮沢喜一元首相の40年間に及ぶ大学ノート185冊の日録発見のニュースでした。1966年から2006年が記録されたそのノートは、戦後政治を検証する第一級の資料であると思います。元首相の選挙区だった広島県福山市には、今年5月25日に「宮沢喜一記念館」がオープンしますが、存命中、岸信介が「人の世話をしないから子分がいない。頭がいいものだから、人がみんな馬鹿にみえるんだよ」と評したように、けっして人気がある人物ではありませんでした。東大出でも法学部卒の人しか相手にしない性分もあって、エリート意識が強かったエピソードが豊富です。英語力も抜群で、日頃から人前でも英字新聞を読んでいて、英語がまるでダメな「ハマコー」からいちゃもんを付けられた際には、「国会議員なんだから、浜田さんも英字新聞ぐらいはお読みなさい」とやり返しています。「ハマコー」もこれには感化されて、息子の浜田靖一(現自民党国対委員長)をアメリカのカレッジに留学させたといわれています。嫌味がある人物のイメージが付いて回りましたが、教養や知性にあふれた人物であったことは間違いなく、ハーバード大学教授から外交官へ転身したキッシンジャーが最も対話してきた日本の政治家だったこともその証しです。
この宮沢元首相が武蔵高-東大法の学歴ですが、県副知事を今年辞めたばかりの人も同じです。ただし、後者の読書遍歴はビジネス書のたぐいがほとんどで教養やら知性はうかがえませんでした。
そういう意味では、学歴だけでは、教養やら知性が備わっているかは、判断できません。判断する側にもそれらが備わっていなければ、単なる人気度の評価しかできないと思います。手始めに、水谷千秋著の『教養の人類史』(文春新書、1200円+税、2023年)に記されている程度の知識は、理解しておきたいものです。

利用者目線を忘れるな

昨日、地元首長が理事長の社会福祉法人の評議員会へ出席しました。この日の議案の1号と2号は、同法人の一つの事業を3月末で廃止することと、それに伴う定款の一部改正となっていました。議案書に書かれた廃止の提案理由は、「入所者減少に伴い、養護老人ホームと統合し経営の安定化を図るため。」といたって簡潔なものでした。議事においてもっと詳しい説明があるかなと期待しましたが、法人側からの発言は議案書の記載通りで終わり、質疑応答に入りました。
そこで、さっそく現在の入所者の処遇や廃止事業が対象としてきた入所者の新規募集の行方について質問を行いました。結果、現在の入所者全員を継続する事業で受け入れるという回答を得ました。継続事業では入所対象には本来ならない利用者も全体の20%以下なら特例で養護契約入所ができるということと、その範囲内で特例の新規入所も行われることも確認できました。
これが、株式会社の株主総会であれば、株主の議決権行使の参考書類として、事業廃止に伴う財務的影響のみならず顧客対応や社員雇用への影響について詳細な説明が行われるのが常識です。対外的なイメージ悪化がないのかについても株主へ理解を求める説明がつくされるのが常識です。
今回の社会福祉法人の評議員会は、まさに株主総会に相当する最高議決機関です。さらにいえば、評議員会へ上程する前には理事会審議が行われます。株式会社に例えると、業務執行責任者である取締役会がそれにあたります。理事会メンバーには首長や福祉部署の部長、厚生関係の委員を務める議員らが入っているわけですが、果たして理事会では廃止に伴う入所者や職員に対する影響を問う質問はなかったのか気になりましたし、冒頭に記したような提案理由の議案書を評議員会へ出すことに誰も異論を唱えなかったのかと疑問に思いました。
最近、ロアッソ熊本のホームゲーム当日の光の森駅-スタジアム間のシャトルバスが今季から前日正午までの予約申込制となり、乗車の使い勝手が非常に悪くなりました。これも利用者目線を完全に忘れた愚策極まりないもので、クラブの事業才覚の欠如を示す出来事でした。
本日あたりは株価が34年ぶりに最高値を更新したとメディアが浮かれていますが、これなんかもそれぞれのドルレート換算で出したら、まだ更新とはいえないわけで、目先の文字数字だけ見て実を見ないで過ごすバカがなんと多いものかと気が滅入るばかりです。
写真はニューヨーク証券取引所。2000年5月撮影。

「風よ あらしよ」は見て損はない

先日、本渡第一映劇まで「ほかげ」を観に行ったおりに予告編で「風よ あらしよ 劇場版」を知りました。熊本県内では2月16日からDenkikanで公開されるということでしたので、さっそく初日に鑑賞してきました。
この映画は、大正時代の女性解放運動家の伊藤野枝の生涯を描いたものです。彼女の最期は関東大震災後の混乱のなかでパートナーの大杉栄とともに憲兵大尉の甘粕正彦らの手によって殺害されるという悲劇に見舞われていますが、なんといっても100年前のことですし、あまり一般には知られていない人物かもしれません。私もどちらかというと、故・松下竜一さんの著書『ルイズ 父に貰いし名は』の影響もあって、大杉栄と伊藤野枝の遺児で1996年に亡くなられた伊藤ルイさんの活動についての方が、松下さんとルイさんが共に九州在住ということもあり、見聞する機会が多かったように思います。
ところで、映画作品についての感想ですが、安直な物言いですが、見て損はないと思いました。人間としての尊厳や自由について考えさせられますし、男性視点からするとなんだかんだいって女性のことを理解できてないダメさ加減をこれでもかと突きつけられる思いを受けます。映画の中で、足尾鉱毒事件における谷中村の棄民政策について大杉栄が「自分の原点」という意味合いの言葉を発しますが、どこかの県知事がやはりある公害事件を「政治の原点」といっていたのを連想し、軽々しく「原点」という言葉はつかえないなと思いました。
ほかにも「センチメンタリズム」「奴隷」「権力のイヌ」というキーワードが印象に残りました。ロシアや中国といった権威主義国家の外へ出て自国内にいる同胞へ発言を続ける知識人が数多くいますが、彼らが現在置かれている立場に近いものも感じました。
一方で、前述の「原点」に関連するのですが、差別の問題についていえば、やはり軽々しく理解した気に陥るのも危ないのではないかと思います。今読んでいる本は、中国系ベトナム人難民の娘としてオーストラリアで育ち、現在は米国の大学で哲学の教員をしているヘレン・ンゴ(呉莉莉)氏の『人種差別の習慣 人種化された身体の現象学』(青土社、2800円+税、2023年)なのですが、なかなか難解です。人種化する眼差しを持っている人はたいてい差別する意図はないと語りがちですが、身体行動には差別の現象があります。それを人種化される眼差しを受ける人は差別として確実に感じ取ります。世界をいかに解釈し、世界をいかにより良きものに変えていくか、それこそが哲学の役割なのですが、いつの時代も世界のどこでも課題はつながっているという思いもしました。

フタをすることだけが早業だった

現県知事が「政治の原点」とかつて口にした割には、こと水俣病問題解決に向かってこの16年間、県政の良き流れがあったとはとてもいえません。本日の熊本日日新聞1面の「点検 県のチカラ」の7回目記事にあるとおり、2013年の最高裁判決や国の不服審査会裁決が示した感覚障害のみの患者認定の判断、あるいは2023年の大阪地裁が示した水俣病特措法の救済漏れを認めた判決などに、一貫して背を向けてきたのは明らかでした。
その一方で、チッソが1968年まで有機水銀を垂れ流した、百間排水口の木製樋門(フタ)を水俣市が撤去する計画が持ち上がり、現地から反対の声が上がった際には、いち早く知事が県の予算で現場保存に昨年7月乗り出したことがありました。そのフタは、工場廃水が流れていた当時のものではありませんし、新たに設置されるレプリカのフタ自体には水理機能上の意味もないものです。被害拡大の事件史的視点から言えば、百間排水口から一時期変えた、水俣川河口近くのチッソ八幡プールの排水路からの有機水銀流出がより悪質だったわけで、私自身はフタ保存の必要性をさほど感じていません。むしろフタをすることで被害者に寄り添う格好のポーズ作りの材料にさせられただけだったと考えています。
※写真は記事と関係ありません。パリのポンピドゥーセンター(1991年12月撮影)。当時は広場で火を噴く大道芸人がいましたが、今はどうなのでしょうか。

本と美術の楽しみ

どのような社会づくりを私たちは目指すのか。それには技術発展の基礎となる理工系の学問は重要ですが、それとともに新しい価値を作り出す人文・社会科学系の学問も重要です。異文化が交錯するところ、多様な文化的背景をもつ人や土地との出会いから視野が広がり、さまざまな価値に気づくことがあります。その手っ取り早い方法は、旅行であるとか留学などがそうです。時間や金銭的制約を考慮すると、本や美術に接するのもいいと思います。食事は人が生きるために必要不可欠ですが、私にとっては読書や美術鑑賞もアタマのための食事です。つまり本や美術は食べ物です。
そんなこともあって他人がどんな食事をしているかよりも、どんな本を読んでいるのか、どんな美術作品に接しているのかという方に興味が湧きます。だいたいそれでその人となりが知れます。
昨日のBSフジの番組で、中国・南京出身のエコノミスト、柯隆さんが、都内にリベラルな中国関連書籍を扱う書店があって、中国出身の知識人が日本に呼び寄せられる要因になっているというようなことを言っていました。これまでそうした書店はロンドンやニューヨークにはありましたが、東京にも新しい華人ネットワークが形成されることは、むしろ望ましいことだと思います。
一方、ついこの前まで副知事を務めていた方の10代の頃の読書遍歴の記述を目にしたのですが、野村克也の『裏読み』と川北隆雄の『大蔵省』を挙げていて、ちょっとどうかなと思いました。対戦相手を出し抜く技量や財政を握って権勢(県政?)を振るうことへ憧れを感じて官僚を目指されたように感じました。
ちなみに私の10代の頃の読書遍歴で印象が強い作品としては、ソルジェニーツィンの『収容所群島』であるとか、五味川純平の『戦争と人間』あたりでしょうか。お互いヒネたガキだった点では似ているともいえますかね。
写真はロンドンのウィンストン・チャーチル像。1993年12月撮影。

高2時代の担任の訃報に際して

けさの地元紙で高2時代の担任の原田榮作先生の訃報に接しました。ご冥福を祈ります。
最後にお目にかかったのは、先生の2冊目のご著書『シルバー夫婦の「日本百名山」物語』を出版された直後の6年前でした。日本百名山踏破の信念の強さに驚きましたし、専門の国語教師として嗜んでおられた短歌作品も文中に織り込まれていて、心の懐の深さを感じました。1冊目のご著書『反故にするまえに』は新任高校教師時代から校長時代に至る教育に対する日々の思いを記されたものですが、そちらもいただいて読ませていただきました。この2冊は私の手元だけに眠らせておくのは惜しいと、共に母校の宇土高校図書館へ贈呈していますので、興味のある方はご覧になれると思います。
学校で縁があった先生でもその後も何かと交流がある方とそうでない方がやはりいます。教え子からすると、先生の生き方を学べるに値する大人かどうかの違いの気がします。先生は間違いなく前者の一人でした。ありがとうございました。